第5話「商会の跡取りは、妄想に投資しました。」
「父上! 本当に、私を許してくださるのですか!」
私は思わず、父上の手を握った。
王都でも有数の大商会。その本店にある会長室で、父上は穏やかに微笑んでいた。
「ああ。お前は私の大切な息子だからな」
「ありがとうございます!」
私は胸が熱くなった。
卒業パーティで拘束されてから、十日。
王太子殿下による公爵令嬢への虚偽告発に、資金提供という形で加担したことが問題となり、私は王城で取り調べを受けていた。
そして王国の裁判所から、国外追放が言い渡された。
商会の資金を無断で使ったことも、父上に知られてしまった。
もう何もかも失ったと思っていた。
ところが父上は、私を見捨てなかったのだ。
「商会の後継者には戻せないが、国外で新しい人生を始めることはできる」
机の上には、金貨の入った革袋と、数通の書類が置かれていた。
「これは私の個人財産から用意した餞別だ。商会の金ではない。自由に使いなさい」
「こんなに……!」
「馬車も用意してある。国境までは護衛をつけよう」
私は涙をこらえた。
父上は、私を見捨てていなかった。
やはり家族とは、素晴らしいものだ。
◇
私がミリア嬢と出会ったのは、学院の入学式だった。
彼女は身分にこだわらず、誰にでも明るく話しかける少女だった。
私はすぐに彼女と親しくなった。
商会の跡取りとして育った私にとって、人とのつながりは何より大切だ。
そしてミリア嬢は、王太子殿下とも親しかった。
将来の国王と親交を深めることができれば、商会にとっても大きな利益になる。
私はそう考えた。
ところが、ミリア嬢はある日、悲しそうに打ち明けた。
「セレスティア様が、わたくしをいじめているんです」
「それは大変だ!」
「でも、誰も信じてくれなくて……」
私は考えた。
商売では、困っている相手を助けることが信用につながる。
ならば、ミリア嬢を助けることは、きっと良い結果を生む。
「安心してください。私が力になります!」
私はまず、ミリア嬢が学院で快適に過ごせるよう、さまざまな品を贈った。
衣装。
装飾品。
高価な文房具。
そして、彼女のための専用馬車。
ミリア嬢は大喜びした。
「ありがとうございます! こんなに親切にしていただけるなんて!」
私は嬉しかった。
人に喜んでもらえるのは、商人として何よりの喜びだ。
しかし、問題があった。
私個人の小遣いでは、すぐに足りなくなったのだ。
そこで私は、商会の資金を使うことにした。
もちろん、無駄遣いではない。
将来の国王と親しいミリア嬢への投資だ。
長期的に見れば、商会に大きな利益をもたらすはずだった。
父上に相談したこともある。
「ミリア嬢への支援を、商会の事業として認めていただけませんか」
父上は尋ねた。
「その支援によって、商会にはどのような利益が生まれるのだ」
「王太子殿下との関係が深まります!」
「具体的な契約はあるのか」
「まだありません」
「利益の見込みを示す資料は?」
「これから作ります!」
父上は首を横に振った。
「ならば、商会の金は使えない」
「ですが、将来の国王なのですよ!」
「王太子殿下が将来国王になることと、商会の金を使ってよいことは別だ」
私は納得できなかった。
父上はいつも、先を見て商売をしろと言っている。
ならば、今こそ未来への投資を行うべきではないか。
私は商会の支出を、王都での交際費として処理した。
最初は小さな金額だった。
しかし、やがてミリア嬢の支援だけでは済まなくなった。
王太子殿下が、セレスティア嬢の反逆を調べるために資金が必要だと言い出したのだ。
「調査には金がかかる。お前の商会で用意できないか」
「もちろんです!」
私は即答した。
国家の安全を守るための資金だ。
商会にとって、これほど価値のある投資はない。
調査員への報酬。
書類の作成費用。
情報提供者への謝礼。
騎士たちの手配に必要な経費。
さまざまな名目で、支出は膨らんでいった。
私はそれらを、商会の事業費として処理した。
父上に発覚したのは、卒業パーティの二か月前だった。
「お前は、何をしている」
父上は帳簿を机に置いた。
