私はまたまた、お父様にお願いしてみたわ!
挿絵ありです
アンジェリカとレイミが執務室の前へ辿り着くと、重厚な扉の前には二人の護衛騎士が控えていた。
そのうちの一人が、恭しく一礼する。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう。お父様はいらっしゃるかしら?」
「え、あ……はい。ただいま執務中でございます」
思わず目を丸くする騎士をよそに、アンジェリカは小さく息を吸い込んだ。
昨日までの自分なら、父に頼み事をすることなど何とも思わなかった。
欲しい物があれば当然のように求め、それが叶うのが当たり前だと信じていた。
しかし、今日は違う。
これは自分のためではない。サラたちのために、この扉を叩くのだ。
胸の奥に湧き上がる緊張を押さえ込み、アンジェリカは静かに扉を叩いた。
「お父様。アンジェリカです」
間もなく、落ち着いた声が室内から返ってくる。
「入りなさい」
「失礼いたします」
レイミが静かに扉を開ける。
執務室には壁一面に本棚が並び、大きな執務机には書類が山のように積まれていた。
その机に向かっていた父──ウィリアムは羽根ペンを置き、ゆっくりと顔を上げる。
「朝から珍しいね」
穏やかな笑みを浮かべながらも、その瞳は娘の様子を静かに見つめていた。
「何か欲しい物でもあったかい?」
いつものような父の問い掛けに、アンジェリカは静かに首を横へ振る。
「今日は、お父様にお願いがあって参りました」
「お願い?」
ウィリアムはわずかに眉を上げると、柔らかく微笑んだ。
「何だい? 愛しのアンジェリカ」
いつもと変わらぬ、娘に甘い父親の笑顔。
アンジェリカは一歩前へ進み、深々と頭を下げた。
「使用人たちの住環境を改善していただきたいのです」
「……何だって?」
その瞬間、ウィリアムの笑みがすっと消えた。
空気が変わる。
アンジェリカは思わず息を呑んだ。
先ほどまでそこにいたのは、優しい父親だった。
だが今、目の前にいるのは、公爵家当主ウィリアム・レーベルだった。
執務室に静寂が落ちる。
レイミも息を潜め、公爵の反応を見守っていた。
「……理由を聞こう」
返ってきたのは、静かで感情を感じさせない声だった。
否定でも肯定でもない。
まずは相手の考えを聞き、その上で判断する。
当主としての声音だった。
アンジェリカはゆっくりと顔を上げ、公爵を真っ直ぐ見つめ返す。
「昨日、サラたちの部屋を見ました」
その一言に、ウィリアムは何かを察したように目を細める。
「屋根裏部屋か」
「はい」
アンジェリカは力強く頷いた。
「あの部屋は狭く、古く、とても安心して休める環境とは思えませんでした。サラは療養中にもかかわらず、あの部屋で静養していたのです」
ウィリアムは何も言わず、静かに耳を傾ける。
「私は今まで、その現実から目を背けていました」
アンジェリカは拳を強く握り締めた。
「使用人だから当然だと……そう思い込んでいたのです」
一度言葉を区切り、深く息を吸う。
「ですが、勉強して分かりました。人は安心して暮らせる場所があってこそ、安心して働くことができます」
昨日学んだ知識。そして、自らの目で見た現実。
その二つが、アンジェリカの言葉に確かな重みを与えていた。
「だから、お父様にお願いがあります」
もう一度、深く頭を下げる。
「使用人たちが安心して暮らせる住まいを用意してください」
再び執務室が静まり返る。
ウィリアムは何も言わず、ただ娘の姿を見つめ続けていた。
ほんの数秒の沈黙。それだけの時間が、アンジェリカには永遠にも思えるほど長く感じられる。
やがて――ウィリアムは静かに息を吐いた。
「……却下だ」
短く告げられた一言に、アンジェリカは目を見開いた。




