第33話 魔女②
大森林のど真ん中だというのに、そこだけは妙に穏やかな時間が流れていた。
机もなければ、椅子もない。
土の上に食器を並べ、各々が適当な場所に腰を下ろす。普段なら、誰も好んで選ばないような食事風景だ。
だが、不思議と居心地は悪くない。
テントの中で食べればいいという話もあったが、誰が言い出したのか、いつの間にか全員で食事を囲むことになった。
乾燥させた携帯用のパン。塩漬け肉と、野菜の入ったスープ。
食事としては、決して豪華とは言えないものの、何故かいつもより美味く感じられた。
自分たちで火を起こし、材料を用意し、皆で鍋を囲んだからだろうか。
あるいは、木々のざわめきや鳥の鳴き声を聞きながら食べるという、普段とは違う環境のせいか。
リオティスはそんなことを考えながら、スープを口に含んだ。
そこで、妙なものが目に入った。
デビラだけが、地面にシートを敷いている。
薄い正方形の布。
その上へ行儀よく座り、食器まできっちりと収めていた。
土の上に直接座ることを、よほど嫌っているらしい。
しばらく眺めていると、デビラが顔を上げた。
「⋯⋯何よ。人の体、ジロジロ見て」
「悪い。ただ、綺麗好きなんだなと思って」
リオティスがシートを指差した。
「あぁ、そういう意味」
それを見て、デビラはようやく納得したらしい。
「ふつーでしょ。てか、アンタらが無神経すぎなだけ。服は着替えたからいいけどさ、リオティスのせいで土まみれになったんだからね、ウチ。あぁ⋯⋯早くお風呂に入りたい」
ぶつぶつと文句を言いながら、デビラはスープを啜る。
言われてみれば、訓練中とは服装が変わっていた。
脱落した直後に着替えたのか。
よほど身なりに気を遣っているらしい。
「デビラは綺麗好きだもんね」
その声とともに、デビラの隣へ一人の女性が腰を下ろした。
「アタシ、そういうところ大好き」
「げっ、オルタ」
デビラの顔が露骨に引きつった。
「食事中にそういうの止めてくんない? せっかくの料理が変に甘くなる」
「なんなら、そのお口をもっと甘くしてあげようか?」
オルティシアが顔を近づける。
対してデビラは、無言でその顔を掌で押し返した。
「やめて」
「痛いよ、デビラ」
押し退けられながらも、オルティシアに気にした様子はない。
むしろ楽しそうに自分の唇へ指を当てた。
「⋯⋯確かに甘いね」
「自分で言うな!」
デビラとオルティシアが揉め始める。
そんな二人を眺めながら、リオティスは黙々と食事を続けた。
どこのギルドも、こんな感じなのだろうか。
リオティスに些細な疑問が浮かんだ時、
「オルティシア様! お食事をお持ちしましたわ!」
明るい声が響く。
オーロラだ。
彼女はオルティシアの傍に立ち、両手に食器を抱えていた。
「ありがとう、オーロラ。本当にいい子だね」
オルティシアが食器を受け取る。
そして自分も食べようとしたところで、ふと動きを止めた。
「あれ? オーロラは食べないの?」
「わたくしは今から食器を取りに行きますわ」
「せっかくだし、一緒に食べたいな」
オルティシアはスープを掬うと、そのスプーンをオーロラの口元へ差し出す。
「ほら。あーん」
「え、あ⋯⋯オ、オルティシア様!?」
「早くしなくちゃ冷めちゃうよ?」
「あの、その⋯⋯」
オーロラの顔がみるみる赤く染まっていく。
「⋯⋯はい」
小さな口が、恐る恐る開かれる。
その瞬間、ゴツンッとデビラの手刀がオルティシアの頭へ叩き込まれた。
「だからやめなって! みんな見てるんだからさ!」
「痛いよ、デビラ。可愛いから嫉妬しないで」
「してない!」
またしても二人の騒がしさが森林に響く。
リオティスは何も言わず、スープを口に運んだ。
