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女騎士と良いオークが旅をする話 その3

一区切りです。

 ビビが敵地の偵察から戻ってきた、その翌日の朝。

 彼とアデーレの二人は、村の東側に広がる常緑樹の黒い森を、かすかな獣道に従って奥へ奥へと踏み入っていた。

 暗くうっそうとした木立の凝集と叫び声のような怪鳥の断末魔とが、朝の光のぬくみを拭い去っていく。夏の軽やかさはまるですっかり澱みへと追いやられてしまったようだった。

 もちろんかつてより、森は人々にとって畏怖すべき空間でもあった。そこは獰猛な狼が徘徊している場所であり、魔女が住んでいるのだと噂されたことさえある。

 けれども一方で、この森は村の人間にとって大切な場所でもあった。家畜の放牧場としても利用されていたし、豊かな材木を採ることのできる場所であったのだ。

 みな、この暗い森を静かに畏れながらも、同時に確かな恵みをも享受していたのである。

 それが長きに渡る里と森との関係であり、これからも連綿と続いてく営みであろうと、誰もが思っていた。

 だが。

 今となっては、この場所にはただひとつの意味しかない。

 得体の知れぬ畏怖も、手で触れられる恩恵も存在しない。

 一様で、具体的で、生々しい本当の『恐怖』。その象徴としての森。

 いまやこの森林はすなわち、『オークの砦がある場所』、ただそれだけを意味するのである。

 細く曲がりくねった道を歩く二人はやがてしばらくの後、目的の場所へと無事に辿り着くことができた。

 ふと突然少しだけひらけた場所が現れたかと思えば、周囲の木々を材料に作ったのであろう背の高い城壁のそびえたっているのが見えた。いったいどれほどの広さであるかは、視界を木立に遮られているので推測することが出来ない。

 地上から確認できるのは砦の門と、それを守るオークの兵士がひとり。

 見ればその門はかなり簡素なつくりであり、馬が一頭通れるか否かといった具合の小ぶりなものではあった。しかし、下ろされた門扉の格子の先端には黒ずんだ鋼鉄のやじりが取りつけられており、訪れる者をはっきりと拒むような殺意をむき出しにしている。

 「昨日ここを訪れたとき、話を通しておきました」

アデーレに向けてぼそりと呟いてから、ビビは門番のオーク兵に歩み寄っていった。すると、二人にずっと怪訝そうな目を向けていた門番オーク兵がしわがれた声で尋ねてくる。

”誰だよ、お前らは”

獣人語である。アデーレには一言も聞き取ることはできないが、ビビはそれを話すことができる。

”話は通っているはずだぜ。商人が来ると”

”ああ、お前が”

と、兵士は腰にぶらさげた剣から手を離して、まずは視線をビビへ、そしてアデーレへと向ける。オークの目は一般的に深い眼窩に落ちくぼんでいてどこを見ているのか簡単には分からないが、彼は大仰に首を回してじろじろと見つめてくるので分かりやすい。

 アデーレはその視線にただならぬ不快さを感じながらも、毅然とした態度を保ったまま眼差しを返した。

”良いオンナだ。こいつが奴隷か?”

”そうだ”

 兵士が、彼女のことを気にかけるのは無理もない。いま、アデーレの姿はまるでみすぼらしい奴隷のものへと変えられてしまっていたからである。そもそも軽装の彼女であったが、さらに布を絞って扇情的な格好をしている。門番はすっかり気を良くしていたようだった。

”後でみんなで好きにしてやるぜ”

言葉は通じようもないが、汚らしい笑みを向けられたことだけはアデーレにも分かった。

「後で殺す」

思わず口にした言葉は兵士へと向けたものかそれとも隣の彼へと向けたものか。ビビは彼女の首輪から伸びる鎖を握ったその手に、冷たい汗が噴き出していることを意識せざるを得なかった。やりすぎたかもしれないと早くも後悔の念が湧く。

”んじゃあ通りな、へへ”

門番の手によって木製の巻取り機がゆっくりと回された。歯車がガチンガチンと歯を鳴らし、重い格子が獣の唸るように軋みながら上げられていく。

 アデーレたちはいよいよ、薄暗くて草いきれのする、むわりと蒸し暑いその砦の中へと入っていった。


 息をするたびに肺を蝕んでいくような湿度と熱気、そして異臭。糞尿と酒精と、吐瀉物と燻製の煙とが入り混じって、森の清澄な大気は砦の中ですっかり不浄の瘴気へと変えられてしまっていた。

