封印区画
長老会への申し入れは、翌朝に出した。
書式があった。ドワーフの街には、なんでも書式がある。ヒルダが板に文字を焼き付けて、俺たちの名前を並べて、四段目の詰所に提出した。
返事は、昼までに来た。
『不可』
一語だった。
「早いですね」
「早いよ」ヒルダが言った。「この街は決めるのが早いんだ。……決めることが決まってるからね」
「理由は書いてないんですか」
「書いてない。書式に理由の欄がないから」
彼女は板を裏返して見せた。たしかに、裏も白かった。
*
昼過ぎ、俺たちは五段目まで上がった。
長老会の建物は、五段目の中央にあった。他の建物と同じで、飾りが一つもない。看板すらない。ただ、扉だけが少し大きかった。
出てきたのは、老ドワーフが三人だった。
「オルムスンか」
真ん中の一人が言った。ガルドより頭ひとつぶん小さくて、髭が真っ白で、目だけがひどく鋭かった。
「トルグ」ガルドが言った。「まだ生きてたか」
「生きとる。……申し入れは見た」
「なんで駄目だ」
「掟だ」
「掟のどこに書いてある」
「『七段目の下、開くべからず』」
「理由は」
トルグは、答えなかった。彼はしばらくガルドを見ていた。それから、こう言った。
「……書いておらん」
「じゃあ、なんで守ってる」
「書いてあるからだ」
「理由が書いてねえのに、掟だけ書いてあるってのは、どういうことだ」
「知らん」
俺は、その場で背中が冷たくなった。これで、何度目だろう。
理由を知らないまま鱗を守る家。理由を知らないまま神の話をしない世界。理由を知らないまま三千年閉じている森。そして、理由を知らないまま千年閉じている区画。全部、同じ形だ。誰も理由を知らない。なのに、全員が正確に守っている。
「トルグさん」俺は前に出た。「一つ、聞いていいですか」
「なんだ、人間。聞くのは自由だ」
「その掟、誰が書いたんですか」
トルグの眉が、動いた。
「……知らん」
「筆跡は残っていますか」
「残っておる」
「それ、ドワーフの字ですか」
老ドワーフの顔が、そこで止まった。彼は俺を見た。両脇の二人も、俺を見た。三人とも、同じ止まり方をした。
「……なぜ、それを聞く」
「答えを聞いてないので。……ドワーフの字ですか」
「字は、ドワーフのものだ」トルグは言った。声が、少し低くなった。「だが、板が、うちの木じゃない」
*
俺たちは、そこで引き下がった。
引き下がるしかなかった。長老会は不可と言った。理由は誰も知らない。掟を書いた板は、ドワーフの木でできていない。
それ以上、聞いても出てこない。
「どうする」フェンリスが言った。「もう一回頼むか」
「無駄よ」リーナが答えた。「書式に理由の欄がない組織は、理由で説得できないわ」
「じゃあどうすんだ」
「決まってるでしょ」
彼女は、記録を革筒に戻した。
「勝手にやるのよ」
*
その夜、ヒルダが道具を貸してくれた。
工房の奥から、革の袋を出してきた。中に、細長い金具が何本も入っている。
「これ、なんですか」
「父さんの当たり道具だよ。石の噛み合わせを探るやつ」
「借りていいんですか」
「貸すとは言ってない」彼女は言った。「置いてったのを、あんたらが勝手に持ってっただけだ」
「……ありがとうございます」
「礼はいらない。あたしは寝る。何も見てない」
彼女は本当に奥へ引っ込んだ。ガルドが、その背中に何か言おうとして、やめた。
*
七段目へは、階段で上がった。
昇降機は夜は止まる。石段を六段ぶん、俺たちは登った。上へ行くほど、灯りが減った。七段目には、灯りが一つもなかった。
そして、広場に出た。
広かった。街全体で、いちばん広い場所かもしれない。石畳が敷き詰めてあって、建物が一つもない。柵もない。ただ、平らな石の面が、そこにあった。
星が見えた。
四段目の熱と音が、ここまでは届かない。風だけが吹いていた。
「なにもねえな」フェンリスが言った。
「なにもない」ガルドが答えた。「千年、こうだ」
「祭りとかやらねえのか」
「やらねえ。誰も上がってこねえよ」
*
俺は、灯りを灯した。指先の、蝋燭ほどの明かり。そして、足元を見た。
見えた。
「……あります」
「なにがだ」
「術式です」
ガルドが、俺を見た。
「なんだと」
「石畳に、刻んであります。……いや、刻んであるんじゃないです。石の下です」
俺はしゃがんだ。見えているのは、線だった。石畳の目地に沿って、細い線が走っている。それが広場全体を格子に区切って、格子の交点で結び目を作っている。
「……十六。いや、二十四。結び目です。広場全体で、二十四あります」
