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第二話

王都を発った朝は、よく晴れていた。


「じゃ、行こっか」


イリアーゼはいつもの調子で歩き出した。彼女の足取りには何の気負いもなかった。


魔獣ヴァルガは、これまでも討伐隊を退けてきたが、いまだ姿をくらましている。けれど、イリアーゼには別の考えがあった。


「ヴァルガが見つかるまでの暇つぶし、って思ってる?」


「……違うのか」


「半分正解、半分不正解。所在が分かるまで待ってても仕方ないってのはあるけど、それより大事なのは、レオンと私の連携」


「連携?」


「ヴァルガ級といきなりやり合っても、まあ、勝てないよ。私の精霊がどう動くかも、レオンがどこまで踏み込むかも、まだ分かんないでしょ。そんな状態で行ったら、お互いの足を引っ張るだけ」


街道の先を指差す。


「だから、街道に沿って、しばらくは周辺の依頼をこなしていくつもり。雑魚相手でも、連携の練習にはちょうどいいし」


「……本番の予行演習ってことか」


「そういうこと」


軽い調子でニヤッと笑った。


「はい、手。同調は大事だから」


差し出された手を、迷わず取る。もうすっかり慣れた仕草だった。


街道を進むこと、三日。最初の依頼が入っていた村へ着いた頃には、王都の喧騒からずいぶん遠くまで来たことを実感していた。


◆


最初の討伐は、思っていたよりも過酷だった。


依頼された魔物は、村はずれの森に潜んでいた。イリアーゼの精霊が足止めをし、俺がとどめを刺す――そのはずだったが、魔物の反撃は予想を超えて激しく、イリアーゼは精霊の維持だけでみるみる消耗していった。


「イリアーゼ、大丈夫か」


「あー、やっちゃった。魔力切れ、久しぶりだわ」


青白い顔で座り込んだイリアーゼは、へらっと笑った。深刻さのかけらもない態度に、俺は思わず声を荒らげた。


「久しぶりって……お前、倒れかけてたんだぞ」


「大丈夫大丈夫、休めば戻るから。それより、庇ってくれてありがとね」


軽い調子でお礼を言われ、俺は毒気を抜かれた。心配していた自分だけが、馬鹿みたいに感じられた。同時に、精霊を最後まで維持しきった彼女の力量に、素直に感嘆してもいた。あの土壇場でも足止めをやり遂げたのは、紛れもなく彼女の実力だった。


看病の夜、イリアーゼはあっさりとした調子で種明かしをした。


「魔力切れ、久しぶりって言ってたけど。加減、下手なのか」


「うーん、下手っていうか……本気出すと、ついギリギリまでいっちゃうんだよね。昔からの癖」


「危ないだろ、それ」


「危ないんだけどさ、加減してる間に隙作る方が、もっと危ないから。だったら出し切る方がマシ、っていうのが私のやり方」


本当に何でもないことのように言った。深刻さも、開き直りすらも感じさせない。


「……次から、俺にも言え。限界近いなら」


「え、心配してくれるの?」


「当たり前だろ」


「……ありがと。じゃ、今度からちゃんと言う」


その素直な返事に、俺はまた毒気を抜かれた。


「あ、そういえば」


話題を変えるように言った。


「レオンの剣の振り、なかなか様になってるよ」


「……剣道、やってたからな」


「へー。あ、そういえば、たまに変な感じで叫んでるけど、あれ何?」


「……ああ、あれは癖だよ。技の名前とかじゃなくて、ただの掛け声」


「掛け声? ふーん、変な賭け事」


「賭け事じゃなくて、掛け声な」


「同じじゃない?」


「全然違うだろ」


イリアーゼは、おどけたように笑った。看病の緊張が、その笑い声で少しだけ緩んだ気がした。


寝台に横になったイリアーゼは、すぐに寝息を立て始めた。俺は脇の椅子に腰掛けたまま、しばらくその寝顔を見守っていた。


――限界まで出し切る。それが、彼女なりのやり方なんだろう。危なっかしいと思う反面、その在り方は、彼女の強さの秘訣だ。彼女が傍にいれば安心して戦える。傍にいたいと思わせる何かが、そこにある。