 しかしながら、オークたちはいかなる環境でも不快に感じることはなく、屈強なまま過ごすことが出来るとアデーレは聞いていた。いっぽうで村のさらわれた人々がこのような場所に閉じ込められているとすれば、長くは保たないだろうとも思う。

 案内役に連れられて、薄暗くて細い砦の中の通路をどんどん行く。途中の部屋では数人のオークらが宴会を開いていたり、遊戯に興じていたりする場面を見ることができた。かれらは鎖に繋がれたアデーレの姿をちらと見ただけで、すぐに深いしわを歪めて笑った。このような場面は日常茶飯事なのだろう。今すぐにでもこの偽りの手錠を外して殴りかかってやろうかと思うアデーレではあったが、それでは作戦がままならない。暴走する念を必死で抑えきらねばならないのだった。

 そう、作戦。

 これはビビの考案した計画であった。計画と言ってもごく簡単なもので、アデーレを嘘の手錠で縛り、ビビが奴隷商のふりをして大将のところまで潜入するというものである。もちろん、前日にビビが調査して情報を得ていたために、そして、彼がほぼ完璧な変装を行っていたために可能となった戦略である。

 「ちゃんと北方方言を再現してありますから」

 というのはビビの言である。この砦のオークたちはみな北方から落ち延びてきた者たちであるから、北方で活躍している奴隷商たちになりすますためにはやはりかれらの言葉を使う必要があった。彼はそれを再現してみせたのだ。そのおかげもあってか、警戒の雰囲気はまったくなかった。もちろん、そもそもかれらとてオークと人間が手を組んでいるなどとはつゆほども思っていないはずであった。

 そうやって誰にも怪しまれることなく、二人はこの砦の大将であるというオークの部屋まで辿り着くことができたのである。


 この砦の主が構える部屋は砦の中央の塔、それも上層に位置した部屋であった。小さな窓がいくつか付けられており、他の場所よりはいくぶんか明るい。その窓も有事の際には矢窓として機能するのだろう。オークたちは大将も自ら戦うというのが流儀であるから。

 ”将軍、先日お話した奴隷を連れてまいりましたぜ”

と、ビビは告げる。

 彼が将軍と呼んだ砦の総大将は、部屋の奥に据えられた豪奢な椅子にどっかりと座っていた。木と粗鉄でできたこの砦に似つかわしくない聖教調の精緻な装飾からかんがみるに、その椅子も恐らくは里からの略奪品なのだろう。手すりに彫られている聖人を模した金細工を太い指でいじりながら、将軍はビビに声をかけた。

”ご苦労だった。報奨もはずもう”

”有難き幸せ”

大将は尊大な態度を保ったまま、ニタニタと笑う。

 オークの見た目というのは、人間にとって違いが分かりづらい。アデーレも初めはビビとその他のオークの区別がつかなかった。しかしよくよく見ると耳や鼻の形がすこしずつ異なっているし、声の震え方もまちまちである。それはビビと長く旅をしなければ分からなかったことではあるが。

 そんなアデーレから見ても、この将軍というのは他のオークとはたたずまいが違った。オーク社会は厳格な縦社会であるというから、上に立つ者は部下より常に偉大である必要があるのだろう。

 将軍の椅子の左右には側近であるという兵士が控えていて、それぞれ手に抜身の剣を持ったまま直立していた。かれらもまた、他のオーク兵とは身にまとう空気が違っていた。重い首を支える背筋もぴんと伸び、両足は醜く曲がることなく大地にまっすぐと突き立てられている。

 ビビの言う『恐れるべき実働部隊』とは、自身が有能な兵士であろう大将と、そしてこの二人の近衛兵である。かれらを倒しさえすればこの砦は攻略できるというのがビビの目算であった。他の兵たちは明らかに練度不足で、数不足である。百戦錬磨のアデーレと、そしてビビの敵ではないだろう。

 ”さあ、こいつが献上いたします奴隷です。御覧ください”

ビビはアデーレの首輪の鎖を引っ張って前へと出した。この部屋へ来てからずっと両膝をついていた彼女は前へつんのめる形となる。

”上物ですぜ”

”確かに、美しい奴隷だ。おれの部下たちも好みだろうな”

ビビの会話によって大将が油断した隙をついて、アデーレは鎖をほどいてビビから魔法の短剣をもらい、乱戦へと入る手はずだった。

”それで、報酬ですが、いかほどで?”

