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始まりのメモライズ  作者: 蓮見たくま
第4章 アルスとロメリア~約束~

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第36話 男湯


「はぁ⋯⋯疲れた」


 湯船に肩まで身を沈め、リオティスは夜空を仰いだ。


 フクシア島へ到着してから、まだ一日しか経っていない。

 長い船旅を終えたと思えば、息をつく暇もなく大森林での合同訓練が始まった。


 精神的な疲労も、肉体的な疲労も、想像以上に蓄積していたらしい。


 こうして一日の終わりを迎えたことで、張り詰めていた糸が切れ、今まで意識していなかった疲労が、一気に全身へとのしかかってきた。


 だが、不思議と嫌な気はしなかった。

 この痛みも、疲労も、今は心地よく感じられる。


 能力を明かし、秘密を吐露し、自分自身を隠すことなく曝け出した。


 ずっと恐れていた。見放されることを。拒絶されることを。

 自分の本当の姿を知れば、誰もが離れていくのだと、そう思っていた。


 だが、仲間たちは何も変わらなかった。

 本当の自分を受け入れてくれた。信じてくれた。


 仲間たちの変わらぬ想いが、リオティスに気づかせてくれたのだ。


 自分は〈月華の兎(ルナミラージ)〉の一員なのだと。

 胸の奥に残ったその実感だけは、何があっても消えることはないだろう。


「⋯⋯綺麗だな」


 ぽつりと呟く。


 視線の先には、無数の星が散りばめられた夜空が広がっていた。


 眩しく輝く星々。

 それはまるで、これまで自分の中に抱えていた闇を照らし、ようやく得た居場所を祝福してくれているようだった。


「ふぅ⋯⋯」


 リオティスが小さく息を吐くと、隣の湯が静かに揺れた。


「気持ちいいな。こういうのも、たまには悪くない」

「そうだな。それにしてもお前、俺の隣が好きなのか? 訓練が終わってからずっとだろ」


 隣に座ったウィルドへ、リオティスは茶化すような笑みを向けた。


「もしかして、俺のことが気に入ったか?」

「馬鹿を言え。ただ⋯⋯」


 ウィルドは少しだけ言葉を探すように視線を逸らした。


「訓練で負けたからか、お前の強さを知れたからか⋯⋯少なからず、傍にいても嫌な気はしない」

「それを気に入ったって言うんだよ」


 リオティスは苦笑しながら、両手で湯を掬い上げた。


 指の隙間から零れ落ちる湯が、水面に小さな波紋を作る。

 揺らめく水面をぼんやりと眺めた後、リオティスは手を離した。


「俺も嫌な気はしない。最初はクソ真面目で固い男だと思っていたが⋯⋯案外、話がわかるみたいだしな」

「真面目だとは、よく言われる。僕はただ、ルールを重視しているだけなんだがな」


 普段とは違う、どこか気の抜けた表情。

 だが、その声には確かな信念があった。


「ギルドで働く以前に、僕たちは人間だ。ルールを破り、己の私利私欲のままに生きれば、それは魔獣と変わらない。⋯⋯僕は、血に飢えた獣に成り下がりたくはない」


 火照った顔を夜風に晒しながら、ウィルドは遠くを見つめていた。

 その横顔には、何かを思い出しているような影がある。


「なら、ルールを破った俺は獣と同類ってことか?」


 リオティスが冗談めかして尋ねる。


「嫌う理由はあれど、近寄る理由はなさそうだが?」

「普通なら、そうなんだろうな」


 ウィルドは否定しなかった。


 ただ、静かに言葉を続ける。


「だが、お前は他の屑たちとは違う。不器用で、仲間想いで、心に芯を持っている」


 そこで、ほんの僅かに口元を緩めた。


「ある意味では、最も人間らしい。⋯⋯少しだけ、お前が羨ましかったのかもしれないな」


 その言葉を最後に、ウィルドは黙り込んだ。


 視線はリオティスへ向いていない。


 ただ、ずっとずっと――遥か遠くを見つめている。


 その瞳の奥には、何が映っているのだろうか。

 リオティスは、隣に座る男の寂しげな横顔を見つめた。


 何か事情がある。

 そう感じつつも、聞いてはいけない気がした。


「⋯⋯⋯⋯」


 夜の静けさが、二人の間にゆっくりと戻ってくる。

 ――その直後。


「お疲れさん、二人とも! 俺も隣いいかい?」


 重くなりかけた空気を壊すように、明るい声が響いた。


「なんだ、アルスかよ」

「嫌そうな顔すんなって! 俺も傷つくからな!」


 白い歯を覗かせながら、アルスが湯船へ入ってくる。


「にしてもいい場所だよな。綺麗で、大きくて。男前にも磨きがかかるってもんだ」


 リオティスの隣へ腰を下ろしたアルスは、気持ちよさそうに両腕を伸ばしていた。


「お前はどこでも元気だな」

「そりゃそうだろ。風呂だぜ、風呂! しかもこんな立派な露天風呂!」


 アルスは上機嫌だった。


 濡れた髪をかき上げ、湯気の中で笑う姿は妙に様になっている。


「⋯⋯お前、マジで黙っていたらイケメンだよな」

「なんだよ急に!」


 アルスが目を丸くする。


