第24話 合同訓練⑭
大きな爆発音が森林に木霊した。
熱風は草花を揺らし、突き抜ける〝破壊力〟はぶつかる木々をへし折りながら次第に勢いを落としていく。木の倒れる音。大地を揺らす振動。環境を破壊するそれは、最後に一本の大木に打ち付けられると、静かに動くことなく座り込んだ。
「ぐふっ⋯⋯ッぅ」
座り込んだまま動けないフィトは、辛うじて意識だけは保っていた。
全身を持てる全ての魔力で覆い、防御したのにも関わらず、その鎧はいともたやすく全壊された。近距離であれば自分が優位に立っているだろうという甘い考えを打ち砕き、得意とする正面からの殴り合いで負けたのだ。痛みと疲労が無くとも、自信とプライドが粉々となった今のフィトを動けなくさせるには十分すぎる程の敗北だった。
耳元に装着された記憶装置から、未だ脱落を告げる音声は聞こえない。
恐らく左手に握りしめた記憶装置がまだ破壊されていないのだろう。
だが、結果は変わらない。
今にも追っているオルティシアが辿り着き、無力な自分から記憶装置を取り上げ脱落させる。もはや、それを阻止するだけの意思も力もフィトには残ってはいなかった。
圧倒的な力に打ちのめされ、ただ俯くばかりであったフィトの前に誰かが近づいた。
ザクザク、と。
砂を踏みしめる足音と、日の光を遮るひとつの影。
もうオルティシアが追いついたのだろうか。
フィトの考えとは裏腹に、聞こえてきたのは若い男の声だった。
「何事かと思えば随分と手酷くやられたようだな。⋯⋯全く、なぜこうも訓練から逸脱した戦闘が起こるんだ」
痛む体に無理を聞かせ、ゆっくりとフィトが顔を上げた。
そこに立っていたのは眼鏡をかけた男だった。
「記憶装置は破壊されていないようだが、オルティシアは何をやっている。見るからに重症だろ。ここまでせずとも勝てただろうに」
呆れながらに溜息を吐く男の全身からは風が吹き荒れている。
男を中心に渦を巻くように流れる風は砂埃を晴らし、倒れた木々から舞う葉を踊らせた。
「訓練が終わったら説教だな⋯⋯」
と、男が愚痴を漏らしていると、それを遮るようにして声が飛ばされた。
「そう言わないでほしいなウィルド。彼女、凄く強かったんだから」
ウィルドが振り向くと、そこにはにこやかに手を振るうオルティシアの姿があった。
「やぁ、元気だった? 調子はどうかな?」
「⋯⋯オルティシア。いくら何でもやりすぎだ。瀕死だろうこの女」
「大丈夫大丈夫。すぐに副団長が治してくれるから」
「万が一での能力だ。副団長を頼りに戦闘を考えるな」
ぴしゃり、とウィルドが強く注意すると、オルティシアは悲し気に笑った。
「ごめん。確かにやりすぎてしまった。今度からは注意するよ」
「全く⋯⋯それはそうとお前、自分の身は自分で守れよ」
「ん? なんのことかな?」
意図が掴めず首を傾げるオルティシア。
そんな彼女に背を向けると、ウィルドは身に纏う風の魔法を強めた。
「近くに〈月華の兎〉の団員が居る。身を透明にすることができる能力者だ。それで油断したフゥが脱落した。記憶装置には常に気を配っておけ」
「へぇ、そんな能力者がいたんだ。どうする? 手伝うかい?」
オルティシアの提案をウィルドが一蹴する。
「お前はひとりで楽しんだんだろう? なら僕の戦いにも手出しは無用だ」
「わかったよ。じゃあアタシはこの子と少し遊んでいるから気を付けてね」
まだ脱落させるつもりは無いのか、と呆れるウィルドであったが、もはやこれ以上の言葉は意味をなさないだろう。それに、随分と話しすぎてしまった。魔法で身を守っていたとはいえ、今の隙に相手が策を企んでいたとしても不思議ではない。
「さて、どう出る」
ウィルドの警戒がより一層強まった時、四方から同時に複数の呪符が解き放たれた。
全ての呪符を把握はできていないが、十枚は優に超えるだろう。
ウィルドを包囲する呪符は真っすぐに彼へと向かっていたが、それが無意味であることは先ほどまでの戦闘で立証済みだ。
ウィルドを守る風の渦が全ての呪符を巻き込み、弾き飛ばしていく。
能力で生み出されたとはいえ所詮は紙切れ。
より強い力を纏う流れに対しては無力だ。
「これで終いか?」
「まさか!」
ウィルドの呟きに応える声。
いつの間にか姿を現したアルスが背後へと迫っていた。
右手に呪符を持ち、死角から奇襲を試みるアルスだったが、やはり無意味な攻撃だ。
魔力の供給により、さらなる勢いを増した突風がアルスを阻む。