”さて、どうしたものかな。いくらがいい?”

”もちろん、将軍の慈悲深きお気持ち次第でございます”

”ほう、それはそれは……”

そうやって下手に出るビビであったが、機会は伺い続けていた。この部屋の広さから言って、これ以上の兵は潜んでいないだろう。乱戦となったら出入口に一番近いビビがそれを封鎖し、大将と側近を倒してからは自分たちの得意な戦術によって砦の細い道を切り開く予定である。

 しかし。

 ビビは大将やその側近が気を緩めるのをじっと待っていた。これは商いの交渉であるから、どちらかがなにか動かない限りは話が進まない。それなのに、商人であるビビが色々と話題を投げかけても、一向に商談は進まないのだ。将軍はのらりくらりと話題を避けつづけ、ずっと貼り付けたような笑みを続けるだけ。

 さすがにこれはおかしいと、ビビが思い始めた時のことであった。

 ”お前は素晴らしい商人だ。こんな美しい奴隷を連れてこられるのだからな。しかし、こいつは残念ながらおれの趣味には合わない”

”とおっしゃいますと?”

”覚えておけ。おれは『あばずれ』が嫌いなんだ”

と言って、大将は右足で地面を、ドスン、と踏み鳴らした。

 それを皮切りに、部屋の空気が張り詰める。なぜなら、部屋の左右の壁にかけられていたタペストリが、突如ふわりとあげられて、そこから黒くぬらりとした凶弾の煌きが顔をのぞかせたからである。

 弩だった。

 ”密偵がいましたか”

ビビはすぐに事態を察した。時間も短くそうそう暴かれるべくもない今回の作戦である。おそらく、話がどこからか漏れていた。見当をつけるならば、例えば……

”あの村は全ておれの支配下にある。宿屋の主人とはちょっとした『互恵関係』にあってな。奴もそれなりに儲けてるんだ”

やはりか、とビビは自らの洞察の至らなさに歯噛みした。情報を収集していた宿屋の彼は、オークたちと『組んで』いたのだ。

”お前も人間と手を組むたぁ、たまげたもんだな。しかもオンナと”

ここで初めて、貼り付けたような笑みではなく、感情をむき出しにしたかのようにして唇を歪める大将。そして、

”そいつもお前の奴隷か?”

ビビはその嘲りに眉をひそめる。

”どうやら北方王国の誇り高き剣士も、堕ちるところまで堕ちたようですね。わたしの知る彼らはもっとオークなりの矜持を携えていたものですが?”

”好きに言うがいい。お前たちの命はもうないのだからな。まあ、その女は捕えて好きにしてやってもいいが、いずれにせよ死ぬ運命だ。だが……”

と言うと、将軍は少しだけ首を傾げる。

”助けてやってもいい。どうだ、お前、ビビとやら、おれと一緒にやらないか? 頭のキレる奴が欲しいと、そろそろ思っていた頃合いだ”

そして、

”こんなところで死ぬのも勿体無いだろう?”

”お言葉ですが将軍、そんな弩ごときでわたしが殺せるとでも?”

ビビは大将の言葉には応じずに言った。実際、弩兵程度が増えたところで、二人が止められるとは思わなかったからだ。しかし、大将は余裕を崩さない。彼はこう続けた。

”そうだ。弩でお前たちを殺せる”

”なぜですか?”

