【 1 】
この空き地に来る度に僕の感情は少しずつ変化している。
一度目のトリップは何も考えずにふらりと呑気に。
この先、自分が信じられないような現象に巻き込まれてしまうなんて微塵も考えずに、なんとなくの冒険気分だった。
そして一つ目の並行世界で生きるもう一人の僕、ショーリに出会い、弱いのに決して臆さないその勇気に感心し、体験したパラレルワールドから自分の世界に帰れると疑わずにいた。
でも二度目のトリップで自分がパラレルワールドをさ迷う時の迷い子になったことをはっきりと自覚する。
絶望的な気持ちになって目の前が真っ暗になったけど、二つ目の並行世界の僕、トシさんから与えられた優しさのおかげで僕の気力と体力が続くまでこのパラレルワールドを突き進もう、と決心することができた。
そして三度目のトリップは三つ目の並行世界の僕、カツの精神の強靭さに舌を巻いた。
自分の帰る場所は完全に見失っちゃったけど、でも様々な並行世界の僕と真柴さんがみんなラブラブになるのを見続けるうち、それを妬む気持ちがどんどん少なくなってきて、自分の中の何かがまたほんの少しだけ変わったような、そんな感覚がする。
―― そしていざ四つ目の並行世界へ。
そのトリップ直前に新たに生まれた、忘れちゃならない大切な大切な僕の感情。
……とにかくお腹が空いたです。
ちょっと情けないかもしれないけど、でもそれが正直な気持ちだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
例の穴の前にかがみ込む。
この穴、中肉中背の僕で何とか通れる広さだから、かなり太った人とかなら無理だろうな……と考えながら頭を突っ込む。すると、向こう側の空き地に上半身を出した僕の頭に何かがふぁさっ、と触れた。
―― ん? なんだろ、これ?
僕は顔を上げた。そして今まさに自分の頭上に展開しているこの恐るべきも素晴らしい光景に思わず叫んでしまった。
「うわあああぁぁぁッ!?」
すると一人の女の子が僕の絶叫に絶叫で返す。
「きゃあああぁぁぁぁっ! あ、あなたっ、そんな所で何をなさっているのですか!?」
……たった今見た強烈な目視映像の内容はこうだ。
それは見上げた先がこの可憐な女の子、つまり真柴 比奈子さんのスカートの中で、僕はたった今、もろの至近距離で彼女の穿いている下着を拝見させていただいたところです。もうこれは一生もののおかずになりそうな予感がするよ……。
真柴さんは地球儀を横半分にスパッと切り取ったかのようなスカートをしっかりと押さえ、僕を見てガタガタと慄いている。
「あなたはチカンさんなのですかっ!?」
「エエッ!?」
チカン呼ばわりされちゃった……。
「チ、チカンじゃないよ!」
「だ、だって今、ワタクシのスカートの中を覗いてらっしゃいましたわよね!?」
「覗いてないよ!」
「じゃあワタクシの下着を見てないのですね!?」
「エッ!? う、うん……?」
あぁ、嘘のつけないなんて素直な僕。返事が生返事になっちゃった……。
この僕の動揺に真柴さんはピンク色に染まった頬を手で覆って叫ぶ。
「あぁっ! やっぱりご覧になられておしまいになったのですね! ハレンチです! あなたはハレンチさんですわ!」
なーんか丁寧語の使い方が若干おかしいような気がするけど、とっ、とにかく、チカンさんとハレンチさんの誤解だけは解いておかないと!
僕は急いで穴から全身を出すと、真柴さんの前に立ち、大きく体を折り曲げて誠心誠意心をこめて謝った。
「ご、ごめん! 本当は見ちゃった! でも真柴さんがこんな所にいるなんて知らなかったんだ! 今見たことは永久に忘れて僕の記憶の奥底に厳重に封印しておくからどうか許して!」
…………本当は忘れるつもりはサラサラないけど。だってあんなにすごかったし。ごめんね、真柴さん。
すると今の僕の言葉を聞いた真柴さんの震えがピタッと止まった。そして僕をしげしげと見る。つい僕も真柴さんを同じように見つめる。
あー、こういうひらひらした服の真柴さんも可愛いなぁ……。
目の覚めるような真っ青な服に長い髪が緩く波打っていて、まるで狭いガラスケースの世界に飽きて飛び出してきちゃったお人形さんみたいだ。
そんな可愛い生きたドールの真柴さんは、長い睫をパチパチとさせながら僕に尋ねる。
「あ、あの、あなた様のお名前はなんとおっしゃいますの……?」
えっ? 僕のこと知らないのっ!?
