便利屋から
最初の指名依頼は、商家からだった。
「三十年、開いてないんです」
依頼人は五十がらみの女性で、ハルグでいちばん大きな穀物商の当主だという。案内されたのは蔵の奥だった。鉄の金庫が一つ、人の背丈ほどある。扉に、細かい術式が刻んであった。
「先代——父が、作らせたものです。父が死んだのが三十年前で、鍵の在り処を誰も聞いていなくて」
「壊さなかったんですか」
「壊せません」彼女は苦い顔をした。「三度、術師を呼びました。三人とも『壊すしかない』と。でも、壊すと中身も駄目になると言われて」
「中身は、なんですか」
「わかりません。父は『大事なものを入れた』としか」
三十年ぶんの埃をかぶった金庫を、俺は六秒で開けた。術式に十二の結び目があって、支点が二つあったからだ。
扉が、ゆっくり開いた。中に入っていたのは、二つだった。
一つは、遺言状。もう一つは、紙の束。
依頼人がそれを取り出して、見た。そして、床に座り込んだ。
絵だった。子どもの描いた絵だ。人が三人。家。太陽。線が太くて、色がはみ出している。裏に、へたな字で名前が書いてあった。その名前は、目の前の依頼人のものだった。
「……あの人。なんで、こんなもの」
俺は、何も言わなかった。言うことが、思いつかなかった。
報酬は金貨一枚だった。
「多すぎます」
「受け取ってください」彼女は絵を胸に抱えたまま言った。「わたし、三十年、あの金庫の中に借金の証文か何かが入ってると思っていたんです」
*
その話が、二日で町中に広まった。
二件目は、呪われた井戸だった。南区の外れにある古井戸で、近づくと気分が悪くなると言われていた。三代にわたって「呪い」と呼ばれていた。行ってみたら、井戸の内壁に術式が刻んであった。
「これ、封印だわ」リーナが覗き込んだ。「疫病の封じ込めね。たぶん、二百年くらい前に流行り病が出て、汚染された水脈を封じたのよ」
「じゃあ、いま解いたら」
「駄目に決まってるでしょ!!」
そういうこともある。俺たちは役所に報告して、依頼を返上した。報酬は出なかったが、リーナが「これは書ける」と言って三枚の記録を残した。彼女は、最近よく書いている。
三件目は、北の水車小屋だった。魔導機構で動く粉挽き機が、五年前から止まっている。修理に来た職人が全員「原因不明」と言って帰った。見たら、術式が二重になっていた。
「これ、後から誰かが術式を足してますね。たぶん、出力を上げようとしたんだと思います。でも、足したやつが元のやつと噛み合ってなくて、互いに引っ張り合ってます」
「直せるか」
「足したほうを解けば、元に戻ります」
三秒で、水車は回った。小屋の主人が泣いた。ドワーフのじいさんだった。ガルドが肩を叩いていた。
四件目、貴族の家の開かずの間。中身は先々代の趣味の彫像で、全裸だった。全員で見なかったことにした。五件目、商隊の荷を封じた盗難防止術式。鍵役の傭兵が病死していた。六件目、墓地の納骨堂の扉。管理人が代替わりして開け方を知らなかった。
七件目のあたりで、俺は自分の呼ばれ方が変わっていることに気づいた。
「解き屋」
誰が言い出したのかはわからない。たぶん酒場の誰かだ。「便利屋」を言い出したのと、同じ人間かもしれない。
依頼人が来るとき、彼らは必ず同じことを言った。
「壊さないでほしいんです」
これが、いちばん効いた。俺は、壊さない。壊せないと言ったほうが正確だが、結果は同じだ。開けたい人にとって、壊さずに開く人間は、代えがきかない。
四か月前、俺は「戦闘職じゃないな」と言われた。そのとおりだった。そのとおりのまま、俺は仕事を取っていた。
*
生活が、少し変わった。
ガルドは、工房を借り直した。町外れの納屋から、鍛冶通りの空き物件へ。炉が二つある。「まともな炉で仕事をするのは十年ぶりだ」と彼は言った。
その工房の隅に、いまもレクスの寝床がある。藁ではなくなった。ちゃんとした寝台が入った。
