第25話 合同訓練⑮
「大丈夫かい? フィトちゃん」
記憶装置を破壊され、脱落が告げられた直後の事。
アルスは立ち去ったウィルドとオルティシアの気配が完全に消えた頃、近くで座り込んだまま一向に動こうとしないフィトへと歩み寄った。
肩や腕から血が流れ出ている。
小さく空いた服の穴と焼け焦げた跡から、フィトが銃弾に打ち抜かれたことが読み取れた。
本来であれば命に関わる重症だと考えるべきだったが、流れ出る血がかなり少ない。訓練であることを加味すれば、相手が死なないように手加減をしていたことは間違いないだろう。
だが、実弾に打ち抜かれたことも確かだ。
さらには全身を強く打っている。魔力操作が得意なフィトといえど、ここまでボロボロになっている姿を見れば、決して安心などできない。
「息はできるかい? 苦しいところは? 血を吐いたりとかしてないよな?」
しゃがみ込んだアルスは、繊細なガラス細工に触れるかのようにフィトの全身を慎重に診始める。
すると、今まで無言であったフィトが声を漏らした。
「⋯⋯アルス、すみません。負けてしまいました」
「仕方ないさ。それにこれは訓練。ここから強くなっていけばいい」
「そう、ですね。ハァ、滅茶苦茶に体が痛いです」
普段の彼女よりもかなり低く重い声。
痛みや疲労もあるのだろうが、余程負けたことを気にしているらしかった。
「フィトちゃんは十分に頑張っただろ。戦いは見てないけど、完敗という訳じゃない。そうだろ?」
「どうでしょう。やれることはやったつもりですが、自信のあった近距離での戦闘で負けたのです。褒められた結果じゃないですよ」
虚ろな目で空を見上げるフィト。
その目には薄っすらとだが涙が浮かんでいた。
「強くなる。そのために頑張っているつもりですが、最近成長が実感できないんです。⋯⋯このままでボクは本当にいいのでしょうか」
フィトが強さに拘る理由を、アルスは知らない。
きっと、他の団員達も知らないはずだ。
だが、如何に本気でフィトが己の弱さと向き合っているのかは全員が知っていた。
毎朝誰よりも早くに起き、走り込み、トレーニングを積み、食事にだって気を遣って。そうして肉体を鍛え上げ、魔力を纏う彼女の姿は、少なくともアルスには眩しく見えた。
逃げてばかりの自分とは違い、フィトは常に苦しみながらも真摯に向き合い、そして強くなろうとしている。だから⋯⋯、
「フィトちゃんは強くなっているよ。そしてこれからも強くなる。絶対にだ。それに合同訓練は始まったばかりだろう? 今日の弱さを認めて、乗り越えられるなら、明日はもっと強くなっているよ。だから、大丈夫だよフィトちゃん」
羨望と嫉妬の入り混じった声。
その言葉に嘘偽りはない。
アルスにとってフィトは、尊敬できるひとりの美しい女性なのだ。
「アルス」
意外そうな顔でフィトがようやく彼の顔を見た。
「君、まともなことも言えるんですね」
「いや俺をなんだと思ってるのさ!?」
「女性の敵。ナルシスト。チャラい。ですかね」
「うっ、事実なこともあって反論できない」
自身の胸に手を当て、わかりやすく落ち込むアルスだったが、そんな彼へとフィトは嬉しそうに笑顔を向けた。
「けど、ありがとうございます。レイクもそうですが、君たちの言葉にはいつも力と元気を貰えます。本当に最高な仲間たちです」
「えっ、それって愛の告白かい? ちょっと待ってもらってもいいかな。こういうのはイケメンな男である俺の方から⋯⋯」
「前言撤回です。アルスはやっぱりアルスです」
うんざりするように冷めた視線をフィトが注ぐ。
それに対して何故か嬉しそうにするアルス。
脱落したというにも関わらず、二人の間には今まで通りの和やかな空気が流れ始めていた。
「なんだ、結構元気そうだなお前ら」
そんな二人の空気に割って入るようにして、ひとりの男が現れた。
「よっ、さっきぶりだなフィト、アルス」
「リオティス!? お前、今まで何してたんだよ!」
突如現れたリオティスを見て、アルスが思わず立ち上がる。
