第19話 合同訓練⑨
時刻は正午。
頭上高くから照り付ける日差しが熱く感じ始めた頃、額に流れる汗を振り払ったフィトが苛立つように叫んだ。
「何が起きてるんですかコレは!? もういい加減にしてください!」
火照る目を大きく見開くと、フィトに向かって鏡の破片が飛来した。
六角形の薄い破片。
空を切り裂き、キラキラと眩しく光を反射して回転するそれを、フィトは顔を逸らして回避する。
別段脅威は無い。
速度も危険性も無い。
だからこそ、時折挟まるこの攻撃をフィトはどうしても鬱陶しく感じてしまう。
冷静になるよう努めるフィトであったが、そんな暇がないことはわかっていた。瞬時に体を翻した彼女は着地を決めると、先ほどまで自分が立っていた場所を見た。
手刀を振り下ろしたひとりの女性。
その手は鋭利に煌めいており、地面と手に挟まれた一枚の木の葉がスッパリと綺麗に切られていた。
距離を取るべくフィトが一歩下がる。
だが、その背後には既に手刀が迫っていた。
気配と勘。
フィトが感じた危険信号は瞬時に全身を巡り、反射に近い動きで咄嗟に屈んで回避する。
直後、ヒュンッ、という軽い音がフィトのフードを掠めた。
追撃を恐れ、低姿勢のまま左に飛びのくが、次は頭上から手刀が降る。
回避が間に合わない。
そう判断したフィトが右手に魔力を流し込むと、防御の体勢を取った。
フィトの魔力と鋭利な手刀がぶつかり合う。
皮膚が切れる痛みを感じながらも、防御に成功したフィトが力任せに相手を押し返した。と、同時に、再び彼女に向かって鏡の破片が放たれる。
「ッ⋯⋯あぁもう!!」
怒りに身を任せて振るった拳が破片を粉々に砕くが、無傷というわけにもいかず、フィトの手の甲からは痛々しく血が流れ出した。
もう何度目の攻防だろうか。
フィトがうんざりするように顔を上げると、そこには四つの影が立っていた。
金色の渦巻く髪と、青いワンピースをはためかせた女性。
鏡の能力者であるオーロラが、四人に増えてフィトの前に立ちふさがっていた。
四人全てが同じ容姿だ。
同じ見た目の四人がフィトを囲い、同じように手刀を振り回し、その隙をついて破片を飛ばしてくる。
これもオーロラの能力によるものなのだろうが、疲れと苛立ちのせいで、その仕組みを考える気などフィトにはさらさらなかった。
「ずいぶん疲れているようですわね。そろそろお諦めになったらいかがですか?」
優雅に、そして華やかに、オーロラが提案した。
彼女にとって悪気はなく、ただのお喋りのつもりだったが、今のフィトが行動に移すには十分すぎた。
「諦めるわけありません! 今からボクがぶっ飛ばしてやりますよ!」
足に魔力を込め、大地を蹴り、フィトが一体のオーロラに接近する。
「出力三十パーセント⋯⋯〈激破〉!!」
魔力の込められた拳がオーロラの腹部に命中する。
だが、フィトの手に伝わったのは、人間の柔らかな肉を貫く感触ではなく、薄い氷に触れたかのようなものだった。
パリン。
と、割れるような音がしたかと思うと、オーロラの姿が砕け散る。
本物のオーロラではない。それは彼女の姿を映し出すかのように、鏡の能力によって生成された分身体のひとつだった。
フィトはしまった、と後悔したが遅く、割れた鏡の中心部から白い光が反射した。
白い拳のように輝くそのエネルギーは真っすぐにフィトへと向かうと、彼女の顔面へと勢いよくぶつけられた。
脳が揺れ、意識が吹き飛びそうになる。
魔力を纏い防御をするも、その衝撃は凄まじく、フィトの体は倒れて地面を転がった。
「うっ、ッゥ⋯⋯。やっぱりボクの拳は効きますね」
