解糸
「繋がってる」
俺は言った。言った瞬間に、自分の言葉が何を意味しているのかがわかった。
「セイン?」
「あれ、一本じゃないです」俺は壁際まで下がりながら、指だけを上げた。「三百本です。三百本が、くっついてるだけです」
リーナが、俺の顔を見た。
「……溶けてたわよ。輪郭が消えて、一体になってた」
「見た目はそうです。でも、術式が別々です」
俺は、目を凝らした。見えている。塊の表面から内側にかけて、線が走っている。だが、それは一つの模様ではない。三百本ぶんの、別々の術式が、それぞれの形を保ったまま重なっている。そして、その境目に。
「あります」
「なにが」
「結び目です。……一本と隣の一本を、くっつけてる」
「解けるの?」
「解けます」
「触れないと解けないんでしょ」
「触れないと解けません」
「触れたら切られるわよ」
「切られます」
「じゃあ——」
「一箇所だけ、切られない場所があります」
*
俺は、レクスのほうを見た。彼女は、まだそこに立っていた。両手に牙を出したまま、動かずに。
「レクス。あなたの牙、あれと噛み合いました」
「うん」
「切られませんでしたよね」
「……うん」
「もう一度、噛み合わせてください」
彼女の目が、動いた。俺は続けた。
「斬らなくていいです」
「え」
「斬らないでください。……押さえるだけでいいです」
沈黙があった。塊が、また滑り出していた。ゆっくりと、俺のほうへ。時間はない。それでも、俺は待った。
彼女は、自分の牙を見ていた。それから、俺を見た。
「押さえるだけ」
「はい」
「斬らない」
「はい」
「それで、いいのか」
「それがいいんです」
俺は、言葉を探した。探しながら、たぶん半分は間違ったことを言った。それでも言った。
「あなたの牙が、あれに食い込んだままなら、俺はそこに手を伸ばせます。あなたの牙と、あれが噛み合ってる場所は、切られません。……そこだけが、俺が触れる場所です」
「私が、押さえる」
「はい」
「あなたが、解く」
「はい」
「私は、斬らない」
「斬らないでください」
彼女は、しばらく俺を見ていた。それから、頷いた。
「わかった」
二回目だ。俺の頭が、勝手に数えた。数えたくなかった。それでも数えた。
「五十七秒だ!?」ガルドが叫んだ。
「十九箇所です。三秒ずつで五十七秒」
「六十秒近えぞ! 一分だ! 一分、あれを押さえろってのか!!」
「押さえるのはレクスです。四人は、彼女が押し切られないようにしてください」
「そりゃ同じことだろうが!!」
「同じです!」
ガルドは、柄だけになった鎚を握り直した。
「上等だ」
*
レクスが、正面から入った。
塊が滑ってくる。彼女は避けず、両手の牙を交差させて、その面に当てた。高い音が鳴った。二本とも、指の深さまで食い込んで、止まった。
塊が押した。彼女の足が、石の床を削った。踵から、膝まで。土ではなく石だ。それが、削れた。
「セイン!!」
俺は走った。彼女の左側に回り込む。牙が食い込んでいる場所。そこから指三本ぶん離れたところに、俺の手を入れる隙間がある。塊の表面と、彼女の前腕のあいだ。そこへ、手を入れた。
ある。
一つ目。指を当てた瞬間、三百本ぶんの線が、いっせいに見えた。多すぎる。目が痛い。それでも、噛んでいる場所ははっきりしていた。一、二、三。かちり。
塊が、震えた。
「動いた!!」
「押さえて!!」
二つ目。三つ目。九秒。
塊が、レクスを振り払おうとした。左右に大きく揺れる。彼女の体が、それに合わせて振られた。牙は抜けなかった。彼女が抜かせなかった。
フェンリスが、彼女の背中に取りついた。
「押さえるぞ!!」
「触るな!! 塊には触るな!!」
「触ってねえ!! こいつを押さえてるだけだ!!」
四つ目。五つ目。十五秒。
ガルドが、俺の後ろに立った。彼は柄を横に構えて、俺の背中を支えた。塊が押してくるたびに、俺の体が後ろへ流れる。それを、彼が止めた。
「坊主、続けろ!!」