”ふ。なぜなら……こいつがあるからだ”

と、将軍の座る椅子の、裏側。影になっていたその空間から、『それ』が現れた。

 アデーレとビビは思わず息を呑む。

「それは……『聖遺物』か」

呟いた彼女の視線の先には、自然の造形物とも、あるいは人工の創造物とも明らかに意匠を異とする、『それ』があった。

 『それ』は、ずろり、と音を立てて転げ出す。

 大きさとしては小熊ほどのものではある。しかし、獣のように足があるわけでもない。強いていうならば、棒きれのような、あるいは大腿骨のような淡黄色の柱が七本生えている。それらは独立した動作で垢抜けない歩みを行っていた。まるで幼児のようにたどたどしいその有り様は、本来的にこの『聖遺物』が自律して作動するものではないことを示している。

「おそらく、里の『聖遺物』でしょう。アデーレさんはあれに覚えが?」

「ああ、あの見た目は知っている。こんな里の教会にあるとは思ってもみなかったが……あれは、」

”『聖セバスティアヌスの矢』。教会の人間はそう言っていたな”

大将は人間の言葉を解しているのだろう、アデーレの言葉を汲んでそう言った。

 彼女はその名を知っていた。『聖遺物』としては各地に伝わる比較的ありふれたものではあるが、その威力は絶大なものである。というのも、『聖セバスティアヌスの矢』は、兵器としては極めて有力な『聖遺物』だからだ。

”こいつから生み出される矢によってわずかでも肌を傷つけられたものは、ただちに死に至る。いかなる毒矢もこれには敵わないし、いかなる解毒剤も存在しない。村の戦士どもをこれで殺すのは簡単だった”

『聖遺物』は、木箱とも筋肉ともつかぬその胴体部分にぽっかりと開いた穴から、唾液をこぼすようにして黒くて細い矢を数本生み出した。側近がそれをつまんで拾い、大将へと手渡す。

”今はただの棒だが、これが弓から放たれればたちまち猛毒を放つようになる。お前がいかに屈強な戦士であろうが、かすめれば死ぬ。ほんのわずかでも、な”

ビビは生唾を飲んだ。実際に『聖遺物』を見たことは多いが、その矛先を向けられるのはそうある経験ではない。たとえありふれた『聖遺物』だとしても、だ。

”お前に生き残る手段はない。だから、おれに忠誠を誓うか、無様に死ぬか、だ。これに当たれば苦しんで死ぬ。おれと来れば、好きなようにできる。悪くないと思うが”

その矢に射られて死なないのは、神に祝福された聖人セバスティアヌスのみである。ビビは冷やりとした汗が背ににじむのを感じながら、アデーレの方を見る。すると彼女は視線で答えを返して、小さく頷いた。このような危機にもまったく淀むことない、確たる眼差しだった。

 ビビはそれで勇気をもらう。

”ま、誠に申し訳ありませんが将軍。わたしたちは教皇より賜った命をこなさねばならないのです。あなたと一緒にゆくわけには参りません”

”ふ、そうか。ならば、”

彼は左足を軽く踏んだ。そして、

”ここで死ね”

矢窓の兵士の息を呑む気配を感じる。ヒュ、と風切り音とともに、かつて聖人を突き刺したその矢がアデーレとビビへそれぞれ向かう。回避は不可能。オークの膂力によって強引に巻き取られた弩の弦から放たれる、いかなる剣よりも速く鋭い鋼鉄の毒矢が、必中の角度で二人へ襲いかかった。

 そうやって、決着はすぐについたかに思われた。

 矢は誰の目にも命中の軌道を描いていたからだ。

 だが、二人は死なない。どころか、未だに直立したままである。

 いや、そもそも矢はどこにも刺さっていない。

 「アデーレさん、行きましょう!」

「応!」

 二人は同時に動き出した。ビビは隠し持っていた魔法の短剣をアデーレへと投げ渡す。アデーレは手と首の枷を外し、臨戦態勢へ。

 実際には、二人は出入口のぎりぎりの場所まで下がっていたのだ。

 将軍の前へと出ていたのは、ビビの〈濃霧〉の魔法によって生み出された霧の虚像なのである。

 そう、彼、ビビ・トゥルーズはオークでありながら有能なる魔法の使い手だ。

 力を是とするオーク戦士の中にあって、最も異端にして最も高潔なるシャーマンの血筋を継ぐ者なのであった。

 訓練された弩射手の精緻な射撃があだとなり、虚像へと放たれた矢は部屋の隅へと虚しく突き刺さっていた。

 弩を再装填するには時間がかかるだろう。アデーレはビビから渡された短剣を右手に、裸足で地を蹴りながら将軍たちをめがけて臆することなく走りだした。

 戦いの火蓋が静かに切り落とされる。

 近衛兵も、事態の異様さに気づいた。ただちに剣を構え、アデーレの突撃を防ぐ。かたや右の兵は一歩前へ、かたや左の兵は一歩後ろへ。

 右の兵は鈍重そうな大剣を振り上げる。左の兵は刺突の構え。アデーレが右兵の剣を避けうる場所は左側か後ろかしかない。だが、彼女がそのいずれに行こうとも、待ち構えた左の兵に貫かれるだろう。

