私はまた不満よ!
「居ないわね」
「居ませんね」
土と草の乾いた匂いが鼻をくすぐる。
農地特有の香りだ。華やかな王都では、まず嗅ぐことのない匂いだった。
「もう駄目。少し休憩するわ」
「まだ歩いて数分しか経っていませんよ?」
「うるさいわね! この私が休むと言ったら休むのよ!」
「承知いたしました。軟弱なお嬢様」
「一言余計よ!」
レイミを睨みつけると、アンジェリカは街道脇の木陰へ腰を下ろした。
道は幅こそ広いものの、整備は甘い。
小石や砂利があちこちに転がり、とても歩きやすいとは言えなかった。
……こんなことなら、もっと動きやすい服で来ればよかった。
とは思うものの、高貴な自分にドレス以外が似合うとは思えない。
「何処にいるのよ、あのメガネ」
辺りを見渡せば、畑では農夫たちが働き、家畜の世話をする者たちが忙しく動き回っている。改めて、ここが田舎なのだと実感させられた。
本当にこんな場所に貴族出身の文官がいるのだろうか。
いや、お父様が嘘をつくはずはない。きっと、この町のどこかにいるのだ。
「リヒトも無能よね。この私がわざわざ来てあげたんだから、出迎えくらいしなさいよ」
「……お嬢様。その言い方はいくら何でも失礼です」
「何よ。本当のことでしょう?」
「先触れもなく押しかけてきたのは、私たちですよ。少しは相手の事情も考えて差し上げてはいかがですか」
珍しく、レイミは諭すような口調だった。
顔も性格もまるで違うのに、その言葉はなぜかサラと重なって聞こえた。
「………そうね。確かに、お前の言うとおりかもしれないわ」
アンジェリカが小さく息を吐く。
きっと昔も、サラに似たようなことを言われていたのだろう。
でなければ、この私が召使いの言葉に納得するはずがない。
「おや。お嬢様が自分の非を認めるなんて珍しいですね。明日は槍でも降るのでしょうか」
「だから一言余計なのよ! だいたい槍って何よ! そんなもの降ってきたら命が幾つあっても足りないわ!」
思わず大声を上げると、レイミは口元を押さえて顔を背けた。
肩が小刻みに震えている。
「……お前、笑ってるわね?」
「いえ。ただ、お嬢様にも可愛らしい一面があるのだな、と」
「は、はあ!?」
どこが可愛らしいのか、さっぱり分からない。
「もういいわ。お前に構っていたら日が暮れちゃう」
「休憩してから、まだ数分しか経っていませんよ?」
「いちいち煩い!」
主人に対して随分な態度だ。
それなのに、不思議と腹は立たなかった。
……可愛いと言われたからだろうか。
少し熱くなった頬をごまかすように、アンジェリカは軽く頭を振った。
今は早くリヒトを見つけて、私の教育係という名誉ある役目を与えなくてはならない。
「お前もちゃんとリヒトを探しなさいよ」
「探していますよ。でも、私はリヒト様とお会いしたことがありませんので」
「私の専属召使いのくせに、何で領主代理の顔も知らないのよ」
「専属侍女です。私は基本的に屋敷の仕事を担当していましたし、お嬢様の専属になって日も浅いものですから。それに――」
レイミはじっと私を見る。
「私のご主人様は、リヒト様の特徴すら教えてくださいませんので」
「うっ……」
痛いところを突かれた。
そういえば、サラにもレイミにも、相談らしい相談をしたことがない。
急に「あれをやれ」と命じるばかりだった。
今なら、それでは困るのも少しだけ理解できる。
「……リヒトはメガネを掛けてるわ」
「なるほど。他には?」
「以上よ」
レイミが小さく息を吐く。
「……お嬢様。それだけでは探せません」
「仕方ないじゃない。他に特徴がないんだもの」
「髪色や体格くらいは覚えていませんか?」
「えっと……髪は黒かったと思うわ。体つきは細い方だったかしら」
「ありがとうございます」
レイミは木陰を出ると、畑で働く人々へ視線を巡らせた。
本格的に探してくれる気になったようだ。
ようやく専属召使いらしくなってきた。
それなら私は、ここで休んでいても――。
そんなことを考えていると、遠くからレイミの声が飛んできた。
「お嬢様、こちらへ来てください」
「何よ。もう見つかったの?」
「そうかもしれませんし、違うかもしれません」
「煮え切らないわね。どっちよ」
「それをお嬢様に確認していただこうかと。あちらの方ではありませんか?」
レイミが畑を指差す。
そこには農夫たちへ指示を出している、一人の青年がいた。
作業服姿の農夫たちの中で、一人だけラフな服装をしており、手には書類を抱えている。
「……いたわ」
アンジェリカが目を見開く。
「でかしたわ、召使い」
「侍女です。 一人だけ服装が違いましたので、もしかしたらと思いまして」
「……そう。でも、私は不満よ」
「なぜですか?」
アンジェリカが青年を指差す。
「お前! なんで今日はメガネを掛けていないのよ!?」




