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始まりのメモライズ  作者: 蓮見たくま
第4章 アルスとロメリア~約束~

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第32話 魔女①


「ぐううううっ⋯⋯」


 静まり返った森に、腹の底から絞り出したような音が響いた。


「限界です!」


 声の主――フィトが、勢いよく右手を掲げた。


「お腹空きました!」


 切実極まりない訴えだった。


 少しの沈黙。

 やがて〈月華の兎(ルナミラージ)〉の団員たちが、示し合わせたように顔を見合わせた。


「結構動いたッスもんねぇ⋯⋯」


 レイクが肩を落とす。


 訓練による疲労は、今になって一気に身体へ押し寄せてきていた。


「そうね。私もお腹ペコペコ」


 ティアナも苦笑しながら腹部へ手を添えた。


 時刻は正午をとうに回っている。

 先ほどまで張り詰めた空気の中で訓練に没頭していたせいか、誰も空腹を意識する余裕などなかった。


 だが、ひとたび戦いが終われば話は別だ。

 緊張から解放された身体が、それまで押し殺していた欲求を一斉に訴え始める。


 リオティスも例外ではなかった。


 ぐぅ、と腹の奥が鳴る。

 フィトほど盛大ではないが、空腹であることに変わりはなかった。


 それに気づいた瞬間、張り詰めていたものがまた一つ解けていく。


 ――仲間。

 そう認められた。


 その事実を思い返すと、胸の奥に奇妙な感覚が広がった。


 むず痒いような、それでいて悪くない感覚。

 今までなら、こんな場所で誰かと食事をすることなど考えもしなかっただろう。


 だが、今は違う。

 目の前には、自分と同じように腹を空かせた仲間がいる。それが、妙に可笑しかった。


 リオティスはフィトに倣うように手を上げる。


「飯にしようぜ。このままじゃ、フィトが見境なく暴れそうだ」

「君、ボクを猛獣か何かだと思ってません?」

「似たようなもんだろ」

「なら、君を食べたって問題はないわけですね!」


 フィトが牙を剥くように口を開いた。

 唇の端から、つう、と涎が垂れる。


 その姿はとても冗談には見えなかった。


「⋯⋯どっかにコイツを閉じ込めておく檻はねェのか」

「ないわね」


 ティアナは真顔で答えた。


「命が惜しければ、早くフィトに食事を提供したほうがいいわ」

「だから、人を飢えた獣みたいに言わないでください!」


 フィトの抗議を聞き流し、ティアナはリリィのもとへ向かった。


「リリィさん。この場で昼食を取っても問題ないでしょうか?」

「構わん。というより、最初からそのつもりで準備している」


 リリィは振り返り、ひとつのテントへと親指を向ける。


「道具と食料はあの中だ。ルテアに管理を任せてある。必要なものを持ち出して、手分けして準備しろ」

「はい。ありがとうございます」


 ティアナが頭を下げる。


 そのままテントへ向かうと、待っていたかのように他の団員たちも動き始めた。


 どうやら空腹を覚えていたのはフィトだけではなかったらしい。

 次々とテントから鍋や食器が運び出されていく。


 大森林での訓練。

 そう聞けば、食事も自分たちで獲物を仕留め、木の実でも拾って賄うのかと思っていた。


 だが、実際には違った。

 携帯用の鍋。乾燥させた野菜。長期保存が可能なパン。塩漬けにされた肉や香辛料。必要最低限ではあるものの、食事に困らないだけの準備は整えられていた。


「そんじゃ、俺は外で準備するかな」


 フゥが腕を伸ばしながら言った。


 その視線が、ちょうどレイクを捉える。


「ねぇねぇ、そこの君。ちょっと手伝ってよ」

「えっと⋯⋯俺ッスか?」

「そうそう。君」


 フゥがレイクの槍を指差した。


「レイクだっけ? その槍、炎を纏ってただろ? 俺が薪を組むからさ。ちょっと火を起こしてくれよ」

「了解ッス!」


 レイクが快諾すると、フゥはさっそく薪を抱え込んだ。


 両腕いっぱいに運んできた薪を地面へ置き、手慣れた様子で組み上げていく。


「よっし。こんなもんか」


 最後の一本を乗せ、満足げに腰へ手を当てる。


「じゃ、頼むよ。レイク」

「任せてくださいッス!」


 レイクは槍を構えると魔力を流し込んでいく。


 手から柄へ、柄から槍へ。

 蓄積された魔力が刃の先端へと集中される。


 次の瞬間、槍先から炎が噴き出した。


