第29話 リオティスVSウィルド①
森林を支配する突風が、リオティスの背に伝っていた汗を冷たくさらっていく。
木々の葉が激しくざわめき、枝が軋む。その向こうから、ウィルドの魔力によって生み出された風が絶え間なく吹きつけていた。
緊張と、僅かな恐怖。
この感覚はリオティスにとって初めてのものでは無かった。
幾度も経験した〝強者〟との対峙。
目の前に立つウィルドからその匂いを敏感に感じ取った時、リオティスの右手は動いていた。
「〈ダブルピース〉」
突かれた右手が、大地を構成する土や石を無数の欠片へと分解させる。
まるで、巨大なパズルが一度バラバラになったかのように形を崩したピースは一斉に組み替えられ、地面から無数の鋭い杭となって突き上がった。
土塊と岩片によって形作られた杭が、木々の隙間を縫うようにしてウィルドへ襲いかかる。
その数も、精度も、速度も、目を見張るものであったが、どこか荒い。
ただ目の前の敵を退かせるためだけの、なりふり構わない攻撃だった。
ウィルドは足に風を纏わせ浮き上がると、杭の間をすり抜けて上空へと退避した。
冷静さを欠いた攻撃を躱すことなど、ウィルドには造作も無い。
十分な高さにまで距離を取ったウィルドは、まるで戦場そのものを見下ろすかのようにして、静かに浮かんでいた。
ゆっくりと右手を開く。
その掌は、地上のリオティスへと狙いを定めた。
ウィルドの右手に魔力が集まり、周囲の風が渦を巻いて一点へと収束していく。
木々の葉が一斉に舞い上がり、細い枝が激しく揺れた。
刹那、轟音とともに、凄まじい烈風が放たれた。
空気そのものを押しつぶすかのような魔法。
あまりの風圧に、視界の景色さえ歪んで見える。
リオティスは一目で悟った。
――受けられない。
右手を地面から引き剥がしたリオティスは地面を蹴り、後方へ大きく飛び退いた。
烈風が地面を抉った。
土砂が爆ぜ、木の根がむき出しになり、無数の小石が弾丸のように周囲へ飛び散る。
衝撃波は森林を揺らし、リオティスの身体もまた、その余波に巻き込まれた。
「ぐっ⋯⋯!」
足が地面から離れ、身体が宙へ投げ出された。
背中から地面へ叩きつけられ転がるリオティスは、揺れる大地の震動を受けながらも身体を起こそうとする。
その耳に――ヒュッ、と空気を切り裂く音が届いた。
反射的に身体を捻る。
次の瞬間、目の前を透明な刃が通り過ぎた。
風。
圧縮された空気そのものが、刃となって飛来したのだ。
リオティスは体勢を崩したまま、左手の短剣を構えた。
「⋯⋯っ!」
短剣を振り抜く。
魔法とぶつかる短剣を通し、硬質な衝撃が腕へ伝わった。
圧縮された風の刃が、短剣の一閃によって真っ二つに裂ける。
だが、ウィルドは止まらない。
上空から見下ろすその右手が動いた。
風切音が再び聞こえだす。
数はひとつ。続けて二つ、三つ、と。目で捉えることのできない風の刃が、次々とリオティスへ殺到する。
体勢の整っていないリオティスは身体を低く沈め、一撃目を躱す。
頭上を風刃が通り過ぎ、背後の木の幹を深々と切り裂いた。
続く一撃を、短剣で斬り払う。
さらに横から迫った風刃を身を捻って避ける。
回避に専念しながらも、避けきれない攻撃だけを左手の短剣で弾き飛ばしていく。
斬る。回避。飛ぶ。斬る。
斬っても、斬っても、風刃は途切れることが無い。
そのたびに森林へ鋭い風切音が響き、木々の幹や枝が次々と切断されていく。
気づけばリオティスの肌にもいくつか切り傷が付けられており、このまま防戦一方では状況が悪化していくばかりだ。
リオティスは風刃を斬りながらも、右手を広げた。
「〈ダブルピース〉」
再び能力を使用したリオティスの掌から、黒色のパズルピースが生成される。
浮かび上がったピースは集まり合い一本の剣を創り出した。
黒く、硬く、大きな剣。
リオティスはその剣を、空に浮かぶウィルドに向かって全速力で放つ。
風刃を貫通する剣は一部を切り裂かれながらも、ウィルドの真正面へと辿り着いた。
「無駄だな」
ウィルドは足に纏っていた風を大きくさせ、まるで空を駆けるようにして剣を回避する。
だが、リオティスの攻撃は終わっていない。
剣は突進力をそのままに反転すると、避けたウィルドの背中へと標的を変えた。
「なるほど、操作もできたか」
背後に迫る剣を、ウィルドはやはりいとも容易く回避する。
風を利用して自在に飛ぶことのできるウィルドを追い詰めるだけの速度と操作性が、リオティスの能力には無かった。
剣は再び標的を射止めるべく反転するが、その先では既にウィルドが魔法を構えている。
烈風だ。
圧縮されて解き放たれた魔法は剣を砕き、吹き飛ばす。
「この程度か⋯⋯」
と、落胆の色をウィルドが示した時、彼の足に重みが加わった。
――何が起きた。
咄嗟にウィルドが足を見れば、そこには黒く大きな球体と、そこから伸びる鎖によって繋がれる自身の足首があった。
リオティスの創造による足枷と鉄球。
だが、ウィルドには鉄球がどうして付けられているのかがわからなかった。
剣を完全に破壊した、と勘違いしていたのだから無理もない。
あの時、リオティスの剣は魔法によって砕かれたわけではない。敢えて分解させていたのだ。
