写し
オズルが、場所を知っていた。
街道から半日外れた谷筋に、古い採掘場の跡があった。八百年前に掘り尽くして、それきり誰も来ていないという。
坑口は塞がっていなかった。中に入ると、最初の三十歩ぶんは天井が高く、床も平らだった。奥は崩れている。
「ここなら雨がしのげる。水は谷から汲める」
「よく知ってますね」
「記録係だからな。うちの街が掘った場所は、全部頭に入っておる」彼は言った。「掘った場所と、掘るのをやめた場所と、両方な」
*
火を焚いた。リーナが板の束を広げたのは、その日の夕方だった。三日寝込むと言っていたのに、彼女は起きていた。俺が止めると、こう言った。
「寝てても治らないの」
「治りますよ」
「治るけど、遅くなるだけよ。……これを読まないと、わたし、たぶん眠れないわ」
板は、三十一枚あった。一枚が、俺の掌を二つ並べたくらいの大きさだ。表面に文字が焼き付けてある。裏にも書いてあった。合わせて六十二面。
「ドワーフの古字ですか」
「そう。……いえ、少し違うわね」リーナは、一枚目を灯りに近づけた。「これ、古字の中でも記録用の書式よ。省略が多いの。文章じゃなくて、項目を並べる書き方」
「読めますか」
「読めるわ。……読めるけど、たぶん時間がかかる」
「どのくらい」
「わからない。二日か、三日か」
俺は、書き写す係になった。読めないからだ。リーナが読み上げて、俺が炭で紙に書き取る。彼女は自分の手で書きたがったが、まだ指が震えていた。
「わたしがやるわ」
「震えてます」
「震えてても書けるわよ」
「読めなくなります」
「……そうね」
彼女は、素直に引き下がった。彼女がこんなに素直に引き下がるのは珍しかった。それだけ、体が動いていないのだと思う。
*
一日目は、夜通しやって、四枚しか進まなかった。理由は単純で、意味が通らなかったからだ。
「『第三、鉄、七百二十』」
「はい」
「『第三、木、四百』」
「はい」
「『第四、鉄、九百六十』」
俺は、書きながら聞いた。
「これ、なんですか」
「数字よ」
「それはわかります」
「わたしにもそれしかわからないの」
延々と、そういう調子だった。第三、第四、第五。鉄、木、革、麻。数字。また数字。ときどき人の名前らしきものが混じるが、それも読み方がわからない。
明け方、俺は四枚ぶんを書き終えた紙を見た。数字が二百個ほど並んでいた。
「……なんの記録なんですか、これ」
「わからない」リーナは目をこすった。「大戦の記録だって言われたから、戦の話が書いてあると思ったのよ。誰がどこで戦って、誰が死んで、って」
「違いますね」
「違うわね」
その日、オズルは何も言わなかった。彼は坑口のところに座って、外を見ていた。俺たちが読み上げているあいだ、一度もこちらを見なかった。
昼過ぎに、俺は水を汲みに出た。彼が横にいた。
「オズルさん。あれ、なんの記録ですか」
「言えん」
「そうでした」
「いや」彼は、少し首を振った。「言えんのもあるがな。……あんたらが自分で読んだほうがいい」
「なんでですか」
「わしは、八十年かけて読んだ」彼は言った。「一枚目から順に読んで、意味がわかったのは五十年目だ。……あの嬢ちゃんが三日で読めるとは思わん」
「三日じゃ無理ですか」
「無理だな」
*
二日目の昼過ぎに、リーナが叫んだ。
「わかった!!」
彼女は板を叩いた。俺は炭を落とした。
「これ、名簿よ」
「名簿?」
「そう。人の名簿じゃない。……ものの名簿」彼女は、紙に書き取った数字を指した。「見て。『第三、鉄、七百二十』。この『第三』は日付でも場所でもないの。組の番号よ」
「組」
「作業の班。ドワーフの街で使う書式と同じなの。第三班が、鉄を七百二十単位使った。第三班が、木を四百使った。第四班が、鉄を九百六十使った」
「じゃあ、これ」
「作った記録よ」彼女は言った。「何かを、大量に作った記録」
そこから、速くなった。書式がわかれば、あとは埋めるだけだ。リーナは半日で十枚を読んだ。俺の手が追いつかなくなって、二日目の夜には彼女が自分で書き始めた。指の震えは、そのころには止まっていた。
