【 9 】
「もうあっちに行ってくれ。寝る時間が無くなる」
僕がいつまでもここにいるのでカッツンは本気でうんざりしているみたいだ。でも授業をサボッちゃいけないと思うんだけどなぁ。
「もしかしてこのまま次の授業もサボるつもり?」
「いや出る」
「どうして体育は出ないの?」
「お前に関係ないだろう」
「関係ないけど知りたい!」
「……昨日夜更かししたせいで寝不足なんだ。ほっといてくれ」
「何で夜更かししちゃったの? 映画でも観てた?」
明らかに面倒くさそうな「あぁ」という肯定の返事がかぶせられた雑誌の下から聞こえてくる。
「カッツンは映画が好きなんだね。もしかして将来は映画監督になりたいー、とか思っちゃってたりして」
顔にシネマ雑誌をかけようとしていたカッツンの手がピクリと反応した。適当に言ったんだけどどうやらビンゴだったみたいだ。
「へぇ~すごいじゃん! まだ中学生になったばかりなのにもうそういう具体的な夢を持っているなんてえらいね」
褒められたのにカッツンは少しも嬉しくなさそうだ。そして無表情をキープしたままで「お前、今まで何かに感動したことがあるか?」と逆に質問してくる。
「感動?」
「そうだ。感動や興奮の類の感情だ」
「んーそれなら結構しょっちゅうかも! 僕、なんにでも感動しやすい性格なんだよね。初めて感動した時のこともまだちゃんと覚えてるよ」
「……それっていつの頃だ?」
「小学校一年の時。入学祝いに貰った 『 ヒーローになった僕 』 っていう絵本を読んで感動したのがたぶん最初だと思う。その本、去年まで大切にしていたんだけど、母さんが廃品回収のトラックに古本と一緒に勝手に出しちゃって無くなっちゃったけどね。カッツンは初めて感動した時ってどんな時だったか 覚えてる?」
返事を待ったけど、なかなかくぐもった声が聞こえてこない。
やっと雑誌の下から声が出てきたのはさらにその30秒後ぐらいだったと思う。
「俺は今まで感動や興奮をしたことが無い」
「無いの!? 一度も!?」
「……あぁ。映画も今まで随分観てきているんだが、感動や興奮を味わった事なんて無い。いつも冷静に最後まで観て、その合間にストーリーの粗探しや矛盾点を探してばかりいる」
「へぇ~……。でもさ、映画を作る上でそういう分析みたいなことって必要だし、重要なことなんじゃないの?」
「確かに物事を客観的に見る目は必要だと思う。だが今まで感動や興奮をしたことが無い奴が、大勢の人間を感動させられるような作品を作れるのかと自問自答することがあるんだ」
その言葉に思わずハッとする。
カッツンの顔は雑誌に隠れて見えないけど、今はどんな顔をしているんだろう。その目に感情の色は浮かんでいるのかな。
「なぁ、感動や興奮ってどういう感じなんだ?」
「うーんそうだなぁ……。僕の場合だけど、お腹の中がきゅーんって痛くなったり、食道から胸にかけての部分をぎゅって大きな片手で握りつぶされるような痛みがあったり、心臓が痛いくらいに激しくどきどきするかな?」
「どれも痛みを感じるのか……」
「あくまで僕の場合だけどね」
カッツンは雑誌を顔にかけてそれっきり黙ってしまった。息遣いも一定だし眠り出しているのかもしれない。
屋上を流れる春風が僕らの髪やシャツをそよそよと揺らし続けている。
―― よし、もう行こう。
僕はここから去ることにした。
ここから、といってもこの屋上からではなく、この四つ目の並行世界そのものからだ。
この世界ではカッツンと真柴さんの接点はまだ無い。その理由も分かったし、これ以上この世界を僕の興味だけでぐりぐりと掻き回せないもん。
ちょっとしたキューピッド役とか、トラブル解決のためのお手伝いなら喜んでさせていただこうと今では素直に思えるようになっているけど、こうして接点の無いところにむりやり僕が接点を作り出すのはなんとなくマズいような気がする。
でもここを離れる前にやる事が一つだけ残ってる。
もう一度真柴さんに謝ってから次の世界に行こう。
さっきは逃げるように飛び出して来てしまったし、僕はもうこの世界からいなくなっちゃうことをちゃんとあの女の子に言っておかなくっちゃ。
たとえそれが勘違いとはいえ、真柴さんの王子様に選ばれた僕の最後の使命だと思うから。
待っててね、真柴さん。
「ああぁ――っ!?」
立ち上がった途端に発した僕の叫び声に、またカッツンが目だけを雑誌の上端から出す。寝ていなかったようだ。
「うるさい。静かにしてくれ」
「ご、ごめん! だってあそこに真柴さんが立っていたから……!」
するとカッツンはむくりと起き上がって僕の指さす方向を見下ろした。そして目を細めて真柴さんを凝視している。
「……何やってんだ、あの女?」
「それは僕にも分からないよ」
だってそう答えるしかない。
本当にこの世界の真柴さんは分からない人だ。
真柴さんはあのおかしなファッションのままで学校に来ていた。
そしてどうやって登ったのかは分からないけど、校門右側の門柱の上にくるみ割り人形さながらにピシッと直立不動で立っている。
でも確かに変わったところはあるけど、やっぱり真柴さんは可愛かった。こんな遠目でもはっきりとそれが分かるところが本当にスゴいと思う。
広がった真っ青のスカートが春風で大きくはためく中、門柱の上に凛として立っている真柴さんは、まるでステージ中央でスポットライトを浴びているヒロインのようだ。
「……あの女、全然動かないな。何がしたいんだ?」
僕の真横でずっと真柴さんを眺めていたカッツンが呟く。
そうだ! こんなところで驚いてないで早く真柴さんのところに行かなくっちゃ!
「僕、真柴さんに話があるから行ってくるよ! 昼寝の邪魔してごめん! じゃあね!」
小走りで急いで梯子の場所に行き、体の向きを変えてするすると降り始める。するとカッツンが雑誌を小脇に挟んで立ち上がり、ゆっくりとした足取りでこちらに歩いて来た。
「ど、どうしたのカッツン?」
「……俺も行く」
「えぇっ!? ほんとっ!? ほんとに来てくれるの!?」
「なぜお前がそんなに喜ぶ」
「エ!? い、いやーその、一緒に来てくれると嬉しいなぁーって思ってたから!」
「どうせ後少しで授業も終わりだ。もう寝る時間もないし、付き合ってやる」
相変わらず光の無い目で口調もつっけんどんだ。
でも僕と一緒に真柴さんをじっと見下ろしていた時のカッツンの様子は、ほんの少しだけロボットじゃなくなっていたような気がしたんだけどなぁ……。
単に僕の気のせいかもしれないけど。




