第26話 合同訓練⑯
合同訓練の残り時間が三十分を切った。
魔獣の討伐数を競い、各団員の実力を把握する名目であった合同訓練も終盤に差し掛かり、既に多くの脱落者を出している。
〈日輪の獅子〉で残っている団員は、手甲鉤型のメモリアルを扱う記憶者のデビラ。鏡の能力を扱う記憶者のオーロラ。遠距離からの狙撃を得意とする記憶者のオルティシア。そして、逸脱した才能を持つ風の魔法師であるウィルド。この四名だ。
対して〈月華の兎〉に残っている団員はたったのひとりだけ。
Bランクのギルドとしては善戦した方だろう。〈六昇星〉に所属する格上を相手に立ち回り、ましてや二人もの脱落者を出したのだ。
だが、〈日輪の獅子〉が標的を魔獣ではなく相手の団員に目を付けた瞬間から、とっくに〈月華の兎〉の勝機は絶たれていた。
その証拠に、最後に残った男も既に敗北への道に追い込まれている。
「ハァ、ハァ」
リオティスは息を切らしながら、惨めに逃げていた。
肉食獣から命からがら逃れる兎のように、ただがむしゃらに走り続ける。
躓きそうになっても、木々から伸びる鋭利な枝先が肌を刺そうとも、リオティスは気にする余裕も無く無様に逃げることしかできなかった。
背後からは自分を追いかける捕食者が迫っている。
息も絶え絶えで、ふらつく体に無理を言わせ、恐怖から逃げるリオティスを見れば、この訓練の行先など容易に想像できた。
「ハァ、ハァ⋯⋯クソッ。もう、無理か」
圧迫される胸を押さえたリオティスは、どこか諦めたように近場の木に背中を預けて座り込むと、ヘラヘラとした笑みを浮かべながら両手を上げた。
「ハァ⋯⋯! もう降参だ。これ以上は走れないし、どうせ俺の負けだ」
短剣をも手放し、命乞いをするかのように情けない声を発するリオティスの前に、三人の女性が現れた。
「諦めがいいじゃん。まぁウチら相手によく粘った方じゃない?」
「アタシはもう少し追いかけっこしていたかったけどね。オーロラはどう思う?」
「えっ、わたくしですか!? 別にわたくしはオルティシア様とご一緒できれば⋯⋯」
などと、リオティスと打って変わり余裕のある様子で話を始めたのは〈日輪の獅子〉の団員であるデビラとオルティシアとオーロラだった。
アルスとフィトが脱落用のテントに転送された後、リオティスは魔獣を狩るべく動いていたのだが、呆気なくこの三人に見つかってしまっていた。
リオティスに残された手段は逃走のみ。
まともに戦えば勝ち目がないことなど誰の目からも明らかだ。何せ、リオティスはただのメモリー使い。〈六昇星〉の一角である記憶者三人に挑んだところで、一矢報いることすらできない、只の弱者なのだ。
そんな、弱くてちんけなリオティスへと、デビラが鉤爪を向けた。
「アンタのこと過大に評価してたわ。まさか、こんな逃げ腰の詰まらない奴だったなんて思わなかった」
「勝手に思い込んでいたのはそっちだろ。よく見ろよ。俺は記憶者でもないただのメモリー使いだぜ?」
全てを投げ捨てたように笑うリオティスに、デビラの目尻が上がる。
「何それ。少なくともティアナちゃんとかは全力で頑張ってたよ。最初から負けることを考えず、本気でウチらに立ち向かってた。そういう気概は無いわけ?」
「無いな微塵も。頑張るのも痛いのも嫌だしな。それとも、まだ俺を疑っているのか? 安心しろよ、お前らの勝ちだ。信じられなきゃ手を突いてやろうか?」
火に油を注ぐつもりで、リオティスは力なく上げていた両手をお道化るようにして地面に突いた。
「ほら、これでいいか? 後は勝手に記憶装置を破壊してくれ」
「⋯⋯もういいよ。アンタと話しているこっちが馬鹿らしくなる」