身体を浮かす程の風に押され、まるで紙切れ同然のようにアルスは無力にも吹き飛ばされた。
「ぐっ⋯⋯」
木へと背中を打ち付けられたアルスは地に足を付けると、風圧で閉じそうになった目を懸命に見開き、腕を盾にするように額に押し付けながらも一歩前へと踏み出す。
気を抜けばすぐに飛ばされてしまう。
姿勢を前屈みにし、足に力を込め、一歩ずつ歩みを進めようとするアルスではあったが、もはや踏み止まることで精いっぱいだった。
「これがお前と僕の差だ。身に纏う風の魔法を解除せずとも、それだけでお前を封じることができる。面白い能力だったが、所詮は戦闘向きではないな」
アルスとは対照的に涼しげな表情を浮かばせるウィルドは、既にこの戦いが決着していることを悟っていた。
呪符は当初こそ脅威に考えていたが、能力がある程度わかってしまえば対処もしやすい。飛ばし、貼りつくことで発動する能力。能力の種類にいくつか数はあるようだったが、今まで見てきたものはあくまでも補助的な効果しか付与されてはいなかった。
視界を増やす呪符。
姿を消す呪符。
痺れさせる呪符。
杭を打ち込む呪符。
最後の効果に関しては攻撃として十分に使用できるが、所詮はそれまでだ。
恐らく枚数にも限度があるのだろう。姿を常に消して動かないことも、一度に使用しているであろう枚数が決して多くないことも、全てがそれを物語っている。
「諦めろ。お前に勝機は無い」
事実として告げるウィルド。
だが彼には依然、油断も慢心も無い。
何故ならば、目の前に立つ男の瞳の奥に、未だ光が見てとれたからだ。
「逆境にこそ燃えて輝くのが俺でね。まだまだ格好つける時間さ」
強がりにも似た態度で笑うアルスは、風に抗いながらも勝利のために頭を回す。
アルスの能力〈刻まれし呪い〉には七つの効果がある。
〝眼〟の呪符。
この呪符を額に付けることにより、同じ呪符から見える景色を共有することができる。
〝隠〟の呪符。
この呪符を身に着けた生物の姿を一定時間消すことができる。
〝痺〟の呪符。
この呪符に触れた生物に電撃を流し、肉体を硬直させることができる。
〝釘〟の呪符。
この呪符が付けられた対象に杭を打ち込むことができる。
〝硬〟の呪符。
この呪符が付けられた対象の硬度を上昇させることができる。
以上がこの訓練でアルスが使用した呪符の効果だ。
(⋯⋯残り二種類の内、ひとつはこの訓練で使用することはできない。もうひとつは逆に決め手になる。後はどうやって風の魔法を突破するか)
自分の手札。
相手の能力。
これらを照らし合わせながらアルスは作戦を組み立てていく。
(記憶装置を破壊することができるのは〝釘〟の呪符だけだ。けど、この呪符は他と違って貼り付けた後に発動するまでに数秒の時間が掛かる)
アルスの能力にもいくつか弱点と呼べるものが存在する。
まず、呪符にはそれぞれ生成できる枚数が決まっていること。
種類によって枚数は違い、〝眼〟の呪符は一度に百枚以上と多く生成することができるが、〝痺〟の呪符はせいぜい一日に十枚が限度だ。
さらに呪符の種類によっては発動するまでの時間、発射速度、耐久性などにも違いが生まれる。
今回の訓練で記憶装置を破壊するには直接素手で叩くか、〝釘〟の呪符を使う必要があるが、アルスの懸念は発動までの遅さをどうカバーするかという点にあった。
(仮にあの風を攻略して呪符を貼り付けた後、どうやって数秒稼ぐか。〝痺〟の呪符は限度を超えるからもう生成できない。⋯⋯やっぱりあれに賭けるしかないか)
ウィルドと対峙してすぐの事。
最後の〝痺〟の呪符を使用して記憶装置を破壊できなかった瞬間から用意していたとある策。だが、チャンスは一度だけだ。
覚悟を決めたアルスが、風を防いでいた方とは逆の手から一枚の呪符を生み出した。
刹那、彼の姿がウィルドの視界から消失する。
「またそれか」
姿を消す呪符。
奇襲にしか使えない、ただの初見殺しの能力。
ウィルドにとっては脅威とは程遠く、隠れたところで風によって攻撃は通じず、せいぜい逃亡にしか使えないはずだ。
まさか、と脳裏にアルスが逃げたのではという考えが過った時、ウィルドの周りに立つ大木の数々に太く大きな杭が打ち込まれた。
大木の下部を貫く杭。
フゥの記憶装置を破壊したものよりも何倍も大きいそれはいともたやすく木々を折り、計算されたかのように的確にウィルドへと一気に倒れ掛かっていく。
(いつのまに呪符を?)