顔を押さえてフィトが体勢を起き上がらせると、背後からリオティスの怒号がぶつけられた。
「バカかお前!? あの分身に攻撃したら反射されるって知ってるだろ! もう二回目だぞ!!」
「う、うるさいです! ムカついたんだからしょうがないじゃないですか!」
フィトが反論しようと振り向くが、そこに立っていたリオティスはこちらを向いてはおらず、ただ目の前の敵に集中していた。
「アハハ! 焦ってるじゃん! ほらほらさっきまでの笑みはどうしたぁ!」
リオティスの真正面から嬉々とした声が上がる。
咄嗟に振り降ろしたリオティスの短剣が、デビラの装着した手甲鉤とぶつかった。
甲高い音と共に互いのメモリーが弾かれるが、デビラには関係ない。逆の手に着けられた手甲鉤をリオティスに向かって突き刺した。
宙に浮かぶ記憶装置へと向かう鉤爪。それを阻止するように、真横から剣戟が振り降ろされた。
受けるデビラの手に重みが伝わる。
甘い痺れを味合うようにして動きを止めたデビラは、剣を振るった相手を見た。
「ウチを止めるとか結構やんじゃん」
「ぐっ⋯⋯」
デビラからの称賛に、ティアナは唇を噛んだ。
全力で振るったのにも関わらず、デビラには余裕があった。
まるで意に介さないその態度も、手に伝わる感触も、徐々に押し返されていく力も、全てがそれを物語っていた。
「余所見してんじゃねェよ!」
ティアナが作った僅かな隙に、リオティスが短剣を構えた。
狙いは当然記憶装置だ。
だが、所詮はデビラが許しただけの隙。瞬時に彼女はティアナから受けていた剣を弾き返すと、リオティスが短剣を振るうよりも早くに悠々と後方へと退いた。
剣ごと押し返されたティアナはバランスを崩し倒れるが、そのことにすらデビラは興味が無いようで、爪先で自身の髪の毛をクルクルと弄り始める。
「なーんか、そろそろって感じ。最初は驚いたけど、結局はこうなんだよね」
結果は見えたと言わんばかりの態度。
だが、それはデビラでなくともそう思うだろう。
フィトはオーロラの分身に対し防戦一方で、心身ともに追い詰められつつある。そして、リオティスとティアナに至っても、デビラの攻撃を崩すことができずにいた。このままでは全滅するのも時間の問題だ。
リオティスは一縷の望みをかけて、先ほどから背に守っていたアルスへと訴えかける。
「オイ、アルス! せめて呪符で援護しろ! お前を守りながら戦うのも限界だ!」
「いやマジでレディには使いたくないんだって! 俺の信念に反する!」
情けなく両手でバツマークを作るアルスに、リオティスは溜息を返すことしかできなかった。
「⋯⋯もういい。ったく、どうしてこのギルドにはバカしかいないんだ」
「言っておくけど私は違うわよね? 私は馬鹿じゃないわよね? そうよねリオティス?」
何故か強い反応を示して袖を引いてくるティアナを無視し、リオティスは状況を打破するための方法を思案する。
(アルスは戦力外。ティアナも人工のメモリーじゃ相手にならない。お漏らし野郎は⋯⋯まぁ頑張ってる方か。回避に専念しているとはいえ、記憶者ひとりを相手にしてるんだしな。だが状況は最悪。タロットが脱落してから時間が過ぎてるのもマズイ)
タロットが脱落した、というリオティスにとっては信じ難い知らせが届いてから、既に十分は経過していた。残されたレイクとルリの脱落は決定的だろう。
時間を掛けても負け。
そうでなくとも勝ち筋ひとつ見えない。
ならばどうするのが正解か。リオティスは考えた末にひとつの結論に至った。
「オイ、アルス。今からお前を逃がす。お前はレイクたちと合流しろ」
「合流って⋯⋯そりゃ能力で大体の位置はわかるけど、大丈夫なのか?」
