共犯者たち
その夜、誰も眠らなかった。
火は消さなかった。薪が減って、フェンリスが二度取りに出た。二度目に戻ってきたとき、彼はこう言った。
「外、雪が降ってる」
「もう?」
「初雪だな。……そういや、俺が町を出てから、半年経ってるのか」
俺は、指を折った。四月に家を出た。いまが十月の終わりだ。半年。前世で半年といえば、何も起きない長さだった。
*
明け方近く、俺は口を開いた。
「聞いていいですか」
三人が、こちらを見た。
「はい」
「知ってましたか」
沈黙は、短かった。
「知ってたわ」リーナが言った。「全部じゃない。断片よ。でも、知ってた」
彼女は、火のそばの紙を指した。俺が昨夜書いた、十四行の紙だ。
「そこの、七行目。あれと同じ言葉が、里の書庫にあったの」
「本に?」
「本じゃない。棚に」彼女は、膝の上で手を組んだ。「里の書庫はね、棚に番号が振ってあるの。一から百二十まで。……でも、三十七番がないのよ」
「ない?」
「三十六の次が、三十八なの。三十七の場所には、壁がある。塗り直した壁よ」
「いつからですか」
「知らない。わたしが子どものころには、もうそうだった」彼女は言った。「わたし、五歳のときにそれを見つけたの。……お祖母様に『三十七はどこ?』って聞いたのが、いちばん最初の質問よ」
「なんて言われました」
「『まだ早い』」
*
俺は、ガルドを見た。彼は、まだ布包みに手を置いていた。
「ガルドは」
「知ってた」即答だった。
「どのくらい」
「二つだ」彼は、指を二本立てた。「一つ。うちの街の炉が、必要以上に多いこと。二つ。七段目の下に、誰も入れねえ区画があること。……この二つを並べると、答えは一つしか出ねえ」
「並べたんですか」
「並べた。三十年前にな。……ボルドと二人でだ」
俺は、そこで息を吸った。
「じゃあ、あの人は」
「知ってた」
「二人で、それを確かめようとして」
「そうだ」
「だから、区画を開けようとした」
「そうだ」
ガルドは、布包みを撫でた。
「あいつはな、坊主。俺より頭がよかった。俺が『炉が多いな』と言っただけで、あいつは三日で全部組み立てた。……そして、開けようと言い出した」
「あなたは、反対しなかったんですか」
「した。一年、反対した」
彼は、初めて笑った。笑ったというより、口の端が動いただけだった。
「一年、俺は反対した。そのあと、賛成した。理由は簡単だ。あいつが一人でやりそうだったからだ」
「一人でやったら、死にますよね」
「死ぬな」
「二人でやっても、死にました」
「死んだ」
彼は、それだけ言った。
*
俺は、フェンリスを見た。彼は、坑口のほうを向いて座っていた。外を見ている。雪が降っているのだろう。
「フェンリスは」
「俺は、知らねえ」
「本当に?」
「本当だ。……ただな」彼は、こちらを向いた。「十六年前、俺が壊した祭壇な。あそこに祀ってあったもんを、俺は見た」
「見たんですか」
「見た。壊したときにな、中が開いた」
「何がありましたか」
フェンリスは、しばらく黙っていた。そして、言った。
「刃だ。折れた刃だ。刀身の、真ん中から先だけ。柄はねえ。……長さは、これくらい」彼は、両手で幅を示した。俺の前腕ほどだった。「布に包んで、木の箱に入れて、それを祭壇の中に納めてあった」
「それを、拝んでたんですか」
「拝んでた。……いや、違うな。拝んでたのは俺たちだ。あれ自体は、拝まれる形をしてねえ。ただ、しまってあった」
俺は、昨夜の紙を見た。十四行のうち、九行目。『獣人が前線に立った』。
「フェンリス。その刃、錆びてましたか」
彼の耳が、跳ねた。
「……錆びてねえ」
「千年ですよね」
「千年だ」
「錆びてなかったんですか」
「錆びてねえ。……くそ。あんとき、なんとも思わなかった。ガキだったからな」
彼は、両手で顔を覆った。
「なあ、セイン。うちの部族は、あれを『神様』って呼んでた。祈るときは、あの箱に向かって祈った。子どもが生まれたら、あそこに連れていく。狩りの前に、あそこで手を合わせる。……俺も、祈るのを六歳までやってた」
彼の声が、掠れた。
「あれ、神様じゃねえよな」
「はい」
「あれ、神様を——」
