五つの紋章
階段を降りるのに、四十段かかった。
空気は乾いていた。遺跡の扉を開けたときと同じだ。千年ぶんの空気が、そのまま入っている。匂いがない。埃の匂いすらしない。
底に着いて、俺は灯りを掲げた。
そして、天井の高さに驚いた。
上から見たときは、穴の底だと思っていた。違った。ここは部屋だ。天井は俺の背丈の五倍以上あって、その天井まで武器が積んである。俺たちが降りてきた階段だけが、山の中に切り開かれた通路だった。
「……広いわ」リーナが言った。「奥が見えない」
「灯りを増やせるか」
「無理よ。精霊が呼べないもの。ここ、地脈が通ってないわ」
「通ってない?」
「切れてるの。……たぶん、封じたときに切ったのね」
*
ガルドは、俺たちを追い抜いて歩いていた。彼は武器の山に近づいて、一本を手に取った。長剣だ。刃の長さは俺の腕ほど。灯りに、かざした。
「……錆びてねえ」
「千年ですよね」
「千年だ。乾いてても、普通は錆びる。鉄は空気で錆びる」彼は刃を指で撫でた。「これは、錆びてねえ。曇ってすらいねえ」
「加工ですか」
「知らねえ。……うちの技術じゃねえな」
彼は、別の一本を取った。斧だ。次に槍。次に鎚。四本目を取ったところで、彼の手が止まった。
「坊主。見ろ」
彼が差し出したのは、鎚だった。柄が短い。片手用だ。頭の部分が、変形していた。
「潰れてる」
「潰れてるな」ガルドは言った。「鎚ってのは、潰す側だ。潰される側じゃねえ」
「何を叩いたら、こうなるんですか」
「わからん」彼は鎚をひっくり返して、潰れた面を灯りに向けた。「だが、これはな。潰れたんじゃねえ。削れてる。……こんな削れ方は、砥石でも出ねえ」
*
俺たちは、山を検分して回った。
わかったことがある。
ここにある武器は、全部、使われている。
新品が一本もない。刃こぼれ、曲がり、折れ、柄の割れ。どれも、使われた跡だった。それも、一度や二度ではない。何十回も振られた跡が、どれにもある。
そして、その傷が、俺の知っているどれとも違った。
「剣が骨を斬ると、刃こぼれは三日月になる」ガルドが説明した。「鎧を叩くと、刃元が曲がる。石を打つと、先が潰れる」
「これは」
「どれでもねえ」
彼は、刃こぼれの一つを俺に見せた。
欠けている部分の縁が、丸かった。割れたのではない。溶けたのでもない。まるで、そこだけが少しずつ、時間をかけて磨り減ったような形だった。
「わかりません」
「俺もわからん」ガルドは言った。「九十二年やってるが、こんな痛み方は初めて見る」
*
リーナは、記録に没頭していた。
彼女は武器を一本ずつ手に取って、形を写し、寸法を測り、柄の巻き方を書き留めていた。
「セイン」
「はい」
「これ、種族が混じってる」
「え」
「見て」
彼女は三本を並べた。
「これはドワーフの打ち方。これは人間。柄の握りが長いでしょう。……で、これ」
三本目は、短い刀だった。刃が反っている。
「これ、獣人の形よ。片手で、爪と併用するやつ」
「獣人も鍛冶をやるんですか」
「やらないわ。買うの。……でも、これは買ったものじゃない。獣人の手に合わせて作られてる」
彼女は炭筆を止めた。
「誰かが、獣人のために打ったのよ」
*
俺たちは、奥へ進んだ。
山の中の通路は、真っ直ぐだった。切り開かれたのではなく、最初からそこを空けて積んだのだとわかる。誰かが、あとで奥へ行くつもりで積んだのだ。
三十歩ほど進んで、開けた場所に出た。
円形だった。直径は十歩ほど。武器が積まれていない。床が見えている。
その中央に、一段高い台があった。
そして、そこに、一振りだけ立ててあった。
*
*
大剣だった。
長い。刃だけで、ガルドの背丈ほどある。柄まで入れれば、俺の身長を越える。
幅も広い。刃の根元で、俺の掌二つぶんはあった。
そんなものを、誰が振るのか。人間には無理だ。ドワーフにも無理だろう。獣人でも厳しい。
刃は、下を向いていた。切っ先を台に突き立てて、まっすぐ立っている。
そして、錆びていなかった。
*
「……こいつは」
ガルドが、台の前で立ち止まった。
彼は、それ以上近づかなかった。
「どうしました」
「見ろ」
彼は、刃の腹を指した。