自分が居なくなっても大丈夫なのか。
そういった意味を含んだ問いかけに対し、リオティスは即答する。
「当たり前だろ。お前がいてもいなくても変わらない。なら、せめて戦いだけに集中したい。それに、レイクたちの方になら少なくとも男がいるはずだ。だったら戦えるんだろ?」
「あ、あぁ。それはそうだけど」
何故か未だに納得していない様子のアルスの胸を、リオティスは乱暴に手で押した。
「いいからいけ。逃げる間は攻撃を防いでやる」
「⋯⋯わかった。気を付けろよリオティス。ティアナちゃんとフィトちゃんも。⋯⋯マジで役に立てなくてごめんな」
申し訳なさそうに頭を下げた後で、アルスはリオティス達とは正反対の方向へと走り出した。
「うわ、今更分かれるの? メンド」
デビラが口をへの字に曲げる。
だが、判断は早かった。すぐ様にアルスを止めるべく走り出そうとする。
「ティアナ!」
「わかってる!」
リオティスの声が発せられた瞬間、ティアナはデビラへと剣を振るった。
簡単にそれを避けるデビラだったが、目の前に立ちふさがったティアナのせいで、アルスに追いつけないことを悟ってしまう。
「⋯⋯本気出せば別だけど。それは可愛くないよねー」
デビラはひとり笑うと、フィトと戦っているオーロラへと視線を向けた。
視線に気づき、オーロラもデビラを見る。
二人の目と目が合う瞬間、オーロラは力強く頷いた。
「〈鏡の国〉」
分身がフィトの相手をしている隙に、オーロラは身近に浮かばせていた五枚の破片をアルスに向かって飛ばした。
同時に放たれた破片がアルスを捉え、彼の記憶装置へとぶつけられる――その瞬間だった。
「やらせねェよ」
いつの間にか移動していたリオティスが、アルスに向かって放たれた五枚の破片を短剣で全て砕いた。
背後で繰り広げられる戦いに、アルスが思わず立ち止まりそうになるが、それをリオティスの声が制す。
「行けよアルス。それと、お前が頑なに女と戦わないのには理由があるんだろ? だから謝るな」
「リオティス⋯⋯」
力強く、優しいリオティスの言葉。
それを聞いたアルスにもう迷いは無かった。
記憶者の力に身を任せ、向上した身体能力によって、アルスの姿は気が付くとあっという間に見えなくなっていった。
「さてと。こっからどうすっかな」
アルスが無事に離脱したことに安堵したのも束の間、絶望的な戦力差は変わらない。
リオティスが短剣を握りしめ、状況を打破するための一手を考えていた時、傍の茂みが静かに揺れた。
「オイオイ、マジか」
つい苦笑いがリオティスから零れる。
茂みから現れたのは一頭の黒い虎。
全長は三メートル程。黒い皮膚を守るようにして、より黒く禍々しい鉱石を身に纏い、漆黒の瞳を獲物へと向けている。
ジリジリと。
様子を伺うように歩みを寄せる魔獣は、獲物の数を把握するや否や、激しい咆哮を放った。
「ガァァッ!!」
大きく、耳を貫くような鋭い音。
魔獣にはよく見られる威嚇行動だったが、この咆哮は違った。
空気を振動させ、肉体の奥へと浸透し、骨を軋ませる強い衝撃波。
この場にいる全員が耳を塞ぎ、耐えるようにして動きを止めていた。
デビラは痛みに眉を顰め、オーロラが作り出した鏡の分身は形を保つことができずに砕け散る。
だが、この魔獣の出現という偶然こそが、リオティス達に勝機を見出した。
「フィト! ティアナ! 動け!!」
魔獣の咆哮に負けじと放たれたリオティスの叫びに、フィトとティアナが同時に動く。
剣を振り上げ、拳を握る。
ティアナとフィトは未だ動けずにいる相手へとそれぞれ攻撃を繰り出した。