さっき、彼女は約束してくれた。限界が近いなら、ちゃんと言うと。


――今の俺で、それに応えられるのか。


分からない。だが、分からないままでいるわけにはいかない。


ちゃんと、応えられる俺になる。次に彼女が助けを求めてきたとき、迷わないように。


そう自分に言い聞かせながら、いつの間にか、俺も眠りに落ちていた。


◆


村を出た後、俺たちは北へ向けて進路を取った。周辺の村や町から、魔物討伐の依頼がいくつも舞い込んでいた。


「あ、そういえば、最近手繋いでなかったね」


イリアーゼが思い出したように言った。


「同調のためだから、深い意味はないけどね」


そう付け加える律儀さが、いかにも彼女らしい。俺たちは何でもない顔で手を繋いで、次の町を目指した。


「ねえ、レオンの世界で、一番恋しいものって何?」


不意に尋ねてきた。


「……そうだな。コンビニのおにぎり、とか」


「おにぎり? それ、そんなに恋しくなるもの?」


「こっちに来てから一度も食ってないからな。米が恋しいって気持ち、分かるか」


「うーん、正直、あんまり」


「まあ、そうだよな」


だが、故郷との距離を、改めて意識させられる一言でもあった。


時に雨に打たれ、時に晴天の街道を進む。宿場町で温かい湯に浸かる日もあれば、冷たい星空の下で火を囲む夜もあった。


野宿の夜は、イリアーゼが小さな精霊を一体だけ呼び出し、見張りに立たせた。


「これくらいなら、大した負担にならないから」


そう言って、彼女は気にする様子もなく先に眠りについた。


◆


いくつかの町を経て、大きな川沿いの街道に差し掛かった頃、また新たな依頼が舞い込んだ。今回の相手は、素早さを武器にする魔物だった。


戦闘の最中、視界の外から迫る影に、イリアーゼの声が鋭く飛んだ。


「レオン、右に三歩!」


考えるより先に、身体が動いていた。理由も分からないまま、言われた通りに動く。直後、俺がさっきまで立っていた場所を、魔物の尾が薙ぎ払った。同時に、イリアーゼの精霊が、隙だらけになった魔物の横腹を叩いた。


戦闘を終え、宿に戻ると、イリアーゼが不意に俺の目の前に回り込んできた。


「はい、目つぶって」


「……は?」


「いいから、つぶって」


わけも分からないまま目を閉じると、頬に湿った布のようなものが触れた。


「動かないでね。……ほら、泥、めちゃくちゃ着いてるから」


戦闘の最中に跳ねた泥が、頬にこびりついていたらしい。イリアーゼは慣れた手つきで、俺の顔の汚れを拭っていった。


「はい、終わり。……あ、私にもやって」


「……お前もか」


「うん。背中とか、自分じゃ届かないとこ、結構汚れてるから」


言われるまま、俺は彼女の背中や首筋についた泥を払い落とした。


一通り終えたところで、俺はずっと引っかかっていたことを聞いた。


「昼間の話だけど。なんで、右だって分かった」


「分かってないよ」


イリアーゼはあっさりと答えた。


「レオンなら、避けられると思っただけ」


その一言に、俺は妙な感覚を覚えた。彼女は、俺を守るために指示したのではない。俺ならできる、と信じて、指示を出しただけだった。


――守られているんじゃない。任されているのか。


それは、これまでの「守りたい」という一方通行の感覚とは、明らかに違う手触りだった。


「おやすみ、レオン」


イリアーゼはそう言うと、あっという間に寝息を立て始めた。俺はしばらくその寝顔を眺めていた。規則正しい呼吸。緩んだ頬。随分と見慣れてしまった寝顔だった。


翌朝、目を覚ますと、イリアーゼは既に身支度を整えていた。


「よく眠れた?」


「……ああ、まあな」


「今日はこの先の町まで行く予定。道中、多分もう一戦あるかも」


そのやり取りの中に、確かな日常が根付き始めていた。


◆


だが、その感覚は、次の戦闘であっさりと裏切られる。


大型の魔物と対峙したときだった。イリアーゼが詠唱を始めた瞬間、魔物の攻撃がその方向に向かうのが見えた。


考えるより先に、俺は彼女の前に飛び込んでいた。


だが、それが仇になった。俺の身体に遮られ、イリアーゼの詠唱の照準がずれる。魔法は不発に終わり、隙を突かれた魔物の一撃が、二人まとめて吹き飛ばした。


「イリアーゼ、大丈夫か」


「……大丈夫だけど」


イリアーゼは身体を起こしながら、珍しく硬い声で言った。


「なんで、私の前に出たの」


「危なかったから」


「それじゃ、駄目なんだよ」


いつもの飄々とした調子ではなかった。真剣な、少し苛立ちを含んだ声だった。


「……お前を、守ろうとしたんだ」


「うん。でも、私は、レオンに守られるだけの存在じゃないよ」


俺の目をまっすぐ見た。


「守られるより、信じてくれた方が、ずっと助かる」


その言葉は、これまでの彼女の言葉の中で、一番、俺の中に深く刺さった。


「愛する相手を守る」ことと、「大切な相手だからこそ、その判断を信じる」こと。二つは、似ているようで、まったく違う態度だった。俺は、まだ前者しかできていなかった。


「……分かった」


短く答えるので精一杯だった。だが、その言葉の重みを、俺は確かに受け止めていた。


◆


その教訓が、身をもって試されたのは、それから数日後のことだった。


二体の魔物に同時に囲まれる、これまでにない苦戦だった。イリアーゼは精霊で一体を抑え、俺がもう一体と斬り結ぶ。だが、俺の背後に、抑えていたはずの魔物の一部が回り込もうとしていた。


