第3話「神官長の孫は、自分の思い込みを神のお告げと信じました。」
「神は、あの女の罪をすでにご存じなのです!」
私は王城の拘禁室で、祖父に訴えた。
卒業パーティで拘束されてから四日。
ようやく面会に訪れた祖父は、私の言葉を聞いても表情を変えなかった。
「その神託は、いつ、どこで授かった」
「それが重要なのですか?」
「重要だ」
祖父は教会長だ。
王都にある大聖堂を預かり、長年にわたって人々の信仰を支えてきた。
私も幼い頃から神に仕え、祖父のような立派な聖職者になることを目指してきた。
だからこそ、理解できなかった。
なぜ祖父は、神の正義を実行した私を助けてくれないのか。
「私は、神の意思をお伝えしただけです!」
「ならば、その神託について説明しなさい」
祖父は静かに告げた。
「総本山から、正式な照会が届いている」
「総本山から……?」
私は胸を張った。
ようやく、私の行動が認められるのだろう。
神の意思を伝えた者として、総本山からも評価されるに違いない。
◇
私がミリア嬢と出会ったのは、学院に入学して間もない頃だった。
彼女は誰に対しても分け隔てなく接する、心優しい少女だった。
ある日、礼拝堂で祈りを捧げていた私に、彼女は涙ながらに訴えた。
「セレスティア様が怖いんです」
「何があったのですか」
「わたくしが王太子殿下とお話しするだけで、恐ろしい目で睨まれて……」
私は心を痛めた。
身分の低い男爵令嬢が、公爵令嬢から迫害されている。
これは見過ごせない。
「神は、身分によって人の価値をお決めにはなりません」
「ありがとうございます……!」
彼女は涙を浮かべ、私の手を握った。
それ以来、私は彼女の相談に乗るようになった。
ミリア嬢は、セレスティア嬢がいかに恐ろしい人物かを繰り返し語った。
王太子殿下を独占しようとしている。
自分を学院から追い出そうとしている。
そして、ついには王太子殿下の命まで狙っているという。
私は震えた。
なんと恐ろしいことだろう。
だが、神は正義を見捨てない。
私は祖父に相談した。
「お祖父様。セレスティア嬢は、神の教えに背いています」
「何をしたのだ」
「ミリア嬢を迫害し、王太子殿下の命まで狙っています」
「証拠はあるのか」
「ミリア嬢がそうおっしゃっています」
祖父は眉をひそめた。
「人の訴えを聞くことは大切だ。しかし、それだけで他人を罪人と決めつけてはならない」
「ですが、ミリア嬢は嘘をつくような方ではありません!」
「そう信じるのは自由だ。だが、神官として公に断罪するなら、事実を確かめなさい」
私は納得できなかった。
苦しんでいる人が目の前にいるのに、証拠がないという理由で何もしない。
それが神に仕える者の態度だろうか。
その夜、私は礼拝堂で祈った。
どうか、正しい道をお示しください。
どうか、ミリア嬢を救う力をお与えください。
長い時間、祈り続けた。
そして、私は確信した。
神は正義を望んでおられる。
ならば、私がミリア嬢を救うことこそ、神の意思なのだ。
翌日、私は王太子殿下に告げた。
「神は、セレスティア嬢の罪をご存じです」
「なんと! 神託があったのか!」
私は一瞬、言葉に詰まった。
神の声を直接聞いたわけではない。
だが、私の心には確信がある。
神は正義を望んでいる。
そして、セレスティア嬢は悪なのだ。
「はい。神の意思に間違いはありません」
王太子殿下は感激した。
「素晴らしい! これでセレスティアの罪は明らかだ!」
私は誇らしかった。
神の正義を実現するために、自分が役に立っている。
その後、私はミリア嬢を守るため、神託の存在を繰り返し公言した。
祖父から呼び出されたのは、その直後だった。
「お前は神託を授かったと公言しているそうだな」
「はい」
「いつ、どこで授かった」
「礼拝堂で祈りを捧げていたときです」
「神の声を聞いたのか」
「いいえ。ですが、神の意思を確信しました」
祖父は目を閉じた。
「それは神託ではない」
「なぜですか!」
「お前自身の考えだ」
「ですが、私は神の正義を!」
「自分が正しいと思うことと、神が命じたことは違う」
私は反論した。
「神は正義を望んでおられるはずです!」
「そのとおりだ。だからこそ、神の名を使って他人を裁くことには、厳格な決まりがある」
祖父は、神託の認定には総本山の審査が必要だと説明した。
