ヘルグ・ドゥーン
北の道は、十二日かかった。
エルフの森を出て、丘陵を抜けて、川を二つ渡って、そこから北東へ。街道ではない。獣道と、廃れた交易路のつぎはぎだ。人間の追手は一度も見なかった。
その十二日で、ガルドはほとんど喋らなかった。
必要なことは言う。「日が落ちる」「水を汲め」「その茸は駄目だ」。だが、それだけだった。夜になると火から少し離れたところに座って、酒袋を膝に置いたまま、飲まずにいることが多かった。
四日目に、リーナが聞いた。
「ねえ、ガルド。祖母が言ったこと、どういう意味なの」
「知らん」
「知らないわけないでしょ」
「知らねえよ」彼は言った。「本当に知らねえ。……だが、知ってる奴がいる場所は、知ってる」
*
九日目の夜、俺は見張りを彼と交代した。
彼は火のそばに残っていた。俺が座ると、初めて自分から口を開いた。
「坊主」
「はい」
「ヘルグ・ドゥーンに着いたら、俺は歓迎されねえ」
「出奔したからですか」
「それもある」彼は火を見ていた。「だが、それだけじゃねえ」
「……聞いていいですか」
「駄目だ」
「はい」
「だが」彼は言った。「三日以内に、お前は勝手に知ることになる。あの街は、そういう街だ」
「どういう意味ですか」
「隠しごとが下手なんだよ。ドワーフはな」
*
十二日目の昼過ぎ、俺たちは尾根を越えた。
そして、街を見た。
山だった。正確には、山だったものだ。
北の山脈の裾に、ひとつの山がある。その山の、南斜面が丸ごとない。斜面のかわりに、そこにあるのは石壁だった。
段になっている。下から上へ、幅の広い段が七つ。それぞれの段に、建物がびっしりと並んでいた。屋根はほとんど平らで、上の段から見下ろせるようになっている。
段と段のあいだは、石の階段と、それから——
「あれ、なんですか」
俺が指をさすと、ガルドが目を上げた。段のあいだを、四角い箱が上下している。人が乗れる大きさだ。ゆっくりと、一定の速度で、上がって、降りて、また上がる。
「昇降機だ。錘と滑車だ。水を汲み上げて錘にしてる」
「魔法じゃないんですか」
「魔法なんぞ使うか」
彼の声に、この十二日でいちばん強い調子が入った。
近づくにつれて、俺は妙なことに気づいた。見えないのだ。術式が、まったく見えない。
エルフの里には結界があった。ハルグの町にも、下水にも、水車にも、あちこちに術式が刻んであった。俺の目には、それが線として見えていた。
この街には、ほとんどない。七段の石壁。何百という建物。水路。昇降機。橋。全部が、そこにある。動いている。なのに、線が一本もない。
「リーナさん」
「なに」
「この街、術式がないです」
「ないの?」
「一つも見えません。……いや、あります。門のところに二つ」
俺は目を細めた。街の入口に、小さな輪が二つ。掌ほどの大きさだ。
「たぶん、あれは灯りです。それだけです」
リーナが、口を開けた。
「……嘘でしょ。この規模の都市で?」
「そういう街だ」ガルドが言った。
彼は、初めて胸を張るような顔をした。
「うちの連中はな、術式を使わねえ。使えねえんじゃねえ。使わねえんだ」
「なんでですか」
「借り物だからだ」
*
門は、街の下段にあった。
厚い鉄の扉だった。開いている。閉める必要がないくらい、その厚みが物を言っていた。
門番は四人。全員ドワーフで、全員が俺たちより背が低く、全員が俺たちより肩幅が広かった。
「止まれ」
先頭の一人が言った。
「用向きは」
「通商だ」ガルドが答えた。「鉄を買いに来た」
「隊の名は」
「ねえよ。冒険者の寄り合いだ」
「ギルド証を出せ」
俺たちは登録証を出した。門番はそれを一枚ずつ検めた。人間、エルフ、獣人。彼の眉が、種族が変わるたびに少しずつ下がっていった。
そして、四枚目で止まった。
「……ガルド・オルムスン」
「そうだ」
「オルムスンだと」
「そうだと言ってる」
門番の手が止まった。彼は、登録証から顔を上げなかった。もう一人が横から覗き込んで、それからこちらを見た。三人目が門の内側へ向かって何か言った。四人目は、動かなかった。