「はい!!」
六つ目。七つ目。八つ目。二十四秒。
頭の後ろが、痛み始めた。四つ以上を同時にやると割れるように痛む。今回は同時ではない。順番だ。それでも、続けざまにやると、痛みが溜まる。視界の端が、少し白くなった。
「セイン!!」リーナの声。「顔が!!」
「大丈夫です!!」
「大丈夫じゃないでしょ!!」
「あと十一箇所です!!」
九つ目。十。十一。三十三秒。
リーナが、矢を放った。塊にではない。天井にだ。矢が刺さり、そこから緑の光が走って、俺たちの足元へ落ちた。地面が、盛り上がった。石の床から、草が生えた。ありえない場所に、ありえない速さで。
「ここ、地脈が切れてるんじゃなかったんですか!!」
「切れてるわよ!! だから、わたしの中の分を使ってるの!!」
「それ、大丈夫なんですか!!」
「三日寝込むわ!!」
草が、レクスの足首に絡んだ。削れていた床が、そこで止まった。彼女の体が、固定された。
「……ありがとう」
彼女が言った。そんな余裕がどこにあったのか、俺にはわからない。
十二。十三。十四。四十二秒。
痛みが、頭から目の奥へ移った。片目が、ほとんど見えなくなった。それでも、指は動いた。指が覚えているからだ。四か月半、ずっと同じことをやってきた。
十五。十六。五十一秒。
「あと三つ!!」
「持たねえぞ!!」ガルドが吼えた。「嬢ちゃんが倒れる!!」
俺は、レクスを見た。彼女は、まだ立っていた。両手の牙が、まだ食い込んでいた。だが、その腕が震えていた。二回目だ。二回目から、人から遠ざかる。
「レクス!!」
「まだ」
「あと三つです!!」
「まだ、いける」
十七。十八。十九。
——ここ。
*
かちり、という音は、聞こえなかった。代わりに、別の音がした。崩れる音だ。
塊の表面が、割れた。ひび割れではない。線に沿って、飲み込んだ武器の輪郭が浮き上がって、そこから外れていった。一本。十本。五十本。剣が、槍が、斧が、鎚が、順に剥がれて、床に落ちた。
音が、洪水のようになった。三百本ぶんの金属が、いっせいに石の床へ落ちる音だ。俺たちは耳を塞いだ。塞いでも、腹に響いた。
レクスが、牙を引いた。塊が、なくなっていた。
音が止んだとき、俺たちは膝をついていた。床に、武器が散らばっている。さっきまで一つの塊だったものが、ばらばらになって、俺たちの足元に広がっていた。どれも、動かなかった。浮きもしなかった。ただの、古い武器だった。
「……終わったか」フェンリスが言った。
「終わったみたいです」
「お前、目が」
「見えます。片方だけ」
「片方だけかよ」
「明日には戻ると思います」
リーナが、俺の横に座り込んだ。彼女は本当に立てなくなっていた。
「三日、寝込むわ」
「すみません」
「謝らないで。……あと、記録が取れなかったから、あとで全部話しなさいよ。一言一句」
「はい」
レクスは、少し離れたところに立っていた。牙は、消えていた。彼女は自分の掌を見ていた。震えは、まだ止まっていなかった。
「レクス。斬らずに、済みました」
彼女は、顔を上げた。そして、少しのあいだ、黙っていた。
「……うん」
それだけ言って、また掌を見た。
*
そのときだった。
「坊主」
ガルドの声だった。いつもと違った。低い。掠れている。
俺は、そちらを見た。彼は、床に散らばった武器の中央に立っていた。そこだけ、少し盛り上がっている。他の武器と混ざらずに、一つだけ残っているものがあった。
刃の欠片だった。手のひらほどの大きさ。もとの大剣の、刃の一部だ。四つの紋章は、そこになかった。あったのは、五つ目だった。
削られた、円に近い形。閉じていない輪郭。内側へ伸びる、三本の細い線。それが、他のどの武器にも紛れずに、そこにあった。
「ガルド」俺は近づいた。「これ——」
彼は、顔を背けた。
見ていられない、という背け方だった。
俺は、彼の顔を見た。九十二年生きた男が、床に落ちている手のひらほどの鉄から、目を逸らしていた。