わかったことを、順に並べる。記録は五年ぶんある。班は全部で二十八ある。班ごとに、使った材料と、作ったものの数が書いてある。そして、作ったものは、武器だった。
「何本ですか」俺は聞いた。
リーナは、紙に書いた数を全部足していた。彼女は三回足し直して、それから顔を上げた。
「……四万二千」
坑内が、静かになった。
「四万」ガルドが言った。彼は火の向こうにいた。「四万本、五年でか」
「五年で四万二千三百六十本よ」
「無理だ」
「無理?」
「うちの街は、いま二百の炉がある」ガルドは言った。「全部フル稼働して、一年に六千本だ。五年で三万。……できなくはねえが、それは街の全部の炉を、五年間、他の仕事を一切やらずに回した場合だ」
「じゃあ」
「そんなことをしたら、街が死ぬ。鍋も、鍬も、蹄鉄も作れねえ。買う金も入ってこねえ。……五年もったら奇跡だ」彼は言った。「それを、やったってことだな」
*
三日目、最後の三枚に、それはあった。
リーナが、二十八枚目まで読み終えたところで手を止めた。
「セイン。ここから、書式が変わるわ」
彼女は、二十九枚目を灯りに近づけた。
「参加者の一覧よ。……いままでは班の番号だったけど、ここは種族で分けてある」
「読めますか」
「読める。……四つ、あるわ」彼女は指でなぞった。「一つ目。人間。『鉄と炭、および運搬』。二つ目。エルフ。『術式および付与』。三つ目。ドワーフ。『鍛造の一切』。四つ目。獣人。『前線』」
俺は、書き取る手を止めた。
「前線」
「前線ね」
「他の三つは、作る側です」
「そうね」
「獣人だけ、使う側です」
「……そうね」
フェンリスが、火の向こうから立ち上がって、こちらへ来た。
「もう一回言え」
「四つ目。獣人。『前線』」
「それだけか」
「それだけ」
「他になんか書いてねえのか。人数とか、誰が行ったとか」
「書いてないわ。……というより」リーナは、板をひっくり返した。「その先が、削ってあるの」
俺は、それを見た。木の板だ。文字は焼き付けてある。削るのは簡単だ。表面を削れば、焼き跡は消える。四つ目の項目の下に、削られた跡があった。一行ぶん。
「五つ目ですね」
「そう思う」
「消えてますか」
「完全に消えてるわ。……写しだもの。オズルさんが写したときには、もう消えてたのよ」
俺は、坑口のほうを見た。オズルは、そこに座っていた。こちらを見ていない。
「オズルさん。五つ目は、原本にはありましたか」
彼は、しばらく答えなかった。それから、こう言った。
「原本もな、削ってあった」
「誰が削ったんですか」
「知らん」
「いつ」
「知らん。……わしが最初に入ったのは六十年前だ。そのときには、もう削ってあった」
*
三日目の夜。最後の二枚が、残っていた。
リーナは、それを一枚ずつ読んだ。今度は速かった。文字が少なかったからだ。三十枚目には、期日が書いてあった。
「『第五年、第十一月、第三日。全班、作業完了』」
三十一枚目には、一行だけ書いてあった。
彼女は、それを読み上げなかった。しばらく、板を見ていた。
「リーナさん?」
「……ちょっと待って」
「読めませんか」
「読めるわ。読めるけど」
彼女は、板を灯りに近づけたり、遠ざけたりした。角度を変えて、何度も見た。
「……間違えてないと思う」
「なんて書いてあるんですか」
彼女は、こう読んだ。
「『対象——』」
そこで、止まった。
「その先は」
「削ってある」
俺は、板を覗き込んだ。『対象』という文字の下に、削られた跡があった。他の削り跡より、深かった。何度も削ったのだと思う。焼き跡を完全に消すために、木の繊維が毛羽立つまで削ってある。
その一語だけが、残されていた。対象。
リーナが、板を置いた。彼女は、しばらく膝の上で手を組んでいた。それから、顔を上げた。
「セイン」
「はい」
「これ、戦の記録じゃないわ」
「じゃあ、なんですか」
「準備の記録よ」彼女は言った。「四種族が、五年かけて、四万二千本の武器を作った。……作り終わって、それから行った」
「どこへ」
「書いてない」
「誰のところへ」
「そこが、削ってあるの」