アルスの中ではデビラとオーロラから逃がしてもらったところが最後の記憶で、その後、リオティスが脱落をしていないことは知っていたが、動向に関しての情報は一切無かった。
「もしかして他の団員と戦っていたのかい?」
「いいや、ただ逃げて隠れてた。どうせひとりじゃ勝てないしな」
さも当然のように言い放つリオティス。
ここが戦場ならばひとつの方法でもあるが、あくまでもこれは訓練。本気で戦い、ぶつかり、勝利と敗北を味合うことで成長する場だ。リオティスの言葉が真実だとすれば、とても褒められた行動とはいえないだろう。
「なぁ、リオティス。それは余りにも⋯⋯」
と、アルスが思わず指摘しようとした時、
「ふざけるのもいい加減にしてください!!」
フィトの怒号が辺りに響いた。
「みんな、本気でこの訓練に臨んでいるんですよ! ボクもアルスもティアナだって! 全力でやれることをやって戦ったんですよ!? それを君は勝てないと決めつけて、ただ隠れて! もう、いい加減にしてください⋯⋯ゲホッゲホ」
「無理しちゃダメだフィトちゃん!」
とても動ける体ではない。
話すことも、ましてや大声を荒げる力も余裕も無いはずだ。
それでもフィトは止まらない。
口に広がる血の味を吐き捨て、止めようとするアルスを払いのけ、堪えられなくなった涙を流しながらも鬼の形相でリオティスを睨んだ。
「君はいつもそうです! のらりくらりと躱して、面倒事を避けて! 本気で何かをしたことが君にはあるんですか? 全力の自分を否定される気持ちがわかるんですか? あるわけがない。君は最低で愚図でいつだって全力を出そうとしない! そんな君がボクは、ボクは⋯⋯ずっと嫌いなんです!!」
その想いはフィトの内に眠るリオティスへの全てだった。
初めて出会った時もそうだ。
彼は決して本気で戦ってはいなかった。まるで遊びのように、適当に戦っていた。
魔獣が街に現れた時もそうだ。
呑気な態度で何もせず、魔獣と戦うことも、人々を助けるわけでもない。軽い言葉を吐き、自分には関係ないといった様子でいつだって物事を重く受け止めない。
迷宮攻略後は少しだけ性格が変わったように思えた。
表情もどことなく柔らかくなり、見下すような、全てを諦めるような態度も減った。
だが、やはりこの男の本質は変わらない。
彼は決して本気を出さない。全力を尽くさない。
自分は本気で戦ってきた。修行してきた。
そして負けて、悔しくて、泣きたくて、それでも諦めずに本気で生きてきた。
彼と自分はまさに水と油だ。
合わさることも無い。理解もできない。だからこそ、フィトはリオティスの事が大嫌いだった。
「もう、ボクの前でそんな態度を見せるのはやめてください。ボクが耐えられないんです。もう君にはうんざりなんです」
「⋯⋯フィトちゃん」
流れる涙をアルスがハンカチで拭う。
一頻り泣いたフィトはアルスに短くお礼を言うと、リオティスから顔をそむけた。
「⋯⋯後は勝手にしてください。ボクたちも直に転送されますので」
これで話は終わりだった。
少なくともフィトはそうだったし、今までのリオティスの性格から考えても返事は返って来ないはずだ。
だが、フィトの予想に反し、意外にもリオティスから思いもかけない言葉が出た。
「悪かったフィト。確かに、お前の言う通りだよ」
「え⋯⋯」
反射的にリオティスの顔を再び見た。
もう今は見たくも無かった彼の顔には、強い感情が込められていた。
どこか真剣で、心苦しいような表情。
そして、何かに対してへの強い憤りが感じられた。
「俺は今まで本気で生きてこなかった。お前らとも本気で話そうとしてこなかった。⋯⋯怖かったんだよ。ずっと、本当の俺を見せることが、拒絶されることが怖かった。けどな、今こうしてお前の話を聞いて、お前らの戦いを見て、俺も腹をくくったよ」
ゆっくりと近づくリオティス。
何をするのだろうかとフィトが見上げていると、彼は突然に頭を下げた。
「お前の気持ちと今までの生き方を否定してしまった。本当に悪かったフィト。それとアルスも。許してもらえるのかも、受け入れてもらえるのかもわからないが、今から起きることは全て俺自身そのものだ。だから見ていてくれ。お前らがやられた分は、俺が全部そのままやり返してやるから」