 それは完全に訓練された、最高の連携であった。

 アデーレは心のなかで二人の兵に賛辞を贈る。

 だが、それでは彼女は止められない。

 ――遅すぎるからだ。

「剣に蝿が止まるぞっ!」

アデーレは左や後背には引かず、姿勢を低く保ちながら敢えて右前へと大きく踏み出した。すなわち、左の兵士との間に右の兵士を挟む形で飛び込む。

 これで左兵は追撃ができない。既に軌道を定めていた右兵の剣は空を裂く。

 アデーレはちりちりと熱を持つ裸足の裏で大地を確かに掴み、真っ白な銀の短剣を構え、オーク兵の巨躯をめがけて飛び上がって、剣を薙いだ。

 近衛兵は身体をよじらせて避けるが、彼女の短剣の細い線はその首もとを捉えて逃がさない。

 つ、と白銀の粒子を飛ばしながら、彼の頸の血管が口を開けた。

 そのわずかなほころびをめがけて、短剣は、アデーレの中で活性化されたはちきれんばかりの魔力を乱暴に注ぎ込む。

 魔法の奔流は生体との接触により兵士の身体をめちゃくちゃに冒す。そしてただちに、彼は喉笛より血流をまき散らしながら、全ての身体機能を失って絶命する。

 血しぶきをあげてゆっくりと倒れゆく彼の身体の向こう側、左の兵は一歩後ずさり様子を見た。

 ここで、ようやく将校が事態の異常さに気づいて立ち上がり始める。玉座に座っている間に勘が鈍ったか。

 勝負は一瞬で決める必要がある。アデーレは右兵の身体を蹴り飛ばす。既に力を失っていた彼の身体は残った左兵の方へと飛んでいった。これを目眩ましにしながら左兵を仕留めるつもりであったが、彼は冷静だった。すばやい判断力で身をかわし、アデーレを彼と将軍とで十字に挟み打つ形に布陣した。

 やや不利か。

 アデーレがそう直感すると、横目に大将の剣のきらめくのが見える。さすがに速い。彼女はすんでのところで短剣にて受け止めた。粗雑な金属は生体と異なり活性魔力の伝導が悪い。アデーレの短剣のような特殊な魔法金属でできた剣でない限りは、それを魔力で焼き折るようなことは通常できない。

 そしてオークの腕力はたいがい人間の何倍もあるものだから、その重い剣撃にアデーレの手首が思わぬ方向へと曲がる。彼女の首が弾き飛ばされる身代わりとして、その手の短剣が遠くへと弾き飛ばされた。

 一歩飛び引く。

 だが、これは敗北への序幕ではない。

 紛れも無く、勝利への詰めなのであった。

 「ビビ!」

 彼の準備はほぼ完了しただろう。

 ビビは魔法の詠唱を終えていた。

 青ざめた閃光が、玉座の部屋を支配する。

 弩兵を含め、その場の全ての兵士の額の上に、聖教会の神聖なる文字でできた小型の青白い魔法陣が現れた。まるで複雑精密な歯車のようにして、陣の図形が不規則的で偏執的な回転を見せる。そして、

「御許し下さい」

というビビの懺悔とともにそれら魔法陣が点火。バチン、と言う破裂音とともに、陣よりの至近弾を頭脳に受けて兵士たちは血の霧の中に息絶えた。

 そうやって、ほんの数呼吸の間に、部屋にいたオーク兵たちは全て倒れた。

 たった一人、将校を除いて。

 ”……情けのつもりか”

ただ一人残された彼は少しもたじろぐことなく、そう問うた。

”いえ。将軍にはいくつか訊きたいことがあります。村で捕えた人たちの居場所と……そして、村の中であなたに味方する人間は誰であるかということです”

とビビは額に深いしわを寄せながら言う。

”ふ。村のオンナどもなら地下だ。まあおれは直接見てはいないから、どれだけ生きてるかは知らんがな。それに……味方だって?”