「ちょっ、マジすぎ⋯⋯!」
デビラが驚くように目を見開くがティアナは止まらない。
記憶装置を狙う剣先を防ぐようにして、デビラは右手を払った。
間一髪攻撃を防ぎきると、デビラは横目でオーロラを見る。
彼女もフィトの攻撃に回避することしかできず、気が付くと状況が一変していた。
「⋯⋯意味不すぎ。このタイミングで仕掛けるとか、もうちょい空気読みなよ」
「悪いわね。私たちは必死なの」
呆れたようなデビラに対し、ティアナは目一杯の力を剣に込めながら口角を上げる。
その様子を見て、デビラも釣られて笑みを零した。
「はっ、バッカみたい。どうせ勝てないのに。でもそーいうの嫌いじゃないよ」
デビラは右手に力を込めると、いとも簡単にティアナの剣を弾き返した。
よろめく体。
無防備な体勢を晒したティアナは焦るが、彼女の前に立つデビラの標的は既に変わっていた。
「〈魅惑の唇〉」
デビラが爪先を唇にそっと触れさせると、桃色の光がメモリーを包み込んだ。
右手の手甲鉤に広がった靄のような光を人差し指に集約させ、デビラはそれを銃口のようにして魔獣へと向けた。
「青い髪の男を狙え⋯⋯バン」
デビラの声を引き金に、人差し指から淡い桃色の弾丸が発射される。
狙いは魔獣の体。
一瞬にして着弾した弾丸は、魔獣を貫くことも無く、水面に落ちた石のように桃色の波紋を広げた。
その薄っすらとした光が全身を包み込んだかと思うと、突如として魔獣がリオティスへと前足を振り上げる。
「俺狙いかよ」
リオティスはメモリーで攻撃を受ける。
だが、鉱石に守られた硬い前足が短剣の刃に触れた瞬間、リオティスの体は発生した衝撃波によって吹き飛ばされた。
木々に呑まれて消えていくリオティスを追いかけるように、魔獣も走り出す。既に魔獣の興味はリオティスにしかなく、他の獲物は眼中に無いようだった。
「どう? ウチの能力。素敵っしょ」
ようやく体勢を立て直したばかりのティアナへと、デビラが可愛らしくウィンクを飛ばす。
「魔獣を操る能力⋯⋯確かに強力ね」
「魔獣だけじゃなくって動物もいけんだよね。ホラ、さっき逃がした記憶者の札あんじゃん。視界増やすやつ。アレもウチが操った動物たち配置して邪魔してたの」
どこか自慢げなデビラの言葉に、ティアナも思い出す。
アルスの能力で生み出された呪符で辺りを警戒していたのにも関わらず、奇襲を受ける距離までデビラに近づかれてしまっていた。その理由は、アルスとフィトが偵察していた時、呪符の前に鳥などの小動物が居座り邪魔となっていたからだが、あれもデビラの能力によるものだったのだ。
「これで青髪君はしばらく戻ってこれないっしょ。詰みじゃんね」
「まだまだ勝負はここから⋯⋯」
と、ティアナが諦めずに戦おうとした時、背後から何かが勢いよく転がる音がした。
「イテテ、やっぱりあの分身反則です!」
ティアナのすぐ足元まで転がってきたフィトが、頭を押さえながら立ち上がる。
彼女の前には、三人の分身を引き連れたオーロラの姿があった。
「勝負ありですわ。大人しく降参してください」
オーロラの敗北を促す言葉に対し、もはやフィトに怒りを抱く気配は無かった。
何故なら事実だから。
圧倒的な実力差。当初予定した人数の有利も無い。誰がどう見ても勝ち目など有るはずも無かった。
だが、それでも微塵も諦めていない二人の姿がそこにはあった。
「ティアナ。ボクに考えがあります。手を貸してください」
「流石ね。それじゃあその策を聞かせてくれるかしら?」
絶対的な強者を前にしているのにも関わらず、互いに背中を預け合うティアナとフィトは楽し気な笑みを浮かべていた。