「待て」ガルドが言った。声が、変わっていた。「坊主。うちの街に、術式はねえ」
「はい」
「門の灯り二つだけだ。俺は九十二年ここで生きた。断言する」
「知ってます」
「じゃあ、それは何だ」
俺は、線をもう一度見た。色を見た。太さを見た。噛み合わせの角度を見た。四か月半、俺が見てきた術式は、どれも古かった。下水の石板も、森の石柱も、遺跡の扉も、番人の面も、千年ぶんの重さがあった。
これは、違う。
「新しいです」
「新しい?」
「たぶん、数十年前のものです。……下水と、森の結界と、同じ手つきです」
*
*
ガルドが、片膝をついた。彼は石畳に手をついた。指の欠けたほうの手で、石の面を撫でた。何度も、何度も。
「見えねえ。……見えねえぞ、坊主」
「はい。ドワーフには見えないと思います」
「ここは、うちの街だ」
「はい」
「うちの街の、いちばん上だ。九十二年、俺はここに上がった。子どものころに来た。ボルドとも来た。……そのときも、あったのか」
「たぶん」
「誰が入った」
彼の声は、静かだった。静かすぎた。
「誰が、俺の街に入って、俺の街の石に、こんなもんを刻んだ」
答えは、誰も持っていなかった。
俺は、指を石畳に当てた。
「解きます」
「二十四だろう。四つで頭が割れるんじゃなかったのか」
「一度に四つまでです。順番にやれば、いけます」
「何秒だ」
「二十四で、七十二秒」
「見張りは俺と犬っころだ。嬢ちゃんは記録。……嬢ちゃん?」
リーナは、すでに炭筆を出していた。
「言われなくても書くわよ」
*
七十二秒は、思ったより長かった。
四つずつ、六回。一回終わるごとに、頭の後ろが鈍く痛んだ。三回目で耳鳴りがした。五回目で、視界の端が白くなった。
六回目のとき、レクスが俺の背中に手を当てた。
「まっすぐ」
「はい」
「倒れそう」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃない」
彼女は、そのまま手を離さなかった。背中に、掌の熱がずっとあった。
*
最後の一つが、落ちた。線が、消えた。
そして、その下から、別のものが現れた。
「……なんだ、これ」
石畳が、格子ではなくなっていた。いや、正確に言えば、石畳の一枚一枚が隣の石と噛み合っている構造が、いま初めて見えた。術式の線が消えたことで、その下にあったものが見えるようになったのだ。
石が、噛んでいる。四角い石が、四角く並んでいるのではなかった。一枚一枚の側面に、突起と窪みがある。それが隣の石と組み合わさっている。何百枚も、全部。
「ガルド」
「見える。……これは見える」彼は立ち上がった。「これは、うちのだ。うちの一族の組みだ」
「解けるか」
「解けます」俺は言った。「でも、これは術式じゃないです。組んであるだけです。……誰かが、離れている石を、くっつけておこうとしただけ」
俺は、指を突起の一つに当てた。はっきりと、あった。
「三百二十。……いや、三百二十四です」
「そんなにやったら死ぬぞ」
「順番があります」
俺は、目で追った。三百二十四の噛み合わせ。だが、そのうち三百二十は、他の四つに支えられている。四つを解けば、残りは自分の重さで外れる。
千年前、これを組んだ職人は、そういうふうに組んだのだ。——外せるように。
*
四つを解くのに、十二秒かかった。
*
音は、大きかった。
石が、順に落ちた。広場の中央から外側へ向かって、石畳が沈んでいく。一枚ずつ、噛み合わせが外れて、下へ。
砂埃が上がった。俺たちは後ろへ下がった。
音が止まったとき、広場の中央に、四角い穴が開いていた。
一辺、二十歩ほど。
その底まで、石の階段が続いていた。
*
*
俺は、灯りを掲げて、下を照らした。そして、そこで見たものを、しばらく理解できなかった。
武器だった。
剣。槍。斧。鎚。弓。名前を知らない形のものもあった。それが、積んであった。床から天井まで。壁から壁まで。穴の底に見えているのは、その山の、いちばん上だけだ。奥がどこまで続いているのか、灯りでは届かない。
数えようとして、やめた。数えるようなものではなかった。
「……何千あるの」リーナが呟いた。「何千じゃねえ」ガルドが言った。彼は穴の縁に立って、下を見下ろしていた。「見ろ。柄の巻き方が全部違う。刃の反りも違う。……これ、一人が作ったもんじゃねえ」
「じゃあ」
「何百人だ。何百人の鍛冶師が、それぞれの流儀で打ったもんが、ここに全部ある」
彼の声が、掠れた。
「……なんで、こんなもんが、うちの街の下にある」




