まだ手を出す時ではない
「行きません」
俺がそう言うと、セリムは頷いた。
「承知しました」
それだけだった。八人は、来たときと同じ速さでギルドを出ていった。扉が閉まって、しばらくして、酒場の喧騒が少しずつ戻った。戻ったが、明らかに音量が半分だった。
「セイン」受付の担当官が小声で呼んだ。彼女は、まだ拳を握ったままだった。「今夜、宿を変えてください。……それと、明日の朝までに、町を出たほうがいいと思います」
「あの人たち、任意だって言ってましたけど」
「言いますよ。いつも」彼女は言った。「三年前にも、来ました。北の村の若い術師を連れていきました。あのときも任意でした」
「その人は」
「帰ってきていません」
*
その夜、俺たちはガルドの工房に集まった。
「逃げる」ガルドが最初に言った。「異論は」
「ないわ」
「ねえよ」
「ない」
レクスまで即答した。俺は四人の顔を見た。
「あの、俺のせいで——」
「言うな」ガルドが遮った。「その台詞は禁止だ。言ったら殴る」
「肩、治ってませんよね」
「片腕でも殴れる」
「問題は、どこへ逃げるかよ」リーナが地図を広げた。「王国の中は駄目。あいつら王国直属よ」
「南は?」
「南も王国。西は海。北は——」
「灰の大地だな」ガルドが言った。「行けねえだろ、そこは」
「東は」俺が言うと、リーナが顔を上げた。
「東は森よ。……エルフの領域」
「入れませんか」
「人間は入れないわ。普通は」
「普通は?」
彼女はしばらく黙って、それから革筒を握った。
「わたしが連れていけば、入れる」
「いいんですか」
「よくないわ」彼女は即答した。「五年前に帰ったとき、決定的にやったの。長老に『二度と来るな』って言われた」
「言われたんですか」
「言われたわ。……しかも今度は、里の外の人間を四人も連れて帰るのよ」
「人間は俺だけですけど」
「里ではね、エルフ以外は全部『外の人間』なの。ドワーフも獣人も、区別しないわ」彼女は苦い顔をした。「三千年、外を見ないと決めた連中よ。区別する必要がなかったの。……最悪の帰り方ね」
「じゃあ、やめましょう」
「行くわよ!!」彼女は怒鳴った。「他に行くところがないでしょ!!」
*
出発は、夜明け前と決まった。
ガルドは、工房を捨てた。借り直して十日も使っていない、炉が二つある工房だ。彼はそこにあった道具の三割だけを袋に詰めて、残りを置いていった。
「持っていけないんですか」
「重い」
「でも」
「道具は、また買える」
彼はそう言って、布に包んだ長いものだけは丁寧に背負った。出会った日から、ずっと彼が持っているものだ。俺は、それについて聞かなかった。
リーナは、記録を全部持った。三十年ぶんだ。革筒が四本になった。
「重くないですか」
「重いわよ」
「持ちますよ」
「駄目」彼女は即答した。「これはわたしが持つの。……三十年、これだけで生きてきたから」
フェンリスは、荷がなかった。もともと持っていない。宿に置いていたのは、毛布一枚と匙が一本だけだった。
「それだけですか」
「十六年、これでやってる」
「匙」
「これは、いいやつなんだよ」
レクスは、迷っていた。工房の隅の寝台の前で、彼女は動かなかった。
「レクス」
「うん」
「行きますよ」
「うん」
彼女は寝台を見ていた。十日前に入った、彼女の寝台だ。
「持っていけない」
「はい」
「わかってる」
彼女はそう言って、靴を履いた。こつ、と音がした。
「これは、持っていける」
*
待ち伏せは、東門の外にあった。
夜明け前の、まだ暗い街道だ。十二人。灰白の外套。セリムはいない。
「やっぱりね」リーナが呟いた。「任意って言った口で、これよ」