デビラを鎖で拘束した時と同様、ピースとなって分解された剣はウィルドの足首で再構築され、囚人を拘束する足枷のように形を変えていた。
目的はただひとつ。
宙に浮くウィルドを地面に落とすためだ。
「ぐっ⋯⋯」
足にまとわりついた鎖の重みに引かれ、ウィルドの身体が大きく傾いた。
先ほどまで空中を自在に駆けていた身体が、今度は抗うこともできずに落下していく。
ウィルドは即座に魔力を練り上げ、鋭い風の刃で鎖を断ち切った。
流石の対応速度だ。
だが、すでにウィルドの高度は、リオティスの射程圏内へ入っている。
地面を強く蹴り、跳躍したリオティスは落下するウィルドとの距離を瞬く間に詰め、左手の短剣を振り抜いた。
対抗するように、ウィルドも全身へ一気に魔力を流し込む。
その瞬間、ウィルドを中心として猛烈な風が巻き起こった。
渦を巻く暴風が幾重にも重なり、巨大な竜巻へと変わっていく。
近づくもの全てを拒絶する、風の防壁。
「くっ⋯⋯!」
短剣の刃が風の壁に触れると、凄まじい風圧がリオティスの身体を襲った。
まともに踏み込むことすらできない。
リオティスはそのまま弾き飛ばされてしまうが、今度は受け身を取ることに成功する。
身体を捻り、両足で着地したリオティスは土を削りながら数メートルほど滑ったものの、転倒は免れた。
「⋯⋯やっぱり、近づかせてはくれないか」
リオティスは短剣を握ったまま、上空のウィルドを睨みつけた。
ならば――近づく必要はない。
右手を開く。
掌の周囲に、無数のパズルピースが現れた。
大小さまざまな欠片が空中で組み合わさり、瞬く間に二振りの剣へと形を変えていく。
先ほどまでは、空中を自在に動くウィルドに翻弄され、攻撃を当てることすらできなかった。
だが、今は違う。
この距離ならば、避けることは難しいはずだ。
リオティスは勢いよく二本の剣を同時にウィルドに目掛けて飛ばした。
左右から挟み込むように飛翔する剣。
ウィルドは足元に纏わせていた風を解除し、地面へと降り立った。
そして、リオティスを吹き飛ばした竜巻へ、さらなる魔力を注ぎ込んだ。
轟、と大気が震える。
風の渦が一回り、二回りと膨れ上がっていく。
暴風は勢いを増し、ウィルドの周囲を覆い尽くした。
二本の剣が、その中へ突き込まれる。
――だが、刃はウィルドへ届かなかった。
暴風に煽られた二本の剣は、軌道を大きく逸らされる。
一本は頭上を通り過ぎ、もう一本は肩をかすめるようにして流されていった。
ウィルドの背後へと飛び去り、地面へ突き刺さる二本の剣。
またしても攻撃を防がれたリオティスは拳を握り締めた。
――まただ。
どれだけ攻撃を重ねても、あの風の壁を突破できない。
ウィルドの魔法師としての腕は確かだ。
攻撃力、機動力。そのどれをとっても記憶者に負けず劣らない。
だが、それ以上に脅威となっているのは間違いなく防御力だ。
あの絶え間なく渦巻く暴風そのものが、リオティスの攻撃を阻む絶壁となっていた。
「そろそろ理解したか? お前は僕には勝てない」
暴風を弱めたウィルドが、渦の中からリオティスを見る。
「この魔法にはどんな攻撃も効かない。傷一つ付けられていない現状が証拠だ。もう一度言う、お前は僕に決して勝てない」
「確かに、お前の風は無敵だ。だが、弱点が無い訳じゃない。違うか?」
ウィルドから突きつけられた事実に抗うように、リオティスは強気に笑う。
「魔法の同時発動ができないそうだな。足に纏っている魔法は慣れか、制御が簡単なのか別みたいだが、お前が魔法で身を守っている間は俺に攻撃もできない。そして、魔力消費。今の高威力の渦を使う直前、移動に使っていた魔法を解除したよな。アレだけは例外で同時に使えるはずだろ。何故なら魔力の消費が激しいから。直ぐに風を弱めたのもその理由だ」
リオティスが話した内容は全て的中していた。
ウィルドが使う風の防壁は、他と比べて多く魔力を消費する。
制御も難しく、長時間使用できる魔法ではなかった。
「よく観察している。それで? 訓練が終わるまでこうしているか?」
「いいや。その前にお前をガス欠にしてやるよ!」
リオティスは右手を地面に押し当てた。
あの分解だ。
理解したウィルドが逃れるべく足に風を纏おうとした時、周りの地面がせり上がった。
今までの杭による攻撃ではない。
高く伸びた地面は、ウィルドを閉じ込めるように包み込んだ。
「僕を上に逃さないためか。ふん、無駄だな」
ウィルドが魔法を放つ。
四方に強風を吹かせ、地面の囲いをバラバラに押し砕いた。
晴れる視界。
そこにリオティスの姿は無かった。
「なるほど。そういうことか」
ウィルドは自分を閉じ込めた攻撃が一時の目眩しであることに気が付くと、背後に迫っているであろう相手に言った。
「また奇襲か。視えていると言ったはずだ」
「関係ねェよ!」
ウィルドの背後から奇襲を仕掛けたリオティスが短剣を振るおうとした時、突如として発生した風によって押し付けられた。
まるで巨大な塊に押しつぶされるような感覚を味わいながらも倒れるリオティスは、身動き一つ取ることができない。
「終わりだ。もう少し頭の切れる男だと思っていた」
落胆を吐き出したウィルドは、地面に落ちたリオティスの記憶装置に触れた。
バキン、という金属が割れる音。
リオティスの記憶装置は、粉々に破壊された。




