私は皆から慕われるようになったわ!
レーベル公爵領。広大な面積を誇るセイクリッド帝国内においても、レーベル家が治める領地は屈指の広さを誇る。
その広さは五年前と何ひとつ変わっていない。
だが、そこで暮らす人々の日常は、大きく様変わりしていた。
領都の市場でも、農村でも、街道沿いの宿場町でも――人々は自然と、次期公爵令嬢アンジェリカの名を口にするようになっていた。
「あのお嬢様が視察に来てから、道が歩きやすくなったな」
「診療所の医師も増えたし、子どもが熱を出しても安心だ」
「税の相談にも耳を傾けてくださる。昔じゃ考えられなかった」
「橋の修繕も始まったらしいぞ」
「使用人にも優しくなったって、公爵邸で働いてる親戚が言ってた」
領民たちの表情は、以前よりもずっと明るい。
もちろん、すべてが順風満帆というわけではない。
新しい制度に不満を漏らす者もいれば、これまでのやり方を変えられることを快く思わない古参貴族もいる。
改革には、必ず反発が伴う。
それでも、領民たちの暮らしが少しずつ豊かになっていることだけは、誰にも否定できなかった。
道は整備され、医療は充実し、困り事を相談できる場所も増えていく。少し前までのレーベル領では考えられなかった変化である。
そんなある日。アンジェリカは、自身が任されているオックスフォード領を訪れていた。定期的に行っている視察のためである。
馬車が村へ入ると、その姿に気付いた領民たちが次々と駆け寄ってきた。
「アンジェリカお嬢様! よぐ来てくれだなぁ!」
「大したもてなしはできねぇけんど、ゆっぐりしてってけれ!」
「今日は採れたての野菜もあっから、持っていってけろ!」
温かな歓迎を受け、アンジェリカは自然と頬を緩める。
「ありがと!」
馬車を降りると、一人ひとりに笑顔を向けた。
「今日は視察で来ているから、日が暮れる前には戻らないといけないの。でも、それまでは皆と一緒に過ごさせてもらうわね!」
「おぉ! 嬉しいごど言ってくれんなぁ!」
領民たちの顔がぱっと明るくなる。子どもたちはアンジェリカの周りを元気いっぱいに駆け回り、大人たちは嬉しそうに顔を見合わせた。
少し離れた場所で護衛に当たる騎士たちも、その光景を微笑ましく見つめている。
「昔では考えられませんね」
「ああ。以前のお嬢様なら、領民と言葉を交わすことすら嫌がっておられた」
今では、その面影はどこにもない。
アンジェリカは領民一人ひとりの話に耳を傾け、ときには一緒に笑い、困り事があれば手帳へ丁寧に書き留めていく。その姿は、もはや一人の領主そのものだった。
一通り村を見て回った後、アンジェリカは領主館へ向かう。
執務室の扉を開くと、見慣れた青年が机に向かい、書類へ目を通していた。
「リヒト先生!」
声を掛けると、青年は顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべる。
「これは、アンジェリカ様。ようこそお越しくださいました」
「お仕事中だった?」
「ええ。ですが、アンジェリカ様がお越しになる日は、あらかじめ予定を空けてあります」
「本当? それなら、少し視察に付き合ってもらってもいいかしら?」
「もちろんです」
リヒトは柔らかく微笑み、頷いた。
「アンジェリカ様が領地へ足を運んでくださること自体、領民にとって大きな励みになっていますから」
その言葉に、アンジェリカは照れくさそうにはにかむ。
「先生にそう言われると、何だか照れちゃうわ」
「事実ですよ」
リヒトは窓の外へ視線を向けた。
そこでは、アンジェリカの来訪を知った領民たちが、嬉しそうに談笑している。
「皆、アンジェリカ様がお越しになる日を心待ちにしています」
その一言に、アンジェリカが目を丸くする。
「……本当に?」
「ええ」
リヒトは迷いなく頷いた。
「ご自身ではお気付きでないかもしれませんが、あなたはもう、この領になくてはならない存在です」
一呼吸置いて、優しく続ける。
「私が初めてお会いした頃のお嬢様は、領地にも領民にも興味を示されませんでした」
懐かしそうに目を細めた。
「ですが今は違います。誰よりも領民のことを考え、自ら足を運び、声を聞き、その未来のために行動しておられる」
リヒトは静かに微笑む。
「その成長を、一番近くで見守ることができた私は、本当に幸せ者です」
そして、心から誇らしげに告げた。
「本当によくぞ、ここまでご立派に成長されましたね」
「……リヒト…」
その一言に、アンジェリカの瞳へ涙がじわりと浮かぶ。
これまでの日々が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
失敗も、後悔も、叱られた日も、支えてくれた人たちの笑顔も――すべてが今の自分へと繋がっている。
「……ありがと」
震える声で紡がれた、その短い一言。
だが、その言葉には、これまで支えてくれたリヒトへの感謝と、ここまで歩んできた日々への想いが、すべて込められていた。




