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灰燼の神話 〜神殺しの副産物〜  作者: NN
三人の仲間

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58/62

写し

オズルが、場所を知っていた。


街道から半日外れた谷筋に、古い採掘場の跡があった。八百年前に掘り尽くして、それきり誰も来ていないという。


坑口は塞がっていなかった。中に入ると、最初の三十歩ぶんは天井が高く、床も平らだった。奥は崩れている。


「ここなら雨がしのげる。水は谷から汲める」


「よく知ってますね」


「記録係だからな。うちの街が掘った場所は、全部頭に入っておる」彼は言った。「掘った場所と、掘るのをやめた場所と、両方な」


  *


火を焚いた。リーナが板の束を広げたのは、その日の夕方だった。三日寝込むと言っていたのに、彼女は起きていた。俺が止めると、こう言った。


「寝てても治らないの」


「治りますよ」


「治るけど、遅くなるだけよ。……これを読まないと、わたし、たぶん眠れないわ」


板は、三十一枚あった。一枚が、俺の掌を二つ並べたくらいの大きさだ。表面に文字が焼き付けてある。裏にも書いてあった。合わせて六十二面。


「ドワーフの古字ですか」


「そう。……いえ、少し違うわね」リーナは、一枚目を灯りに近づけた。「これ、古字の中でも記録用の書式よ。省略が多いの。文章じゃなくて、項目を並べる書き方」


「読めますか」


「読めるわ。……読めるけど、たぶん時間がかかる」


「どのくらい」


「わからない。二日か、三日か」


俺は、書き写す係になった。読めないからだ。リーナが読み上げて、俺が炭で紙に書き取る。彼女は自分の手で書きたがったが、まだ指が震えていた。


「わたしがやるわ」


「震えてます」


「震えてても書けるわよ」


「読めなくなります」


「……そうね」


彼女は、素直に引き下がった。彼女がこんなに素直に引き下がるのは珍しかった。それだけ、体が動いていないのだと思う。


  *


一日目は、夜通しやって、四枚しか進まなかった。理由は単純で、意味が通らなかったからだ。


「『第三、鉄、七百二十』」


「はい」


「『第三、木、四百』」


「はい」


「『第四、鉄、九百六十』」


俺は、書きながら聞いた。


「これ、なんですか」


「数字よ」


「それはわかります」


「わたしにもそれしかわからないの」


延々と、そういう調子だった。第三、第四、第五。鉄、木、革、麻。数字。また数字。ときどき人の名前らしきものが混じるが、それも読み方がわからない。


明け方、俺は四枚ぶんを書き終えた紙を見た。数字が二百個ほど並んでいた。


「……なんの記録なんですか、これ」


「わからない」リーナは目をこすった。「大戦の記録だって言われたから、戦の話が書いてあると思ったのよ。誰がどこで戦って、誰が死んで、って」


「違いますね」


「違うわね」


その日、オズルは何も言わなかった。彼は坑口のところに座って、外を見ていた。俺たちが読み上げているあいだ、一度もこちらを見なかった。


昼過ぎに、俺は水を汲みに出た。彼が横にいた。


「オズルさん。あれ、なんの記録ですか」


「言えん」


「そうでした」


「いや」彼は、少し首を振った。「言えんのもあるがな。……あんたらが自分で読んだほうがいい」


「なんでですか」


「わしは、八十年かけて読んだ」彼は言った。「一枚目から順に読んで、意味がわかったのは五十年目だ。……あの嬢ちゃんが三日で読めるとは思わん」


「三日じゃ無理ですか」


「無理だな」


  *


二日目の昼過ぎに、リーナが叫んだ。


「わかった!!」


彼女は板を叩いた。俺は炭を落とした。


「これ、名簿よ」


「名簿?」


「そう。人の名簿じゃない。……ものの名簿」彼女は、紙に書き取った数字を指した。「見て。『第三、鉄、七百二十』。この『第三』は日付でも場所でもないの。組の番号よ」


「組」


「作業の班。ドワーフの街で使う書式と同じなの。第三班が、鉄を七百二十単位使った。第三班が、木を四百使った。第四班が、鉄を九百六十使った」


「じゃあ、これ」


「作った記録よ」彼女は言った。「何かを、大量に作った記録」


そこから、速くなった。書式がわかれば、あとは埋めるだけだ。リーナは半日で十枚を読んだ。俺の手が追いつかなくなって、二日目の夜には彼女が自分で書き始めた。指の震えは、そのころには止まっていた。


