表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/54

第十二章:「普通に外食もできない」とファミレスの席で涙するママへ

「いらない! これ、裕太の頼んだのじゃない! 食べない、食べないのぉぉぉ!!」


日曜日、家族で久しぶりに訪れたファミリーレストラン。


楽しげなBGMが流れる店内で、裕太の引き裂くような絶叫が響き渡った。


原因は、テーブルに運ばれてきたばかりの「おこさまカレープレート」だった。


メニューの家族向けの写真には、確かに星型のハンバーグと、コーン、そして福神漬けが綺麗に添えられていた。


しかし、今日運ばれてきた実物には、お店の厨房のほんの気まぐれか、コーンの代わりに「緑色のグリーンピース」が数粒、カレーのルーの上に点々と浮いていたのだ。


それが、ASDの「細部への過剰なこだわり(予測との不一致への恐怖)」と、ADHDの「感情抑制のバグ(激しい衝動的拒絶)」の爆弾を起爆させた。


裕太は椅子の上に立ち上がり、スプーンを床へ投げつけた。


カチャーンと鋭い金属音が響き、周囲のボックス席から「なにごと?」と一斉に冷ややかな視線が突き刺さる。


裕太はさらに、プレートごと床へひっくり返そうと小さな手を伸ばした。


「裕太、やめて! 触らないで!」


真依は咄嗟に身を乗り出し、裕太の手首を掴んだ。


カレーのルーが真依の白いブラウスの袖口にベッタリと付着する。


真依の心の中で、何かがピシッとひび割れる音がした。


(どうして……。お買い物の帰りに、みんなで楽しくご飯を食べようって、ただそれだけなのに。なんでグリーンピースが数粒入っているだけで、こんな大犯罪を起こしたみたいに大騒ぎしなきゃいけないの? 私がメニューをよく確認しなかったから? 世間のお母さんたちは、子供に『好き嫌いしちゃダメよ』って優しく教えて、子供も『はーい』って食べているのに。どうして私は、ファミレスの一角でこんなに惨めで、恥ずかしい思いをしなきゃいけないのよ……!)


周囲の「しつけがなっていない」「子供を甘やかすな」という無言の非難の刃が、真依の背中に容赦なく突き刺さる。


どれだけ自分を削って、先回りして、裕太がパニックにならないよう努力しても、世間からはいつも「ダメな母親」と採点されているようで、胸の奥が張り裂けそうだった。


誰かに「あなたは悪くない、毎日頑張ってる」と抱きしめてほしい烈しい承認欲求が、悔し涙となって溢れ出た。


そこへ、床に落ちたスプーンをティッシュで拾い上げながら、手に「作戦ノート」を携えた高野が、鋭くもどこか必死な目線でカレーの皿をスキャンした。


「真依、自分を責めるのは完全に非論理的だ。状況のシステムエラーを僕が解析する。これは視覚の『パターンマッチングエラー』と、脳の『微小変化パニック』の複合クラッシュだよ」


高野は眼鏡の位置を指でぐいと直しながら、真依の震える肩を支えるようにロジカルに語りかけた。


「高野くん……裕太、ただのグリーンピースじゃない。なんでこんなに狂ったように怒るの……?」


「裕太にとって、メニューの写真は『世界を動かす絶対の方程式(仕様書)』なんだ。彼の脳は、写真と1ミリでも違う要素――この場合はグリーンピース――を発見した瞬間、それが『毒物』か『世界がバグで崩壊する予兆』に見えている。ASDの特性として、全体を『カレー』と大雑把に見るのではなく、細部を点で認識するため、緑の異物が混入した時点でそのプレート全体が『汚染された危険物』に変わってしまうんだ。さらにADHDの衝動性が『今すぐこの恐怖を排除しろ!』と大アラートを出して、スプーンを投げるという過剰防衛メルトダウンに繋がっている。……僕も子供の頃、祖母が作ってくれたオムライスのケチャップが、いつもと違う波線で描かれていただけで、脳の処理が追いつかずに激しい嘔吐と過呼吸を起こした。周囲には『ワガママな偏食児』と叩かれ、僕は自分の脳が不良品なのだと、毎晩自分の頭を拳で殴りながら泣いていた。あの地獄のような孤独を、僕は今でも生々しく覚えているんだ……!」


高野は自らの血の滲むようなトラウマを吐露し、我が子の脳の痛みを我がことのように感じて歯を食いしばった。


彼の心の声は、父親としての強い使命感に燃えていた。


(わかるよ、裕太。お前は料理に文句を言いたいんじゃない。世界のルールが急に変わって、パニックで死にそうに怖いんだよね。僕が、お前の視界の異物を安全に隔離するシステムを構築してあげなきゃいけないのに……!)