はっ、と嘲笑するようにして彼は続ける。

”村の人間は俺を恐れているから従っていただけだ。俺が死ねばもう誰もオークの味方なんて、せんよ”

”いいえ。その考え方は甘いです。金の動きがある以上は、あなたがやっていたそれはただの一方的な支配ではありません。協賛か、共謀です。放っておけば同じことが繰り返される”

それを聞いた将校は、静かに告げる。

”村で協力していた奴らは、酒場の店主と副差配人だけだ”

そして、立ち尽くしたまま、

”あいつらも殺すのか?”

”わたしたちは何もしません。決まりに従ってそれなりの処罰を受けることになるでしょう。判断はこの地の裁判権所有者が下すことですが”

真面目な口調でビビは言う。しかし、

”それは悪い冗談だな。いいか、オークはお前たちの敵だ。悪魔だ。だから、悪魔と取引した人間が許されることなんて、ない。せめて安穏な刑罰で殺されることを祈るぜ”

ビビは将軍の言葉にますます憂いを深めた。

”将軍、あなた、北方王国が落とされた時の詳しい経緯は存じませんが、悪魔が本当に悪魔になってしまってはどうしようもないではありませんか”

思わずそう述べてしまうが、これは将校を逆上させることになった。

”何がわかるというんだ? どうせお前は『良いところ』の出だろう。戦うしか能のない俺たちのことなんて、国王に見捨てられた俺たちのことなんて、何も分かるはずがあるまい”

そう言うと、彼はゆっくりとした所作で、右手の剣を正しく構えた。反射的に身をこわばらせるビビとアデーレであったが、様子が少しおかしい。

 アデーレは正中に剣を揚げたまま動かない彼の姿をじっと見た。幾多の流派を見てきた彼女の眼にも、それは確かに美しい構えに見えた。

 そして、将軍は彼女に向けてなにか言葉を放つ。

 それはアデーレにとって雑音にしか聞こえない獣人語ではあったが、しかし、確固とした意思の込められたものであった。

 彼女には直感的に、それが決闘の申し入れなのだとわかったのである。

 「アデーレさん。相手をする必要はありません」

「いや、ちゃんと訳せ、ビビよ。こいつが何を言っているのか」

ビビはためらうが、こうなったアデーレはもう一歩も譲らないであろうということをすぐに悟ったので、包み隠さずに言った。

「……彼は、『せめて最後の誇りをくれ』と、言っています」

「フ、村をさんざん虐げてきた割には最高の褒章を欲しがるんだな? だが、心意気や良し。私がこの手で誇りと裁きを与えてやろう」

そう言いながら、アデーレは死んだ近衛兵の腰から、細身の剣を取り上げた。それはオークにとっては補助の武器であったが、彼女にとってはちょうどいいくらいの大きさである。しかし、剣の金属はもちろん粗雑で、魔法の力は使えない。

 だからこれは、魔法を交えぬアデーレと将校との真剣な勝負なのであった。

「これだから、あんたら剣士っていうのは……」

呆れるビビではあったが、一応、彼女の死なないような工夫を用意していた。いっぽうで、なるべく邪魔はしないでおこうとも思った。これは、武士の道を解さない自分にとっては茶番なのだが、二人にとってはまさしく魂と存在の意義とをかけた誇り高き戦いなのであるから。

 ビビは自分の汚さを感じながらも、やはり彼にとっては誇りなどよりアデーレのほうが大切であったから、そうせざるを得なかった。

 もちろんそんな心遣いなど気づくべくもなく、アデーレは高らかに告げる。

 「来い、お前の最後で最高の剣を見せてみろ」

 その言葉を皮切りにして、将校は雄叫びをあげながら走りだす。



 二人の距離は一瞬で詰められる。将校は鋭い速度で剣を斜めに振るった。

 それは強い踏み込みであったが、同時に、アデーレにかろうじて……しかし魅力的な逃げ道をも用意している美しい剣筋であった。

 もしこちらが逃げ道に従って引けば、そこには確実な死の罠が待ち構えているはずである。命は無いだろう。

 だから、必ず敵の予知していない場所へと逃れなければならない。

 アデーレは、獣人にもこれほどまでの高度な剣術が成立しているのだということを知り、身震いした。その力強い突撃は人間にはない勇猛さをたたえている。自らの生命を慮らない軽率さは、しかしそれ自体が強力な剣でもある。

