削る者たち
「セイン・ヴェルグ」
男は、もう一度そう言った。
「はい」
俺が答えるより先に、フェンリスが言った。
「用件は」
「あなたには聞いておりません」
「聞け」
「……失礼」
男は、丁寧に頭を下げた。その丁寧さが、いちばん気味が悪かった。
歳は三十半ばだろうか。細身で背が高く、灰白の外套の下に簡素な革の装備を着ている。武器は帯びていない。少なくとも、見える場所には。
顔立ちに、特徴がなかった。整っているとか崩れているとか、そういう話ではない。見た瞬間に忘れる顔だ。目を離してもう一度見ると、さっきと同じ顔なのに、初めて見たような気がする。
「申し遅れました。セリム・ドラーグと申します。第七審問官です」
「審問官」リーナが繰り返した。
「はい」
「なんの審問をするの」
「遺物の」
「異端審問団」
ギルドの受付から、声がした。担当官だった。彼女は立ったまま、拳を握っている。
「王国直属の……遺跡と、古い記録を管理する組織です」
「よくご存じで」
「先日の……特級依頼のときに、伺いましたので」
俺は、そこで気づいた。
「あの依頼、あなたたちが出したんですか」
セリムは、少し首をかしげた。
「隠す理由がありませんので、申し上げます。はい」
あまりにあっさり認められて、俺は次の言葉を失った。隣で、ガルドが低く唸った。
「じゃあ、なんで名前を伏せた」
「伏せると、警戒されますので」
「いま、警戒されてるぞ」
「はい。ですので、伏せました」
理屈が通っているのか通っていないのか、判断がつかなかった。
*
「ひとつ、確認させてください」セリムは言った。「あの遺跡の扉は、開きましたか」
沈黙が落ちた。リーナが俺の袖を掴んだ。
「……報告書は出しました」
「拝読しました」
彼は懐から紙を出した。俺たちがギルドに提出したものの写しだ。
「『内部を確認。危険な遺物は発見されず。守護機構一体を停止。以上』——三行です」
「はい」
「金貨十枚の依頼の報告が、三行」
「必要なことは書きました」
「そうですね。必要なことは、書いてあります」
彼は紙をたたんだ。
「ですので、参りました。……セイン・ヴェルグ。ご同行いただけますか」
「どこに」
「王都へ」
「断る」ガルドが言った。
「あなたには聞いておりません」
「聞けと言ってる」
「……失礼」
セリムはまた頭を下げて、俺のほうを見た。
「これは任意です。強制ではございません。あなたは冒険者であり、王国の民です。犯罪の嫌疑もございません。ですので、拒否できます」
「拒否したら?」
「では、また参ります」
その言い方に、背中が冷たくなった。
彼は脅していない。脅していないのに、これ以上ない脅しになっている。断れる。今日は。だが明日も来る。明後日も来る。来月も。俺が仕事をしているときも、飯を食っているときも、寝ているときも。
彼らは急がない。千年、そうしてきたからだ。
*
「ひとつ聞いていいですか。なんで、あの遺跡を開けさせたんですか」
「必要がありましたので」
「自分たちで開ければよかったのでは」
「開けられません」
俺は、その答えを二回頭の中で繰り返した。
「開けられない」
「はい」
「なんで」
「我々の職掌は、閉じることですので」
彼は淡々と言った。事務的に、在庫の数を報告するように。
「我々は、封じます。危険な遺物を封じ、危険な場所を封じ、危険な記録を封じます。……そのために必要な技術は、代々受け継いでおります」
「じゃあ、開ける技術は」
「ございません」
「一度も?」
「一度も。開ける必要が、ありませんでしたので」
俺は、四か月ぶんのことを思い出していた。下水の石板、鎖と封鉛。森の石柱、縄と杭。遺跡の扉、八つの楔と鎖。そして、番人の胸、四隅の楔。
全部、あなたたちですか。
「森の結界を補修してたのも、あなたたちですね。四十年ごとに」
「三十七年です」彼は訂正した。「三十七年ごとに、点検しております」
「町の下水も」
「あれは百年ごとです」
「番人の口も?」
その質問で、セリムの目が初めて俺の顔を見た。さっきまで、彼は俺の登録証を見ていた。あるいは俺の胸のあたりを。いま、目を見ていた。
「……口、と申しますと」
「あの機構、口を塞がれてました。本当の命令は『伝えよ』でした。誰かが後から胸を開けて、蓋をして、楔で留めて、『守れ』だけを残した」
「ほう」
「千十七年前だそうです。大戦の、十七年後」
八人の外套が、動かなくなった。
ギルドの中は、もう完全に静かだった。酒場の連中も、受付も、掲示板の前の冒険者も、全員がこちらを見ている。誰も動かない。
セリムだけが、ゆっくりと息を吐いた。
「それは、機構が、話したのですか」
「はい」
「動いていたのですか」
「止めたら、話しました」
「止めた」
「はい」
「……なるほど」
彼はそこで初めて、表情らしきものを見せた。笑ったのではない。困ったのでもない。理解した、という顔だった。長らく探していた答えが、思っていたより単純だったときの顔だ。
*
「セイン・ヴェルグ。重ねてお尋ねします」
彼が一歩前に出た。四人が同時に動いた。フェンリスが低くなり、ガルドが鎚に手をかけ、リーナが後ろへ下がって射線を作り、レクスが——レクスは、動かなかった。
セリムは、四人を見なかった。俺だけを見ていた。
「あの遺跡の最奥に、円の刻まれた部屋がありましたか」
俺は答えなかった。
「その中央に、灰色の鱗が一枚、置かれておりましたか」
答えなかった。
「あなたは、それに触れましたか」
背中を、汗が伝った。
知っている。この男は、あの部屋のことを知っている。自分たちでは扉を開けられないと言いながら、中に何があるかを正確に知っている。
つまり——閉じた者は、中を見ている。
千年前、あの扉を閉じた誰かは、閉じる前にあの部屋に入っている。そして、その記録は、この組織の中に残っている。外の全部から名前を削り取った連中が、自分たちの記録だけは、千年、大事に持っている。
「答えていただけませんか」
「答える義務がありますか」
「ございません」
「じゃあ、答えません」
「承知しました」
彼は頷いた。そして、こう言った。
「では、こちらから申し上げます。——あなたは、触れました」
「体の傷が、すべて消えているそうですね。町で噂になっております。三十年開かなかった金庫を六秒で開けたことも。五年止まっていた水車を三秒で回したことも。……四か月前まで、Fランクで、溝をさらっていた方が」
「……それが、なんですか」
「順序が逆です」セリムは言った。「力を得たから触れたのではありません。触れたから、力を得たのです」
彼は俺の胸のあたりを見た。そして、静かに言った。
「——依代様」
ギルドの誰かが、椅子を倒した。
俺はその言葉を、遺跡で二度聞いていた。一度目は、止まった機構から。二度目は、白い翼の少女から。
三度目が、人間の口から出た。
しかも、「様」を、つけて。