じゃあこの世界の僕らはまったく会ったことが無いの? それともこの世界の僕はカツよりもさらに全然見かけが違うの?
「北原勝利だよ?」
しかし名前を言ってみても真柴さんに何も変化は起きない。本当に僕に心当たりは無いようだ。
じゃあこの世界の僕らは面識が無いのか……。ちょっと寂しい。
「北原勝利さま……。では勝利さまとお呼びさせていただきますわね!」
―― かっ、勝利さまぁ!?
「な、なんで様なんてつけるのさ!? 僕らは中学一年で同じ年だろ!?」
「あぁやっぱり……!!」
それまで明らかに僕に脅えていた真柴さんの表情がいつのまにか笑顔に一転している。しかも今の僕の疑問を聞いてなぜか瞳までもきらきらと美しく輝き出している。
「……ついに現れましたわっ! あなたはワタクシを迎えに来て下さった王子さまなのですね! 王子さまならお名前に様をつけさせていただくのは当然のことですわ!」
「お、王子さまぁ――っ!?」
「えぇ! 勝利さまはワタクシの王子さまですっ!」
ニコニコと微笑む真柴さん。頭にかぶっているレース帽子の周りについている飾りがゆらゆらと揺れる。な、なんかここの真柴さんってヘン…………。
「ま、真柴さん、大丈夫? 何かおかしなもの食べたんじゃない?」
「いえ?」
「どうして今チカンとか怒られた僕が急に王子さまになるわけ?」
「ハイ!」
真柴さんは神々しいほどの天使の微笑みで答える。
「だって勝利さまはワタクシの名前を知ってらっしゃいましたわ! そう、それに年齢までご存知でしたわ! ワタクシはまだ何も自己紹介をしていなかったのに……! だから勝利さまはワタクシと結ばれる運命の方なのです! その四角い穴はきっと運命の輪で、勝利さまはそこを潜り抜けてワタクシを探しに来て下さった王子さまなのですわ!」
……あー……、そっかそっか、なるほどねー。ここの真柴さんは天然な不思議ッ娘なのかぁ。
どうしよう、一番どう対応していいのか分からない型かもしれない……。
「あ、あのね、僕は真柴さんの運命の相手とかじゃなくて……」
その時お腹がぐぅと鳴った。胃が文句を言っている。そういえばお腹空いてたんだった。さっきのあまりの光景の素晴らしさにすっかり忘れてたけど。
「まぁ勝利さま、お腹が空いてらっしゃるのですか?」
「う、うん。まぁね」
「いけませんわね。朝ごはんはきちんと食べなくては。ではワタクシの家においで下さいませ。是非何かお召し上がりになって行って下さい」
「いっいや、いいよいいよ!」
「どうかご遠慮なさらずに。さぁ勝利さま、参りましょう」
真柴さんがすぐ正面にまで近づいてきて僕を見上げて熱心に誘う。その可愛さに意志がグラグラと揺れ、ピサの斜塔クラスにまで大きく傾いてしまった。
……んー、いいのかなー、このまま彼女についていっちゃっても……。
この世界の僕と真柴さんはぜんぜん面識が無いみたいだし、その前に僕がこうやって真柴さんに深入りしちゃっても大丈夫なのかなぁ……。
優柔不断な本体に業を煮やした胃が、怒りの消化液の量をさらに増やして内部にぶちまけ出しているようだ。またお腹が鳴る。その振動で心の斜塔がまたグラリと大きく傾いだ。
……だめだ、人間の三大欲求の一つ、食欲には勝てそうに無い。
僕は真柴さんの家までお昼……じゃなくて朝ごはんをご馳走になりに行くことにした。
真柴さんが握ってきたので仲良く一緒に手を繋ぎながら。
…………本当にいいのかな……。