「どうですか」
「かたい」
「え」
「藁のほうが、やわらかかった」
「……そうですか」
「でも」彼女は寝台を撫でた。「これは、私のだと言われた」
リーナは、宿を移った。机のある部屋だ。記録を広げられるようになった。「三十年で初めて、机で書いてるわ」と言っていた。
フェンリスは、宿に泊まれるようになった。Dランクの登録証と、Dランクの保証人が二人いれば、獣人でも部屋を貸してもらえる。
「金で買える尊厳ってのは、安っぽいな」彼はそう言って、それから付け足した。「でも、雨に濡れねえのは、いい」
レクスに、服を買った。これはリーナが主導した。
「ずっとあのぼろは駄目でしょ」
「私は、平気」
「わたしが平気じゃないの」
古着屋で、彼女は三十分かかった。決められないのだ。
「どれがいいですか」
「わからない」
「好きな色は?」
「わからない」
「じゃあ、着てみて選びましょう」
「選ぶ?」彼女は、本気で不思議そうな顔をした。「私が?」
結局、リーナが選んだ。灰色の上衣と、動きやすい下衣と、靴。裸足に近い足に、初めて、ちゃんとした靴が入った。
店を出て、彼女は三歩歩いて、止まった。
「どうしました」
「音が、する。歩くと、音がする」
靴の音だった。石畳を踏む、こつ、という音。彼女はそれをしばらく聞いて、それから、また三歩歩いた。こつ、こつ、こつ。
「セイン」
「はい」
「これ、私の音?」
「そうです」
「……そう」
彼女は、その日、ずいぶんゆっくり歩いた。
*
マルクに会ったのは、その週の終わりだった。
ギルドの掲示板の前で、彼のほうから声をかけてきた。
「よお、セイン。……お前、Dになったんだってな」
「はい」
「聞いたよ。特級だろ。金貨十枚の」
「はい」
彼は、少し黙った。俺は、その沈黙の意味がわかった。四か月前、俺が掲示板の前でマルクの名前を見上げていたときの、あの感じだ。いま、逆になっている。
「マルクさん。灰喰いのとき、討伐隊で何をしてたんですか」
「え?」
「一日先を行ってましたよね。あのあと、隊はどうしたんですか」
「あー……」彼は頭を掻いた。「野営地の片づけと、逃げた連中の追跡。四人捕まえた。俺が二人だ。……小せえ手柄だよ」
「Dランクが二人捕まえたら、それは手柄です」
「そうか?」
「そうです」
マルクは、へへ、と笑った。四か月前と同じ、人懐こい顔だった。
「お前さ、変わったな」
「そうですか」
「うん。前は、なんつうか、こう」彼は言葉を探した。「話しかけると、こっちが悪いことしてる気になった」
「……すみません」
「いや、いいんだよ。……いまは、普通に喋れる」
彼は手を上げて、行ってしまった。俺は、その背中を見送った。
四か月前、俺はこの人に嫉妬すらできなかった。差がつきすぎて、比べる余地がなかった。いまは、並んでいる。
並んでみて、わかったことがある。俺は別に、この人を追い抜きたかったわけではなかった。ただ、同じ場所に立って、普通に話がしたかっただけだ。
*
その日の午後だった。
ギルドの扉が開いて、外の光が一度、遮られた。人が入ってきた。一人ではない。八人。
全員が、同じ外套を着ていた。裾が長い。色は、灰と白の中間のような、名前をつけにくい色だ。胸に、紋章があった。
三本の線と、それを横に切る一本。人間の王国の紋章だった。学問所で習った。王家の紋だ。
だが、俺が習ったものとは、少し違っていた。横に切る一本が、余分だった。
ギルドの中が、静かになった。酒場の喧騒が、順に消えた。受付の担当官が立ち上がった。顔から、血の気が引いていた。
八人の先頭が、ゆっくりと掲示板のほうを見て、それからこちらを向いた。俺のほうを。正確には、俺の首から下がっている登録証を。
その男が、口を開いた。
「セイン・ヴェルグ」
俺は、答えなかった。答える前に、四人が俺の前に出ていた。