私も、その決まりは知っていた。
だが、今回は緊急事態だ。
王太子殿下の命が危険にさらされているのだ。
「正式な審査を待っていたら、手遅れになります!」
「ならば、まず王国の司法機関へ相談しなさい。神託を捏造してよい理由にはならない」
「捏造ではありません!」
祖父は厳しい声で告げた。
「二度と神託を授かったと公言してはならない」
私は従わなかった。
神の正義を実現するためには、誰かが勇気を持たなければならない。
そして卒業パーティの日。
私は大勢の貴族の前で、聖印を掲げた。
「神もまた、セレスティア嬢の罪をお認めになっています!」
これで正義は勝利する。
そう信じていた。
◇
「総本山は、お前の発言を重大な問題と判断した」
祖父の言葉で、私は現在に意識を戻した。
「それは当然でしょう。王太子殿下への反逆という重大な罪なのですから」
「違う」
祖父は首を横に振った。
「問題となっているのは、お前自身の行為だ」
「……私の?」
「お前は、神託を授かっていないにもかかわらず、神が公爵令嬢の罪を認めたと公言した」
「私は神の意思を確信しています!」
「確信したことと、神託を授かったことは違う」
祖父は一枚の書類を取り出した。
「総本山は、お前に神託を授けた記録が存在しないことを確認した。お前自身も、神の声を聞いていないと証言している」
「ですが、神は私の心に!」
「それはお前の考えだ」
祖父の声が、冷たく響いた。
「お前は、自分の考えを神の言葉として人々に伝えた」
「神の正義のためです!」
「神の名を騙ってよい理由にはならない」
私は息を呑んだ。
神の名を騙る。
それは、教会において最も重い罪の一つだった。
「お祖父様! 私はそんなつもりでは!」
「つもりの問題ではない」
祖父は静かに続けた。
「お前が神託を公言したことで、無実の公爵令嬢が国家反逆罪で告発された。王太子も、ほかの者たちも、お前の言葉を根拠の一つにした」
「それは……」
「お前は神官という立場を利用し、根拠のない告発に神の権威を与えたのだ」
私は必死に首を振った。
「ですが、私はミリア嬢を救おうと!」
「ミリア嬢を救うためなら、神の名を偽ってもよいのか」
「……」
「お前は、自分の判断に神を従わせたのだ」
祖父の言葉が、胸に突き刺さった。
私は神に従っているつもりだった。
しかし、祖父は違うと言う。
私は、自分の考えを神の意思だと決めつけていたのだと。
「お祖父様……」
「私は、お前に何度も警告した」
祖父は悲しそうに目を伏せた。
「神託を公言してはならないと。事実を確認しなさいと。神官としての責務を忘れてはならないと」
覚えている。
すべて、覚えている。
だが私は、祖父が臆病なのだと思っていた。
自分こそが神の正義を守っていると信じていた。
「総本山は、お前を正式な異端審問に付すと決定した」
私は顔を上げた。
「異端審問……?」
「そうだ」
「そんな! 私は神に仕える者です!」
「だからこそだ」
祖父は立ち上がった。
「神官が神の名を騙ることは、信仰そのものを傷つける」
「お祖父様! どうか助けてください!」
私は鉄格子に駆け寄った。
「私は、あなたの孫なのですよ!」
祖父は足を止めた。
しばらくの間、何も言わなかった。
そして、静かに答えた。
「お前が私の孫であることは、変わらない」
「では!」
「だが、私にはお前の罪を消す権限はない」
祖父は振り返った。
「まして、神の名を騙った罪を、身内だからという理由で見逃すことなどできない」
私は何も言えなかった。
祖父は最後に告げた。
「総本山で、すべてを正直に話しなさい」
それだけ言って、部屋を出ていった。
◇
翌朝、私は総本山へ向かう馬車に乗せられた。
窓の外には、王都の街並みが広がっていた。
私は聖印を握りしめた。
神は正義を望んでおられる。
私は、そう信じていた。
今でも、それは間違っていないと思う。
ただ一つ、わからなくなったことがある。
神の正義とは、いったい誰が決めるものなのだろう。
馬車は、静かに王都を離れていった。
◇
後日、彼は神の名を騙った者として総本山で異端審問にかけられ、その途中で命を落とした。
彼が最後まで自らの正しさを信じていたのか、それとも過ちを認めたのかは、誰にもわからなかった。




