↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰燼の神話 〜神殺しの副産物〜  作者: NN
三人の仲間

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

50/62

ボルドの未完成品

四段目へ上がるのに、俺たちは階段を使った。


昇降機は使わなかった。ガルドが「あれは荷を上げるもんだ」と言ったからだ。石段は幅が広く、一段の高さが低い。ドワーフの脚に合わせて作られている。俺には歩きにくかった。


四段目は、工房区だった。


道の両側に、扉が並んでいる。全部の扉が開いていた。中から熱と音が漏れてくる。鎚の音、ふいごの音、水に鉄を漬ける音。歩いているだけで、顔が乾いた。


「暑いですね」


「三段目より二度は高い」ガルドが言った。「炉が二百ある」


「二百」


「昔は三百あった。人が減ったからな」


  *


彼は、迷わなかった。


角を三つ曲がって、道の突き当たりで止まった。そこに、他より少し大きな扉があった。


開いていた。中から音がしている。誰かが使っている。


ガルドは、しばらくその前に立っていた。


「ここですか」


「ここだ」


「あなたの工房?」


「だった。十一年前まではな」


彼は、扉の中を覗こうとしなかった。ただ、扉の枠に手を触れた。指の欠けたほうの手だった。


そのとき、中から声がした。


「誰だい。仕事中だよ」


  *


出てきたのは、若いドワーフだった。


女だ。俺と同じくらいの背丈で、肩幅は俺の倍ある。赤茶けた髪を後ろで固く結んで、革の前掛けをしていた。顔と腕に、細かい火傷の跡が無数にあった。


彼女はガルドを見て、そして止まった。


「……ガルド。ガルド・オルムスン」


「ああ」


彼女は、手に持っていた鏨を落とした。石の床で、甲高い音がした。


「十一年!!」


彼女が叫んだ。俺は身構えた。殴りかかるのかと思った。そうではなかった。


彼女は、ガルドの胸に頭からぶつかっていった。両腕で背中を掴んで、そのまま持ち上げようとした。ガルドの足が、実際に少し浮いた。


「十一年だよ!! 十一年!! どこ行ってたんだ!!」


「……離せ」


「離すもんか!!」


「肩が折れてる」


「知るか!!」


俺たちは、遠巻きに見ていた。フェンリスが小声で言った。


「あれ、誰だ」


「わからないです」


「妹か?」


「たぶん違うと思います」


彼女の顔を見ればわかった。喜んでいる。心の底から喜んでいる。だが、その喜び方が、十一年ぶりに兄に会った顔ではなかった。もっと、待っていた顔だった。


  *


「ボルドの娘だ」


ガルドが、やっと言った。


彼女——ヒルダは、ガルドから離れて、前掛けで顔を拭いた。


「ヒルダ・ボルドスドッティル。父の工房を継いでます」


「継いでる?」


「五年前に。それまでは他所で修行してました」


俺は、その工房の中を見た。


炉が二つ。作業台が三つ。壁一面に道具が下がっている。全部、よく使い込まれていた。


そして、いちばん奥の壁に、何も掛かっていない場所があった。


道具の跡だけが残っている。長い形だ。長さは、俺の腕くらい。そこに、何かが十年以上掛かっていたのだとわかる。


  *


「入って。狭いけど」


ヒルダは俺たちを中に入れた。


彼女は炉の火を落として、椅子を出した。数が足りなかったので、フェンリスとレクスは床に座った。


「で」彼女はガルドの前に立った。「なんで戻ってきた」


「用がある」


「どんな」


「七段目だ」


工房の空気が、変わった。


ヒルダは、しばらく彼を見ていた。それから、椅子に座った。腕を組んで、足を組んで、ずいぶん長いあいだ黙っていた。


「……まだ、やるのか」


「やる」


「十一年経ったのに」


「十一年経ったからだ」


「父さんは死んだよ」


「知ってる」


「あんたの指も二本ない」


「知ってる」


「それでも?」


「それでもだ」


ヒルダが、俺たちのほうを見た。


「あんたら、この人から何か聞いてる?」


「聞いてません」俺は答えた。「一言も」


「そうだろうね」彼女は鼻を鳴らした。ガルドとよく似た鼻の鳴らし方だった。血は繋がっていないはずなのに、癖が移るものらしい。「じゃあ、あたしが話す」


「ヒルダ」


「あんたが話さないからだよ」


  *


彼女は、壁の空いた場所を指した。


「十一年前、そこに掛かってたものがある」


「何がですか」


「鍵だよ」


「鍵」


「父さんはそう呼んでた。……あたしは十七だったから、詳しいことは知らない。ただ、あの二人は毎晩それを打ってた」