「王太子殿下への支援です」
「商会の承認は得たのか」
「まだですが、将来必ず利益になります!」
「利益の見込みは」
「王太子殿下が国王になれば、商会を重用してくださいます!」
「その約束はあるのか」
「……ありません」
父上は深く息を吐いた。
「お前は、商会の金を勝手に使ったのだな」
「違います! これは投資です!」
「投資とは、他人の金を無断で使うことではない」
私は反論した。
「私は跡取り息子です! いずれ、この商会を継ぐのですよ!」
「だからこそ、今のうちに覚えておきなさい」
父上は静かに告げた。
「商会の金は、お前の金ではない」
私は納得できなかった。
将来、自分が継ぐ商会なのだ。
その利益のために行動して、何が悪いのか。
父上は支出の停止と、帳簿の提出を命じた。
私は従わなかった。
卒業パーティでセレスティア嬢の罪が明らかになれば、すべて正しかったと証明できる。
そう信じていた。
◇
「それで、父上。私は本当に、国外へ行ってよろしいのですね?」
私は会長室で尋ねた。
父上は優しく頷いた。
「ああ。ただし、商会の後継者には戻れない」
「それは承知しています」
私は微笑んだ。
確かに、商会の金を勝手に使ったことは反省している。
だが、私はまだ若い。商売の才能もある。国外で新しい商会を立ち上げれば、いずれ父上にも認めてもらえるはずだ。
「新しい土地で、立派な商人になります!」
「それは楽しみだ」
父上は嬉しそうに笑った。
「お前が元気でいてくれるなら、それでいい」
私は胸がいっぱいになった。
父上は、私を愛してくれている。
だからこそ、失敗を許してくれたのだ。
「ところで、父上。商会の資金の件は……」
「お前が無断で使った資金は、商会の損失として処理した。商会内部の問題は、これで片づける」
「申し訳ありません、父上」
「商会の経営は心配しなくていい。後継者は弟に決まった」
「……そうですか」
少し寂しくはあった。
だが、弟なら商会を立派に継いでくれるだろう。
私も新天地で成功し、いつか父上に認めてもらえばいい。
「王国からの国外追放も、決まった以上は従わなければならない。商会の名前は使わず、自分の力でやり直しなさい」
「はい!」
私は力強く頷いた。
父上は立ち上がり、私の肩を叩いた。
「では、出発しようか」
◇
商会の本店前には、一台の立派な馬車が用意されていた。
荷台には私の荷物が積まれ、御者と護衛が待っている。
そして、父上だけでなく、母上や弟、商会の幹部たちまで見送りに集まっていた。
「兄上、お元気で!」
後継者となった弟が、笑顔で手を振った。
「ありがとう! お前も頑張れよ!」
私は笑って答えた。
母上は目元を押さえながら、私を抱きしめてくれた。
「身体に気をつけるのよ」
「はい、母上!」
父上は、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
「困ったことがあっても、諦めずに頑張りなさい」
「はい! 必ず成功してみせます!」
私は馬車に乗り込んだ。
窓から身を乗り出し、家族に手を振った。
「父上! 母上! 皆さん! 今までありがとうございました!」
父上が、大きく手を振り返してくれた。
「元気でな!」
馬車が動き出した。
石畳の道を進み、王都の大通りへ出る。
私は何度も振り返った。
家族は、馬車が見えなくなるまで手を振ってくれていた。
私は笑顔になった。
失敗はした。
だが、家族の愛は失っていない。
商会の後継者ではなくなっても、私は父上の息子なのだ。
新しい国で、新しい商会を作ろう。
そしていつか、胸を張って帰ってこよう。
私は希望に満ちた気持ちで、王都を後にした。
◇
馬車が角を曲がり、完全に見えなくなった。
商会長は、しばらくその方向を眺めていた。
やがて、隣に控える側近へ静かに告げた。
「わかっているな」
「はっ。ぼっちゃまの手配は万全です」
商会長は頷いた。
「そうか」
それだけ言って、商会の中へ戻っていった。
◇
数日後、国境付近で一人の青年の惨殺死体が発見された。
かつて大商会の跡取り息子だった男である。




