番人
かちり、という音は、十七回続いた。数えていた。癖である。
十七回目のあと、少し間があって、それから、地面が揺れた。
奥の暗がりから、それが出てきた。
最初に見えたのは、脚だった。黒い金属の柱が二本、床を踏んで前へ出てくる。関節にあたる部分から、細い光が漏れていた。青白い光だ。呼吸のように、明るくなったり暗くなったりしている。
灯りを上げると、胴が見えた。人の胴に似ているが、厚みが違う。樽を三つ縦に積んだくらいの太さがある。腕は、四本あった。上の二本が長く、下の二本が短い。四本とも、先が刃物になっていた。
そして、頭。顔が、ない。首の上に、丸い金属の塊が載っているだけだった。目も、口も、鼻もない。
俺は、両側に並ぶ神像を思い出した。こちらは削られたのではない。最初から、ないのだ。
「下がれ!!」
ガルドの声が飛んだ。俺たちは扉のほうへ後退した。番人は、ゆっくりと歩いてきた。急いでいない。追い立てるでもない。ただ、歩幅が大きい。十歩下がるあいだに、向こうは四歩だった。
「何だあれ」フェンリスが唸った。
「機構よ」リーナが答えた。声が高い。「古代の守護機構。記録で読んだことがある。……動いてるのを見たのは初めて」
「止め方は」
「書いてなかったわ!」
*
最初に当てたのは、リーナの矢だった。胸のあたりを狙って、三本。
弾かれた。
矢が届く直前だった。番人の体の表面から、指二本ぶんほど離れたところに、面が現れた。透明な面だ。光ってはいない。ただ、そこに何かがあるということだけが、矢の跳ね返り方でわかった。音は、鐘に似ていた。
「もう一度!」
三本。同じ結果。
ガルドが走った。九十二年ぶんの体重を乗せた鎚が、下から跳ね上がるように振られる。同じ音がした。ただし、規模が違った。面が現れて鎚を止めたが、勢いは殺しきれなかったらしい。番人の体が、わずかに後ろへ傾いた。
「効いてるぞ!」
「もう一発!」
二発目。三発目。面は、割れなかった。
フェンリスが横から入った。彼の速度は、こういう相手にこそ効くはずだった。関節を狙う。光の漏れている、あの隙間を。爪が届く前に、面が出た。爪が滑った。
「硬え!」
「関節は?」
「関節も同じだ! 体の外側全部に張ってやがる!」
俺は、その様子を見ながら考えていた。
面。結界とは違う。森の結界は、石柱を要にして空間に張ってあった。これは違う。体の表面から離れたところに、体の形に沿って張ってある。まるで、着ているみたいだ。
「セイン!」リーナが叫んだ。「あなた、触れる!?」
「試します!」
*
俺は走った。番人はガルドを追っている。背中側なら、近づける。
十歩、五歩。背後に回って、俺は手を伸ばした。指先が、面に触れた。
何もない。冷たさすらなかった。指が沈むわけでもない。押し返されるわけでもない。ただ、そこに面があって、俺の指はその面の上を滑るだけだった。
下水の石板と同じだ。森の石柱の刻線と同じだ。
「駄目です!! 触れません!」
そのときだった。俺の指が、何かを掠めた。
面の、向こうだ。面そのものではない。面を通り越した、もっと奥。番人の胴の、中心のあたり。そこに、何かがある。
ごく微かだった。錠や鎖のような、はっきりした「ここ」ではない。もっと遠くて、もっと薄い。糸を張った音を、壁越しに聞いたときのような。
でも、たしかに——
「ある」俺は呟いた。
「なにが!?」
「わかりません。でも、奥に、何か——」
言い終わらなかった。番人が振り返り、四本の腕のうち、下の短い一本がこちらへ来た。避けられなかった。俺は避けようとした形のまま、腹に衝撃を受けた。
飛んだ。床を二回、跳ねた。息が止まった。
肺の中の空気が全部出て、次が入ってこない。目の前が白くなった。前世で自転車に轢かれたときに似ている。あのときより、ずっと痛い。