その周囲では、他の団員たちも楽しげに会話をしている。
「レイクってお菓子作れんだ。女子力高ぁ」
「昔から妹に作ってあげてたんス」
「へぇ。じゃあ今度、差し入れで持ってきてよ。ギルドも隣なんだし」
「もちろんッス! めっちゃ作るッス!」
どうやら、火起こしから一緒に作業したことで、レイクとフゥはすっかり打ち解けたようだ。
そんな二人の会話に、ルリがおずおずと口を挟む。
「⋯⋯フゥ。ごめん。訓練で傷つけた」
「気にしなくっていいよ。もう治ったし」
フゥは笑った。
「それに俺も悪いところあったから。お互いさまってことで」
「⋯⋯」
「てかさ、ルリの話も聞かせてよ。お菓子好きなんだって?」
「⋯⋯!」
ルリの目が、ほんの僅かに見開かれる。
「⋯⋯わかった」
相変わらず表情は薄い。
だが、その目だけはどこか嬉しそうだった。
これなら、ひとまず蟠りは解けたと考えていいだろう。
そう判断して、リオティスは再び食事へ意識を戻した。刹那、
「ズルいニャ! ニャルンちゃんも混ぜるニャァ!」
静かな昼食の空気が、一瞬で吹き飛んだ。
ドンッ、と何かがテントを突き破るような勢いで飛び出してくる。
「⋯⋯なんだ?」
リオティスが顔を上げる。
視界の端を、一匹の獣人が駆け抜けていった。
猫獣人⋯⋯ニャルンだ。
訓練開始直後に、真っ先に脱落したはずだったが、今まで何をしていたのだろうか。
そんな疑問を抱く間もなく、ニャルンは獲物を見つけた猫のような勢いで一人の男へ駆け寄った。
「イケメンニャ! 超が付くイケメンニャ!!」
「えっ、あ、俺のことかい?」
アルスが自分の顔を指差した。
普段なら、この手の褒め言葉は聞き慣れているはずだが、ここまで真正面から褒められることは珍しかったらしい。
確かに、アルスの容姿は整っている。
背が高く、顔立ちもいい。
言動で大きく損をしてきたアルスにとって、ニャルンの言葉は久しぶりに自尊心を満たしてくれるものだった。
「そうとも! 俺は世界で最も格好いい男! 麗しきレディよ。俺と一緒に熱い食事を――」
アルスがいつもの調子で口説き始めるが、ニャルンは一切聞いていなかった。
「ニャァァァァッ!」
「え?」
ニャルンが勢いよく飛びかかった。
「ぐはっ!?」
まともに体当たりを受けたアルスが地面へ倒れる。
その腹の上へ、ニャルンがまたがった。
大きく見開かれた瞳。荒い息。口元から零れる涎。
それは完全な捕食者だった。
「ついにこの時が来たニャ!」
ニャルンがアルスの服を掴む。
「さっさと服を脱いで腰振れニャア!!」
「は?」
理解が追いつかない。
アルスは勿論、その場にいた全員が動きを止めていた。
「馬鹿ニャルン!?」
最初に叫んだのはデビラだった。
「ちょっとフゥ! 鎖はどうしたのよ!」
「あっ、ごめん」
フゥが申し訳なさそうに頭を掻く。
「食事が楽しすぎて緩んだかも」
「最ッ悪!」
デビラが頭を抱えた。
「あの発情猫捕まえて!」
「了解。ごめん、レイク、ルリ」
フゥが腰を上げた。
「ちょっと化け物が暴れ出して迷惑かけてるし、行ってくるよ」
「なら俺も行くッス! よくわかんないッスけど、アルスっちを助けないと!」
「⋯⋯私も行く」
レイクとルリも立ち上がる。
三人は互いに頷くと、目標を見定めた。
「オイ、カス」
フゥが冷たい目を向ける。
「さっさと離せ。他の団員に迷惑かけるなよ」
「うっさいニャ!」
ニャルンは叫んだ。
「久々の上物! 誰にも渡さないニャァッ!!」
「上物って何!?」
アルスの悲鳴が響く。と、同時にニャルンが跳んだ。
「取り返せるものならやってみるニャ!」
木の幹を蹴り、枝へ飛び移る。
「えっと⋯⋯」
脇に抱えられたアルスは、完全にひとり置いていかれていた。
