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灰燼の神話 〜神殺しの副産物〜  作者: NN
三人の仲間

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28/50

障壁ではなく

ガルドの左肩は、折れていた。


「鎖骨だな」


彼は自分で診断して、自分で添え木を当てた。リーナが手伝おうとすると「鍛冶と同じだ」と言って断った。二日前に人を縫った理屈が、今度は自分に適用されている。


「町に戻りましょう」


「戻ってどうする」


「治療よ!」


「治んねえよ。骨は時間しか治さねえ。……期限は十日だ。今日で三日。往復で四日潰れる。戻ったら、残りは三日だ」


「じゃあ、諦めるってこと?」


「誰がそう言った」


  *


俺たちは、遺跡の外に野営を張った。草地の端、森との境目のあたりだ。番人は外に出ない。あの扉の内側から一歩も出てこない。それは初日に確認した。


だから、ここは安全だった。安全な場所から、俺たちは三日間、あの扉を見ていた。


一日目。朝から、リーナが扉の術式を写した。炭と紙で、丸一日かけて、刻線を全部書き写した。何百本もある。彼女は途中で三回、手が攣った。


「なにかわかりましたか」


「わかったわ」夕方、彼女は炭だらけの顔で言った。「やっぱり『閉じよ』だけよ」


「一日かけて」


「一日かけて、それだけだったの!」


代わりに、彼女は別のことに気づいていた。


「この術式ね、扉に効いてるんじゃないの。扉に『閉じよ』と命じてるんじゃなくて、扉を通ろうとするものに『閉じよ』と命じてる」


「……違いがありますか」


「大違いよ。前者なら扉が閉じるだけ。後者だと、通ろうとしたものが閉じるの」


「閉じる、って」


「わからないわ。でも、たぶん、いい意味じゃない」


俺たちは既にその扉をくぐっている。四人とも、特に閉じていない。


「効いてないんじゃないですか」


「効いてないのよ。あなたが留め具を外したから」リーナは自分の写しを見た。「術式は生きてる。でも、留め具がないから、発動しない。……ねえ、それって変だと思わない?」


  *


二日目。俺は番人を見ていた。


正確には、扉の隙間から中を覗いていた。あの扉は開いたままだ。閉める方法がない。だから、外から中が見える。


番人は、一定の経路をゆっくり歩いていた。奥の大きな台座のところから手前へ。左の列の像を五体ぶん通って、折り返して、右の列を戻る。そしてまた奥へ。


「巡回だ」フェンリスが言った。「見張りの歩き方だな。俺の部族でも同じことをやる」


「同じ道を通ってますね」


「一歩も違わねえ。あれは、決められた道を歩いてる」


俺は数えた。一周に、二百四十歩。時間にして、たぶん十分ほど。それを、ずっと繰り返している。


千年、そうしていたのだ。誰も来ない神殿で、顔を削られた像の間を、二百四十歩ずつ。


「なんのために」俺が呟くと、リーナが答えた。


「守るためよ」


「何をですか」


「わからない。……でも、機構は必ず、何かを守るために作られるの。守るものがないのなら、機構は作られない」


「奥の台座ですかね」


「そうかもしれない。あそこだけ、少し大きかった」


  *


三日目。俺は、扉の隙間に張りついていた。朝から、ずっとだ。


見ていたのは、番人の胸だった。一昨日のあの一瞬、俺の指が面を滑って、その奥に何かを掠めた。位置は覚えている。胴の中心。俺の目線より、少し高いあたり。そこを、見ていた。


昼過ぎ、番人が折り返して、こちら側を向いた。日の光が扉から差し込んでいて、角度がちょうどよかった。


見えた。


継ぎ目だった。黒い金属の装甲が、胸のところで一箇所だけ形が違っていた。まわりの装甲はなめらかな曲面だ。鋳込んだものか、叩き出したものか、とにかく一枚で作られている。その中央だけ、四角い板が嵌まっていた。大きさは掌ほど。四隅に、何かが打ち込まれている。


