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始まりのメモライズ  作者: 蓮見たくま
第4章 アルスとロメリア~約束~

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第35話 女湯


 会議が終わると、一行は揃って夕食の席へ向かった。


 卓上に並んでいたのは、魚介を中心とした豪勢な料理の数々。

 香ばしく焼かれた魚に、海の幸をふんだんに使った煮込み料理。色とりどりの野菜に、見慣れない料理まで所狭しと並んでいる。


 どれも絶品だった。

 厳しい訓練で疲れた身体に、温かな料理が染み渡る。


 これほどの食事を毎晩味わえるのなら、明日からの過酷な訓練も乗り切れそうだ。

 そんな満足感を抱えたまま食事を終えると、今度は大浴場へ案内された。


 露天風呂だった。

 滑らかに磨かれた石造りの床。その先には、大勢が一度に浸かっても余裕がありそうなほど広い湯船が広がっている。


 白い湯気が夜空へ昇り、頭上には満天の星。

 昼間の疲労を癒やすには、これ以上ない場所だった。


「んはぁー。超気持ちいぃ」


 湯に肩まで沈んだデビラが、骨抜きになったような声を漏らした。


 両脚を大きく伸ばし、全身から力を抜いていく。


「最高すぎでしょ。もうウチ、一生ここで暮らしたいぃ」

「一生は無理よ。のぼせてしまうもの」


 隣から返ってきたのは、至って真面目な答えだった。


「例え話だってばぁ。ティアナちゃんって、たまに面白いよね」

「⋯⋯貴女、訓練中とは別人みたい」

「そりゃそうでしょ」


 デビラは湯船の縁へ背を預けた。


「こーんな大きなお風呂、入ったことないもん。マジで至福。へへっ」


 声まで緩みきっている。


 森林での訓練。ウィルドからの説教。そしてニャルンの暴走。

 今日一日だけでも、精神をすり減らす出来事はいくつもあった。


 だが、今だけは、それらすべてが遠い出来事に思える。


 温かな湯が身体を包み、火照った頬を夜風が撫でていく。

 それだけで、張り詰めていたものが少しずつほどけていった。


「気持ち良さそうだな! タロットも混ざる!」


 弾んだ声とともに、水面が大きく揺れた。


 兎の獣人であるタロットが、勢いよく湯船へ飛び込んできたのだ。


「うーん、いい湯だ!」

「タロット。調子は戻ったの?」

「ああ、絶好調だ!」


 タロットは満足そうに息を吐く。


 だが、ふとその表情に陰りが差した。


「ただ、ご主人の活躍を見逃してしまったのが残念だ」


 湯船に身を沈めたまま、タロットは夜空を仰いだ。


 雲のない空には無数の星々。

 その中央で、大きな黄色い月が静かに輝いていた。


「でも、タロットは凄く嬉しい。ご主人が自分から能力を見せたことが。ティアナたちに、仲間として認められたことが。本当に嬉しいんだ」


 ティアナの胸にも、温かな感情が込み上げた。


 先ほどまで残っていたタロットの寂しさはもうない。

 純粋な喜びだけが、その顔に満ちていた。


「⋯⋯そうね。私も同じ気持ちよ」

「えへへ。そうか」


 二人の間に、柔らかな空気が流れる。


 ティアナとタロットは、誰よりも早くリオティスの力を知った者たちだった。


 だからこそ、今日の出来事が嬉しい。


 力を隠し続けていた彼が、自分の意思で能力を見せた。


 誰かに強いられたわけでもない。追い詰められたからでもない。

 ただ仲間を信じ、前に進んだのだ。


 苦しんでいる姿も、何かを抱え込んでいる姿も、二人は知っている。

 だからこそ、今のリオティスが、自分から仲間の輪へ入ろうとしていることが心の底から嬉しかった。


「ねぇ、ちょっとちょっと」


 そこへデビラが割って入る。


「タロットちゃんに、一個聞きたいことがあるんだけどぉ」


 デビラは彼女の首元を指先で示した。


「それ、隷属の首輪だよね? じゃあさ⋯⋯タロットちゃんって、リオティスの奴隷ってこと?」

「そうだが?」

「ふーん⋯⋯」


 デビラは口元まで湯へ沈んだ。


 水面に鼻先だけを出し、しばらく黙り込む。


 ぶく、ぶく、と。

 小さな泡が浮かんでは消えていく。


 やがて顔を上げると、夜空の星を映した瞳をタロットへと向けた。