「どういう状況? あれ、俺、何で誘拐されそうになってんの?」
誰にも答えは出せない。
ただ、事態だけ悪化していく。
「あの屑」
フゥが頭を抱えた。
「レイク、ルリ。少しくらいなら怪我させてもいいから、止めに行くよ」
「え、えっと⋯⋯了解ッス!」
「⋯⋯わかった」
若干引き気味の二人だったが、フゥに続いて駆け出した。
木々の間を飛び交う影を見送りながら、デビラが呟く。
「てか、今のニャルン⋯⋯金色だったよね」
その表情から、冗談めいた笑みが消えていた。
「これ、相当ヤバイでしょ」
デビラはオルティシアとオーロラに視線を送る。
「オルタとオーロラも行ってきて!」
「仕方ないね、こればっかりは」
オルティシアが立ち上がった。
「デビラは行かないの?」
「ハァ?」
デビラが心底嫌そうな顔をした。
「行くわけないじゃん。せっかく着替えたのに」
「⋯⋯」
オルティシアは何も言わなかった。
ただ、少しだけ呆れたような顔をして、オーロラへ手を差し出す。
「行くよ、オーロラ」
「は、はい!」
オーロラはその手を取ると、オルティシアと共に木々の向こうへ消えていく。
「僕も行こう」
隣から声がした。
リオティスの左隣に座っていたウィルドが重い腰を上げた。
「あの状態のニャルンを止めるのは、全員でも骨が折れそうだ」
そう言って、ウィルドも森の奥へ向かっていく。
彼が動くということは、本当に手に負えない事態なのだろう。
「俺たちも行った方がいいか?」
リオティスがデビラへ尋ねる。
「ウィルドが行ったなら、多分大丈夫っしょ」
「そうか」
随分とあっさりしている。
デビラは食器を脇へ寄せると、残った三人へ頭を下げた
「マジごめん。ウチの馬鹿が迷惑かけて」
「それは別にいいのだけれど⋯⋯」
ティアナが困ったように笑う。
「その、変わってるのね」
「ボクもあんなのは見たことないです」
フィトも木々の向こうを見上げた。
その先では、アルスを巡った壮絶な追いかけっこが繰り広げられている。
「体が金色に光っていたが、どういう仕組みだ?」
リオティスの言葉に、デビラは肩を竦めた。
「ニャルンの能力。別に気にしなくってもいいよ、アレは」
「そういうもんか」
能力の詳細はわからない。
ただ、見る限りでは身体能力を引き上げる類のものなのだろう。
それ以上興味の無かったリオティスは、再びスープへ視線を戻した。
「それにしても、結構美味いな。このスープ」
場の空気を戻す意味もあり、リオティスが正直な味の感想を伝えると、デビラがどこか誇らしげに胸を張った。
「そうっしょ! 料理は得意だかんね、ウチ」
「ちょっと。私たちも頑張ったのよ?」
ティアナがすかさず口を挟んだ。
「ねぇ、フィト」
「ボクらにかかれば余裕でしたね」
二人が揃ってリオティスを見る。
何故かはわからないが、こちらへ同意を求めているようだ。
「いやいや!」
デビラが呆れたように声を上げた。
「ティアナちゃんとフィトちゃん、ヤバかったかんね!? つーか、まともに料理したことないレベルでしょ、あれ!」
「そんなことないわ」
ティアナが反論する。
「私、料理できるもの。ねぇ、リオティス」
「ボクは健康料理志向なのです。そうですよね、リオティス」
またしても何故か話を振られたリオティスは、無言でスープを見つめた。
確かに、ティアナもフィトも料理をした経験はある。
〈月華の兎〉では毎日の食事が当番制だ。だから二人も、必然的に料理をすることになるのだが――、
「⋯⋯美味い料理を食ってんのに、思い出させるなよ」
リオティスは遠い目をした。
「お前らが作ったところで、闇鍋にしかなんねェ」
「酷いわよ、リオティス!」
「ボクも仲間たちのことを考えて、バランスをですね⋯⋯」
二人が抗議を始める。
