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「僕。僕は、何を。」
タクヤは思わず顔を両手で覆っていた。
何を考えていたのか。
月島に対して、そして自分に対して、なんていうことを考えたのか。
尻尾を振るなど、媚びるなどといったことを。
「引き摺られないでください。永良さん。」
タクヤの心情は、月島に気づかれているはずだった。『浄化』のために深層に降りるこの状況だからこそ、なおさらタクヤの心の動きは月島に感づかれている。
月島は恩人だ。タクヤにとって、縁を繋げていきたい人物だ。
だから。
月島から求められてこの場にいるが、月島が伸ばした手を、タクヤからも伸ばしてその手を取ったのだ。切り離されることを良し、としなかったのはどちらかと言えばタクヤの方だ。月島の手伝いを求めて担っているのは、タクヤの意志だ。
「落ち着いて。深呼吸をしましょう。永良さん。」
月島が、カウンセリング時の抑揚のある声音で、タクヤに深呼吸を促す。
「ごめんなさいっ。月島さん。」
思わず吐いて出た、謝罪。
不快にさせなかっただろうか。
気を悪くさせてしまわなかっただろうか。
見限られは、しないか。
嫌われては、いないだろうか。
そのようなタクヤが抱いた不安により更に、漆黒の闇の、タクヤを覆うそのスピードが上がった気がした。
「大丈夫ですよ。永良さん。」
そのとき。
ふ、と、タクヤの背中の中央辺りに暖かさが灯った。それは、優しさを感じる、暖かさ。その暖かさを感じて、タクヤは顔を覆っていた両手をほどき、視線を上げると、月島が柔らかな笑顔でタクヤを見ていた。
そして、タクヤの背に、暖かな月島の手が添えられていることに、タクヤは気づいた。
またそれは、月島だけでなくいつからか、橘もタクヤの傍に立ち、タクヤの背に手を添えていた。
その、彼らの手のぬくもりが、背中から徐々にタクヤの身体全体を覆う。黒くて重い闇をタクヤの中から追い出し、暖かなモノが取って代わっていく。
「ゆっくりと、」
月島がゆったりとした口調で、
「大きく息を吸ってみましょう。永良さん。」
独特の抑揚。優しさが見える落ち着いた声音。それは、タクヤの掻き乱れた心を、整えるモノ。少しずつ、心が凪いでいく。
タクヤは月島の言葉に素直に従い、深呼吸をする。息を吐き出す度に、肺に貯まっていた黒いモノも一緒に吐き出されていく感覚。
しばらくの間、タクヤが深呼吸を繰り返し、タクヤが落ち着いたことを見届けた月島は、コトネさん、と橘の名を呼び、
「後をお願いします。」
と、言ってタクヤの背から手を離し、事務室から診察室へと戻っていった。
そう言えば。
月島は今、カウンセリングを施している最中のはずだった。月島がタクヤを心配し、この事務室に居たということは、つまり彼はカウンセリングの途中で、クライアントを放り出してタクヤの傍に来たということになる。
「あ。…僕っ。」
その現状に気がついたタクヤは、タクヤの傍に居残った橘を慌てて仰ぎ見た。たぶん、橘を仰ぎ見るそのタクヤの顔は、すがるような表情をしていたに違いない。
タクヤから、何かをすがるような表情で仰ぎ見られた彼女は、
「ダメですよ。永良さん。」
深層の凛とした厳しさではなく、
「深層では、勝手にモノに触っちゃ、駄目なんですよ。センセから、言われていなかったですか?」
現実のふわふわとしたままでの、タクヤへの叱責。
そこには、深層の凛とした厳しさは一見、無いように見えた。
けれども、その物言いは、子ども、に諭すソレだ。
つまり、彼女も内心は、怒っている、ということだ。そこには呆れている、という感情も含まれている。たぶん、呆れ、の感情が大部分のように思えた。
それは、タクヤは叱責する相手でもない、という彼女の中のタクヤの立ち位置だということか。
「ごめんなさい。」
するりと、タクヤの口から素直に謝罪の言葉は出た。けれどもその謝り方は、子どもの言い方だ。悪戯をして、咎められて、叱られたときの、これは謝罪。社会人としての、大人の謝罪の言葉や態度ではない。
タクヤの橘へのその謝り方に、
「深層の永良さんを引き摺っています?」
橘が小首を傾げる。
そう問われるが、タクヤとしては、自分のことであるものの、よくわからない。ただ、心にはあのタールのような濃い闇は残ってはいない。残り香のように、気分不快が少し残っていることだけは、わかる。それでも、深呼吸をしたことでずいぶんと楽になってはいた。月島と橘の処置のお陰で、深層からは切れているとは、思うが。
橘はしばらく橘を見上げるタクヤの顔を黙って見ていたが、ふ、と真顔になり、
「深層の永良さんは、中学生か高校生かというような年齢に見えますので、今日の出来事は予測できた事なんです。だから、これはわたしの不注意です。」
と、なぜか橘が、
「大変な思いをさせてしまって、申し訳ありませんでした。」
頭を軽く下げて、謝罪の言葉を口にした。
「いえ、僕が軽率だったんです。」
タクヤは慌てて橘に、下げた頭をあげるよう、伝える。
どう見ても、タクヤの失態だった。好奇心に任せての、あまりにも軽率な行動だった。
現実のタクヤなら、仮に好奇心があったとしても、その好奇心のまま行動に移すことはないはずだった。これは、最初の頃、タクヤの深層に降り立ったときに月島と橘がタクヤを見て、中学生か高校生位か、と言っていたあのことなのだろうと推察できる。どう考えても、今、現実のタクヤから見ても、アレは子どもの行動だった。
それでも、深層のタクヤが十代半ばの子どもだったとしても、起こした行動はタクヤであることは事実であり、そのことによって、橘と月島に多大なる迷惑をかけてしまっていることも事実だ。
それに、迷惑をかけた、や、かけているのはこの二人だけではない。
今、リアルなこの時間に、月島のカウンセリングを受けている最中のクライアントにも、迷惑をかけてしまっている。タクヤがその心が整う手助けする立場で月島の手伝いに入っているのに、月島のカウンセリングの邪魔をしてしまっている。
「センセは、カウンセリングの区切りをつけて事務室に戻ってきていますから、ご心配なさらずに。」
橘が、タクヤの心配ごとに対して、そう告げた。
橘のその言葉に、タクヤは再び橘を仰ぎ見る。
橘はそのタクヤにふわふわ、と笑んで見せると、机にすでに準備がしてあった紅茶の入ったマグカップをタクヤへ差し出した。
そして、
「センセが永良さんに付き添っていた間は、カウンセリングに対するアンケートのようなものを書く作業をしてもらっています。だから心配いりません。」
そう言ってタクヤへ、タクヤの中に残っている闇を洗い流すために、紅茶を飲むよう勧めた。




