第34話 グロリオ家
森林を抜け、日が傾き始めていた頃。
未だ眠り続けているタロットを背負いながら歩いていたリオティスの目に、大きな建物が飛び込んできた。
木造の建物だった。
横へ大きく広がり、幾つもの階層を持つその姿は、もはや一軒の家というより小さな城に近い。
外壁には長い年月を経た証がところどころに刻まれている。
木材の色は場所によって僅かに異なり、柱の一部には細かな傷も残っていた。
それでも、古びているという印象はない。
むしろ長い年月を耐え抜き、幾度も手入れを重ねてきたからこそ生まれる風格があった。
まさに圧巻。
リオティスは思わず、その場に立ち尽くした。
「⋯⋯ここが、リリィさんの実家」
「大したことはない。そういちいち驚くな」
当の本人は、何でもないことのように言ってのけた。
リリィは呆然としている〈月華の兎〉の団員たちを横目に、そのまま屋敷へ向かって歩き始める。
「いや、大したことあるだろコレは」
「安心しろ」
隣を歩いていたバルカンが、苦笑を浮かべる。
「俺も初めて来たときは腰を抜かしたもんだ。だが、グロリオ家は代々〈日輪の獅子〉を治めてきた家系だ。そう考えれば、この程度は普通なんだろう」
「普通ねぇ⋯⋯」
リオティスは呆れたように呟いた。
これを普通と言われても、到底納得はできない。
ただ、こんな場所で幼少期を過ごしてきたのなら、リリィが普段からあれほど堂々としている理由も、少しは理解できる気がした。
そんなことを考えながら、リオティスも皆の後を追う。
やがて、一行は大きな玄関扉へ辿り着いた。
リリィが近づくと、それを察した使用人が内側から扉を開く。
「お帰りなさいませ、リリィお嬢様」
恭しく頭を下げる使用人。
「あぁ。ただいま」
リリィは慣れた様子で応じ、そのまま屋敷へ足を踏み入れた。
続いてリオティスたちも中へ入る。
「⋯⋯マジか」
思わず息を呑んだ。
外観だけでも十分に圧倒されたというのに、内部はさらに広かった。
高い天井。磨き上げられた床。
太い柱が幾本も立ち並び、壁には古い絵画や装飾品が飾られている。
左右へ伸びる廊下にはいくつもの扉が並び、その先にもさらに別の空間が続いているようだった。
「どうした?」
リリィが振り返る。
「いや⋯⋯」
リオティスは少しばかり言葉を探した。
「本当に凄い家だなと」
「そうか?」
リリィは不思議そうに首を傾げる。
そして、自分の家を初めて見る人間のように廊下を見回した。
「やはり普通だと思うが」
「お前の普通はスケールが違うんだよ」
すかさずバルカンが口を挟む。
「これが普通なら、俺たちのギルドなんて建物のうちにも入らねェぞ」
バルカンは天井を見上げながら、感心したように息を吐いた。
「俺もこんな家で毎日暮らしてェよ」
「なっ⋯⋯毎日!?」
リリィの反応が明らかに変わった。
先ほどまで堂々としていた狐耳がぴくりと動く。
「毎日⋯⋯?」
その瞳が、妙に輝いていた。
案の定。
リリィは頬を僅かに染めながら、何やら思案し始めている。
広い屋敷。同じ食卓。朝も夜も共に過ごす二人。そして――。
「⋯⋯新婚生活」
「何を想像してんだ、お前」
「はっ!?」
バルカンの冷たい一言に、リリィが飛び上がった。
「な、何でもない!」
「そうか? 妙に嬉しそうだったが」
「気のせいだ! 気のせい!」
目の前で繰り広げられるいつもの光景。
リオティスが、またかと二人を見ていると、
「大きな声を出しちゃって。相変わらず元気そうね」
穏やかな声が廊下の奥から届いた。
全員の視線が、そちらへ向く。
やがて、ひとりの女性がゆっくりと歩いてきた。
綺麗な女性だった。
長く艶やかな髪は淡い金色を帯び、光を受けるたびに柔らかな輝きを見せている。
