危険な遺物処理
その依頼が貼り出されたのは、五日後の朝だった。
俺が気づいたのではない。ギルドの掲示板の前に、人だかりができていたからだ。
「金貨十枚だってよ」
「嘘だろ。B級の護衛でも三枚だぞ」
「遺物処理でこの額?」
俺は人の隙間から、その紙を見た。
『特級依頼/辺境古代遺跡における危険な遺物の処理/場所 ハルグ東方 丘陵地帯/報酬 金貨十枚/人数 四名以上六名以下/条件 Dランク以上を二名以上含むこと 術式解除の心得ある者を必ず含むこと/期限 十日以内/依頼主 ——』
俺は、最後の行を二度読んだ。依頼主の欄が、空欄だった。
正確には、空欄ではない。横線が一本、引いてある。書かなかったのではなく、書かないことにした、という線だった。
「セイン」背後から、リーナの声がした。振り返ると、彼女は掲示板を見上げていた。顔から、血の気が引いていた。
「場所」彼女は言った。「ハルグ東方、丘陵地帯」
「はい」
「わたしの遺跡よ」
*
俺たちは、ギルドを出て、工房に集まった。ガルドが炉の火を落とし、フェンリスが戸を閉め、レクスが藁の上に座った。
リーナは、地図を広げた。
「東の丘陵地帯って書いてあるだけよ。範囲は広いわ。でも——」彼女は指で三つの丘をなぞって、その先を叩いた。「遺跡なんて、あそこしかない。わたしが三年探して、去年ようやく見つけた場所よ。地図に載っていない」
「載ってねえのに、ギルドが場所を知ってるのか」ガルドが言った。
「そういうことになるわ」
「誰かが報告したんですか」
俺が聞くと、リーナは首を振った。
「わたしはしてない。ギルドにも役所にも、遺跡のことは一言も出してない」
「討伐隊は?」
「あの丘は通ってないわ。街道は南よ」
「じゃあ——」
言いかけて、俺は口を閉じた。三人が、俺を見ていた。
「……下水の報告書、ですかね」
「何の話だ」
「三か月前です。俺、役所に報告書を出しました。石板に術式らしき刻印があった、鎖と封鉛があった、って」俺は思い出しながら言った。「あれ、書類が四つの部屋を回ったってベルンさんが言ってました。水路課、営繕課、財務、町長室」
「町長室で三日止まった、だったな」
「はい」
「町長は悩んでたんじゃなくて」ガルドが顎を撫でた。「どこかに、伺いを立ててたのかもしれねえな」
沈黙が落ちた。リーナが、ゆっくり続けた。
「それだけじゃないわ。……森の結界」
「はい」
「わたしたち、壊したのよ。数十年ごとに誰かが補修してた結界を」
「壊しました」
「補修してた人間がいるなら、壊れたことに気づく人間もいる」
彼女は、自分の腕をさすった。
「一か月前よ。結界が壊れたのも、その頃」
「依頼が用意されたのも、同じ時期ですか」
「そこまでは、わからないわ」リーナは首を振った。「依頼書がいつ作られたのか、ギルドの掲示板を見ただけでは判断できないもの。ただ、誰かが結界の破損を知って、依頼として形にし、ギルドへ持ち込んだ。そのあと、今朝になって貼り出された」
彼女は、依頼書の空欄を見た。
「壊れた時期と、依頼が動き始めた時期が近すぎるの。偶然だと言い切るには、少しだけ」
「考えすぎじゃねえのか」フェンリスが言った。「偶然かもしれねえだろ」
「そうね。偶然かもしれない」リーナは、依頼の写しを机に置いた。ギルドで書き取ってきたものだ。そして、一行を指した。「じゃあ、これは?」
『術式解除の心得ある者を必ず含むこと』
「……普通の書き方じゃないの」
「普通じゃないわ」彼女は首を振った。「遺跡の依頼で術師を求めるのは普通よ。でも普通は『魔術師を含むこと』って書く。『術式解除の心得ある者』なんて書き方、わたし、三十年冒険者の掲示板を見てるけど、初めて見た」
「言い換えただけじゃねえのか」
「言い換えじゃないの。これはね、『解除ができる人間』を指してるの。術式が読める人間じゃなくて、解ける人間」
俺の背中を、冷たいものが通った。
町の術師は三人。三人とも、リーナの依頼を断った。「あんな古い術式は触れない」と。読める人間はいる。解ける人間は、いない。