わかったことを、順に並べる。記録は五年ぶんある。班は全部で二十八ある。班ごとに、使った材料と、作ったものの数が書いてある。そして、作ったものは、武器だった。


「何本ですか」俺は聞いた。


リーナは、紙に書いた数を全部足していた。彼女は三回足し直して、それから顔を上げた。


「……四万二千」


坑内が、静かになった。


「四万」ガルドが言った。彼は火の向こうにいた。「四万本、五年でか」


「五年で四万二千三百六十本よ」


「無理だ」


「無理?」


「うちの街は、いま二百の炉がある」ガルドは言った。「全部フル稼働して、一年に六千本だ。五年で三万。……できなくはねえが、それは街の全部の炉を、五年間、他の仕事を一切やらずに回した場合だ」


「じゃあ」


「そんなことをしたら、街が死ぬ。鍋も、鍬も、蹄鉄も作れねえ。買う金も入ってこねえ。……五年もったら奇跡だ」彼は言った。「それを、やったってことだな」


  *


三日目、最後の三枚に、それはあった。


リーナが、二十八枚目まで読み終えたところで手を止めた。


「セイン。ここから、書式が変わるわ」


彼女は、二十九枚目を灯りに近づけた。


「参加者の一覧よ。……いままでは班の番号だったけど、ここは種族で分けてある」


「読めますか」


「読める。……四つ、あるわ」彼女は指でなぞった。「一つ目。人間。『鉄と炭、および運搬』。二つ目。エルフ。『術式および付与』。三つ目。ドワーフ。『鍛造の一切』。四つ目。獣人。『前線』」


俺は、書き取る手を止めた。


「前線」


「前線ね」


「他の三つは、作る側です」


「そうね」


「獣人だけ、使う側です」


「……そうね」


フェンリスが、火の向こうから立ち上がって、こちらへ来た。


「もう一回言え」


「四つ目。獣人。『前線』」


「それだけか」


「それだけ」


「他になんか書いてねえのか。人数とか、誰が行ったとか」


「書いてないわ。……というより」リーナは、板をひっくり返した。「その先が、削ってあるの」


俺は、それを見た。木の板だ。文字は焼き付けてある。削るのは簡単だ。表面を削れば、焼き跡は消える。四つ目の項目の下に、削られた跡があった。一行ぶん。


「五つ目ですね」


「そう思う」


「消えてますか」


「完全に消えてるわ。……写しだもの。オズルさんが写したときには、もう消えてたのよ」


俺は、坑口のほうを見た。オズルは、そこに座っていた。こちらを見ていない。


「オズルさん。五つ目は、原本にはありましたか」


彼は、しばらく答えなかった。それから、こう言った。


「原本もな、削ってあった」


「誰が削ったんですか」


「知らん」


「いつ」


「知らん。……わしが最初に入ったのは六十年前だ。そのときには、もう削ってあった」


  *


三日目の夜。最後の二枚が、残っていた。


リーナは、それを一枚ずつ読んだ。今度は速かった。文字が少なかったからだ。三十枚目には、期日が書いてあった。


「『第五年、第十一月、第三日。全班、作業完了』」


三十一枚目には、一行だけ書いてあった。


彼女は、それを読み上げなかった。しばらく、板を見ていた。


「リーナさん?」


「……ちょっと待って」


「読めませんか」


「読めるわ。読めるけど」


彼女は、板を灯りに近づけたり、遠ざけたりした。角度を変えて、何度も見た。


「……間違えてないと思う」


「なんて書いてあるんですか」


彼女は、こう読んだ。


「『対象——』」


そこで、止まった。


「その先は」


「削ってある」


俺は、板を覗き込んだ。『対象』という文字の下に、削られた跡があった。他の削り跡より、深かった。何度も削ったのだと思う。焼き跡を完全に消すために、木の繊維が毛羽立つまで削ってある。


その一語だけが、残されていた。対象。


リーナが、板を置いた。彼女は、しばらく膝の上で手を組んでいた。それから、顔を上げた。


「セイン」


「はい」


「これ、戦の記録じゃないわ」


「じゃあ、なんですか」


「準備の記録よ」彼女は言った。「四種族が、五年かけて、四万二千本の武器を作った。……作り終わって、それから行った」


「どこへ」


「書いてない」


「誰のところへ」


「そこが、削ってあるの」


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