Fランクの適性
石板に浮かんだ文字は、三行だった。
『戦闘適性 E』
『魔力量 D』
『固有技能 解錠』
俺はしばらく、その三行を眺めた。
上の二つは、まあ、予想の範囲内だ。ヨナスにも老魔術師にも同じことを言われている。むしろ他人の目で見ても同じ結果が出るというのは、俺の自己評価が正確だったということで、そこは誇っていい。誇りたくはないが。
問題は三行目である。
「あの」
「うん」
「解錠、というのは」
「鍵開けだ」
「……そのままですね」
「そのままだな」
試験官は義手で顎を掻いた。
「一応言っておくが、固有技能ってのは百人に一人だ。持ってるだけで珍しい。剣聖だの雷帝だの、名前が残る連中はだいたい持ってる」
「はい」
「で、お前のは鍵開けだ」
「はい」
沈黙が落ちた。
慰めようとして失敗した人が作る、独特の沈黙だった。
「……盗賊の適性、ということですか」
「いや、それも違う。盗賊技能なら『開錠』のはずだ。お前のは『解錠』。字が違う」
「違うんですか」
「ギルドの記録係に聞いたら、こっちの字は前例がないと言われた」
前例がない。
固有技能というのは、たいてい過去に同じものを持った誰かがいて、その人が使い方を編み出して、名前がついている。前例がないというのは、つまり誰も使い方を知らないということだ。
俺は、教科書のない教科をひとりで受講することになったらしい。しかも科目名が「鍵開け」である。
「まあ、悪いことばかりじゃない」
試験官は書類に判を押しながら言った。
「罠外しができる人間は、どこの隊も欲しがる。実力より人手が足りてない分野だ。食うには困らんよ」
「はあ」
「登録ランクはFだ。頑張れ」
*
ギルドのランクは、下からF、E、D、C、B、A、そしてS。
Fは新人全員がここから始まる。依頼を三件こなして評価が悪くなければE、そこからは実績次第。順調にいけば半年でD、一年でCまで上がる者もいるという。
登録証は、鉄でできた小さな板だった。首から下げる。名前と、ランクと、登録番号が刻まれている。
『セイン・ヴェルグ F』
前世で一度だけ、派遣の登録会に行ったことを思い出した。あのときも似たようなカードをもらった。使わないまま財布に入れっぱなしにして、そのまま部屋に戻って、それきりになった。
今度は使う。
たぶん。
*
三日後、俺は初仕事に出た。
雇われた先は「三日月の尾」という五人組のパーティだった。全員Eランク。町の中堅どころ——と本人たちは言っていたが、実際に受けている依頼を見るかぎり、中堅というより「安定して下のほう」という感じがする。
リーダーはガレスという二十代半ばの男で、悪い人ではなかった。
「よし、坊主。お前の仕事はこれだ」
指さされたのは、木箱だった。
古い遺構の中に転がっていた、腰の高さくらいの箱。錠がかかっていて、表面に細い線が走っている。
「罠だ。触ると針が出る。前に一人やられてる」
「はい」
「開けられるか」
俺は箱の前にしゃがんだ。
錠に指先を寄せる。
——ああ。
わかる。
錠そのものよりも先に、罠のほうが見えた。見えた、というのは正確じゃない。目には何も映っていない。ただ、この箱には「掛けられているもの」が二つあって、そのうち一つは針を飛ばすための仕掛けで、もう一つはただの錠前だと、指の腹が勝手に判断している。
針のほうを、先に。
線を一本だけ、逃がしてやる。
かちり。
「……開きました」
「早いな!?」
ガレスが目を剥いた。
中身は薬草の束と銀貨が数枚。大した額ではない。それでも五人は歓声を上げて、俺の肩を叩いた。
「いいぞ坊主! 明日も来い!」
悪くない気分だった。
正直に言えば、悪くないどころではなかった。人に肩を叩かれるという経験自体が、二回分の人生で片手に収まる。
*
その後の三週間で、俺は自分の立ち位置を正確に理解した。
朝、ギルドで合流する。
移動する。