自身へと倒れる大木に対し、ウィルドが考えていたのは呪符が貼られたタイミングについてだった。
だが、その答えは直ぐに思い当たる。
先ほど自分に対して放たれた呪符。全て風の魔法によって吹き飛ばしていたが、あの呪符の目的こそが大木に貼りつけることだったのだ。
恐らく全ての呪符にあの杭の効果が付与されていたのだろう。
そして、それらが通じず、風によって飛ばされることを想定していたのだ。
(邂逅時にも無意味に札を飛ばしていたが、全ては下準備だったという訳か)
抜け目のない男だ、と内心アルスを評価するウィルドだったが、この程度の大木を躱すのは訳の無いことだった。
自身が身に纏う風の出力を上げたウィルドが手を払うように動かすと、倒れ掛かる木々が浮き上がり、散らばるようにして飛んでいく。
遠くで次々にズシン、と重い音が空気を震わせるのを確認した後で、ウィルドが眼鏡の位置を指で戻した。
「この程度なら魔法でどうにでもなる⋯⋯」
と、そこでウィルドが気づく。
自身の操作する記憶装置に、一枚の呪符が貼られていることに。
「なっ!?」
いつの間に。
驚くウィルドは同時に理解する。
(まさか魔法の出力が上がった瞬間を狙ったのか!?)
魔法は魔力が残る限り常時発動することができる。
そのため、ウィルドが身を守るための魔法を解いたわけでは決してない。
だが、魔法師もひとりの人間だ。機械ではない。
常に魔法を発動させているからとはいえ、その出力も一定とは限らないのだ。
特に、強い出力で魔法を使用した際にはほんの一瞬、使用していた魔法のバランスが崩れ、極端に弱くなってしまう場合がある。
つまり、この大木による攻撃はウィルドにダメージを負わせるためのものではなく、吹き飛ばすだけの出力を上げさせるため。次に纏う風の渦を、ほんの一瞬だけ弱めるため。その隙をアルスはついたのだ。
(ここまで魔法師の弱点を理解しているとは想定外だ⋯⋯!)
慌てるようにウィルドは記憶装置へと手を伸ばす。
魔法を操り、呪符を剥がそうとする。だが、
「悪いけどさせないよ」
背後から聞こえた声。
そして、背中に手を置かれる感触。
それらを感じた瞬間、ウィルドの視界は黒に塗り上げられた。
目を開けているというのにも関わらず、闇が視界を覆い隠す。
瞳の中を直接黒色で塗られたかのように、ウィルドの目からは光が完全に遮断された。
〝闇〟の呪符。
アルスの隠し持っていた切り札だ。
この呪符が付けられた生物の視界を完全に奪うことができる。
効果時間は約十秒。短い。だが、この瞬間においてはそれだけで十分だった。
視界を失った今、ウィルドは記憶装置に貼られた呪符の正確な位置を判断することができていない。
それ以前として、突然視界を奪われた人間はパニックとなり動きを止めざるを得なくなる。
たったの十秒。
その間、ウィルドの思考と体は完全に停止する。
――勝った。
アルスが今まさに〝釘〟の呪符を発動させようとした時、彼の傍に浮いていた記憶装置が縦に真っ二つに切断された。
「え⋯⋯!?」
愕然とするアルス。
そんな彼の耳に着けられた記憶装置からは、脱落を告げるリリィの声が聞こえだす。
『——報告。記憶装置の破壊を確認。〈月華の兎〉所属アルス。脱落!』
敗北を決定づける音声を聞いても尚、自身が脱落したことを受け入れられないアルスは、その場に立ち竦むことしかできなかった。
「見事だった。この訓練の脅威は間違いなくお前だった」
動かずにいたアルスに声を掛けたのは、自分を負かせた相手であるウィルドだった。
「特に最後の能力には本気で焦った。僕が魔法師でなければ勝敗は逆だったろう」
