【 12 】
今しがた顔面で大公開されたあの素晴らしい光景を必死に忘れようとしているのかもしれない。
毛並みに付着した水しぶきを弾き飛ばす子犬のようにブルブルと頭を振り、カッツンは「どけ」と短く言った。
「あ、はい。どーぞどーぞ」
争うのは性に合わないし、支える役目をすんなりと譲る。
だけど取り残された真柴さんにとってはまさに青天のへきれきだったようで、明らかに警戒した表情でカッツンを見ている。クラスメイトとはいえ、真柴さんにとってはつい先ほど初めて名前と顔を認識した相手だもんね。しかも王子さまじゃないし。
だけどカッツンはそんな真柴さんの態度など意に介する様子もなく無言で近寄った。
即座に片足でピョン、と一歩後ろに跳び退る真柴さん。逆ケンケンパみたいだ。そしてそんなつれない態度を取られたカッツンの眉根が小さく上がる。
「お前足をケガしたんだろ?」
そう言いながら一歩近づいたけど、
ピョン。
また一歩離れられてしまう。
カッツンが再び一歩進む。だけど、
ピョン。
またまた届かない距離へと逃げられてしまう。
―― カッツンのポーカーフェイスが崩れていく。
真柴さんが後ろに飛ぶ度にその無表情が少しずつ崩れていく。
だけどその鉄面皮の下からわずかに見え隠れし出しているその表情は怒っているわけでも笑ってるわけでもない。焦っている、というのが一番近そうだった。
そんな表情を段々くっきりと浮かべながら、カッツンは真柴さんに向けてまた歩を進め、何度もその手を伸ばす。気付けば思わず内心で ( 頑張れー!! ) と熱いエールを送っていた。
そしてついにカッツンが真柴さんを手首を掴むことに成功する。
「おい逃げんな。詫びついでにお前ん家に連れて行ってやるだけだ」
「……お詫び、ですか?」
やっと真柴さんがカッツンに向けて口をきいた。
「あぁ。その……なんだ、お前の…………アレ、見ちまったからな」
それを聞いた真柴さんはまたしても大きくうな垂れた。
「あぁ、もうワタクシはお嫁にいけませんわ……。王子さまにしか見せてはいけない下着をお二人に見られてしまったんですもの……」
あのーもしもし真柴さーん?
絶賛大後悔中なところ誠に申し訳ありませんが、僕は不思議でしょうがないことが一つあります!
僕らに見られてそんなに恥らうのなら、なんでそんなヘビーな下着を穿いたりしてるんでしょうか?
「お前そんなに後悔するならよ、なんでそんなとんでもねぇ下着つけてんだよ?」
おぉっ! よくぞ訊いてくれたよカッツン!! そこ絶対に重要項目だよね!!
「だってサムシングなんとかっていうおまじないで青く透ける下着をつけていると幸せになれるって聞いた事があるんですもの!!」
「……お前、バカか?」
「ば、馬鹿とはなんですの!? ですからワタクシはお天気がとてもいい日はお手製のこの下着を装着して王子さまを探しに行くのですわ!」
ええええええ――ッ! そのスケスケはお手製なんだっ!! すごいや!!
「お前が言っているのは結婚式で青い何かを身に着けて臨むと幸福になるっていう迷信のことだろ? しかもなに勝手に “ 透けた ” なんて独自の解釈を付け加えてんだよ。天然のアホだなお前」
呆れた顔でカッツンが真柴さんを抱きあげた。
へぇ、カッツン、力あるんだね。ショーリみたいに鍛えてるのかな。
「おい、お前ん家ってどの辺りだ?」
抱えられた真柴さんは硬直しちゃってるのか銅像のように動かない。よって返事もしてくれないので僕が代わりに教えてあげた。
真柴さんの住所を知ったカッツンは、遠いなと呟くと校門の外へと歩き出し、すぐに右に曲がる。
えっ、そっちは真柴さんの家の方角じゃないんだけど?
