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タクヤにとっては、初めて降り立った『彼女』の深層だった。
タクヤの隣に立つ橘は月島の話だと、今回は2回目となるはずだ。その彼女は、深層に降り立つ普段の姿と変わらず、凛とした雰囲気を醸し出していた。その様子から、『彼女』の深層は、特別に何かの変化があるようではなさそうだった。
降り立った『彼女』の深層は、強いて言えば、グレー。灰色か鼠色か、といったところだ。
黒ではない。かといって明かりは行き渡ってはおらず、薄ぼんやりとした明るさの深層だ。薄暮に近いかもしれない。だからなのか、タクヤはこの深層はグレーに見えた。
それに。
この深層は、高層ビルが所狭しと建っていた。緑や自然のような風景は、タクヤの見える範囲では確認できない。この場は都会のビル群の、無機質な風景だ。
ビルの高さや形状、窓の配置などは統一されていない。しかも、どれもが真っ直ぐに建っておらず、何かの芸術建築のようだった。
とは言っても、この深層の主である『彼女』が、特別な状態だといったモノではない。今までタクヤが見てきた深層は、大体がこのようなものだ。見える色も単色で、景色に一貫性がなく、無節操な風景がほとんどだった。しかも、その姿形は、見ているタクヤの気分を不快にさせるような、統一感のなさだった。
ここの風景も、そうだ。ただ、タクヤが抱く不快感は、ビルの姿形に起因するものではなくて、おそらく、今まで幾人かの見てきた深層と同様に、この深層の持ち主の心が投影され、微かながらも澱みがあるようにタクヤは感じてしまっているからだと思う。
つまり、自覚があるなしに関わらず、『彼女』は多少なりとも病んでいる状態なのだろう。
けれども、タクヤはそう思ってしまっているが、月島や橘から見れば、この景色も、普通、だと言うのかもしれないが。
「前回とあまり変わりがないように、わたしには見えます。」
周囲をくるりと見渡した橘が、そうぽつりと言葉を落とした。
「くすみが剥がれていない、ということですか?」
タクヤのその問いに、橘はタクヤを見て、是とうなずいた。
「前回のわたしの『浄化』が働いているようには思えないのですが。」
橘はそこで言葉を区切ると、再び周囲をくるりと見渡す。そして、軽く頭を振り、
「わたしには変化が見えないだけで、センセには見えているのでしょう。『浄化』をします。」
そう言うと、橘は懐からランタンを取り出し、掲げる。
そのランタンの中に収まっている水晶は、いつ見てもきらきらと輝いていて、綺麗だ。このような澱んだ景色の中だからか、なお綺麗に見える。凛とした立ち姿の橘と、合っているように思う。清浄な輝き。
いつ見ても、不思議で綺麗な光景。
橘や月島はタクヤの深層や水晶が、他に類を見ない清浄さであり、綺麗だというが、橘が『浄化』の度にきらきらと輝く水晶が収まっているランタンを、凛として掲げ立っている姿も厳かで、綺麗だと思う。
「これぐらいで、良いでしょう。」
橘は数十秒、きらきらと輝いている水晶が入ったランタンを掲げるとそれをまた、懐に仕舞った。
これらの橘の動作は、普段通りだ。掲げている時間も、いつもと比べても、長くもなく短くもなくで変わらずだった。
「少し、歩きます。」
橘はタクヤにそう告げると、ビル群の中へ歩みを向けた。
これも、いつも通り。
橘は深層に降りると、最初に『浄化』を施し、余った時間は周囲を散策していた。それは、散策の中で見つけた良い変化、悪い変化を事務室に戻ってから月島へ報告するためだ。
「永良さん、触らないで。」
ビル群の間の、細い路地らしきところに橘と共に足を踏み入れたタクヤが、ビルの壁に手を触れようとしたとたん、タクヤの前を歩いている橘から注意をされた。
彼女の背中には目でも付いているのだろうか、と思うほどの素早く的確な指摘。
「ごめんなさい。」
思わず伸ばそうとしていたその手を引っ込め、直ぐに謝ったタクヤを、橘はちらりと振り返り見たが、小さなため息と共に、彼女は再びその歩みを進めた。タクヤは橘から少し遅れて、その背を追うようについて行く。
以前も、このようなことがあったな、とタクヤは橘の後に続き歩きながら彼女に叱責された出来事を思い出していた。
懲りないヤツ、と、タクヤが追う橘の背中はそう言っているような気がする。
アレは、あの出来事は、完全にタクヤの失態。月島にも橘にも、心配と迷惑をかけてしまった。
また同じようなことをしそうになったタクヤへ、呆れたようなため息を吐く彼女の心境は重々理解できる。
ホントウに自分は、彼らに請われるがまま、月島の手伝いとして彼らの仲間に入って良かったのか。入り続けて良いのか。そのような迷いが、飽きずにタクヤの頭の中にもたげてくる。
「永良さん。」
足取りが重くなり、橘から距離ができてしまったタクヤへ、橘はその歩みを止めタクヤへと振り返り、タクヤの名を呼ぶ。タクヤの名を呼ぶ彼女の声音に、彼女の持つ感情は何も載せられていないようにタクヤは聞こえた。
けれども。
うつむきかけていたタクヤが、その視線を上げると、
「わたしは怒っていませんから。」
いつもの凛とした背筋の伸びた綺麗な立ち姿。
その立ち姿で、橘はタクヤへ手を差し出し、
「さあ、一緒に来てください。」
彼女の隣にタクヤは立って良いのだ、と。タクヤが必要だと、彼女はタクヤをその隣に立ち並ぶよう手招きをした。