「抵抗なさいませんよう」先頭の男が言った。「我々は、あなた方を傷つけません」
「傷つけずに、どうするんだ」
「拘束いたします」
十二人が、同時に手を上げた。地面に、光が走った。
「術式!」リーナが叫んだ。「捕縛系よ! 足元!」
俺たちの足元の土に、線が浮き上がっていた。輪だ。五人を囲む、大きな輪。その輪から内側へ、細い線が伸びてくる。地面を這って、足首に向かって。
俺は、その瞬間、妙に冷静だった。
四か月前の街道を思い出していた。灰喰いの十七人。俺が張った縄。跨がれた縄。あのとき、俺は完全に無力だった。盗賊は、何も借りていなかったからだ。
でも、この人たちは。
——封じる技術を、代々受け継いでおります。
セリムは、そう言った。
俺は、しゃがんだ。地面の線に、指を当てた。
ある。はっきりと、ある。
十二人が同時に張った術式は、地面の上で一つの輪になっている。輪と輪が交わって、結び目を作っている。数えた。八つ。支点は一つ。輪のいちばん南側、俺の右足のすぐ前だ。
「三秒!!」俺は叫んだ。「三秒ください!!」
「作れ!!」ガルドが吼えた。
フェンリスが前に出た。彼は審問官の一人に飛びかかって組み伏せ、腕を極めて術式を切らせた。一人減った。輪の線が、わずかに薄くなる。
一秒。リーナが矢を放った。人を狙っていない。地面を狙った。線の上に矢が刺さる。「そこ! 線が切れるはず!」——切れなかった。だが、揺らいだ。
二秒。ガルドが鎚を地面に叩きつけた。土が跳ねて、線が土の下に埋もれる。
「見えなくても効くのか!?」
「効きます!」
「じゃあ意味ねえな!!」
「気は紛れます!!」
三秒。ここだ。
線が、消えた。八つの結び目が順にほどけ、輪が緩んで、地面に浮いていた光が砂に沈むように消えていった。十二人の術者が、同時によろめいた。
「……なに?」先頭の男が、初めて動揺した声を出した。「解いた? いま、術式を——」
俺は立ち上がった。
四か月前、俺は縄を張って跨がれた。いま、俺は、王国直属の組織が十二人がかりで張った術式を、三秒で解いた。
効く。灰喰いには効かなかった。でも、この人たちには効く。なぜなら、この人たちは借りているからだ。
ガルドが言ったとおりだった。解式は、格上に効く。強い奴は、たいてい何かを借りている。
「走れ!!」俺は叫んだ。「東です!!」
*
その最中だった。俺は、呼んだ。
考えただけだ。走りながら、頭の隅で。——来てください。
来た。
街道の脇の、少し高い土手の上に、白い翼と黒い翼が並んで立っていた。
俺は走りながら二人を見た。
「手を——!!」
二人は、動かなかった。
リリスは両手を前で組んで、こちらを見ていた。ベルゼは腕を組んで、少し顔を背けていた。どちらも、一歩も動かなかった。
「なんで——!!」
「申し訳ございません」
リリスの声は、はっきり聞こえた。走っている俺の耳に、静かな部屋で話しかけられたみたいに、まっすぐ届いた。
「まだ、その時ではありません」
「悪いな」ベルゼが言った。彼は、こちらを見なかった。
二人は、最後まで動かなかった。
*
俺たちは、自力で街道を抜けた。
フェンリスが二人を伸ばし、ガルドが三人を吹き飛ばし、リーナが矢で足を止め、レクスが素手で四人を投げ飛ばした。牙は、出さなかった。
森が見えたのは、二時間後だった。背後はまだ暗い。追手の姿は見えない。
「……なんだったんだ、あれは」フェンリスが走りながら吐き捨てた。「あの二人だよ! 見てただけじゃねえか!」
「はい」
「守るとか言ってなかったか!?」
「言ってました」
「じゃあなんで——」
そのとき、背後で音がした。
蹄の音だった。一頭ではない。地面が、鳴っていた。