整った顔立ちは上品で、その目元には穏やかな笑みが浮かんでいた。
若々しい美しさというより、長い年月を生きてきた者だけが持つ落ち着き。そこへ華やかさまで加わった印象だ。
頭には狐の耳。
その耳は彼女の感情に合わせるように僅かに動き、腰の後ろから伸びた大きな尾も、ゆったりと揺れている。
それだけで、彼女が獣人であることを強く印象付けていた。
「お母様!」
リリィの顔が一瞬で明るくなる。
先ほどまでの威厳はどこへやら。
まるで幼い子供に戻ったような表情だった。
「久しぶりね、リリィ」
女性――エフィは嬉しそうに微笑みながら、娘のもとへ歩み寄る。
「森林での訓練、お疲れ様でした。怪我は?」
「ありません!」
「本当に?」
「はい!」
「そう。なら良かったわ」
エフィは安心したように微笑む。
そして、娘の頭へそっと手を置いた。
優しく、二度ほど撫でる。
リリィはされるがままになっていた。
普段の彼女からは想像もつかない姿だ。
とてもではないが、あの〈六昇星〉のギルドマスターとは思えない。
だが、これが家族の前で見せる本当の顔なのだろう。
「あらあら」
エフィが周囲を見渡す。
「聞いてはいたけれど、大勢ね」
その声音には、歓迎の色があった。
「皆様、初めまして。リリィの母、エフィ=グロリオです」
エフィは裾を軽く持ち上げ、優雅に一礼する。
その仕草には、長く培われてきた育ちの良さが滲んでいた。
「遠いところまでご苦労様でした。どうぞ自分の家だと思って寛いでくださいね」
「ありがとうございます」
代表してリオティスが頭を下げた。
「それにしても――」
エフィは嬉しそうに娘を見る。
「リリィがこんなに大勢のお友達を連れて帰ってくるなんて。お母さん、嬉しいわ」
「お、お母様!」
リリィの頬が赤く染まる。
「そういう言い方は、部下の前ではやめてください!」
「あら。どうして?」
「どうしてって⋯⋯」
言葉に詰まる娘を見て、エフィが楽しそうに笑った。その時、
「帰ったか」
低い声が響いた。
空気が変わる。
先ほどまで漂っていた柔らかな雰囲気が、一瞬にして引き締まった。
リオティスは反射的に廊下の奥へ目を向ける。
そこには、一人の男性が立っていた。
大柄な体躯。厚い肩と広い背中。
髪には白いものが混じっているが、その身体から衰えを感じさせるものはない。
頭から伸びた狐の耳も、エフィのものとは違って鋭く立っている。腰の後ろから伸びる大きな尾は、微動だにしない。
威厳。いや、威圧感と言った方が近い。
まるで、彼自身がこの屋敷そのものを体現しているようだった。
男はリオティスたちを一瞥する。
鋭い視線が一人ずつを捉えていく。
ふと、その目が娘へ向いた瞬間、僅かに和らいだ。
「よく帰ったな、リリィ」
「はい。お久しぶりです、お父様!」
「うむ。元気そうで何よりだ」
短いやり取り。
それでも、父と娘の間にある長い年月が伝わってくるようだった。
男はそこで初めて、他の面々へ視線を向ける。
「俺はロイド=グロリオ。この家の当主だ」
低く、よく通る声だった。
名乗るだけで、この人物が只者ではないことを感じさせる。
「ところで」
ロイドの目が、ひとりの男へ向いた。
「バルカン。久しいな」
「あぁ。相変わらず怖ェ顔してんな、ロイド」
「貴様も相変わらずだ」
ロイドはバルカンの前まで歩み寄った。
恐らくは知り合いなのだろう。
だが、次に口にした言葉は、誰も予想だにしないものだった。
「それで? いつになったら、娘と結婚するんだ?」
「お、お父様ぁ!?」
リリィの顔が、一瞬で真っ赤になった。
「何を言っているのですか!?」
「何って、当然の話だろう。お前も、もういい歳だ」
ロイドは真剣そのものだった。
「それにバルカンは良い男だ。昔から知っているが、実力もある。何より、お前のことを任せられる」