「もしかして口説かれてる? 俺、ついにリオティスに――」

「そういうところだぞ」


 リオティスは半眼を向けた。


 すると今度は、アルスがじっとリオティスを見つめ始める。


 顔。首。肩。

 そして、そのまま全身へ。


「⋯⋯なんだよ」

「いやぁ、リオティス。お前もこうやって見ると、本当に女の子にしか見えないよな。なんていうか⋯⋯見てはいけないものを見ている気分になる」

「だから、そういうところだぞ」


 妙に鼻息を荒くして迫ってくるアルスを、リオティスは慣れた手つきで押し返した。

 もはや、この男の扱いにも慣れたものだ。


「その勢いだと、どうせ隣の女湯でも覗くつもりだろ」


 呆れながら、リオティスは女湯との境にある壁を指差した。


 露天風呂を隔てるには十分な高さ。

 だが、よじ登ろうと思えば不可能ではない。


 何より、男湯と女湯の距離が近い。

 今も壁の向こうから「おーっ!」という、妙に元気な声が聞こえてくるほどだ。


 この状況。

 女好きのアルスなら、何かしでかしても不思議ではない。そう考えて釘を刺したのだが――、


「いや、覗かないだろ。普通に」


 アルスは真顔だった。


「レディの嫌がることはするべきじゃないよ。男として当たり前だろう?」

「全くだ」


 ウィルドまで頷く。


「リオティス。お前、本当に犯罪者にでもなるつもりか?」

「はぁ!?」


 おかしい。

 完全に立場が逆になっている。


「いや、俺はただ――」

「リオっち、覗きはダメッスよ。当然のマナーッス」


 今度は遠くからレイクの声が飛んできた。


「いや、だから――」

「うわぁ、リオティスってそういう感じだったんだ」


 さらに続けざまに、フゥの楽しげな声。


「むっつり」

「お前らなぁ!」


 どうやら二人とも身体を洗いながら、ちゃっかりこちらの会話に耳を傾けていたらしい。

 こうしてみると、どう考えても自分だけが悪者である。


「⋯⋯」


 四方八方から突き刺さる視線。

 耐えきれなくなったリオティスは、そっと背を向けた。


「⋯⋯ハァ」


 肩が落ちる。


「どうしてこうなるんだよ⋯⋯クソ」

「怒るなって、リオティス」


 アルスが肩を叩く。


「俺はそういうところも大好きだぜ!」

「犯罪は未然に防げた。安心しろ、リオティス。お前はまだ人間だ」


 格好つけながらフォローするアルス。

 そして、妙に本心から心配してくるウィルド。


 その二人の気遣いが、今は何よりも腹立たしかった。


「もういい。俺は上がる」


 これ以上ここにいても、碌なことにならない。

 そう判断したリオティスが、湯船から立ち上がった。その時、


「キャアアアアアッ!?」


 女湯から、凄まじい悲鳴が響いた。


「⋯⋯は?」


 リオティスが顔を上げる。


 湯気の向こう。

 女湯との境にある壁の上から、何かがこちらを覗いている。


 目を凝らすと、そこにいたのは四人の女性だった。


 両目をこれでもかというほど見開き、口を半開きにして涎まで垂らしているニャルン。


「ニャハ!」


 顔を真っ赤に染め、鼻血を流しているフィト。


「うわぁ⋯⋯」


 両手で顔を覆っているくせに、その指の隙間からしっかりとこちらを覗いているティアナ。


「キャッ⋯⋯」


 そして、


「オーイ、ご主人!」


 まるで悪びれる様子もなく、笑顔で手を振っているタロット。


「⋯⋯⋯⋯」


 リオティスは固まった。


 四人も固まる。

 ほんの一瞬だけ、男湯と女湯の間に妙な静寂が流れた。


「⋯⋯お前ら」


 状況を理解したリオティスの額に、青筋が浮かぶ。


「何でお前らが覗いてるんだ!」


 リオティスは右手を突き出した。


「この変態共!!」


 掌に黒いパズルピースが集まる。

 それは瞬く間に四つの塊へと分かれ、丸い砲弾へ姿を変えた。


 夜の空気を切り裂き、放たれた黒い砲弾。

 その全てが真っすぐに四人へと向かう。そして――


「ンニャ!?」

「あうっ!」

「キャア!」

「うわぁ!?」


 見事なまでに、全弾命中。

 額へ直撃を受けた四人が、揃って壁の向こうへと落ちていった。


「「「「うわぁぁぁぁぁっ!?」」」」


 情けない声が遠ざかっていく。


 やがて、何事もなかったかのように辺りに静寂が戻った。


「⋯⋯」


 リオティスは、突き出した右手を見つめる。


 今日、自分は能力を仲間たちへ明かした。

 恐れていた秘密を打ち明け、それを受け入れてもらえた。そのはずが、


「⋯⋯せっかく能力を見せたって言うのに」


 リオティスは深々とため息を吐いた。


「こんな使い方させるなよ⋯⋯」


 湯に浸かることで流れ落ちたはずの疲労が、今度は別の意味で再び全身へとのしかかってきた。


「⋯⋯散々だな今日は」


 リオティスは疲れ切ったようにぼやくと、そのまま露天風呂からひとり出て行った。


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