「坊主!!」
ガルドが割り込んできた。倒れている俺と番人のあいだに、彼が入った。鎚を構えるでもない。ただ、体を入れた。
上の長い腕が、彼の左肩に落ちた。
音は、覚えている。鈍い音だった。ガルドの体が床に叩きつけられ、一度跳ねて、動かなくなった。
「ガルド!!」リーナの声が、遠くで聞こえた。
俺はなんとか息を吸った。吸えた。顔を上げると、ガルドが起き上がろうとしていた。右手で床を押している。左腕が、動いていなかった。
「……いてえな」彼は言った。「くそ。……九十二年、こんな痛えのは初めてだ」
*
そのとき、俺の視界の端で、白いものが動いた。
レクスだった。彼女は、番人とガルドのあいだへ走り込んでいた。その両手が、上がっている。手の甲の皮膚の下で、白いものが動いていた。もう半分、せり出している。
「レクス!!」
俺は叫んでいた。倒れたまま、息も整っていないのに、声だけが出た。
「まだだ!!」
彼女が止まった。振り返った。縦の瞳孔が、俺を見ていた。
「使わないと」彼女は言った。「みんな、死ぬ」
「まだ死んでません!」
「ガルドが」
「生きてます! 起きてます!」
「私が、やる」
「——それを、俺が決めさせない!」
自分でも、なぜそう言ったのか、わからなかった。
理屈はあった。あとから考えれば、いくつも出てくる。彼女に牙を使わせれば、この場は片づく。でも、片づいた瞬間に、彼女はまた「私は強いから、いていい」に戻る。ガルドと交わした約束が無になる。そして五日前、火の向こうで彼女は言った。強くても、弱くても、同じだ。どうしたら、いていいのか、わからない、と。あの言葉を聞いておいて、今日ここで牙を出させるなら、俺は何も聞いていなかったことになる。
でも、そのときの俺は、そこまで考えていない。考えていたのは、たぶん、もっと短いことだった。
——今日は、二度目を作らせたくない。
「撤退だ!!」ガルドが吼えた。右手一本で立ち上がって、彼は俺の襟を掴んだ。「走れ!! 全員!!」
*
俺たちは走った。扉まで四十歩。番人は追ってきた。歩幅が大きい。距離が詰まる。
三十歩。二十歩。十歩。背後で風を切る音がして、俺は反射的に頭を下げた。頭上を、何かが通り過ぎた。五歩。扉。
外に転がり出た。草の上に、五人が倒れ込んだ。
追ってくる、と思った。追ってこなかった。
顔を上げると、番人は扉のところで止まっていた。四本の腕を垂らして、そこに立っている。一歩も、外に出てこない。やがて、それは向きを変えて、ゆっくりと奥へ戻っていった。
かちり。かちり。かちり。音が、遠くなった。
「……境界があるのね」リーナが、荒い息のまま言った。「あの中から、出られないんだわ」
「守護機構だからな」ガルドが答えた。地面に座り込んだまま、左腕を右手で支えている。「守るもんがある場所からは、離れられねえ」
彼は自分の肩を見た。
「折れてるな。これは」
「動かさないで!」リーナが駆け寄った。
*
俺は、草の上に仰向けになっていた。腹が痛い。息をするたびに、肋のあたりが軋む。空が見えた。雲が、ゆっくり流れていた。
奥に、何かがあった。面には触れられなかった。でも、その向こうに、何かがあった。俺の指は、たしかにそれを掠めた。
視界に、白金の髪が入ってきた。レクスが、俺を覗き込んでいた。彼女の両手は、ただの手に戻っている。
「……使わなかった」
「はい」
「よかった?」
聞かれて、俺は少し詰まった。正直に言えば、まったくよくなかった。負けたし、ガルドは骨を折ったし、俺は腹を蹴られたし、遺跡には一歩も入れていない。
でも、俺は答えた。
「はい」
彼女はしばらく俺を見ていた。それから、俺の隣にしゃがんで、膝を抱えた。何も言わなかった。俺も、何も言わなかった。