「だからって、どうしてそういう話になるんですか!」
「では、式はいつにする?」
「聞いてください!」
「明日にでもどうだ?」
「やめてくださいお父様!?」
リリィが懸命に止めに入るが、ロイドは聞く耳を持たない。
バルカンも思わず頭を抱えた。
「だから俺はまだ結婚するなんて言ってねェって」
「何?」
ロイドの眉が僅かに動く。
「なら、今ここで話し合おう。娘の素晴らしさと可愛さをお前に叩き込んでやる」
「だからお父様ァ!!」
リリィの叫びが屋敷中へ響き渡った。
そんな光景を眺めながら、リオティスは思わず呟く。
「⋯⋯怖い人じゃないのか?」
「最初だけよ」
隣にいたエフィが、くすりと笑った。
「この人、とっても娘思いだから」
「⋯⋯なるほど」
リオティスは改めてロイドを見る。
確かに、あれほど厳つい男が、娘のことになると途端に歯止めが利かなくなっている。
わかりやすいほどの親馬鹿だった。
その間にも、リリィの抗議は続いている。
「だから私とバカルカンの結婚は――」
「嫌なのか?」
「そ、そういう問題では⋯⋯!」
口籠るリリィ。
ロイドは真剣に娘を見つめ、バルカンは露骨に面倒くさそうな顔をしている。
――賑やかな家だ。
リオティスには不思議と、そんな感想が浮かんだ。
そして同時に、胸の奥に小さな感情が芽生える。
(俺にも父親がいたら⋯⋯こんなふうに叱られたり、からかわれたりしたのだろうか)
ほんの一瞬だけ浮かぶ考え。
リオティスはすぐ様に頭を振ると、彼らのやり取りを暫く眺めることにした。
◇◇◇◇◇◇
団員たちが荷物を割り当てられた部屋へ運び終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。
窓の向こうには、星を散りばめた夜空が広がっている。
一日の疲労が残る中、それぞれが指定された時刻に会議室へ集まった。
大きな会議室。
中央には長い机が置かれ、その周囲を椅子が囲んでいる。壁には訓練場の見取り図と、明日からの予定を記すための大きな紙が貼られていた。
全員が席に着く。
さっきまでの賑やかな雰囲気は消え、室内には静かな緊張感が漂っていた。
やがて、部屋の前に立ったバルカンが口を開く。
「取りあえず、訓練ご苦労だった」
短い言葉だった。
だが、誰も気を抜いてはいない。
「今日の団体戦で、お前らひとりひとりの実力は大体把握できた。だから、明日から訓練内容を変える」
バルカンは机の上に置かれていた資料を手に取った。
「残りの十日間は、個別訓練に入る」
「個別⋯⋯?」
誰かが小さく呟いた。
「ああ」
バルカンが頷く。
「今日は全員での団体戦を行った。理由は戦場を想定とし、各々の実力を把握するためだ。戦い方の癖。身体能力。魔力の扱い。得意な距離。そして、それぞれが抱えている弱点」
リオティスは黙って耳を傾ける。
「団体戦じゃ、どうしても互いの動きに合わせる必要がある。だから明日からは、ひとりずつの問題に向き合うことにした」
バルカンが資料を置くと、その先はリリィが後を引き継いだ。
「初日の団体戦で得られた情報をもとに、それぞれの課題を設定する。午前は基礎能力の再確認と、その課題を克服するための訓練。午後からは担当者との実戦形式へ移行する」
「ええと、つまり⋯⋯」
ロメリアが考えるように口を開く。
「十日間を使って、自分に何が足りないのかを見つけ、それを一つずつ埋めていく⋯⋯ということですか?」
「その通りだ」
バルカンが答える。
「だから、この十日間は短い」
その言葉に、室内の空気が僅かに引き締まった。
「無駄な時間は一秒もないと思え」
そして、バルカンはひとりずつ名前を呼んでいく。
「まず、リオティス」
「俺か」