「レオン、後ろ!」


声が飛んだ瞬間、俺は振り返らずに、背中を反対方向へ傾けた。確認する時間はなかった。ただ、彼女の声を信じて、身体を動かしただけだった。


背後で、魔物の爪が空を切る音がした。同時に、イリアーゼの精霊が横から割り込み、俺の死角を塞いだ。


「そっちは任せた!」


俺も、振り返らずに叫び返した。目の前の魔物に集中したまま、背中側の安全を、完全に彼女に委ねる。指示を待つのでも、確認するのでもない。ただ、互いの位置と呼吸だけを頼りに、無言のまま連携が成立していた。


決着がついた直後、イリアーゼの二の腕に、浅い切り傷ができているのに気づいた。あと少し反応が遅れていたら、もっと深い傷になっていたはずだった。


「イリアーゼ、腕――」


「ん、平気平気。かすっただけ」


けろりとした顔で言った。だが、俺の中では、何かが違う音を立てていた。


もしあの時、俺の反応がわずかでも遅れていたら。もしイリアーゼの声が、わずかでも遅く届いていたら。


――失いたくない。


初めて、その言葉が、はっきりとした輪郭を持って、俺の中に浮かび上がった。


その夜、宿の一室で、俺は自分から口を開いた。


「今日の傷、大したことないのか」


「うん、平気だって。心配性だなあ、レオンは」


「……心配するに決まってるだろ」


イリアーゼは少し驚いたように俺を見た。それから、いつもの笑顔とは少し違う、柔らかい表情を浮かべた。


「うん。ありがと」


そう言うと、イリアーゼは、不意に俺の背中に腕を回してきた。


「……どうした、突然」


「え? なんとなく」


「なんとなくって」


「ははっ」


イリアーゼは、俺の肩に顎を乗せたまま続けた。


「私たち、なんか、様になってきたよね」


「……様に?」


「連携っていうか、間の取り方っていうか。最初の頃は、正直、大丈夫かなって思ってたんだけど」


「思ってたのかよ」


「思うでしょ、普通。でも今は、目配せだけで、大体何をすればいいか分かる。これ、結構すごいことなんだよ」


腕を解くと、どこか楽しげな笑みを浮かべた。


「同調のため、って理由、なかったよな」


俺が指摘すると、イリアーゼは、少し驚いたように答えた。


「あー……うん。嬉しいからだよ」


「……嬉しい、って思うのか。お前でも」


「思うでしょ、普通。なんで意外そうなの」


「いや……なんとなく」


「レオンの方が失礼じゃない、それ」


そう言うと、イリアーゼは、いつも通りの調子で寝転がった。


「手、繋いで」


小さく笑うと、そのまま安心したように、すぐに寝息を立て始めた。俺は、規則正しいその呼吸を聞きながら、しばらく目を閉じずにいた。


◆


北へ進むにつれ、気候は少しずつ涼しくなっていった。討伐の依頼をこなしながら、俺たちは淡々と旅を続けた。


旅を始めてから、もうすぐ一ヶ月になる頃だった。俺は妙に心地よい夢を見ていた。何の夢だったかは、目が覚めた瞬間にはもう思い出せない。ただ、満たされたような、穏やかな余韻だけが残っていた。


目を開けると、イリアーゼが既に起きていて、こちらをじっと見ていた。


「レオン、おはよ。……あの、それ、朝は皆そうなるものなの?」


「……は?」


視線の先に気づいて、俺は思わず布団を引き寄せた。


「いや、これは、その、欲情してるとかじゃなくて、生理現象っていうか……人間の身体の仕組み上、誰にでも起こることで」


しどろもどろに説明する俺を、イリアーゼは興味深そうに眺めていた。


「へー、そうなんだ。面白いね、人間の身体って」


からかう様子もなく、本当にただの好奇心だけがそこにあった。俺だけが、一人で気まずさを引きずっていた。


「まあ、そんなことより」イリアーゼはあっさりと話題を変えた。「今日は、この先にある町まで行く予定。道中、少し厄介な魔物が出るらしいから、気を引き締めていこっか」


いつも通りの朝だった。少なくとも、その時の俺たちは、そう思っていた。


支度を整え、宿を出ようとしたところで、遠くから馬の蹄の音が近づいてくるのが聞こえた。一頭ではない。複数の馬が、こちらへ向かって速度を上げているのが分かった。


「……何?」


イリアーゼが怪訝そうに振り返った。


土埃を上げながら現れたのは、王家の紋章を掲げた早馬だった。先頭の騎士が、俺たちの前で馬を止め、息を切らしながら声を上げた。


「勇者レオン殿、召喚士イリアーゼ殿とお見受けする。王命により、緊急の伝達を持って参りました」


騎士は懐から一通の書状を取り出した。


「古代遺跡に眠る剣の回収――両名に、直ちにその任務へ向かうよう、陛下より命が下りました」


その言葉を聞いた瞬間、隣に立つイリアーゼの表情から、笑みが消えた。


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