だが、リオティスは聞かなかった。
脳裏に蘇るのは、料理と呼ぶにはあまりにも禍々しい、日々の光景。
思い出すだけでせっかくの食事が、少しだけ不味くなった。
「闇鍋、ねぇ⋯⋯」
デビラがぽつりと呟いた。
「それでちょっと思い出したんだけどさ」
手の中でスプーンを弄びながら、こちらへ顔を向ける。
「この森に魔女がいるって知ってる?」
「魔女?」
リオティスは眉を寄せた。
「魔女って、絵本とかに出てくるあれか?」
「そう」
デビラが頷く。
「そもそも、この森なんだけどさ。二年前に〈日輪の獅子〉が見つけて管理するまで、どうなっていたと思う?」
「どうもこうも、そのまんまだろ」
リオティスには、質問の意味がわからなかった。
「それとも、他に誰かの所有地だったのか?」
「違うんだよね」
デビラは首を横へ振る。
「実はこの森⋯⋯それまで誰にも発見されてなかったの」
「⋯⋯何?」
思わず周囲へ意識が向いた。
見渡す限りの木々。
天を覆うほどの枝葉。
どこまで続いているのか分からない巨大な森林。
これほどの場所が、誰にも発見されなかったと、デビラは確かにそう言ったのだ。
「どういう意味だ?」
「そのまんまの意味。誰にも視えなかった。視えても認識できなかった。恐らくだけど、そういう能力が施されていたみたいなんだよね」
「⋯⋯記憶者か」
理由はわからない。目的も知れない。
それでも、デビラの話が事実なら――かつて、この森には記憶者がいたということになる。そして何らかの理由によって、森そのものを人々の認識から隠していた。つまり、
「そいつが魔女っていうわけか」
「理解早」
デビラがニヤリと笑う。
「まぁ、そういうこと」
だが、それだけではないらしい。
「他にもあるんだよ。噂話」
デビラはスプーンをマイクのように持ち上げた。
「森には黒い服をした女がいるとか」
声を落とす。
「黒い角を生やしていたとか」
そして、最後に。
「子供を食ってるとか」
わざと怖い顔を作る。
怪談でも語るつもりらしい。
だが、こんな真っ昼間にやられても怖くも何ともない。
そもそも、噂は噂だ。
魔女など、いるはずがなかった。
「いるわけねェだろ、魔女なんて」
リオティスは即答した。
「そもそも、この森が見つかったってことは、二年前に死んだか、別の場所に移ったってことだろ?」
「うわ、マジ指摘」
デビラの顔から、見る見るうちに表情が消えていく。
「おもんな」
「ちゃんと聞いてやっただけマシだろ?」
その時だった。
「オイ。捕まえてきたぞ」
聞き慣れた声がした。
リオティスが振り返る。
そこには、フゥの鎖でぐるぐる巻きにされたニャルンがいた。
先ほどまで金色に輝き、毛を逆立てていた姿はどこへやら、今は見る影もない。
まるで萎れた花のように、ぐったりと地面へ座り込んでいる。
「痛いニャ⋯⋯」
弱々しい声だった。
「ニャルンちゃんを見捨てないでニャ⋯⋯」
「自業自得だ」
ウィルドが淡々と告げる。
「これに懲りたら、見境なしに襲うのはやめろ」
「⋯⋯ニャァ」
さすがに懲りたらしい。
弱り切ったニャルンをリオティスが眺めていると、ひとつのテントからリリィが姿を現した。
「オイ、貴様ら」
その声だけで、場の空気が少しだけ引き締まる。
「食事が済んだら、さっさと片付けろ。これから大きく移動する」
「どこに行くんですか?」
リオティスの質問に、リリィは一切迷うことなく答えた。
「私の実家だ。寝床もある。飯もある。訓練室もある。明日からはそこで、各自に合った訓練を行う」
その言葉を聞いて、リオティスは森の奥へ視線を向けた。
訓練は、まだ終わったわけではない。
場所を変え、方法を変え、これからさらに厳しい訓練が始まるのだ。