俺は、術式を読めない。術式に触れることもできない。でも、この四か月で、俺は二つの封印を開けている。下水の石板と、森の結界と。
「わたしたち、名指しされてるのかもしれない」
「名前は書いてねえぞ」
「書けないのよ。ギルドの掲示板に個人名を書いたら、指名依頼になる。指名依頼は、依頼主の身元を明かさなきゃいけない決まりなの」
「……なるほどな」ガルドが低く唸った。「身元を明かしたくねえから、条件で絞ったってわけか」
*
「受けない、って選択肢はあるわ」リーナは言った。「わたしが言うのも変だけど。……これは、たぶん、いい話じゃない」
「じゃあなんで受けたそうな顔してんだ」フェンリスが言った。
「してないわよ」
「してる」
「……してるかも」彼女は、両手で顔を覆った。「だって、あの扉が開くのよ。三年探して、四回行って、一度も開かなかった扉が。しかも金貨十枚もらって」
「そこは金の話じゃねえだろ」
「金も大事よ! わたし貧乏なの!」
ガルドは、しばらく腕を組んでいた。
「坊主。お前はどうしたい」
俺は、返事に詰まった。
正直に言えば、乗り気ではなかった。五日前に、俺は自分の四か月を三行に書いた。三行目に「だから俺は無力だ」と書いて、ガルドに愚痴だと言われた。理屈では納得して、腹の底では納得していない。その状態が、まだ続いている。
そんな状態で、金貨十枚の特級依頼だ。明らかに、身の丈に合っていない。
「……行きたくは、ないです」
「そうか」
「でも、行くと思います」
「なんでだ」
「俺が行かないと、条件が揃わないので」
言ってから、俺は自分でも妙な気分になった。
四か月、俺はずっと「いてもいなくても同じ」だった。いま、初めて、「俺がいないと成立しない」場面が来ている。それが、こんな形か。依頼主の名前が伏せられた、身元不明の、金貨十枚。
嬉しくはなかった。嬉しくはなかったが、腹の底の、五日前から動かなかったところが、ほんの少しだけ動いた。
*
「決まりだな」ガルドが立ち上がった。「受けるぞ。ただし条件がある」
「なによ」
「引き際は俺が決める」
「……いいわ」
「二つ目。中で何が出ても、坊主を前に出さねえ」
「それは当然でしょう」
「三つ目」彼は、藁の上の少女を見た。「嬢ちゃん。あんたは、牙を使うな」
レクスが顔を上げた。
「使わないと、みんな死ぬ」
「死なせねえよ」
「わからない」
「わからねえだろうな」ガルドは頷いた。「だが、こっちにも都合がある。あんたが牙を出すと、俺の心臓に悪い」
「……心臓」
「そうだ。九十二年もったが、そろそろ限界かもしれん」
レクスは、しばらく彼を見ていた。それから、こう言った。
「わかった」
*
その日の午後、俺たちはギルドで手続きをした。四人——ではなく、五人だ。
レクスの登録が問題になった。身元不明の少女を隊に入れる方法は、通常はない。
「保証人がいれば可能です」担当官が言った。「Dランク以上の冒険者が保証人になれば、臨時登録が認められます。ただし、その方が全責任を負います」
「俺がなる」ガルドが即答した。「ガルド・オルムスン。Dランク。……いま登録したばかりだが、DはDだろう」
「はい、問題ありません」
書類が作られた。『レクス 臨時登録 保証人 ガルド・オルムスン』。種族の欄は、空白のまま提出された。担当官は何も言わなかった。忙しかったのだと思う。あるいは、この町の役所と同じで、疑問を持たないことに慣れているのかもしれない。
書類を出したあと、俺は受付の担当官に、ひとつだけ聞いてみた。
「あの、依頼主なんですけど。本当に、わからないんですか」
彼女は、少し困った顔をした。
「わたしどもは、伺っております」
「教えてもらえますか」
「申し訳ありません。伏せるようにと」
「……そうですか」
「ただ」彼女は、書類を揃えながら、少し声を落とした。「ひとつだけ、申し上げられることがあります」
「なんですか」
「この依頼は、ギルドを通していますが」彼女は言った。「ギルドが引き受けたのではありません。引き受けさせられた、というのが、正しい言い方だと思います」