灯りを近づける。
刻印があった。
*
四つ、並んでいた。
一つ目は、三本の線だった。人間の王国の紋章だ。ただし、審問団のような余分な一本はない。二つ目は、葉だった。細長い葉が三枚、束ねられている。
「エルフよ」リーナが言った。声が固かった。「シルヴァの葉。……里の紋章と同じ」
三つ目は、鎚と炉だった。
「うちだ」ガルドが言った。
四つ目は、爪だった。三本の爪が、円を描くように配置されている。フェンリスが、それを見た。
「……北方連合の印だ」
「あなたの部族ですか」
「部族じゃねえ。獣人全部だ。昔、部族が全部まとまってたころの印だと聞いてる。……いまは使ってねえ」
四つ。人間、エルフ、ドワーフ、獣人。
「共同で作られてるわ」リーナが言った。彼女の手は、もう動いていなかった。「四種族が、一本の武器を一緒に作った。……こんな記録、どこにもない。八百年ぶんの書庫にも、一行もないわ」
「同盟の記念品とかじゃねえのか」フェンリスが言った。
「記念品を、封印区画に埋めないでしょ」
「……そりゃそうだな」
*
俺は、刃をもう一度見た。
四つの紋章は、刃の腹に、上から順に並んでいた。等間隔だ。丁寧に彫られている。
その下に、空白があった。
刃の先に近い部分。四つ目の紋章から、拳一つぶん下。そこだけ、何もない。
——いや。
「リーナさん」
「なに」
「五つ目があります」
*
*
俺は、灯りを近づけた。
彫りが、浅かった。他の四つより、はるかに浅い。だから見落としていた。いや、違う。浅いのではない。
——削られている。
彫った跡の上から、削り取られていた。だが、完全には消えていなかった。石ではなく鉄だからだ。彫りが深すぎて、消しきれなかったのだ。
灯りの角度を変えると、うっすらと形が浮かんだ。
「……なんの形だ」ガルドが覗き込んだ。
「わかりません。……円?」
「円じゃねえ。曲がってる」
俺は、指でなぞった。輪郭は、円に近い。だが閉じていない。一箇所が開いていて、そこから内側に向かって、細い線が三本、伸びている。
「爪、じゃないですね」
「爪は四つ目だ」
「葉でもない。鎚でもない。線でもない」俺は顔を上げた。「これ、どこの種族ですか」
誰も、答えなかった。リーナが、首を振った。
「知らない。……見たことがないわ」
「八百年ぶんの記録にも?」
「ないわ。断言できる。わたし、種族の紋章は全部覚えてる。人間の王国は十七あって、エルフの里は四つ、ドワーフの都市は六つ、獣人の部族は三十一。……七十四個、全部覚えてる」
彼女は、刃を見た。
「これは、その中にない」
ガルドが、低く唸った。
「五つ目の種族なんて、いねえぞ」
「いなかったんじゃなくて」俺は言った。「いたのに、消えたのかもしれません」
*
*
そのときだった。
*
俺の後ろで、砂利を踏む音がした。振り返る。レクスが、動いていた。
彼女は、台のほうへ歩いていた。俺たちの誰よりも近くまで、まっすぐに。
「レクス」
止まらなかった。彼女は台の前に立って、刃を見上げた。そして、五つ目の——削られた紋章のところで、視線が止まった。
長かった。十秒か、二十秒か。彼女は、そこから目を離さなかった。
「レクス」俺はもう一度呼んだ。「どうしました」
「……わからない」
「知ってますか。その紋章」
「知らない」彼女は言った。「知らない。……でも」
彼女は右手を上げて、自分の胸のあたりに当てた。
「ここが、痛い」
その瞬間だった。音が、鳴った。
金属が、金属を打つ音だ。だが、誰も何も叩いていない。音は、目の前から来た。
大剣が、鳴っていた。刃が、細かく震えている。台に突き立てられたまま、その一点を支点にして、ほんのわずかに揺れている。
「下がれ!!」ガルドが叫んだ。
俺たちは下がった。そして、見た。
四つの紋章が、順に光った。
人間。エルフ。ドワーフ。獣人。上から下へ、一つずつ。灯りとは違う光だ。青くも赤くもない。ただ、そこが明るくなったとしか言いようのない光り方だった。
四つ目が光ったところで、止まった。五つ目——削られた場所は、光らなかった。
そして、大剣が、台から抜けた。
誰も、触れていなかった。