「⋯⋯嫌じゃないの? 奴隷」

「嫌じゃないぞ。なんたってタロットは、ご主人が大好きだしな!」


 タロットの返事に迷いはなかった。


「⋯⋯大好き、か」


 デビラの声が少しだけ沈む。


「やっぱ奴隷の考えって、ウチにはわかんないや」


 熱のこもった息を吐き、冷たい夜気を吸い込む。


 ひんやりとした空気が肺を満たした。


 それだけで、胸の奥に引っかかっていたものが、ほんの少し軽くなった気がする。


「⋯⋯ごめん。別にタロットちゃんやリオティスのこと、悪く言うつもりはないから」


 デビラは水面を眺めた。


「今のは忘れて」

「よくわからんが、わかった!」


 タロットはあっさり答えた。

 その能天気さに、デビラの口元が僅かに緩む。


「そういえば、デビラ」


 今度はティアナが声をかけた。


「私たち、どこかで会ったことがある?」

「んー?」

「今日、貴女の顔を見た時から気になっていたの」


 ティアナは記憶を探るように視線を夜空へ向ける。


「会ったことがある気がする。でも⋯⋯少し違うわね。貴女に似た顔を、以前どこかで見たような⋯⋯」


 デビラは一瞬だけ動きを止めた。

 だが、すぐにティアナの髪へ手を伸ばす。


「どうでもいいじゃん、そんなこと」

「ちょっと。勝手に触らないでよ」

「だってさぁ」


 指先が、艶のある髪をすくう。


「やっぱり髪ツヤツヤだし。超綺麗」

「だから触らないでってば!」

「いいじゃーん。女の子同士なんだし。ウチの髪も触っていいからさ」

「そ、それは⋯⋯」


 ティアナは少し迷ったあと、デビラの髪へ視線を落とした。


「なら、別にいいけど」

「じゃあ触りっこしよぉ」

「タロットも触る!」


 三人の声が露天風呂に響き渡る。


 その少し離れた場所では、別の会話が盛り上がっていた。


「フィト、凄いね。腹筋バキバキ。腕も足も。ちゃんと鍛えてるんだ」

「ふふん、当然です!」


 オルティシアとフィトだった。


 二人は互いの身体を隠すこともなく、堂々と見比べている。


「オルティシアも凄いですね。腹筋はボクの勝ちですが!」

「別に勝負してないけどね」


 オルティシアは自分の腹部へ視線を落とした。


「アタシも鍛えるの好きだから。ほら、筋肉質な方が女の子にモテそうでしょ?」

「そんな理由で鍛えているんですか!?」

「そうだけど? フィトは違うの?」

「ボクは強くなるためです!」


 フィトは即答した。


「ちゃんと全身をバランスよく鍛えてます。機動力を重視したいので、重くならないようにもしてます!」

「へぇ。偉いね」


 オルティシアの口元に、からかうような笑みが浮かぶ。


「じゃあ今度、夜(・)の(・)トレーニングに付き合ってよ。すっごく刺激的で、身体に効くから」

「いいですよ! じゃあ早速今夜にでも――」

「い、いけませんわ!」


 フィトの返事を遮ったのはオーロラだった。


「そんな破廉恥なことをしてはいけません!」

「え?」


 フィトの動きが止まる。


「破廉恥?」


 本気で意味がわかっていないらしい。

 一方、オルティシアは口元を押さえ、笑いを堪えていた。


「あ⋯⋯」


 オーロラは自分の発言を思い返した。


 次の瞬間、頬が見る間に赤く染まっていく。


「い、いえ、その⋯⋯わたくし、もしかして勘違いを⋯⋯」

「ううん」


 オルティシアが楽しそうに告げた。


「大正解」

「――ッ!」


 オーロラの顔が一気に熱を帯びる。


「ご褒美に、今日はオーロラに付き合ってもらおうかな」

「な、何をなさるのですか⋯⋯?」


 か細い声。

 オルティシアは彼女の耳元へ顔を寄せた。


「もちろん、オーロラが想像してる方だよ」

「!!?」


 言葉にならない声が漏れた。


 オルティシアは満足したように身体を起こすと、湯船から立ち上がった。


「ほら、行くよ。今夜は長くなりそうだ」

「う、うぅ⋯⋯はい」


 オーロラも後を追って立ち上がる。


 二人は妙に意味深な雰囲気を漂わせたまま、浴場の出口へ向かった。


「⋯⋯ねぇ、フィト」


 オルティシアが立ち止まる。

 振り返った彼女の表情から、先ほどまでの軽さが消えていた。


「君には、大切な人はいる?」

「大切な人⋯⋯?」