痛くなる頭を押さえるように、デビラは手を額に置いた。
こんな男を一瞬でも強敵に感じた自分が情けない。
デビラは溜息交じりに近づくと、記憶装置を破壊するべくメモリアルを振り上げた。
「俺は頑張るのが嫌いだ。それも、こんな訓練で本気を出すなんて馬鹿みたいだろ」
独り言のように漏れ出たリオティスの声に、ピタリとデビラの動きが止まる。
「でも、〈月華の兎〉はそんなバカの集まりだからな。アイツ等はいつだって本気だ。本気で頑張って、負けて、泣いて。それでもまた立ち直って本気で強くなろうと足掻いている」
「⋯⋯それで?」
デビラは碌に言葉を聞いてはいない。
リオティスという人間との会話に価値がないと、そう思っているのだ。
続きを促したのも興味からではない。
最後ぐらい言い訳を吐き出させてやるか、とその程度のつもりだった。
だが、この時デビラには謎の悪寒が走っていた。
何かが変だ。
今までのリオティスとは違う。何かが、変わるような予感がした。
ほんの一瞬だけ戸惑いを見せたデビラへと、リオティスが静かに言い放った。
「そんな馬鹿共が悔しがっている姿を見たら、証明してやりたくなったんだよ。俺たちはまだ負けていないってな⋯⋯!」
刹那、地面にパズルのピースが走った。
リオティスの手先から伝播するように、地面がピースとなって分解され、そのひとつひとつが瞬く間に組み合わさると太い円錐状の杭となって突き出された。
まるで地面が意志を持ったかのように、変形して鋭く伸ばされた杭の先端は、オーロラの真横に浮かぶ記憶装置をいともたやすく貫いた。
「え⋯⋯?」
パチクリ、と可愛らしく目を大きくさせたオーロラは、地面から伸びた杭と自身の記憶装置をただ交互に見続けることしかできなかった。
――何が起きた?
予想だにしない不可解な事象にデビラとオルティシアの思考は停止し、驚きの余りに開いた口が塞がらない。
そんな彼女たちの頭上から、リオティスの声が降り注いだ。
「さっさと再開しようぜ〈六昇星〉。お望み通り、こっからは本気で相手をしてやるよ」
振り向くと、先ほどまで座り込んでいたリオティスの姿は消えており、いつの間にか木の上へと移動していた。
だが、それはどうでもよい話だ。
問題はこの男が――リオティスが人間離れした異様な能力を使ったこと。それはつまり⋯⋯、
「アンタ、まさか記憶者!? 有り得ない! だって紋章が描かれていないじゃん!」
デビラの指摘にリオティスはさも当然のように答える。
「そりゃあ隠していたからな。俺の能力を使えば右手の紋章も自在に隠すことができる」
「か、隠してたって⋯⋯それ犯罪でしょ!?」
そう、これは列記とした犯罪だ。
ディザイアが定めたルールの中に、記憶者が自身の紋章を偽ること、そして人間が記憶者を装うために紋章を偽ることを禁止するといった項目がある。
ディザイアに所属し活動している以上、定められた掟は必ず守らなければならない。
破れば当然処罰が下る。ギルドランクの降格。脱退。最悪処刑される場合もある。
だが、その掟を目の前の男は破ったのだ。
記憶者であることを隠していたのだ。
それを黙って見過ごすことなど同じディザイアに所属する、それも〈六昇星〉の一角である〈日輪の獅子〉ができるはずもない。
見逃すこと即ちそれは、己の立場をも危うくすることに同義なのだから。
「⋯⋯これはもう訓練だなんて言ってられないでしょ。オルタ、オーロラ! こいつの身柄を拘束するよ!」
デビラの掛け声に反応し、オルティシアは戦闘態勢に入った。
右腕を銃身に変化させ、いつでも撃てるように銃口をリオティスへと向ける。