「お前は俺が見る」
その言葉にリオティスは僅かに目を細めた。
自分の実力を最もよく知る人間のひとり。
バルカンが何を考えて指名したのか不明だが、楽な訓練にはならないだろう。
「次に、フィトとニャルン」
「ハイ!」
「ニャ?」
フィトは元気よく返事をした。
一方のニャルンは、机に突っ伏していた顔だけを持ち上げる。
「リリィが担当だ。みっちりしごいてもらえ」
「そういうことだ」
リリィが腕を組んだ。
「二人とも、私が責任を持って指導する」
「望むところです!」
フィトの目が輝く。
「⋯⋯嫌な予感がするニャ」
対照的に、ニャルンの表情は露骨に引きつっていた。
〈六昇星〉のギルドマスターから直接指導を受けられるのだ。
フィトにとっては願ってもない機会だろう。
だが、ニャルンにとっては災難以外の何物でもないらしい。
「次、タロットとロメリア」
バルカンが続ける。
「こいつらはウィルドに任せる」
「あぁ。わかった」
ウィルドが静かに頷いた。
「ティアナとレイクはデビラが担当。メモリアルの使い方を中心に教えてやってくれ」
「了解」
デビラが軽く手を上げる。
それを見たバルカンが、次の名前を呼んだ。
「ルリ」
「⋯⋯」
ルリが顔を上げた。
「フゥと訓練だ。能力の使い方を極めろ」
「⋯⋯わかった」
短い返事。
だが、その目には確かな意志が宿っていた。
「最後にアルス。お前の相手はオルティシアとオーロラだ」
「二人!?」
アルスの目が見開かれる。
「しかもレディ二人って、めっちゃ贅沢じゃないですか!?」
「訓練だ。そこを履き違えるなよ」
「⋯⋯はい」
返事だけは異様に早かった。
その様子に、何人かから笑い声が漏れる。
だが、バルカンは表情を崩さなかった。
「ここまでで何か質問あるか?」
「夜は訓練しないのか?」
リオティスが尋ねた。
「自主訓練だ。ただし、参加は自由。身体を休めることも訓練の一つだ。無理をして翌日の訓練に支障を出すようなことは認めねェからな」
「それも含めて訓練ってわけか」
リオティスは頷いた。
明日からは、今までとは違う。
全員で同じ訓練をするのではない。それぞれが、自分自身と向き合うことになる。
「いいか」
バルカンの声が響いた。
「この十日間で、お前らを別人みたいに強くするなんてことは言わねェ。だが、自分に何が足りないのかを知ることはできる」
バルカンの目が、真っ直ぐに団員たちを捉える。
「そして、それを一つでも多く埋めろ」
静かな言葉だった。
だが、その言葉はこの場にいる全員へ確かに届いていた。
「これ以上質問がなければ、今日は解散とする」
誰からも声は上がらなかった。
「では、明朝六時。遅刻のないように」
「⋯⋯六時!?」
アルスが思わず声を上げた。
「早すぎません!?」
「嫌なら帰れ」
「起きます!」
「よし」
バルカンが満足げに頷いた。
その一言を合図に、団員たちは次々と席を立っていく。
リオティスも椅子を引き、立ち上がった。
「リオティス」
「ん?」
呼び止められたリオティスが振り返ると、そこにはバルカンが立っていた。
「明日からは加減しねェぞ」
「わかってる。俺にだって強くなる理由があるからな」
「⋯⋯そうか」
バルカンは僅かに笑った。
「なら、覚悟しとけ」
「ああ」
短く答え、リオティスは会議室を後にする。
廊下の窓から見える景色は、すでに夜の闇に包まれていた。
静かな屋敷。遠くから聞こえる虫の声。
その先に待っているのは、十日間の特訓だ。
自分に何が足りないのか。
そして、自分がどこまで強くなれるのか。
その答えを知るには、明日から始まる十日間を乗り越えるしかない。
――長いようで、短い十日間。
それが彼らに何をもたらすのか。
この時のリオティスには、まだ知る由もなかった。




