解けるもの、解けないもの
「三日月の尾」は、しばらく休みになった。
ダンの脚が治るまで、というのが表向きの理由だ。実際のところは、赤字を埋める算段がついていないのだろう。ガレスは「一か月したら声をかける」と言って、それきり顔を見せなくなった。
診療所に見舞いに行くと、ダンは意外なほど元気だった。
「よお坊主。悪いな、隊が止まっちまって」
「いえ。……脚、痛みますか」
「痛むさ。だが残った」
そう言って、ダンは包帯の上から自分の腿を叩いた。景気のいい音がした。真似したくはない。
「ミラに聞いたぞ。お前、あいつの足のやつ、一瞬で外したんだってな」
「はい、まあ」
「大したもんだ」
俺は曖昧に頷いて、帰った。
あの縄を張ったのは俺です、とは言わなかった。
言えばよかったのかもしれない。ただ、言ってしまうとダンが困る顔をするのが、目に浮かんでしまった。困らせたくないから言わない。前世からの十八番である。誰も傷つかず、誰も何も知らないまま、俺だけが少し重くなる。効率の悪い技だ。
*
というわけで、俺は暇になった。
宿代は、三週間ぶんの貯えでどうにかなる。ギルドの掲示板には、Fランクでも受けられる依頼が数件出ていたが、どれも「荷運び」か「溝さらい」で、正直、冒険者になった意味を根本から問われる内容だった。
だから俺は、実験をすることにした。
森で気づいたことがある。
俺が解いたのは、ミラの足に絡んだ縄だった。あれは俺が結んだものだ。錠前も、罠も、封も、全部、誰かが「そうなるように」作ったものだ。
じゃあ、そうでないものは?
石は。木は。骨は。
——たぶん、無理だ。
無理だという確信だけは、なぜか最初からあった。ただ、確信と検証は違う。前世の三十二年で唯一学んだことがあるとすれば、思い込みは高確率で外れるということだ。主に悪いほうに。
俺は紙とペンを買って、宿の部屋に戻った。
*
【一日目】
・宿の扉の錠 → 解けた(三秒)
・自分の靴紐 → 解けた(一秒未満)
・女将が結んだ荷袋の口 → 解けた
・机の上の石 → 何も起きない
・薪 → 何も起きない
・窓枠の木の節 → 何も起きない
ここまでは予想通りだった。
問題は、境目がどこにあるかだ。
・自分の髪(適当に絡ませたもの)→ 解けない
これは意外だった。自分の髪なのに。
・自分の髪(三つ編みにしたもの)→ 解けた
なるほど。
つまり「絡まっている」のと「結ばれている」のは違う。俺の指が反応するのは後者だけらしい。
三つ編みの練習をひとりで延々やっている十五歳の姿は、我ながらどうかと思った。誰にも見られなかったので、なかったことにする。
*
【二日目】
町に出た。
結び目を探して歩く一日だった。
・馬をつないだ手綱 → 解けた(馬が驚いた。謝った)
・露店の日よけの張り縄 → 解けた(店主が驚いた。謝った)
・門番の鎧の留め紐 → 解けた(門番が驚いた。全力で謝った)
三度目で自分の行動を見直した。
冷静に考えると、俺がやっているのは「町中を歩いて他人の結び目を勝手にほどく」という行為である。技能名が「解錠」でよかったと思う。「解錠」でなければ、いまごろ詰所にいた。
昼過ぎ、俺は方針を変えて、自然にできたものを試すことにした。
・蔦が絡んだ塀 → 解けない
・鳥の巣 → 解けない
・水路に溜まった枯れ枝 → 解けない
鳥の巣は面白かった。あれは明らかに「編んで」ある。鳥が意図して組み上げた構造だ。それでも、俺の指は何も感じ取らなかった。
・干し草を束ねた縄 → 解けた
同じ場所にあるのに、人が縛った縄だけが解ける。
鳥は駄目で、人は良い。
——ということは。
俺は自分の手を見た。
「意図」なんて曖昧なものが基準なら、鳥の巣だって立派に意図的だ。鳥は明日の卵のために巣を編んでいる。俺の靴紐より、よほど切実な意図がある。
なのに、解けない。
じゃあ何が違うんだ。
*
【三日目】
朝から考えて、昼に一つ思いついた。
ミラを探した。
「あんた、なんの用?」
彼女は矢羽根を整えているところだった。相変わらず愛想はよくない。ダンの件があってから、少しだけ口をきいてくれるようにはなった。
「お願いがあるんですけど」
