第九話
ミラノ、ファテベーネフラテッリ通り十一番地。
「善をなす兄弟たち」という名を冠した通りには、乳白色の巨大な建物が佇んでいる。ミラノ警察本部、通りには、「Polizia」のロゴが刻まれた青と白のアルファロメオが列をなし、正面玄関からは青い制服を纏った警察官たちが、気怠げに闊歩していた。
建物中央から、更に内部へと進む黄ばんだ廊下。一人の男が、タイプライターの打鍵音が響く無機質な一本道を歩いていた。
扉の隙間から漏れ出る取り調べという名の暴行の呻き声が視界の端を掠めるが、彼は表情一つ変えず、足を止めることもなく歩き続けた。
彼はやがて、「Sala di consultazione(資料室)」と書かれた扉を開ける。中は時間が止まったように埃が溜まり、古びた紙の匂いで満たされている。棚に整然と並ぶ膨大な資料の中から、一冊の薄い紙の束を取り出した。
『一九七九年、ローマ、判事一家殺害事件』
表紙には掠れた文字でそう書かれている。被疑者死亡として形式上は解決した事件。
彼、フェデリーニ刑事は、麻薬取引や強盗事件の取り締まりに明け暮れる日々の中で、この紙の隅に記された古い目撃証言を忘れられずにいた。
ミラノ行きの夜行列車へと走り去る不審な親子。
夫妻の産まれるはずだった胎児の行方。十年の時を経ても尚、未だ彼の中で未解決のまま燻り続けていた。
資料室の静かな部屋に、遠くの部屋で怒鳴る警官の叫び声が響く。
フェデリーニは顔を上げ、薄汚れて消えかかる蛍光灯を見つめた。
かつてこの事件を追っていた時よりも歳をとったせいか、白熱灯の灯りが目に染みる。今朝も窃盗犯を追いかけたせいで全身が泥のように怠い。昔は汚職や暴行を許さぬほどの正義感を持っていたが、もはや、隣の怒鳴り声を諌める気にもならない。
フェデリーニは大きなため息をつき、それからコートの内ポケットから一枚の擦り切れた写真を取り出した。彼が秘密裏に作成した、赤子が成長した仮のモンタージュ写真。
アドリアーノ判事の正義に燃える顔と、その妻マリアーナの艶やかな茶髪と、垂れ目がちの幼い瞳。
モンタージュの少女を見つめ、深く息を吸い込むと、埃が気管に入り込み、激しく咳き込んだ。
その時、部屋に掛けられた電話が静寂の部屋の中でけたたましく鳴り響いた。一度呼吸を整え、彼は重い腰を上げて応答ボタンを押す。
「なんだ」
「フェデリーニ刑事、殺人放火事件の対応をお願いします。十年前と同じ、判事一家の殺害事件です」