「ガルド! 見てもらえますか。あれ、なんですか」


彼は片腕のまま、扉のところまで来た。しばらく目を細めて、それから低く唸った。


「……蓋だな」


「蓋?」


「あの板は、あとから嵌めたもんだ。鋳込みじゃねえ。四隅を留めてある」


「何で留めてありますか」


「遠くて見えねえが」彼は言った。「あの形は、楔だ」


俺の背中が、ぞわりとした。


楔。下水の石板、鎖と封鉛。森の石柱、縄と杭。遺跡の扉、八つの楔と鎖。そして、番人の胸、四隅の楔。


「……全部、同じだ」


「なんの話だ」


「この世界の封印、全部、留め具がついてます。術式だけのやつを、俺は一つも見てません。必ず、鎖か、縄か、楔がある。誰かが、術式の上から、物理的に留めてる」


リーナが顔を上げた。


「……たしかに、そうね」


「なんでですか」


「わからないわ。でも——術式って、劣化するの。何百年も経つと、線が薄れたり、魔力が抜けたりする。だから、大事なものを封じるときは、二重にするのかもしれない」


「じゃあ、番人のあれも」


「同じでしょうね。大事なものを、二重に留めてある」


  *


俺は、その場に座り込んだ。頭の中で、何かが並び替わろうとしていた。


番人は、何を守っているのか。奥の台座か。それも、あるかもしれない。


でも、胸の蓋は、外側から留めてある。外側から、というのは、番人自身が留めたわけではないということだ。誰かが、番人の胸を開けて、何かを入れて、蓋をして、楔で留めた。


「リーナさん」


「なに」


「機構って、どうやって動いてるんですか」


「術式よ。体に刻んだ術式が、魔力を回して——」


「動く理由は?」


「え」


「動く仕組みじゃなくて、動く理由です。なんで、動こうと思うんですか」


リーナは、口を開けたまま止まった。


「……命令、ね」


「命令」


「そう。機構には、命令を刻むの。『侵入者を排除せよ』とか、『この部屋を守れ』とか。それが機構の意思の代わりになる」


「刻むって、どこにですか」


「核よ。機構の中心にある——」


彼女の声が、そこで止まった。彼女は扉のほうを見た。俺も見た。番人が、二百四十歩の経路をまた折り返していた。胸の四角い蓋が、日の光を受けて鈍く光った。


「……あそこ、核だわ」


  *


俺は、立ち上がっていた。膝が笑っていた。腹はまだ痛い。でも、立っていた。


「わかりました」


「なにが」


「俺、あの面には触れません。三日前に試して、駄目でした。あれは術式です。俺の手は術式に届かない」


「そうね」


「でも、面を壊す必要はないです。……あれを壊そうとしてたのが、間違いでした」


三人が、俺を見ていた。レクスも、こちらを見ていた。


俺は、自分の掌を見た。四か月前に紙に書いた一行を思い出していた。


『解けるもの=誰かが、そうしようと思って結んだもの』


命令は、結びだ。命じた者と、従う者を繋いでいる。離れているものを、くっつけておこうとした意思。それ以外の何ものでもない。


千年前、誰かが、この機構に「守れ」と命じた。命じただけでは足りないと思って、核に蓋をして、四隅に楔を打った。


楔は、物だ。俺の指は、物に触れる。


「あの機構を動かしてるのは、命令です。命令は、誰かが結んだものです。だから——」


俺は、扉を見た。黒い巨体が、二百四十歩を歩いている。千年、誰も来ない場所で、削られた顔の間を、ずっと。


「解けます」


沈黙が落ちた。最初に口をきいたのは、ガルドだった。


「坊主」


「はい」


「胸の高さまで、どうやって届く」


「……あ」


「あれは俺の三倍の背丈がある。胸の中心は、地面から十五尺だ。しかも面が張ってある。楔まで手を伸ばすには、面の内側に入らなきゃならん」


俺は、口を閉じた。そのとおりだった。理屈が通っただけで、方法は何ひとつ思いついていない。


「……どうしましょう」


「どうしましょう、じゃねえよ」


ガルドが、片腕で俺の頭を叩いた。痛かった。


「それは、俺たちが考える話だ」


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