五紋の剣
大剣は、宙に浮いていた。
台から抜けて、そのまま、床から俺の胸くらいの高さで止まっている。切っ先は下を向いていた。落ちない。傾きもしない。音が続いていた。金属が細かく震える音だ。刃が鳴っている。
「……浮いてる」フェンリスが言った。
「浮いてるな」
「なあ鍛冶屋。剣ってのは、浮くもんか」
「浮かねえよ」
「だよな」
俺たちは、じりじりと下がった。十歩ほど離れたところで、ガルドが止めた。
「これ以上は駄目だ。通路が狭え。走って逃げると転ぶ」
「じゃあどうするの」リーナが言った。
「見る。……あれが何をするのか、まず見る」
大剣は、何もしなかった。十秒。二十秒。ただ、そこに浮いて、鳴っていた。
「動かないわね」
「動かねえな」
「精霊の気配もないわ。魔力も感じない。……セイン、術式は見える?」
俺は、目を凝らした。
「見えます。刃の中に」
「どんな」
「……多いです。番人より多い。遺跡の扉ほどじゃないですけど」
「解ける?」
「たぶん。……触れれば」
*
その、触れれば、と言った瞬間だった。
大剣が、回った。
音もなく、水平に。切っ先を下に向けたまま、その場で軸を中心にして半回転して、止まった。刃の腹が、こちらを向いていた。
四つの紋章が、光ったままだ。上から順に、人間、エルフ、ドワーフ、獣人。五つ目の削られた場所だけが暗い。その暗い場所が、俺の胸の高さにあった。
「……セイン」リーナの声が、掠れていた。「あなた、いま、何かした?」
「何もしてません」
「動いて。横に、二歩」
俺は、言われたとおりにした。
大剣が、追った。
同じだけ、回った。二歩ぶんの角度を、正確に。切っ先ではなく、刃の腹の——五つ目の紋章のあった場所を、俺に向けたまま。
俺は、もう二歩動いた。追ってきた。
「おい」フェンリスが言った。「なあおい、あれ」
「見てる」ガルドが答えた。
「見てるっつうか」
「わかってる」
俺を、向いている。四人が、俺のほうを見た。
俺は、自分の胸に手を当てた。理由は、考えるまでもなかった。ここに入っているものがある。四か月半前から入っていて、遺跡でほどけて、それから俺の目を変えたもの。天使と悪魔は、それを「神の一片」と呼んだ。
「リーナさん。これ、たぶん——」
言おうとした。言葉が、出なかった。
喉のあたりで、止まった。痛くはない。息もできる。ただ、その言葉だけが、そこから先へ行かなかった。何度か口を動かして、俺はやめた。
「……セイン?」
「いえ」
「いま、何か言おうとしたでしょ」
「言おうとしました。……出ませんでした」
リーナの顔から、色が引いた。
「わたしも」
「え」
「わたしも、いま、同じことを考えたわ。考えて、口に出そうとして」彼女は自分の喉を押さえた。「出なかった」
「わたしもだ」ガルドが言った。
「俺もだよ」フェンリスが続けた。「クソ、なんだこれ。腹が立つ」
四人が、同じ壁にぶつかっていた。
丘の上でもそうだった。帰り道でもそうだった。あのときは、俺だけが平気で、三人が黙った。いまは、四人ともだ。俺の中のものが何であるかを、俺たちは全員、たぶん理解している。理解していて、言葉にできない。
誰かが、そうしたんだ。千年前に。丁寧に。
*
「セイン」ガルドが言った。「下がれ。俺の後ろだ。ゆっくりだぞ。あれは、まだ動いてねえ」
俺は後ろへ下がり、ガルドが前に出た。鎚を両手で構えて、大剣との間に体を入れる。
大剣は、動かなかった。ガルドの体が視界を遮っても、刃の向きは変わらなかった。俺のほうを向いたままだ。彼の体越しに、俺を見ている。
「……坊主」
「はい」
「隠れても駄目みてえだな」
「みたいですね」
そのとき、床が鳴った。低い音だった。俺たちの周りで、何かが震えている。壁のほうだ。通路の両側に積んである、武器の山。
一本が、落ちた。山の中腹から、剣が一本、滑り落ちて、石の床に当たって甲高い音を立てた。もう一本。今度は槍だ。それから、三本。五本。
「なんだ」
「……浮いてます」
落ちた武器が、浮き上がっていた。床から、指二本ぶんほど。ゆっくりと。まるで水中を上がる泡のような速さで。
そして、動き出した。大剣のほうへ。
「下がれ!!」ガルドが吼えた。俺たちは通路の端へ寄った。
浮いた武器が、俺たちの横を通り過ぎていく。剣、槍、斧、鎚。速くはない。歩くより少し速い程度だ。だが、数が増えていた。十本。三十本。山が、崩れ始めていた。
最初の一本が、大剣に届いた。貼りついた。
音がした。金属と金属がぶつかる音ではない。もっと粘つく、湿った音だった。剣が大剣の刃に触れた瞬間、その輪郭が溶けた。溶けて、大剣の表面に流れ込んで、そのまま一体になった。
大剣が、太くなった。ほんのわずかだ。指の幅ほど。
そして、次の一本が届いた。
「……嘘でしょ」リーナが言った。
「食ってる」フェンリスが言った。
「食ってるわね」
「なあ、エルフ。あんな武器、聞いたことあるか」
「ないわ。……ないけど」彼女は炭筆を握りしめていた。書いていない。手が動いていなかった。「これ、たぶん、そういうふうに作られてるのよ」
「どういうことだ」
「壊れないように、じゃないの。減らないように、でもない。……足りなくなったら、周りから足せるように」
*
俺は、大剣を見ていた。
太くなり、長くなっていた。刃の幅は、もう俺の掌三つぶんある。長さは、天井に届きそうだ。形も崩れていた。剣というより、鉄の塊が縦に伸びたものに近い。
だが、四つの紋章だけは、消えていなかった。飲み込まれた武器の表面に、その光が浮き上がってくる。位置が変わっても、大きさが変わっても、四つの紋章は必ずそこにあった。
そして、五つ目の場所も。暗いまま。削られたまま。
「何本、食った」
「数えてます」
「何本だ」
「二百四十三」
「数えてんのか、お前」
「癖です」
三百本を越えたところで、動きが止まった。浮いていた武器が、床に落ちた。ばらばらと、雨のような音を立てて。山の崩れも止まった。
満ちたのだ、と思った。必要なだけ足して、それで足りたのだと。
大剣が、床に降りた。音は、重かった。石の床が、俺の足の裏を通して震えた。
それは、もう剣ではなかった。高さは、天井まであと一歩ぶん。幅は、通路をほとんど塞いでいる。表面は、飲み込んだ武器の輪郭がところどころ浮いていて、ぼこぼこしていた。
刃はない。刃はないのに、なぜかそれが刃物だとわかった。
そして、それが、向きを変えた。ゆっくりと。四つの紋章が、順にこちらを向いた。人間、エルフ、ドワーフ、獣人。その下の、暗い場所も。
ガルドが、鎚を構え直した。フェンリスが、爪を出した。リーナが、矢を番えた。レクスが、俺の前に出た。四人が、俺と、それのあいだに並んだ。
意味は、なかった。
それは、四人を見なかった。四人の頭上を越えて、まっすぐ——俺のほうへ、来た。