 薪へ叩きつけられた炎が一気に燃え広がり、乾いた枝を赤く染めあげる。


 パチ、パチッ、と。

 小気味のいい音とともに火の粉が舞った。


「おぉ⋯⋯めっちゃ便利じゃん。ありがとな!」

「お安い御用ッス。えっと⋯⋯」

「ああ、名前? 俺はフゥ。よろしくな」

「じゃあ、フゥっちッスね! こちらこそよろしくッス!」


 二人は固い握手を交わした。


 燃え盛る焚き火の横で、出会って間もないとは思えないほど気軽な会話が始まる。


 その様子をリオティスは横目で観察していた。


 ――馴染むのが早いな。

 そう思いながらも、不思議と嫌な感じはしなかった。


 むしろ、こういう光景が当たり前なのだと錯覚してしまいそうになる。


「こっちも、そろそろ煮込めそうね」


 別の場所では鍋の準備が進められていた。


 水の中へ乾燥野菜と刻んだ根菜が放り込まれ、続いて保存食用の塩漬け肉が加えられていく。


 最後に香草をひとつまみ。

 火にかける前だというのにも関わらず、既に辺りには食欲をそそる匂いが広がっていた。


「どう? 良い感じっしょ!」


 デビラが得意げに胸を張る。

 だが、


「⋯⋯なんか、物足りなくない?」


 ティアナが鍋を覗き込んだ。


「もっと塩を入れましょう。あと、いろんな葉っぱも」


 彼女の指先が、近くに置かれた植物へ伸びる。


「この紫色のとか!」

「それもいいですが、肝心な物を見落としていますよ」


 続くように、フィトまで鍋へ顔を近づけた。


「足りないのは肉です。肉を入れましょう。ありったけ!」

「いや、ちょっと待って!?」


 デビラの顔が引きつる。

 だが、フィトとティアナに気づいた様子はなく、二人は次々に食材へと手を伸ばしていく。


「そもそも味付けは不要です。肉そのものが持つ自然の旨味を⋯⋯」

「フィトちゃんストップ! いい? 料理って言うのはね」

「わかったわ! じゃあこのキノコを入れましょう! さっきそこで採ったばかりだから新鮮よ!」

「だから待ってって!」


 デビラが慌てて二人の手を押さえた。


「ティアナちゃん、それ薬草! しかもそっちのキノコ、猛毒あるやつだから! フィトちゃんも勝手に肉追加すんな!」

「薬草?」

「毒?」


 二人が同時に首を傾げた。


「いや、そこから!?」


 デビラの悲鳴が森に響く。


 そんな騒がしい光景を、リオティスは少し離れた木陰から眺めていた。


 ついさっきまで、彼らは互いに武器を向けて戦う敵同士だった。


 それが今ではどうだ。

 火を囲み、料理を作り、くだらないことで言い争っている。


 誰も、先ほどまでの殺気など引きずってはいない。


 まるで最初から、同じ場所で過ごしてきた仲間のようだった。


「⋯⋯良い光景だな」


 ぽつり、と漏らす。


「あぁ。確かにな」


 返事があった。


 リオティスが顔を向ける。


 いつの間に近づいてきたのか、隣にはウィルドが立っていた。


「ウィルド、だったか? お前は参加しないのか?」

「もう少ししたらな」


 ウィルドが焚き火のほうへ目を向ける。


「そういうお前は?」

「俺も、もう少ししたら、かな」

「そうか」


 互いに視線を合わせる。


 どちらからともなく口元が緩んだ。


 ほんの短い沈黙だった。

 それでも、妙な居心地の悪さはなかった。


「そういや、人数少なくないか? あの女好き銃人間と、鏡使いはどこだ?」

「オルティシアは、まだ怪我が完治していなくてな」


 ウィルドの視線がテントへ向く。


「オーロラが看病している」

「⋯⋯そうか」


 リオティスの声が僅かに沈んだ。


 オルティシアを傷つけたのは、自分だ。


 フィトの仇を討つ。

 その思いだけを胸に、加減を考えずに力を振るった。


 勝負とはいえ、彼女に重傷を負わせてしまったことに変わりは無い。

 リオティスの胸の奥には、小さな棘のようなものが残っていた。


「気にする必要はない」


 ウィルドが、こちらを見ないまま言った。


 まるで、リオティスの考えていることを見透かしているように。


「どうせ副団長の能力ですぐに治る。あのフィトとかいう女も、あれだけの怪我を負ったというのにピンピンしているだろ?」


 リオティスはフィトへ視線を移した。


 オルティシアよりも重症だったフィトが、今では元気に動き回っている。


 銃弾を受け、全身を強く打ち付けていた彼女は、普通ならしばらく起き上がることさえできないはずだった。


「副団長の能力っていうのは、治癒の効果があるのか?」