「⋯⋯リオティス。君は何をしようと」
フィトには何もかもがわからなかった。
何故彼が謝罪をしているのか。
何故彼の顔がここまで真剣なのか。
何故彼がここまで変わったのか。
いや、違う。変わろうとしているのだ。この訓練の中で、何か大事なことをやり遂げようとしている。ただ事ではない。今後の人生にも関わる何か。そう思わせるだけの覚悟がフィトにも伝わった。
状況が理解できずに固まるフィトを他所に、リオティスはアルスへと向き直った。
「なぁ、アルス。ちょっといいか?」
「あ、あぁ。どうしたリオティス」
「⋯⋯ひとつだけ頼みがある」
◇◇◇◇◇◇
森林地帯南部、訓練用のテントにて——。
「終わりだな。確かに想像は越えてきたが、これが限界だろう」
アルスとフィトの脱落を告げた後、リリィが一度大きくふぅ、と息を吐いた。
「時間はまだ残ってはいるが、最後のひとりが脱落するのも秒読みだ。どうだバカルカン。これも予定通りだったか?」
挑発するようにリリィは笑う。
バルカンはこの合同訓練初日に何やら企んでいる様子ではあったが、ここから挽回するのはまず不可能だ。勝負は決した。〈日輪の獅子〉に〈月華の兎〉が勝つことなど、最初から不可能だったのだ。
ニャルンの脱落。
フゥの脱落。
これらは確かに予想外であり、リリィ自身驚愕はしたものの、全体の戦闘能力には大きな差があった。
タロットの膨大な魔力量と無詠唱魔法は脅威ではあったが、粗が多く、立ち回りも力押しばかり。格上の魔法師相手には手も足も出ない。
ティアナはメモリアルを扱えていないことが難点だ。強力なメモリアルである分、武器に振り回されてしまっている。レイクもメモリアルを使用しているにも関わらず、活かしきることができていない。動きもまだ固く、能力の発動が遅い。
能力者であるルリとアルスは及第点と言えるだろうが、精神的な弱さと女性に対する考えが致命的だ。ルリは感情を抑えるべきであり、アルスは戦いとなれば女性相手にも何かしらの対応をすべきだろう。
そして、フィト。彼女は無能力者でありながらも最後まで食らいついていた。だが、才能が無い。その時点でこの世界で生きぬくことは難しい。
それが合同訓練を通してリリィが〈月華の兎〉に下した評価だった。
残るはリオティスただひとり。
動きは悪くないのだが、どこか一線を引いている印象を受けた。深くは踏み込まず、関わらない。せめて仲間同士で、もう少し打ち解けて連携をすることができれば、あとひとりぐらいは脱落させることができたのかもしれない。
だが、これが現実だ。
今の〈月華の兎〉では決して〈六昇星〉に成り上がることはできないだろう。
「まぁ落ち込むなバカルカン。明日からは私もみっちりとお前の部下達をしごいてやるからな」
先ほどから返事の無いバルカンを見かねて、少しだけフォローを入れてやる。
落ち込むような玉でもないだろうが、この結果は恐らくバルカンにも想定外だったはずだ。
そう思いながらリリィがバルカンの顔を覗き込むが、彼は彼女の言葉など聞いてはいなかった。ただ、訓練の様子を映す記憶装置を静かに見つめていた。
「⋯⋯なぁ、リリィ」
ようやくバルカンが口を開く。
「これから起こる事に対して黙認してくれないか」
「これから起こる事?」
リリィは正面を向くと、バルカンと同じくひとつの映像を見た。
そこには脱落したアルスとフィトに何かを話すリオティスの姿が映し出されている。
「どういう意味だ? あの男が何かをしでかすのか?」
「あぁ、覚悟を決めたんだろう。だから頼む」
バルカンが頭を下げた。
その行動は意味不明であり、彼が何を考えているのかはまるでわからない。
だが、無意味なことをする男でもない。
ましてや、こうも真剣に頭を下げる姿など滅多に見られるものではなかった。
(それだけの何かが起きると言うのか⋯⋯?)
不穏な空気がテント内に漂う。
重い沈黙が支配した空間で、リリィの喉を鳴らす音だけが大きく響くようだった。