 彼の剣筋はあまりにも速く重い。先ほどのように紙一重で走り抜けることもできないだろう。加えてこちらには鎧も盾もない。受け止められるものは己の肉体のみ。

 もちろん、身体で受ければ即死である。

 「ならば」

 そのまま受けて流す。

 そして、薄皮を切るがごとく剣筋を逸らす。

 それはアデーレほどの練達のみが用いるのことのできる、命と命の無機質なやりとりを受け入れた者のみに許された、極限の剣術である。

 彼女の、将校へ向けて突き立てた刀身を沿って剣筋は猛烈な勢いで斜めへ流れていく。わずかでも手を滑らせれば、無残な結末を迎える際どい道筋だ。

 だが、避けきった。

 続けてアデーレは反撃の構えを取ろうとするが、すんでのところで予感を感じ取って手を止めた。

 そして気づく。

 この攻撃はまだ終わらない。

 なんと将校はその怪力でもって、振り下ろされるはずの剣の流れを拾い直したのである。

 そして、人類には到達不可能であろう、二撃目がきらめく。

 彼女は必死で最短の道筋を通って、また剣を斜めに立てる。線は滑る。鉄と鉄とが火花を散らすかのようにざりざりと交錯する。

 剣筋はアデーレの髪をわずかに掠め、空を裂き、通り抜けた。

 ……が、まだだ。

 血も凍るような恐るべき猛攻の気配を感じ、彼女は剣を手放す覚悟をした。連撃もそれが最後であり、それさえかわせば次はないはずだと信じた。剣を握る力は最小限にする。握りこみは緩く、手の位置も柄から少し距離を取る。それらがかろうじてできる最小の対策。そして、

 ……三撃目!

 アデーレは幾ばくか力の失われたその最後の剣撃を流すことなく受け止めた。

 そして同時に、跳躍する。

 鈍化していたとはいえ猛烈な速度で叩きつけられた剣はすんでのところで足先を掠め、苛烈なる撃力で以って彼女の剣を叩き折った。だが、アデーレはたわむ剣からの撃力も振動も受けない。

 彼女の転がり込んだ先には兵士の死体、その腰からもう一本の長剣を引き抜く。

 そして、また咆哮が轟いた。

 彼の雄叫びである。

 四撃目。

 アデーレをめがけて飛んでくるその荒々しい太刀筋は、叩き折った剣の振動が残る粗雑なものであった。

 彼の魂の衝動が込められたその剣をかすめながら、アデーレは地を蹴った。

 駆けた。

 そして切り抜けた。

 最後の隙を見出す。力強く剣を引いて、将校の無防備な顎へと突き立てる。

 オークの分厚い皮膚の中でも、そこはなんとか薄い。ぶちぶちと肉を引き裂く音を感じながら、彼女は全霊を込めて突き上げる。

 細い鋼鉄は将校の口腔、そして脳髄を貫き、頭蓋の内側で止まった。

 「せめて安らかに眠れよ」

 アデーレはそう告げると、長剣をゆっくりと引き抜いた。抵抗のない将校の身体はしばらくびくびくと震えながら立ちつくし、やがて開けられた穴より体液を漏らしながら、脱力したまま崩れ落ちた。

 決闘は、アデーレの勝利で終わった。それ以上なんらの言葉を交わすこともない。

 勝者は去り、敗者は朽ちていくのみであるから。

 一連の戦いの様子を固唾を呑んで見守っていたビビが、ようやく声を上げた。

「……毎度のことですが、あなたの行動にはひやひやします」

「まあ、そろそろ慣れろ」

べたつく髪を少しだけ払って、アデーレは一息を吐いた。


 ……


 二人の手によって総大将を失った砦のオーク兵たちは、みなただちに降伏した。もし降伏がなかった場合にはビビの魔法が活躍したことだろうが、彼自身無駄な殺生は避けていた。

 オークたちはそのまま捕縛するのが通例であるけれども、しかし、ビビはそうしなかった。

 ”ここより更に南方を行って、川を渡ればオークも受け入れる自由貿易市があります。そちらへ行きなさい。ここよりはいくぶんかましなはずです”

