表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
26/53

私はまたまた、お父様にお願いすることにしたわ!

 翌朝。レーベル公爵家の邸は、いつもと変らぬ朝を迎えていた。


 使用人達はせわしなく廊下を行き交い、厨房からは焼き立てのパンと温かなスープの香りが漂ってくる。


 ただ、一人だけその輪に加わっていない者がいた。

 サラである。


 彼女はまだ、療養中の身だった。

 昨日はアンジェリカの訪問を受けて、一時的に部屋を出ただけで、本来であれば十分な静養が必要だと医師から告げられている。そのため、今日も屋根裏部屋で静かに身体を休めていた。


 そんな中──。


「お、おはようございます、お嬢様」


 廊下ですれ違った使用人が、深く頭を下げる。


「……おはよう」

「えっ……?」


 アンジェリカは足を止め、小さく挨拶を返した。


 使用人は思わず顔を上げる。

 これまで、アンジェリカから挨拶が返ってくることなど一度もなかった。

 それどころか、機嫌が悪ければ冷たい視線を向けられることさえあったのだ。


「どうかしたの?」

「い、いえ……失礼いたしました!」


 使用人は慌てて頭を下げると、その場を後にする。

 その背中を見送りながら、アンジェリカは小さく苦笑した。


(急には信じてもらえないわよね)


 一度失った信頼は、そう簡単には取り戻せない。

 昨日、サラたちにもそう教えられたばかりだ。


 謝罪は始まりに過ぎない。

 これからは、自分の行動で示していかなければならない。


 そう心に誓いながら廊下を歩いていると、向こうからレイミがやって来た。


「おはようございます、お嬢様」

「おはよう、レイミ」


 自然に交わされた挨拶に、レイミはわずかに目を細める。


「本日は朝から執務室へ向かわれるのですか?」

「ええ。お父様にお願いがあるの」

「お願い、でございますか?」


 アンジェリカはしっかりと頷いた。


「昨日、サラたちの部屋を見たわ」


 その一言だけで、レイミはすべてを察する。


「あれは駄目よ。平民の使用人だからって、人としての生活まで奪っていい理由にはならない」


 その声に迷いはなかった。

 レイミは口を挟むことなく、静かに耳を傾ける。


「すぐに全部を変えることは無理だって分かってる。でも、せめて住む場所だけでも改善したいの」


 アンジェリカは窓の外へ目を向けた。


「勉強して分かったの。人は安心して暮らせる環境があってこそ、安心して働けるのよ」


 その真っ当な言葉に、レイミの口元がわずかに緩んだ。


「立派なお考えです」


 アンジェリカは照れ隠しをするように頬を掻く。


「まだ勉強したことを、そのまま言っているだけよ。でも昨日、実際に見たから……」


 狭い屋根裏部屋。煤けたランプ。三人で肩を寄せ合って眠る小さな寝台。

 そして、本来なら安静にしていなければならない療養中の身でありながら、それでも笑顔で自分を迎えてくれたサラ。


 それらを思い返すたび、胸の奥が締めつけられた。


「あんな暮らしを、『仕方ない』の一言で終わらせたくないわ」


 その言葉には、公爵令嬢としてではなく、一人の少女としての強い決意が込められていた。


「きっと旦那様も、お嬢様のお話を聞いてくださいます」

「そうだといいけど……」


 アンジェリカは少しだけ不安そうに笑う。


「もし駄目だったら?」

「その時は、微力ながら私もご一緒に説得いたします」

「ふふっ」


 自然と笑みがこぼれた。

 立場上、使用人であるレイミにできることは限られている。

 それでも、こうして自分を支えてくれる存在がいることが、アンジェリカには何より心強かった。


「頼りにしてるわ、レイミ」

「光栄でございます」


 二人は並んで廊下を歩き始める。

 その光景を目にした使用人たちは、一様に足を止めた。

 昨日までのアンジェリカなら、使用人と肩を並べて歩くことなど決してなかった。


「……お嬢様が、笑ってる」

平民(レイミ)と、あんな風に……」


 誰もが驚きを隠せない。しかし、その表情に浮かぶのは戸惑いだけではなかった。


 ――もしかしたら、本当にお嬢様は変わろうとしているのかもしれない。


 そんな小さな期待が、公爵家の使用人たちの胸に少しずつ芽生え始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