「金なら貸さないわよ」
「髪を、編ませてもらえませんか」
矢が一本落ちた。
「……もう一回言って」
「あ、いえ、そういう意味ではなく。実験で。ええと、他人が結んだものと自分が結んだものに違いがあるかを確かめたくて、それで髪が一番わかりやすくて」
ミラは長いこと俺を見ていた。それから、深いため息をついた。
「あんた、そういうところよ」
どういうところなのかは教えてもらえなかったが、髪は貸してくれた。
・ミラが自分で編んだ三つ編み → 解けた
・俺がミラの髪を編んだもの → 解けた
・二人で交互に編んだもの → 解けた(編み方が下手すぎて、ミラに怒られた)
誰が結んだかは、関係ない。
じゃあ、鳥の巣との違いは。
俺はミラに礼を言って、その足で宿に戻った。
途中で、ふと立ち止まった。
——約束だ。
*
町の外れに、古い祠のような石積みがある。
そこに、布切れや紐が結わえられていた。旅の無事を祈って、あるいは病が治るように願って、通りがかりの人間が結んでいくものらしい。神様に、とは誰も言わない。この町でもそれは同じだ。ただ「昔からそうしている」というだけで、みんな結んでいく。
俺はその一本に、指を伸ばした。
——ある。
あった。
錠前や罠とは違う手触りだった。もっと薄くて、もっと頼りない。それでも、たしかに「結ばれている」。
俺は指を離した。
解かなかった。
さすがに、これは駄目だろう。誰かが誰かの無事を願って結んだものを、通りすがりの十五歳が解いてはいけない。技能があるからといって、やっていいことにはならない。前世でそれを間違えた人間を、俺は何人か知っている。
そのまま宿に帰って、紙にこう書いた。
『解けるもの=誰かが、そうしようと思って結んだもの』
『解けないもの=ひとりでにそうなったもの』
鳥の巣が駄目な理由は、たぶんこうだ。鳥は編んでいるが、「結んで」はいない。あれは積み上げているだけで、二つのものを一つに縛る意思がない。
縄は違う。錠は違う。三つ編みも、約束の布切れも違う。
あれは全部、「離れているものを、くっつけておこう」という意思の形だ。
俺の手は、その意思にだけ触れる。
*
書き終えて、俺はペンを置いた。
三日かけて、わかったことは一行だった。
大発見という感じはしない。むしろ「そりゃそうだろう」という気もする。ただ、自分の手が何をする手なのかを、自分の言葉で書けたのは初めてだった。
——離れているものを、くっつけておこうとしたもの。
それを、俺はほどく。
……よく考えると、ずいぶん人でなしの能力ではないだろうか。
世界中の人が「離したくない」と思って結んだものを、片っ端からほどいて回る。そういう手だ。
役に立たないとは、もう言わない。
言わないが、これはこれで、けっこう嫌な才能だと思う。
*
蝋燭を消そうとして、俺はふと、自分の胸に手を当てた。
意味はない。ただの手癖だった。
——え。
指が、止まった。
ある。
胸の、ちょうど真ん中あたり。肋骨の内側の、もっと奥。
錠前でも、縄でも、布切れでもない。もっと大きくて、もっと古い。何かと何かが、しっかりと縛り合わされている感触が、たしかにそこにあった。
俺は息を止めて、そこに意識を集めた。
——ここ。
わかる。位置はわかる。
じゃあ、解けるか。
三秒。
五秒。
十秒。
びくともしなかった。
これまで触れたどの結び目とも違った。指が届いていないのではない。届いているのに、動かない。錆びついているのとも違う。あまりにも強く、あまりにも丁寧に、あまりにも古く結ばれていて、俺程度の手ではどこから手をつければいいのかすらわからない。
俺は手を下ろした。
心臓が、少し速かった。
「……なんだよ、それ」
誰も答えなかった。
誰かが結んだ、ということだけが、わかった。
ひとりでにそうなったものは、解けない。俺の手は、そういう手だ。触れられた以上、これは——誰かが、そうしようと思って結んだものだ。
俺の中に。
いつ。
誰が。
蝋燭が、じじ、と鳴って短くなった。
俺はしばらくそのまま座っていて、それから、何も書かずに紙を閉じた。
書いてしまうと、認めることになる。
そういうことを、俺はしない。