「ねーカッツン、真柴さんの家ってこっちだよー?」
「俺の家の方が断然近い。手当てはどこでも出来るだろ」
「薬とかあるの?」
「あぁ。今日は母さんが休みで家にいるからちょうどいい。プロに手当てしたもらった方がいいだろ」
「プロって?」
「俺の母親、看護師なんだ」
へぇー! ここの母さんはナースなのかー! 想像つかないや!
でも僕が一緒に行ったらきっとこの世界の母さんを驚かせちゃうだろうなぁ。
「じゃあカッツン、僕はここで失礼するから真柴さんのこと頼むね」
「……おい、お前のせいでこいつ怪我したんだぞ? お前に責任があるんだからお前もついてこい」
「だって君のお母さんが僕を見たらきっとビックリしちゃうよ? 僕らこんなにそっくりなんだからさ」
「大丈夫だ。うちの母さんは手術やら何やらで色々凄惨な現場も見てきているから少々のことには動じない」
いえいえいえ、手術中に患者さんの体をメスで切り裂いて血がドバドバ出ている光景を目の前にするのと、自分の息子に瓜二つな人間を突然目の当たりにするのとじゃ、また衝撃の意味合いが全然違うと思うんだけどなぁ……。
でもやっぱり一緒に行こう。確かに真柴さんが怪我をしたのは僕のせいみたいなものだし。
並んで歩き出した僕らと、ピクリとも動かないでおとなしくカッツンの手で運ばれている真柴さん。
カッツンの歩くテンポに合わせてその体が上下に小さく揺れているのを見ると、まるで等身大のリアルなお人形さんを運んでいるみたいだ。
「……なに見てんだよ」
自分の横顔を見ている視線に気付いたカッツンが、抱えている真柴さんに冷たい視線を走らせる。叱られたお人形さんは慌てたように目線を落とした。
「人の顔をじろじろ見んな」
「す、すみません……」
つっけんどんな調子で言われておずおずと謝る真柴さん。それを見た僕はちょっとだけ腹が立った。
「ねぇそんな言い方ないだろ? 真柴さん脅えちゃってるじゃん!」
するとカッツンは今度は僕をジロリと見た。自分に向けられたその視線に一瞬戸惑う。
だってついさっき屋上で雑誌の隙間から僕を見つめた冷たい視線と、今僕に向けられているこの視線はどことなく違って感じたから。
冷ややかなのは同じ。
でもそれは「興味が無い」、と言いたげなあの無感情な視線じゃない。
アレ? もしかして…………?
「…………嫉妬!?」
思わずそう声に出してしまった。案の定、カッツンの眉間にさらにシワが寄る。
「何言ってんだ、お前? 嫉妬がどうした」
「あ、なんでもないです。ごめん」
慌ててそうごまかした後、僕はここで確信した。
―― この世界の二人に接点が出来たんだ……!
この先の展開に微かな希望が見えてきていることを感じる。
やっと出来たこの世界の僕と真柴さんの接点。
それはこれから大きくなるのかどうかはまだ分からないけど、最初の芽は確実に今ここで出来たんだ!
心配していたどす黒い気持ちはここでも湧き起こってこない。良かった……!
何よりもそれが本当に嬉しかった。思わず一人で微笑んでしまい、カッツンにその顔をしっかりと見られてしまう。
「おい、なに人の横で思い出し笑いしてんだよ。こいつのスカートの中でも思い出してたんじゃないのか?」
「ち、違うよ! 真柴さんのスカートの中なんか思い出してないよ!」
「でもお前も見たんだろ?」
―― うわ、やっぱり気にしてるんじゃんっ!!
ということは、さっきは真柴さんが君をじっと見つめていたことが照れくさかったから、あんな冷たい言い方で牽制したんだね。そして真柴さんのスカートの中を僕も見ちゃっていることを内心すごく気にしているから、僕に対する視線がそんな嫉妬感情丸出しの視線になっているんだ。
……ねぇカッツン、君はそれに気付いてる?
カッツンは無言で真柴さんを抱え直したので、「あ、今度は僕が支えるよ」と申し出てみたけど返事は戻ってこなかった。
……無視されちゃったよ……。 まぁいい傾向なんだろうけど。