彼女は続けた。


「七段目の下に、封印区画がある。千年、閉まってる。誰も開け方を知らない。……父さんとガルドは、開ける道具を作ろうとしたんだ」


  *


俺は、ガルドを見た。


彼は俯いていた。膝の上で、指の欠けた手を握っていた。


「なんで、開けようとしたんですか」


「知らないよ」ヒルダは言った。「聞いても答えなかった。父さんもガルドも、そこだけは言わなかった」


「じゃあ、どうやって作ろうとしたんですか」


「そこは知ってる。うちの一族に、古い覚書があるんだ」


彼女は立ち上がって、棚から板を一枚取ってきた。木の板に、文字が焼き付けてある。


「『封を開くは、封を打ちし者の血のみ』」


「血?」


「比喩だと思う。うちの一族が封をしたなら、うちの一族の作り方で開けられるはずだ、って読み方だね。……父さんはそう読んだ」


  *


「それで、何が起きたんですか」


ヒルダは、答えなかった。代わりに、ガルドが顔を上げた。


「炉が、暴走した」彼は言った。声が、いつもより低かった。「二人で、七日目の焼き入れをやってた。俺が火を見て、ボルドが打ってた。……火が、いつもと違った」


「違うって、どういう」


「色だ。炉の火ってのは、温度で色が変わる。赤から橙、橙から白。白より上はねえ」彼は、自分の手を見た。「白より上が、出た」


「俺は、ボルドを引っ張った。引っ張って、間に合わなかった。……いや、違うな。間に合ったんだよ。引っ張ったんだから、間に合ってる。届いてる。掴んでる」


彼は、欠けた二本の指のあたりを、右手で押さえた。


「掴んで、握れなかった」


「え」


「握力が、足りなかった。……そんだけの話だ」


工房が、静かになった。炉の火が落ちているので、音がしない。四段目の他の工房の音が、壁越しに遠く聞こえるだけだった。


「ガルド」ヒルダが言った。「それ、あたしに何度も言ったよね」


「言った」


「あたし、何度も言い返したよね」


「言い返した」


「もう一回言うよ」彼女は言った。「あんたのせいじゃない」


「そうかい」


「そうだよ」


「そうかい」


彼は、二回同じ返事をした。


俺は、そのとき初めてわかった。この人は、十一年、誰にも責められていない。


ボルドの娘は彼を許している。街の人間も許している。事故だったと、たぶん全員が知っている。門番ですら、通していいかとは聞かなかった。


責めてくれる人が、一人もいない。だから、彼は自分で責めるしかない。十一年、ずっと、一人で。


  *


ガルドが、荷を解いた。


布に巻かれた長いもの。出会った日から、彼がずっと背負っていたものだ。俺は一度も聞かなかった。彼も一度も言わなかった。


布が、解けた。


剣に見えた。だが、違った。


長さは俺の腕ほど。柄がある。鍔がある。そこまでは剣だ。刃が、なかった。


刃のあるべき場所に、細い棒が三本、並んで伸びている。それぞれ長さが違う。先端の形も違う。捻れているものと、まっすぐなものと、途中で二股に分かれているもの。三本とも、途中で終わっていた。切ったのではない。まだ、そこまでしか作られていない。


「……これ」


「ボルドが残したやつだ」ガルドが言った。「あいつが死んだ日、炉の横にあった」


「これ、剣ですか」


「剣じゃねえ。ボルドがそう言ってた。『これは剣じゃない』ってな。……じゃあ何だと聞いたら、あいつは笑って、『わからん』と言った」


ヒルダが、それを見ていた。


「まだ持ってたんだ」


「持ってる」


「打ってる?」


「打ってる」


「十年?」


「十年だ。事故のあと一年、炉に近づけなかった。それから打ち始めた」


彼女は、深く息を吐いた。


「ガルド。あんた、それ、完成させる気ある?」


  *


  *


ガルドは、答えなかった。


長い時間だった。彼は膝の上のそれを見ていた。三本の、途中で終わっている棒を。


俺は、その横顔を見ていた。


七百年の付与術を三秒で解かれたとき、この人は笑わなかった。あのときの顔と、いまの顔が同じだった。


「……坊主」


「はい」


「お前、聞きたそうな顔をしてるな」


「してますか」


「してる」


「じゃあ、聞きます」


俺は言った。


「なんで、完成させないんですか」


  *


  *


ガルドは、俺のほうを見なかった。


膝の上のものを、片手で撫でた。指の欠けたほうの手で。


そして、こう言った。


  *


「完成させたら、終わっちまうだろ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。