と、そこでアルスは信じられないといった様子で大きく目を見開く。
彼の目に映ったウィルドの瞳。
その色は未だ黒く塗りつぶされたままだったのだ。
「どうやって⋯⋯」
「魔法師に詳しいお前なら知っているんじゃないか? 優れた魔法師は精霊とマナを通じて意志を通わせる。所謂、無詠唱魔法だが、なにも通わせることのできるものは意志だけじゃない」
白い光を取り戻したウィルドは、眩しいと言ったように目を細める。
その間、アルスはひとつの答えに辿り着いていた。
「精霊と視界の共有⋯⋯!」
「そういうことだ。できる魔法師は限られているがな」
魔法師は精霊からマナを供給され、それを魔力と練り合わせることによって魔法を創り出す。
その際、優れた魔法師はマナを繋がりとし、意志を通わせることで詠唱を破棄して魔法を使うことができる。
理屈はこの無詠唱魔法と同様だ。
マナを繋がりとして意識を超え、精霊たちの見ている視界を共有することができるのだ。
これは高等技術である無詠唱魔法よりもさらに難しく、その域に達した魔法師はこの世界にそう何人も存在しない。
ウィルドは凄腕の魔法師だ。
対峙した瞬間からアルスにもわかっていた。わかっていたが、これ程の魔法師だとは思いもしなかった。だからこそ、知識として知ってはいたものの、精霊と視界を共有できるという可能性は頭から完全に抜け落ちてしまっていた。
「格好良すぎだろ。俺より少し年上だとは思うけど、まさかそんな域に達していたなんて」
負けた理由を知ったアルスは、どこか清々しい面持ちだった。
単純に格の差が違う。
流石は〈六昇星〉といったところだろう。
「終わってみれば手も足も出なかったよ。もうちょいやれると思ったんだけどな」
「十分だ。僕をここまで追い詰めたんだから。〈月華の兎〉にもお前のような男が居ると知れて良かった」
アルスの肩に優しく手を置いたウィルドはそのまま歩き出すと、しゃがみ込みながら何やら一方的にフィトへと話し続けるオルティシアへと近づいた。
「オイ、こっちは終わったぞ」
「そう、お疲れ様ウィルド。アタシもこの子猫ちゃんと話していたところ。ふふ、見てよウィルド。本当に可愛いよこの子。小っちゃくて弱くって、ずっと守ってあげたくなる」
オルティシアは嬉しそうにして、座り込んで動かないフィトの頭を撫でている。
一方のフィトは先ほどよりも顔色を青くし、口をパクパクと小さく動かすばかり。何やら寒い、痛い、可愛くない、などと呟いている気がする。
「いい加減にしろ。本当に死ぬぞそいつ」
「わかったよ。デザートは最後にとっておかなくっちゃね」
名残惜しい様子で指を咥えるオルティシアは、ようやく決心したようで、フィトから記憶装置を取り上げると、片手で粉々に握りつぶした。
『——報告。記憶装置の破壊を確認。〈月華の兎〉所属フィト。脱落!』
リリィの報告を聞き終えた後、ウィルドがオルティシアへと尋ねた。
「残りはひとりだけだが、お前はどうする?」
「アタシはオーロラたちと合流するよ。そろそろアタシに会いたくって仕方なくなっている頃だろうし」
「そうか。僕は時間まで魔獣でも狩るつもりだ」
踵を返して歩き始めるウィルド。
そんな彼の背にオルティシアが声を掛ける。
「もうひとりと戦わなくていいの?」
「十分だ。それにデビラの話を聞いた限り、最後は良くてもメモリー使いだろう。僕が戦うまでも無い」
話を切り上げたウィルドは森林の奥へと姿を消した。
「本当、魔法師と強い相手にしか興味がない人。アタシも選り好みしているから人の事は言えないけれど」
ウィルドの消えた森林を見つめた後で、オルティシアも逆の方向へと歩き始めた。




