閑話〈変わり始める公爵家〉
翌日。公爵家の執務室には、家令をはじめとする各部署の責任者たちが集められていた。
全員が着席したのを確認すると、ウィリアムは静かに口を開く。
「本日より、使用人棟の改修計画を開始する」
その一言に、部屋の空気がぴたりと止まった。
「……使用人棟、ですか?」
「ああ」
家令が思わず聞き返すと、ウィリアムは短く頷いた。
「老朽化した箇所から順に修繕を進めろ。雨漏りの補修、断熱工事、それから寝具も新しいものへ交換する。必要な予算は私が承認する」
その場にいた者たちは顔を見合わせた。
屋敷の修繕命令そのものは珍しくない。だが、その対象が使用人棟となれば話は別だった。これまでの公爵なら、決して口にしなかった命令である。
「ただし、無駄な出費は許さん。必要最低限で最大の効果を出せ」
「……承知いたしました!」
家令は驚きを隠せないまま、一礼した。
公爵の命令である以上、従わない理由はない。
やがて会議が終わると、その話は瞬く間に屋敷中へ広まっていった。
廊下では、使用人たちが信じられないといった様子で顔を見合わせる。
「聞いたか? 使用人棟を改修するらしいぞ」
「本当に公爵様のご命令なの?」
「何かの聞き違いじゃないのか?」
半信半疑の声があちこちから上がる。
何十年もの間、当たり前だった暮らしが変わるなど、誰も想像していなかった。
そんな中、その知らせは療養中のサラの耳にも届く。
「えっ……本当ですか?」
思わず立ち上がりかけたサラは、まだ本調子ではない身体を押さえ、ゆっくりと腰を下ろした。
「ええ、本当よ」
同僚の侍女は嬉しそうに頷く。
「今朝、公爵様が正式に命じられたそうよ。屋根も直すし、冬に備えて寝具まで新しくするんですって」
「それだけじゃありませんよ」
別の侍女も笑顔で話に加わる。
「窓の隙間風もなくすそうです。これで寒さに震えながら眠らなくて済みますね!」
皆の表情は、期待と喜びに満ちていた。
その様子を見つめながら、サラは静かに目を伏せる。
(お嬢様……)
胸の奥がじんわりと熱くなった。
あの日、自分のために涙を流してくれた少女。
変わりたいと頭を下げてくれた少女。
そして今度は、その言葉だけではなく、行動で示してくれた。
気づけば、一筋の涙が頬を伝っていた。
「サラ?」
「……す、すみません」
サラは慌てて涙を拭い、照れくさそうに微笑む。
「嬉しくて……少し、泣いてしまいました」
その笑顔につられるように、侍女たちも優しく笑みを浮かべた。
公爵家は今、少しずつ変わろうとしている。
その変化はまだ小さく、誰もが気づくほど大きなものではない。
それでも確かに、昨日までとは違う一歩が踏み出されていた。
◇
一方その頃。
アンジェリカは自室の窓辺に立ち、静かに庭を眺めていた。
窓の外では、仕事の合間なのだろう。使用人たちが笑顔で言葉を交わしながら行き交っている。
その穏やかな光景に、アンジェリカは自然と頬を緩めた。
「やっぱり、わたしって天才よね」
心の底から、そう思う。
これだけ短期間で、使用人たちの環境改善を形にできたのだ。
もちろん、お父様の助力があってこその成果ではある。だが、きっかけを作ったのは自分だ。
「レイミ、お前もそう思わない?」
アンジェリカが近くにいるレイミへ視線を向ける。
「それを私に聞くのですか?」
「ええ、そうよ。昨日の今日でこの成果だもの。わたしも少しは成長したんじゃない?」
得意げに胸を張るアンジェリカ。ようやく改心してきたと思っていたが、調子に乗る癖は相変わらずのようだ。
レイミは小さくため息をついた。
「確かに、あれはお嬢様にしかできないおねだりでしたね」
「そ、それは忘れなさいよね」
「冗談です。ご立派でしたよ」
「ふっふーん♪」
褒められて、アンジェリカは満足げに頬を緩める。
「これだけ頑張ったんだから、お前からも何かご褒美が欲しいわ」
「次は私にも、あのおねだりをしてくれるのですか?」
「しないわよ! そうじゃなくて、何か美味しいものでも用意しなさいって話よ」
「美味しいもの、ですか」
レイミは少し考え込んだあと、思いついたように手を打った。
「では、今日のお昼はいつもより柔らかいパンにしましょうか」
アンジェリカの肩ががくりと落ちる。
「なんでパンなのよ! 今日くらいはケーキの一つでも用意してくれていいじゃないの!」
むっとして言い返すアンジェリカ。
だが、その抗議は以前のような横暴さではなく、少し拗ねた年相応の少女のものだった。
それを見たレイミは、思わず笑みをこぼす。
「冗談です。分かりました。今日くらいはケーキを手配いたしましょう」
「やったわー!」
ぱっと顔を輝かせるアンジェリカ。
その姿を見ながら、レイミは改めて思う。
――本当に、変わられましたね。
かつての傲慢な令嬢の面影は、もうほとんどない。
今のアンジェリカは、誰かのために喜び、誰かのために動こうとしている。
その変化が、レイミには何よりも嬉しかった。