「……何年ぶりだ」
「十一年」
「そうか。……通していいか、とは聞かんのか」
「聞いても答えは同じだろうが」
「そうだな」門番は言った。「駄目だとは言わん。言わんが、オルムスン。あんた、上まで行くのか」
「行く」
「四段目より上には、行かんほうがいい」
「なんでだ」
「わかってるだろうが」
*
ガルドは、答えなかった。
登録証を受け取って、懐に入れた。それから、俺たちのほうを振り返らずに歩き出した。
「行くぞ」
俺たちは続いた。
門をくぐるとき、俺は門番の一人と目が合った。彼は、俺を見ていなかった。俺の後ろ——フードを深く被ったレクスを見ていた。
「そこの、小さいの」
俺の心臓が跳ねた。レクスが止まった。
「顔を見せろ」
三日前に、俺たちはこの問題を話し合っていた。ドワーフの街に竜人族を連れて入る。それがどれだけ危険かは、誰にもわからなかった。わからないから、隠すことにした。フードと、手袋と、俯いて歩くこと。
「駄目です」俺は前に出た。「顔に傷があるんです。人に見せたがらなくて」
「傷?」
「火傷です。子どものころに」
門番の目が、細くなった。
「……なんの火傷だ」
「炉です」
嘘は、下手だ。俺は下手だし、ガルドも下手だ。だが、この十二日で、俺は一つだけ学んでいた。嘘をつくときは、相手が確かめたくないものを言えばいい。
門番の顔が、変わった。炉の火傷。ドワーフの街で、それが何を意味するかを、俺は道中でガルドから聞いていた。この街では、年に何人か、炉で焼ける。子どもも焼ける。
「……そうか」門番は、手を下ろした。「悪かったな。通れ」
*
街の中は、音でできていた。
金属を打つ音。水が落ちる音。滑車の軋み。ふいごの音。それらが、七段ぶん重なって、街全体が低く唸っているように聞こえた。
道は狭い。人が三人並べない。だが、まっすぐだった。曲がるときは直角に曲がる。無駄な曲線が一つもない。
「セイン」リーナが言った。彼女は歩きながら記録を取っていた。「この街、変よ」
「変ですか」
「変。……こんなに古いのに、こんなに新しい」
「どういう意味ですか」
「石を見て。継ぎ目のところ」
俺は、壁を見た。石が積んである。その継ぎ目に、新しい漆喰が詰まっていた。すぐ隣の石は、明らかに何百年も経っている。
「直してるのよ」彼女は言った。「たぶん、ずっと。何百年も、少しずつ、手で」
「普通じゃないんですか」
「普通は、術式で保つの。一度組んだら百年もつように術を刻む。そのほうが安いもの」彼女は壁を撫でた。「この街は、それをしてない。全部、手で直してる」
*
三段目の宿に入った。
部屋は狭かった。だが、寝台の脚が床にきちんと固定されていて、扉の蝶番が一つも軋まなかった。
その夜、俺はガルドに聞いた。
「四段目より上に、何があるんですか」
彼は、寝台に腰かけて、鎚の柄を布で拭いていた。
「工房区だ」
「あなたの工房も?」
「あった。十一年前まではな」
「じゃあ、行かないんですか」
「行く」
彼は、布を置いた。
「だが、そこじゃねえ。俺が行きたいのは、もっと上だ」
*
「上って、何段目ですか」
「七段目」
俺は、街に入るときに見た形を思い出した。下から上へ、七つの段。いちばん上の段は、他より狭かった。建物も少なかった。
「七段目には、何があるんですか」
ガルドはしばらく黙って、それからこう言った。
「なにもねえ」
「え」
「なにもねえんだよ。広場が一つあるだけだ。……ただな」彼は、俺のほうを見た。「その広場の下に、区画がある」
「区画」
「封印区画だ。千年前から、閉まってる。誰も入らねえ。長老会の連中も、鍵を持ってねえ」
「なんで閉まってるんですか」
「知らん」
「本当に?」
「本当だ」ガルドは言った。「ドワーフの街でな、俺たちが作ったもんじゃねえものが入ってる場所は、そこだけだ」
彼は、鎚を持ち上げた。
「婆さんが言っただろう。灰が降った四十日のあと、いちばん最初に炉に火を入れたのはどこの連中か、ってな。……うちの一族だ」