と言って、彼はすべての武具を取り上げたのち、いくらかの物資と簡単な地図とをオークたちに渡して見送ったのであった。

 村の内通者たちはみな捕えられ、領主のところへと送られてそれなりの処罰を受けたという。少しばかりの不服もあるが、ビビやアデーレが他領の裁判に介入することはできないから、せめてなるべく多くの事実を書き残して告げておいた。

 また、オークに捕えられた村人たちは砦の隅の牢獄に投げ入れられていた。おびただしい数の遺骸が転がっていたが、その中で数人は生きていたのでかれらも護送した。

 そして、砦のそばにはひっそりと、討伐にやってきて返り討ちにあった騎士たちの墓があった。聖教会式の墓によって一応の敬意とともに弔ってあったのだった。それを村の宿屋の娘に告げると、泣いて崩れた。

 こうして、村を支配していたオークの討伐は無事に終息を見せたのであった。

 『聖遺物』を教会に戻して記録して、村人たちから一晩の盛大な歓待を受けてから、二人は村を立つことにした。

 ここまでの『聖遺物』の記録を残すため、そして、この村で死んだ騎士のことを騎士団本部へ報告するために、次の自由都市へと急いで足を運ぶ必要が生まれたからである。



 がらがらと回る車輪。村の馭者が街まで馬車を出してくれるということでそれに甘えた二人は、少しだけ上等な荷台で転がりながら名産のりんご酒を飲み交わしていた。もちろんビビは酒に弱いのでほんの一口だけを流し込んだだけであったが、しかしそれでも酔いは回るらしく、いつもより少しだけ饒舌になっていた。

 「ああ、わたしは偽善者です。誰も救うことができませんでした」

泣き上戸らしいビビは大粒の涙を凶悪そうな顔面に伝わせながら言った。

「オークたちの末路とて、かれらがまた悪事を重ねるとも、あるいは最後に幸せなものになるとも知れません。裁かれた内通者たちも、脅されただけかもしれません。しかし、確かに虐げられてきた村人たちもおります。わたしはどうすればよかったのでしょうか」

アデーレは、放っておくとずっと落ち込んでいくそのやけに敬虔なオークを軽く蹴り飛ばした。

「お前はよくやったほうだ。ほら、今日は全部忘れて飲もうじゃないか」

「だからねえ、お酒はだめなんですって」

「飲めば慣れる! 飲まねば慣れぬ! なれば飲むしかなかろう、がはは」

「理不尽すぎる……」

 聖書によれば、この世の理性ある生き物はみな全て原罪を持つ者たちであるという。

 だからアデーレは、純潔の存在を信じてはいない。ビビの徹底的に善であり善を報おうという試みは不毛であると感じている。

 もちろん一方では、それが決して責めきれないものであるとも知ってはいる。

 だが彼女には学がなく、それ以上のことは何も言えなかったので、ただこうやって日々を慰めるだけが精一杯なのであった。

 ビビの方もその心遣いを感じてはおり、ありがたく思っていた。だから、

「まあ、アデーレさんには感謝していますよ、一応ね」

とぼそっと言う。けれども彼女はといえば、

「もっと褒めろ~」

「ねえ、なんか既に酔いつぶれてないですか、ねえ」

「オークの作った酒もなにげにうまいんだなあ、これが」

と言って彼女はにひひと笑い、手に握ったびんを振って見せた。青いガラスに閉じ込められたその精霊の宿る液体はとぷとぷ揺れて日の明かりをきらめかせる。

「なにをちゃっかりかすめてるんですか! それ砦にあったやつでしょ!」

「いわゆる戦利品だよ。お前もほらほら」

「要りません。返してきてください」

「もう飲んだから無理だな~」

相棒の野蛮さに呆れ返りながら、この世から酒がなくなってしまえばいいと思うビビなのであった。



 第一部 完





 次回予告


 『聖遺物』の所在や、死んだ騎士の男のことを騎士団本部へと報告するため、ガリア北東で最も栄える自由都市、カールスブルクにやってきたビビとアデーレ。

 しばらくずっと旅をしていたためにここらで宿を取ってゆっくりしようと考えていた二人であったが、やはり街でも目立つ二人には不可避な災難がふりかかる……

 そして、慌ただしい二人の影で怪しい陰謀がうごめく……かも?


 次回、女騎士とオークが街を訪れる話、予定。


 すべては予定です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白いコンビですね。続きが気になります。
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