私はお父様にお願いをしてみたわ!
「お父様!」
レイミへ部屋の掃除を命じた後。アンジェリカは勢いよく父の執務室へ飛び込んだ。
「おや? 愛しのアンジェリカ。そんなに慌てて、どうしたんだい?」
父――ウィリアムは、愛娘を優しい笑顔で迎える。
冷徹な領主として知られる彼が、他人には決して見せない表情だった。
しかし、その笑顔にも構わず、アンジェリカは真っ直ぐに切り出した。
「私に講師をつけてください!」
「…………は?」
ウィリアムの手から、決裁書へ走らせていた筆がぽとりと落ちた。
優秀な領主である彼も、この瞬間ばかりは自分の耳を疑う。
「今……何と言ったんだい?」
「私に講師をつけてほしいと言ったの」
「講師だなんて……急にどうしたんだい? あれほど勉強は嫌だと言っていたじゃないか」
半年前の出来事を思い出し、ウィリアムは苦笑する。
あの時のアンジェリカは大癇癪を起こし、妻のフレアと二人がかりで宥めるのに苦労したものだ。
そんな娘が、自ら講師を望む。
親馬鹿な彼でなくとも、不思議に思うのは当然だった。
だが――アンジェリカの瞳には、これまでにない決意が宿っていた。
「私、このままじゃ駄目だって思ったの」
その一言に、ウィリアムは静かに耳を傾ける。
「将来、私はレーベル家を継ぐんだもの。だったら今のうちから、もっと色々なことを勉強しなくちゃいけないと思ったの」
「アンジェリカ……」
思わず娘を見つめる。我が儘で、勉強嫌いだった娘の口から、家を継ぐ覚悟を感じさせる言葉が出るとは思ってもいなかった。
「お願い、お父様」
アンジェリカは深く頭を下げる。
その姿を見て、ウィリアムの胸に込み上げるものがあった。
本来なら、跡継ぎとして育ってくれることが何より望ましい。
娘の成長が見込めなければ、家格の釣り合う婿を迎えることも考えていた。
だが、それは父親として決して望む未来ではない。
自ら築き上げた栄華を、赤の他人へ託す。そんな結末は考えたくもなかった。
だからこそ。娘が自ら歩み寄ってきてくれたことが、何より嬉しかった。
「……分かった」
ウィリアムが穏やかに微笑む。
「すぐに講師を手配しよう」
「本当!?」
アンジェリカの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとう、お父様!」
その満面の笑みに、ウィリアムも思わず笑みを返した。
最近では見たことがないほど、娘は嬉しそうだった。
「では、貴族出身の優秀な講師を何名か選んでおこう。後で資料を見せるから、その中から一人――」
「ううん。実は、もうお願いしたい人は決めてあるの」
「ほう?」
ウィリアムは目を丸くした。
講師を望んだだけでなく、候補まで決めているとは思わなかった。
「それは、どこの家の者なんだい?」
「家名は知らないの。でも、名前なら覚えてるわ」
「名前は?」
アンジェリカは少しだけ考え込み、やがて口を開く。
「確か……リヒト、だったかしら」
その名を聞いた瞬間。ウィリアムの表情から、笑みが消えた。