しかし、理屈は理解できても、すでに運ばれてきてしまったカレーを前に、どうやって裕太の脳のエラーをリセットすればいいのか、高野の論理回路もまた立ち往生しかけていた。


「はいはいはい! 混沌のレストランで、可愛い小ライオンちゃんが毒キノコを見つけちゃったわねえ!」


その時、隣のレジで持ち帰り用の冷凍餃子を精算していた美佐子が、あはははと豪快に笑いながらボックス席へ現れた。


美佐子は周囲の冷ややかな目など突風で吹き飛ばすかのように、自分のバッグから「真っ白な紙コップ」を二個、ドスンとテーブルに置いた。


「ちょっと、美佐子さん!? ファミレスのテーブルで何を――」


「入っちゃったものは、なかったことにすればいいのよ! この子たちを説得しようとするから怒るの。


ルールをその場で『書き換えて』あげればいいじゃない!」


美佐子はお腹を抱えて笑うと、真っ白な紙コップの一つにマジックで大きく「ゴミ箱」、もう一つに「たからもの」と書き、裕太の目の前にスッと差し出した。


「ほら、裕太。このお皿には、間違えて『緑色のバグ虫さん』が迷い込んじゃったんだって。だから、裕太のこのスプーンのショベルカーで、バグ虫さんをこの『ゴミ箱コップ』にぽいって避難させてくれない? バグ虫さんがいなくなったら、このカレーは『合格!』になるよ」


すると、どうだろう。


さっきまで椅子の上で暴れていた裕太が、涙をためた目をピクッと動かし、美佐子の出した「ゴミ箱コップ」とカレーの上のグリーンピースを交互に見つめ始めた。


裕太の脳内で、ADHDの「役割を与えられると燃える衝動」がポジティブに働き、グリーンピースという「恐怖の汚染物質」が、「ゴミ箱コップに分別するゲームのターゲット」へと劇的に再定義されたのだ。


裕太はおずおずとスプーンを握り直すと、集中した顔でグリーンピースを慎重にすくい上げ、コップの中へポイ、ポイと落とした。


最後の一個が消えた瞬間、裕太はふうと深く息を吐き、「バグ、ない! 合格!」と笑顔を見せた。


「え……!? 嘘、全部綺麗にのけて、自分からカレーを食べ始めたわ!」


真依は目を見張り、ブラウスの汚れも忘れて美佐子の手元を凝視した。


「あははは! 大成功! お気楽美佐子ばあちゃんの子育てメソッドその十!『予測と違うノイズが入った時は、分別ゲーム化して視界から隔離し、ルールの再起動を図れ』!」


美佐子は裕太の頭をクシャクシャと撫で、真依の肩をガシッと掴んだ。


「この子たちはね、『最初から完璧』じゃないと脳みそがパニックになっちゃうの。だから、『我慢して食べなさい』なんて言っても、恐怖の毒物を食べろって言われてるのと同じで絶対に無理。だったら、自分でそのノイズを『のぞく(隔離する)』という役割をあげて、自分の手で『完璧な状態』に戻させてあげればいいのよ。そうすれば、脳みそは安心して次のスイッチに切り替わるのよ!」


高野は作戦ノートのページに、凄まじい熱量でペンを走らせ、魂の底から感嘆していた。


(リコンテキスチャライゼーション(文脈の再構築)の極致……! 不快なエラー刺激を『排除タスク』という目的行動に変容させることで、認知的コントロールを取り戻させたのか。


母さんのこの現場の知恵は、まさに応用行動分析(ABA)の最先端だ……!)


真依は、美佐子の鮮やかな解決の瞬間と、高野のロジカルな解説を、頭の中で必死に復習した。


すり減っていた彼女の心に、また一つ、裕太の日常の食卓を守るための確かな方程式が刻まれていく。


真依は涙を笑顔で拭い、美佐子を見つめて言った。


「……分かりました! 外食やお家のご飯で、いつもと違うものが入って暴れる時は、『偏食しちゃダメ!』って怒るんじゃなくて、裕太が感じている視覚のパニックを理解して、別の容器を用意して『自分で仕分けるゲーム』にしてあげればいいんですね。声掛けも、『これくらい食べなさい』じゃなくて……『バグをコップにぽいして、合格にしようね!』って、コントロール感を持たせてあげる……。美佐子さん、これで合ってますよね!?」


「百万点満点! 真依さん、もう我が家のチーフ・フードコーディネーターね!」


美佐子は真依の背中をパシッと叩いて豪快に笑った。世間の「何でも好き嫌いなく食べる良い子」という枠組みなんて、もう今の真依にはどうでもよかった。


目の前の我が子が、世界のバグを自分なりのやり方で乗り越え、笑顔でご飯を美味しいと食べていること。


それを作れる自分たちチームの絆こそが、何よりの誇りだった。


「さあ、レストランのバグはこれにて完全クリア! 高野、真依さん、裕太がカレーを食べ終わったら、みんなで追加のデザートでも頼んで、美味しい大作戦会議の続きをしようじゃないの!」


美佐子の明るい号令に、裕太はカレーを口いっぱいに頬張りながら「かれー、おいしい! 次はパフェ!」と嬉しそうに飛び跳ねた。高野と真依は、賑やかなファミレスの明かりの中でお互いの顔を見合わせ、凸凹な未来を一緒にデザインしていく強い信頼を込めて、深く、深く頷き合うのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