「そんなところだ」


 ウィルドが淡々と答える。


「どんな怪我でも治す。それだけじゃない。だからこそ、あの人は副団長の座にいる」

「どんな怪我でも⋯⋯か」


 リオティスはその言葉を噛みしめるように呟いた。


 記憶者(メモライズ)。

 それは、人の常識から逸脱した力を持つ者たち。


 強力な能力を得るだけではない。

 身体能力そのものが強化され、常人では考えられないほどの力を発揮できる。


 リオティス自身も、その異常さは身をもって知っていた。だが、


「聞いたことのない能力だな。相当珍しいんだろうな」

「ああ。少なくとも、僕は他に知らない」


 ウィルドの言葉に、リオティスは小さく頷いた。


 傷を癒す記憶者(メモライズ)。


 それだけでも十分に強力だ。

 その力を持つ人物が、〈日輪の獅子(ソルネメア)〉の副団長を務めている。


 そう考えると、あの地位にいる理由も理解できた。


「そういえば⋯⋯」


 今度はウィルドが話題を変えた。


「タロットとかいう魔法師は、まだ眠ったままだそうだ」

「まだ?」

「ああ。これに関しては僕の責任だな」


 珍しく、ウィルドが自嘲気味に息を吐いた。


「少々、マナ酔いを激しく起こさせすぎたらしい」

「副団長の能力でも治らないのか?」

「無理だ。あれは怪我ではない。病気に近いものだからな。副団長でも、病そのものを治すことはできない」

「なるほどな」


 タロットが脱落してから、ずっと眠ったまま。

 それならば、リオティスが自らの能力を明かしたことも、まだ知らないはずだ。


 せっかくなら、タロットにも見せてやりたかった。

 リオティスが少しだけ残念に思っていると、


「よぉ、リオティス!」


 森の向こうから、聞き慣れた声が飛んできた。


「それとウィルド! 何してんだよ。お前らも手伝えって!」


 アルスだ。


 その隣にはロメリアもいる。


「そうですよ! 言っておきますが、働かぬ者食うべからず、ですからね!」


 ビシっと指を差すロメリアに、リオティスは心配そうに尋ねた。


「ロメリア。もう具合はいいのか?」

「ハイ! バッチリです!」


 ロメリアは満面の笑みで親指を突き立てた。


「それどころか、もうお腹が空いちゃって! 早く皆さんで食べましょう!」


 顔色も悪くない。

 声にも力がある。

 無理をしている様子はなさそうだった。


「そうか」


 リオティスは胸を撫で下ろす。


 その横では、アルスも同じように大きく息を吐いていた。


「よかった⋯⋯本当に良かったよ、ロメリアちゃん」


 心底安心したらしい。


 ところが次の瞬間には、いつもの調子を取り戻していた。


「でも、無理は絶対にダメだからね。少しでも気分が悪くなったら、すぐ俺に言うんだよ? そしたら俺が、お姫様抱っこでテントまで運んであげるからさ」


 キラリ。

 アルスの瞳が輝いた。


 そして、お得意のウインク。


 ロメリアは一拍だけ沈黙すると――そのままアルスの横を通り過ぎた。


「先に行ってますからね!」

「あれ?」


 取り残されたアルスが固まる。


「⋯⋯おかしいな」


 小さく呟いたあと、彼はがっくりと肩を落とした。


「振られた俺の心を癒してくれるのは、リオティスだけだ」


 そして唐突に、リオティスへ手を差し出す。


「さっ、エスコートしてあげるよ」

「見境なしか」


 差し出された手を払いのける。


「どうでもいい。それより、さっさと行こうぜ」


 リオティスは歩き出した。


 少し先では、ロメリアがこちらを振り返っている。


 その向こうでは、フィトたちが料理を巡ってまだ騒いでいた。


「このままじゃ飯抜きらしいぞ」

「それは困るな」


 ウィルドが隣へ並ぶ。


 その声音には、ほんの少しだけ笑いが混じっていた。


「いや、俺を忘れんなよ、リオティス!」


 背後からアルスの叫び声が飛んでくる。


 振り返れば、慌てて追いかけてくる彼の姿。

 リオティスは呆れながらも、歩みを止めなかった。


 そのまま三人は、皆の待つ焚き火へ向かって歩いていく。


 少し前までなら、考えられなかった光景だった。


 敵だった者と肩を並べ、同じ火を囲み、同じ飯を食う。


 これが〝仲間〟というものなのかもしれない。

 そんなことを考えながら、リオティスは僅かに口元を緩めた。


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