戦闘が始まる。俺は下がる。
戦闘が終わる。俺が呼ばれる。箱を開ける。扉を開ける。罠を外す。
帰る。
報酬は、六人で割る。ただし俺の取り分は、一人分ではない。「戦ってないからな」という理由で、だいたい半分。
これに文句を言うつもりはない。事実、俺は戦っていない。
ガレスたちは、俺を邪険にはしなかった。飯にも誘ってくれるし、危ないときは前に立ってくれる。ただ、彼らが酒場で戦いの話をしているとき、俺はそこに入っていけない。
入っていけないのは、彼らのせいではない。
俺の側の問題だ。
前世でも、そうだった。話に入れないのではなく、入るタイミングを計っているうちに、話が終わる。二回目の人生でも同じことをしている。学習能力に難がある。
*
一か月が経ったころ、ギルドの掲示板の前で足が止まった。
昇級者の名前が貼り出されている。
『マルク・ドーラン F→E』
大剣の少年だ。登録の日に話しかけてきた、あの人懐こい顔の。
その下に、弓の子の名前もあった。魔術師の少年の名前もあった。四人のうち、三人が上がっている。
俺の名前は、ない。
ないというより、動いていない。
三週間、休まず働いた。遅刻もしていない。頼まれた箱は全部開けた。ガレスの評価も悪くないはずだ。
それでも、動かない。
依頼の達成には数えられている。ただ、評価欄に書けることが何もないのだと思う。「戦闘に参加せず」「箱を開けた」。この二行で人を昇級させるのは、たしかに難しい。
「よ、セイン!」
背中を叩かれた。マルクだった。
「見たか? 上がったぜ俺!」
「……おめでとうございます」
「敬語やめろって。同期だろ」
彼は本当に嬉しそうだった。悪気は、ひとかけらもない。
「お前はまだFか。まあ、そのうち上がるって。罠外しって地味だけど大事だしさ」
「そうですね」
「そうだって!」
マルクは笑って行ってしまった。
いい奴だ。本当に、いい奴だ。
いい奴に善意で慰められるというのは、どうしてこう、効くのだろう。
*
その夜、俺は宿の部屋で、自分の手を見ていた。
蝋燭の明かりに透かす。何の変哲もない手だ。剣だこは相変わらずできない。魔力を通しても、指先が少し温かくなるだけ。
——こんなことが得意でも、何の役にも立たない。
屋敷にいたときに何度も思ったことを、町でも同じように思っている。場所を変えただけで、中身は何ひとつ変わっていない。
そういえば、あの夢はあれ以来見ていない。
翼のある少年も、銀髪の少女も、あの二晩だけだった。灰鱗も遠い。掌の跡も消えた。
全部、家を出る前の緊張が見せたものだったのかもしれない。
そう考えたほうが、たぶん健全だ。
俺は蝋燭を吹き消した。
*
翌朝、ギルドに行くと、ガレスが待っていた。
いつもと様子が違う。書類を持つ手が、少し落ち着かない。
「坊主、今日は箱じゃない」
「え」
「討伐依頼だ。ハルグの北の森に狼が出た。数が増えてるらしい」
俺は一拍置いてから、聞き返した。
「……俺、戦えませんけど」
「わかってる。だが罠を張るんだよ。俺たちが追い込んで、罠にかける。お前は仕掛けと解除だ。危なくなったら下がってろ」
「はい」
「返事が早いな」
「下がるのは得意なので」
ガレスが吹き出した。
「言うじゃねえか。行くぞ」
*
北の森は、思ったより暗かった。
葉が厚く重なっていて、昼だというのに足元がよく見えない。空気が湿っている。土と、腐葉土と、それから何か獣くさいにおいがする。
「静かだな」
前を行くガレスが言った。
たしかに静かだった。鳥の声がしない。虫の音もしない。
さっきまでは、していた気がする。
「ガレスさん」
「なんだ」
「あの——」
俺が言い終わる前に、藪が鳴った。
一つではない。
左。右。前。それから、後ろ。
囲まれている。
金色の目が、暗がりの中でいくつも光った。数えようとして、途中でやめた。数えても意味がないくらいの数だった。