言葉が、止まった。彼は、二回、口を開いた。二回とも、音が出なかった。そして、彼は火のそばの紙を指した。指だけで。
俺は、頷いた。
「はい。そういうことだと思います」
*
坑内が、静かになった。俺は、そこで最初の質問に戻った。
「じゃあ、なんで隠してたんですか」
三人が、俺を見た。
「隠してたわけじゃない、と言いたいところだけど」リーナが言った。「隠してたわね」
「なんでですか」
「言えなかったからよ」
「それは知ってます。声が出ないことは」
「そうじゃないの」彼女は、首を振った。「言葉が出ないのと、言わないのは、別なの。……ガルドが前に言ったでしょう。区別しろって」
「言ってました」
「わたしたちは、両方やってた」
彼女は、俺をまっすぐ見た。
「セイン。あなた、丘の上で聞いたわよね。この地方の守護神は何かって」
「聞きました」
「あのとき、わたしは話題を変えたわ。あれは、言葉が出なかったんじゃない。変えたのよ」
「なんでですか」
「あなたが、いい子だったから」
俺は、その答えを取り損ねた。
「……はい?」
「あなた、あのとき何も知らなかったでしょう。ただの十五歳で、ただのFランクで、便利屋って呼ばれてて、掲示板の前で自分の名前を探してた」彼女は言った。「そういう子に、こんな話をしたくなかったの」
「でも、俺は」
「知ってるわ。あなたは、遺跡でそれを引き受けた。自分から聞くと言った。……あれは立派よ。でもね、セイン」
「わたしたちは、あなたが立派になる前から、あなたを知ってるのよ」
俺は、何も言えなかった。
ガルドが、後を継いだ。
「坊主。もう一つある。お前は、器だ」
「……はい」
「あれの、器だ」彼は、紙を指した。七行目を。「俺たちの先祖がやったことを、お前に話すってことはな。お前の中にあるもんに、話すってことだ」
俺は、自分の胸に手を当てた。
「……ああ」
「わかったか」
「わかりました」
「わかっちまうか」
「はい」
「そうか」
ガルドは、火に薪を足した。
「俺は、それが一番こわかった。お前に話すんじゃねえ。お前の中のもんに、聞かれるのがこわかった。……九十二年生きて、俺は初めて、そういうこわがり方をした」
*
そのときだった。
「私は」
声がした。レクスだった。彼女は、坑口の近くに座っていた。俺たちの話を、たぶん全部聞いていた。いつものように、何も言わずに。
「レクス?」
「私は、何をした?」
誰も、答えなかった。
彼女は、火のそばの紙を見ていた。
「人間は、鉄と炭と運搬。エルフは、術式と付与。ドワーフは、鍛造。獣人は、前線」
彼女は、読み上げた。文字が読めるとは知らなかった。
「四つ、書いてある」
「はい」
「私は、どれ?」
俺は、答えられなかった。リーナも、ガルドも、フェンリスも、誰も答えなかった。
彼女は、待たなかった。答えを期待していない聞き方だった。ただ、そこにある四つの項目と、その下の削られた一行を、しばらく見ていた。
そして、こう言った。
「……そこも、削ってある」
*
朝になった。雪は、朝には止んでいた。坑口から見ると、谷の斜面が薄く白くなっていた。
俺は、外に出た。
三人が知っていた。程度の差はあれ、全員が。この旅で、俺の前で黙っていた。丘の上でも、帰り道でも、遺跡でも、工房でも。
腹を立てていいはずだった。立てられなかった。理由は、単純だった。
俺は、前世のことを誰にも話していない。十年、部屋にいたことを。二百通の下書きを。母がノックをやめた日のことを。胸の結び目のことも、四か月、誰にも言わなかった。夢に二人が出てきたことも、遺跡で二人が実体になるまで、一言も話さなかった。
俺は、三人に「なんで隠してた」と聞いた。聞いておいて、俺は、いま自分が何を隠しているかを、正確に数えられる。
雪の上に、足跡があった。小さい足跡だった。坑口から谷のほうへ、点々と続いている。
俺は、それを目で追った。レクスが、谷の斜面に立っていた。雪の中に、一人で。何を見ているのかはわからない。ただ、そこに立っていた。
俺は、そちらへ歩いていった。雪を踏む音が、彼女に届いたはずだ。彼女は振り返らなかった。
俺は、その隣に立った。そして、しばらく、二人で何も言わなかった。