記憶装置を破壊され動揺を見せていたオーロラも、既に能力を発動させ自身の周りに複数の鏡を展開させていた。
これまでの訓練では感じられなかった確かな敵意。
敏感にそれを感じ取ったリオティスにも緊張が走る。その時、
『——報告。各員、戦闘態勢を解除しろ。これは訓練だ。繰り返す。これは訓練だ。その範囲を逸脱する行為は決して認めない。継続して訓練に努めよ』
耳に響くリリィの声。
全ての状況を見ているはずの団長から告げられた言葉に、デビラはイヤーカフ型の記憶装置を力強く押した。
「団長! 一体どういうつもりですか!? 訓練なんてしている場合じゃないのはわかってるっしょ!? 戦闘の許可をください!」
『――それはできない。リオティスの処罰は合同訓練が終了後に下す。全責任は⋯⋯私が負う』
リリィの声は崩れない。
寧ろ、力強い真っすぐなその意志は、到底揺らぐことが無いように思えた。
「けど、これ以上の訓練に何の意味があるんですか! ウチらの勝ちは揺るがない! 意味の無い訓練を続ける必要なんて無いはずです!」
『それは違うな。勝負はまだ決してはいない。突然のイレギュラーに対応することも、強い相手と戦うこともお前たちの為になる。まさか戦場でひとり残された敵が大人しく拘束されるとでも思っているのか?』
「でも、ここは戦場じゃない! ただの訓練です!」
『そうだ。だからこそ最後までやる』
まるで決定事項だと言わんばかりの圧力。
これ以上逆らえるわけがない。リリィは優秀だ。この言葉にもきっと意味はあるのだろう。何より、全ての責任は自分が負うとまで言ったのだ。〈六昇星〉の団長にそうまで言わせて自分を貫くことなど、デビラにはできなかった。
押し黙るデビラ。
その耳に次に聞えてきたのは、リリィからリオティスへと向けられた言葉だった。
『リオティス。お前の処罰については、訓練終了後に私が責任を持って処理する。だが、それと今の戦闘は別だ。お前が最後のひとりに残ったのならば、最後のひとりとして戦え。それが今のお前の責務だ』
「⋯⋯はい、ありがとうございます、リリィさん。それと、バルカンもな」
返事は無かったものの、リオティスの脳裏にはバルカンの優しく微笑む姿が浮かんでいた。
『それでは訓練を再開する。記憶装置の破壊を確認。〈日輪の獅子〉所属オーロラ。脱落!』
「結局わたくしは脱落なのですね⋯⋯」
落ち込むオーロラの頬に、そっと手が差し伸ばされた。
「そんな悲しい顔しないでオーロラ。後はアタシとデビラが何とかするから」
「心配はしておりませんわ。オルティシア様とデビラ様が負けるはずありませんもの」
上品に笑うオーロラは軽く会釈をすると、転送までの邪魔にならないようにオルティシアから離れていった。
「ハァ⋯⋯ホント最悪。絶対団長バルカンさんに言いくるめられてんでしょ。そこまでする価値なんて絶対無いのに」
苛立ちのままにデビラが足を軽く踏み鳴らす。
「けど、アンタへの処罰はするって話だし、そこまで甘くも無かったね。ご愁傷様。せめて完膚なきまでに叩きのめして、もう二度とギルドなんて入りたくないって思わせてあげる」
ギラリ、と光る鉤爪をぶつかり合わせると、デビラは隣に立つオルティシアへと言った。
「オルタ。どっちにしろ手加減は無用だよ。ウチが前、アンタが後ろ。カバーは任せる」
「わかったよ。安心して、ちゃんと守ってあげる」
耳に纏わりつく艶めかしい声色を振り払い、デビラが前に出る。
「つーわけで、改めてよろしくね犯罪者さん」
「こちらこそ。その鼻へし折ってやるよ」
リオティスは木から飛び降りると、着地と同時に地面に手を突き、能力を発動させた。