 突然の問いに、フィトの思考が止まる。


 すると、オルティシアは自分の肩へ腕を回した。


「アタシにはいる」


 声は静かだった。


「だから強くなったんだ」


 フィトへ向けられた瞳には、揺るがない意志が宿っている。


「君も同じなら⋯⋯応援してるよ」


 それだけを告げると、オルティシアはオーロラとともに出入り口の向こうへと消えていった。


「なんだったんですかね、今の」


 フィトはしばらく二人が去った方向を見送っていた。


「えっと⋯⋯」


 そこへ、ロメリアが近づいてくる。


「取りあえず、フィトさんが犠牲にならなくてよかったです」

「犠牲? どういう意味です?」

「い、いえ!」


 ロメリアが慌てて手を振る。


「その、フィトさんにはまだ早いというか⋯⋯」


 説明しようにも、何から話せばいいのかわからない。

 ロメリアが言葉を探していると――視界の端に妙なものが映った。


 男湯と女湯を隔てる高い壁。

 そのすぐ近くに、ニャルンとルリがいる。


 二人とも、壁の向こうを執拗に気にしていた。


「⋯⋯ルリさん?」


 嫌な予感がする。


「ニャルンさんも、何をしているんですか?」

「何って、お風呂と言えばやることはひとつだけニャ」


 ニャルンが振り返る。

 その顔には、悪巧みを思いついた猫そのものの笑みが浮かんでいた。


「覗きに決まってるニャ!」

「覗き!?」


 ロメリアの声が裏返る。


 ニャルンは隣のルリへ向き直った。


「ほら、シャボン玉をくれニャ。それに乗って、コッソリ覗いてくるニャ」

「⋯⋯いいけど。本当にお菓子くれる?」

「もちろんニャ!」


 交渉成立。

 どうやらルリは、自分が何に協力させられているのか理解していないらしい。


 ただ、ニャルンに上手く利用されているだけだった。


「ちょっとぉ、ニャルン」


 デビラが呆れた声を飛ばす。


「覗いちゃダメだからね。普通に犯罪だよ、それ」

「うるさいニャ!」


 ニャルンは壁の向こうへ熱い視線を送った。


「この壁の先には、イケメンたちの裸があるのニャ! 鍛え抜かれた筋肉!」

「⋯⋯筋肉?」

「湯に濡れた髪!」

「⋯⋯濡れた髪?」


 フィトとティアナが、ほぼ同時に反応した。


 二人の脳裏へ、それぞれ別の光景が浮かぶ。


 フィトが思い描いたのは、鍛え上げられたレイクの身体。

 ティアナが想像したのは、湯に濡れたリオティスの顔。


 二人の間に、妙な沈黙が流れた。


「ま、まぁ⋯⋯」


 先に口を開いたのはフィトだった。


「ちょっとくらい見てもいいですよね。別に」

「そ、そうね」


 ティアナも続く。


「ほんの少しくらいなら⋯⋯」


 二人は同時に湯船から上がると、そのままニャルンの元へ歩み寄り、壁へ手を添えた。


「うわぁ⋯⋯」


 デビラが呆れ果てた声を漏らす。


「ティアナちゃんとフィトちゃんが変態になったぁ。もう、どうなっても知らないからね、ウチ」


 今のデビラに止める気はさらさらなかった。


 普段なら真っ先に怒鳴りつけているところだ。


 だが、今日は違う。

 せっかくの心地よい時間を、わざわざ面倒事で潰したくなかった。


「だ、駄目ですよ、皆さん!」


 ロメリアが慌てて駆け寄る。


「はしたないです!」

「そうだぞ! ティアナ、フィト!」


 タロットも立ち上がった。


 ようやく止めてくれる人が来た。

 ロメリアはそう思い安堵しかけたが――、


「タロットもご主人の裸を見たい!!」


 タロットは、そのまま二人のところへ合流を果たした。


「なんでですかぁ!?」


 ロメリアの悲鳴が夜空へ響いた。


「あわわわわ⋯⋯」


 完全に手遅れだった。

 ニャルンを中心に集まった一同は、いつの間にか互いに手を重ねている。


「よく言ったニャ!」


 ニャルンが叫ぶ。


「皆でエチエチな男共の裸を見てやるのニャ!」

「おーっ!」


 掲げられた手が、一斉に夜空へ伸びた。


 合同訓練初日の夜。

 本来なら一日の疲れを癒やし、明日の訓練へ備えるはずだった露天風呂にて。


 ――前代未聞の変態たちによる、固い友情が結ばれた。


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