私はご満悦よ!
「ふんふふーん♪」
オックスフォードからの帰り道。馬車の中に、上機嫌な鼻歌が響いていた。
音程こそ少し危ういものの、年相応の可愛らしい歌声だ。
やがて鼻歌が途切れると、アンジェリカは胸を張って宣言した。
「やっぱり私って天才よね」
窓の外に広がる殺風景な景色も、ドレスに付いた土埃も、今の彼女にはまったく気にならないようだった。
「お嬢様、随分とご機嫌ですね」
「当然じゃない。たった一日で講師を手に入れたのよ? 機嫌も良くなるわ」
領地経営の講師。それは将来、領主となるアンジェリカにとって欠かせない存在だった。
領地経営には経済や政治をはじめ、多岐にわたる知識が必要となる。
一朝一夕で身につくものではなく、多くの貴族は親や親族から代々教えを受け、後継者として育てられていく。
アンジェリカ自身が、その事情をどこまで理解していたかは分からない。
それでも、祖父や父の執務室へ頻繁に押しかけていた彼女なら、領地経営というものの重要性を肌で感じていたのかもしれない。
「やっぱり、あのメガネを選んだのは正解だったわね」
数分前の出来事を思い返し、アンジェリカは満足そうに頷く。
本来なら、家族以外に教えを請うなどプライドが許さない。
それでも勇気を出して頼んでみれば、リヒトは迷うことなく跪き、忠誠を誓ってくれた。
――やっぱり私の人選は間違っていなかった。
そんな確信が胸いっぱいに広がる。
「それにしても、あのメガネが貴族だったなんて驚きだわ」
貴族には家名がある。
リヒトが名乗った「カーティス」の姓は、由緒ある貴族の証だった。
「カーティス家は、高い実務能力と交渉力で数々の領地を立て直してきた名門子爵家ですよ」
レイミが淡々と説明する。
「今は代替わりし、リヒト様が当主を務めておられます。先代にも劣らない優秀なお方だと伺っています」
「へぇ。ただのメガネじゃなかったのね」
感心したように頷いた後、アンジェリカはレイミを見る。
「お前って、結構物知りなのね」
「いえ、この程度は貴族社会では常識です」
レイミはさらりと言った。
「お嬢様が少々、世情に疎いだけかと」
「う、うるさいわね。そんなもの、これから覚えればいいのよ」
「でしたら、まずは『メガネ』ではなく、『リヒト様』とお名前でお呼びするところから始めてはいかがでしょう?」
「……努力するわ」
本人は真面目に答えたつもりなのだろう。
だが、他人に興味の薄いアンジェリカにとって、人の名前を覚えること自体が一苦労なのだ。
「特徴は?」と尋ねた際に「メガネ」としか返ってこなかったことを思い出し、レイミは込み上げるものを感じた。
……突っ込みたい。
だが、面倒なことになる未来しか見えない。
そう判断した彼女は、何も言わず口を閉ざした。
「それより、後は帰るだけね!」
アンジェリカは両手を広げる。
「帰ったら、お父様にたくさん褒めてもらうんだから! あっ、その前にお風呂に入って、それからティータイムかしら。楽しみだわ! 全部お前が準備するのよ」
「饒舌なのは結構ですが、馬車の揺れで舌を噛まないようお気を付けください」
「馬鹿ね。私がそんな間抜けな真似をするわけないじゃない。キャハハハ!」
馬車は帝都へ向かって走り続ける。
――なお、御者の話によれば。
その後しばらくして、馬車の中から「いたぁっ!」というアンジェリカの悲鳴が聞こえてきたらしい。




