私はお祖父様なんて大キライよ!
一週間後。使用人棟の改修工事は、予定どおり完了した。
雨漏りしていた屋根は新しく葺き替えられ、隙間風が吹き込んでいた窓も修繕された。寝具は新調され、廊下には新しい照明が取り付けられている。
それに伴い、屋根裏部屋で暮らしていたサラたち三人の侍女も、ほかの使用人たちと同じように部屋を与えられた。
「暖かい……」
「これなら今年の冬は安心ね」
「本当に、お嬢様のおかげだ」
使用人たちの顔には、自然と笑みが浮かぶ。
その変化は屋敷全体にも広がっていた。
掃除は以前にも増して丁寧になり、料理人は腕によりをかけて料理を作る。庭師たちも生き生きと庭木を手入れし、屋敷全体がどこか明るくなったように感じられた。
そんなある日。アンジェリカはレイミを連れ、完成した使用人棟を見にやって来た。
「お嬢様!」
姿を見つけた使用人たちが、一斉に頭を下げる。
そこに以前のような怯えた表情はない。
誰もが心からの笑顔を浮かべていた。
「みんな、住み心地はどう?」
「とても快適です!」
「夜もぐっすり眠れるようになりました!」
「本当にありがとうございます!」
次々と感謝の言葉を向けられ、アンジェリカは得意げに胸を張る。
「ふふーん♪ やっぱり、わたしって天才よね!」
「お嬢様が、そこまで威張ることでもない気がしますが……」
レイミが呆れ半分に呟いた。
「いいのよ! 褒められる時は、ちゃんと褒められておくものだわ!」
「そういうものですか?」
「そういうものよ!」
アンジェリカはさらに鼻を高くする。
その調子の良さに、使用人たちからも思わず笑い声がこぼれた。
かつて恐れられていた令嬢は、今では少し我が儘で、お調子者だけれど、どこか憎めない存在へと変わっていた。
一方、その変化はフレアにも少しずつ表れていた。
廊下ですれ違った侍女に、フレアが穏やかな声を掛ける。
「ご苦労様」
「えっ……?」
侍女は驚いて足を止めた。
「いつも屋敷を綺麗にしてくれてありがとう」
「お、奥様……」
思いも寄らぬ言葉に、侍女は目を丸くする。
「当然の務めではあるけれど、その務めを果たしてくれる皆さんがいるから、この屋敷は成り立っているわ。これからもよろしくお願いしますね」
柔らかく微笑み、フレアはその場を後にした。
侍女はしばらく立ち尽くしたまま、小さく呟く。
「奥様が……お礼を……」
娘の考えをすべて受け入れたわけではない。
それでも、人を労うことは決して悪いことではない。そんな小さな変化が、ウィリアムとフレアの心にも芽生え始めていた。
――しかし、その穏やかな日常は、一人の来訪者によって打ち砕かれる。
「旦那様!」
門番の慌ただしい声に、執務中だったウィリアムが顔を上げた。
「騒がしいな。どうした」
「申し訳ございません! しかし──オリヴァー様がお見えになりました!」
「……父上が?」
その名を聞いた瞬間、屋敷の空気が一変する。
使用人たちの表情も一斉に強張った。
やがて、一台の馬車が正門前で静かに止まる。
白髪交じりの髪を後ろへ撫でつけた、一人の老人がゆっくりと降り立った。
レーベル公爵家前当主。 "鉄血公"の異名を持つ男――オリヴァー・レーベルである。
杖を突きながら歩くだけで、その場の空気が張り詰めていく。
歴戦の将として名を馳せた男の威圧感は、老いた今もなお衰えてはいなかった。
「ふん」
オリヴァーは屋敷を見渡しながら歩き、その視線が改修された使用人棟を捉えた。
彼の足が止まる。
「……何だ、あれは」
低く押し殺した声だった。
だが、その一言だけで、その場にいた誰もが背筋を震わせた。
「ようこそお越しくださいました、父上」
駆けつけたウィリアムが深く一礼するも、オリヴァーは使用人棟から目を離さない。
「ウィリアム。あれは何だ」
「使用人棟を改修いたしました」
「……改修だと?」
眉間に深い皺が刻まれる。
「誰の許可でやった」
「私の判断です」
次の瞬間だった。
「愚か者がッ!!」
雷鳴のような怒声が庭園に響き渡る。
使用人たちは思わず肩を震わせた。
「使用人風情に、このような住まいを与えるとは何事だ! 貴族と平民の違いも分からんのか!」
しかし、ウィリアムは表情一つ変えない。
「父上。これは屋敷全体の仕事効率を考えた結果です」
「効率だと?」
オリヴァーは鼻で笑う。
「甘やかされた者は怠ける。それが人というものだ」
「ですが実際に、使用人たちの働きぶりは――」
「黙れッ!」
杖が石畳を激しく叩く。乾いた音が庭園中へ響き渡った。
今度はフレアが前へ出る。
「お義父様。この改修によって、使用人たちは以前にも増して励んでおります」
「だから何だ?」
「……っ」
オリヴァーが一蹴する。
「平民は平民らしく扱え。それが貴族の務めだ」
その信念は、微塵も揺るがない。
ウィリアムもフレアも、それ以上言葉を返せなかった。
やがて、オリヴァーは使用人棟を杖で指し示し、冷たく命じる。
「そんなものは即刻取り壊せ」
その一言で、使用人たちの笑顔が消えた。
ようやく手に入れた安らぎの場所が、また奪われようとしている。
しかし誰も反論できない。前公爵の命令は、それほどまでに絶対だった。
――その時だった。
「……嫌よ」
震えるような声が響く。
「ん?」
オリヴァーがゆっくりと振り返る。
そこには、拳を固く握り締め、肩を震わせるアンジェリカが立っていた。
「取り壊すなんて、絶対に嫌!」
少女の叫びが庭園に響き渡る。
「みんな、やっと笑ってくれるようになったの! 前よりずっと快適だって言ってくれてるし、お屋敷だって明るくなったの!」
涙を浮かべながらも、アンジェリカは祖父を真っ直ぐ睨み返す。
「それなのに壊すなんて、おかしいわ!」
庭園は水を打ったように静まり返った。
鉄血公にここまで真っ向から反論した者など、誰一人いない。逆らえば命さえ危うい――そんな噂が囁かれるほどの人物なのだ。
それでもアンジェリカは、一歩たりとも退かなかった。
「お祖父様なんて……」
大粒の涙を流しながら、少女は叫ぶ。
「お祖父様なんて、大キライよ!」
その一言に、その場にいた全員が息を呑む。
張り詰めた沈黙の中、オリヴァーだけが無言で孫娘を見つめていた。




