表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
31/52

私はお祖父様なんて大キライよ!

 一週間後。使用人棟の改修工事は、予定どおり完了した。


 雨漏りしていた屋根は新しく葺き替えられ、隙間風が吹き込んでいた窓も修繕された。寝具は新調され、廊下には新しい照明が取り付けられている。


 それに伴い、屋根裏部屋で暮らしていたサラたち三人の侍女も、ほかの使用人たちと同じように部屋を与えられた。


「暖かい……」

「これなら今年の冬は安心ね」

「本当に、お嬢様のおかげだ」


 使用人たちの顔には、自然と笑みが浮かぶ。

 その変化は屋敷全体にも広がっていた。


 掃除は以前にも増して丁寧になり、料理人は腕によりをかけて料理を作る。庭師たちも生き生きと庭木を手入れし、屋敷全体がどこか明るくなったように感じられた。


 そんなある日。アンジェリカはレイミを連れ、完成した使用人棟を見にやって来た。


「お嬢様!」


 姿を見つけた使用人たちが、一斉に頭を下げる。


 そこに以前のような怯えた表情はない。

 誰もが心からの笑顔を浮かべていた。


「みんな、住み心地はどう?」

「とても快適です!」

「夜もぐっすり眠れるようになりました!」

「本当にありがとうございます!」


 次々と感謝の言葉を向けられ、アンジェリカは得意げに胸を張る。


「ふふーん♪ やっぱり、わたしって天才よね!」

「お嬢様が、そこまで威張ることでもない気がしますが……」


 レイミが呆れ半分に呟いた。


「いいのよ! 褒められる時は、ちゃんと褒められておくものだわ!」

「そういうものですか?」

「そういうものよ!」


 アンジェリカはさらに鼻を高くする。

 その調子の良さに、使用人たちからも思わず笑い声がこぼれた。


 かつて恐れられていた令嬢は、今では少し我が儘で、お調子者だけれど、どこか憎めない存在へと変わっていた。


 一方、その変化はフレアにも少しずつ表れていた。


 廊下ですれ違った侍女に、フレアが穏やかな声を掛ける。


「ご苦労様」

「えっ……?」


 侍女は驚いて足を止めた。


「いつも屋敷を綺麗にしてくれてありがとう」

「お、奥様……」


 思いも寄らぬ言葉に、侍女は目を丸くする。


「当然の務めではあるけれど、その務めを果たしてくれる皆さんがいるから、この屋敷は成り立っているわ。これからもよろしくお願いしますね」


 柔らかく微笑み、フレアはその場を後にした。

 侍女はしばらく立ち尽くしたまま、小さく呟く。


「奥様が……お礼を……」


 娘の考えをすべて受け入れたわけではない。

 それでも、人を労うことは決して悪いことではない。そんな小さな変化が、ウィリアムとフレアの心にも芽生え始めていた。


 ――しかし、その穏やかな日常は、一人の来訪者によって打ち砕かれる。


「旦那様!」


 門番の慌ただしい声に、執務中だったウィリアムが顔を上げた。


「騒がしいな。どうした」

「申し訳ございません! しかし──オリヴァー様がお見えになりました!」

「……父上が?」


 その名を聞いた瞬間、屋敷の空気が一変する。

 使用人たちの表情も一斉に強張った。


 やがて、一台の馬車が正門前で静かに止まる。


 白髪交じりの髪を後ろへ撫でつけた、一人の老人がゆっくりと降り立った。


 レーベル公爵家前当主。 "鉄血公"の異名を持つ男――オリヴァー・レーベルである。


 杖を突きながら歩くだけで、その場の空気が張り詰めていく。

 歴戦の将として名を馳せた男の威圧感は、老いた今もなお衰えてはいなかった。


「ふん」


 オリヴァーは屋敷を見渡しながら歩き、その視線が改修された使用人棟を捉えた。


 彼の足が止まる。


「……何だ、あれは」


 低く押し殺した声だった。

 だが、その一言だけで、その場にいた誰もが背筋を震わせた。


「ようこそお越しくださいました、父上」


 駆けつけたウィリアムが深く一礼するも、オリヴァーは使用人棟から目を離さない。


「ウィリアム。あれは何だ」

「使用人棟を改修いたしました」

「……改修だと?」


 眉間に深い皺が刻まれる。


「誰の許可でやった」

「私の判断です」


 次の瞬間だった。


「愚か者がッ!!」


 雷鳴のような怒声が庭園に響き渡る。

 使用人たちは思わず肩を震わせた。


「使用人風情に、このような住まいを与えるとは何事だ! 貴族と平民の違いも分からんのか!」


 しかし、ウィリアムは表情一つ変えない。


「父上。これは屋敷全体の仕事効率を考えた結果です」

「効率だと?」


 オリヴァーは鼻で笑う。


「甘やかされた者は怠ける。それが人というものだ」

「ですが実際に、使用人たちの働きぶりは――」

「黙れッ!」


 杖が石畳を激しく叩く。乾いた音が庭園中へ響き渡った。


 今度はフレアが前へ出る。


「お義父様。この改修によって、使用人たちは以前にも増して励んでおります」

「だから何だ?」

「……っ」


 オリヴァーが一蹴する。


「平民は平民らしく扱え。それが貴族の務めだ」


 その信念は、微塵も揺るがない。

 ウィリアムもフレアも、それ以上言葉を返せなかった。


 やがて、オリヴァーは使用人棟を杖で指し示し、冷たく命じる。


「そんなものは即刻取り壊せ」


 その一言で、使用人たちの笑顔が消えた。

 ようやく手に入れた安らぎの場所が、また奪われようとしている。


 しかし誰も反論できない。前公爵の命令は、それほどまでに絶対だった。


 ――その時だった。


「……嫌よ」


 震えるような声が響く。


「ん?」


 オリヴァーがゆっくりと振り返る。

 そこには、拳を固く握り締め、肩を震わせるアンジェリカが立っていた。


「取り壊すなんて、絶対に嫌!」


 少女の叫びが庭園に響き渡る。


「みんな、やっと笑ってくれるようになったの! 前よりずっと快適だって言ってくれてるし、お屋敷だって明るくなったの!」


 涙を浮かべながらも、アンジェリカは祖父を真っ直ぐ睨み返す。


「それなのに壊すなんて、おかしいわ!」


 庭園は水を打ったように静まり返った。


 鉄血公にここまで真っ向から反論した者など、誰一人いない。逆らえば命さえ危うい――そんな噂が囁かれるほどの人物なのだ。


 それでもアンジェリカは、一歩たりとも退かなかった。


「お祖父様なんて……」


 大粒の涙を流しながら、少女は叫ぶ。


「お祖父様なんて、大キライよ!」


 その一言に、その場にいた全員が息を呑む。

 張り詰めた沈黙の中、オリヴァーだけが無言で孫娘を見つめていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