痛くは、ありませんか
討伐隊が到着したのは、それから一時間後だった。
三十人が丘を越えてきて、野営地を見て、止まった。
「……なんだ、これ」
隊長らしい男が言った。説明する役は、なぜか俺になった。リーナは記録係だから前に出ない、ガルドは口を開かない、フェンリスは獣人だから前に出ると話がややこしくなる。消去法である。
「到着したときには、こうなっていました」
「討伐隊は俺たちだぞ。他に誰が入った」
「わかりません」
嘘だった。自分でも驚くほど滑らかに出た。
嘘をつく、と決めたのは、追跡の前だった。四人で三十秒だけ話し合った。
「あの子のこと、言う?」リーナが聞いた。
「言えば、どうなる」ガルドが返した。
「ギルドは、たぶん、探すわ」
「探して、どうする」
「……わからない。褒賞を出すか、危険人物として記録するか」
「後者だな」ガルドは即答した。「武器なしで二十人を斬った子どもだ。俺がギルドの上役なら、褒賞は出さねえ。目録に載せる」
フェンリスが鼻を鳴らした。
「目録ってのは、狩る側が作るもんだ」
それで決まった。
*
隊長は、しばらく現場を見て回っていた。そして、こう結論した。
「内輪揉めだな」
「え」
「盗賊の分け前争いだ。よくある」
俺は、斜めに断たれた男の遺体を見た。それから、隊長を見た。彼は本気で言っていた。
見えているのに、見ていない。役所の連中と同じだ。上水路を塞ぐのに、あんな術式が要りますかと聞いたときの、あの顔と同じだった。人は、自分の知っている引き出しに入らないものを見ると、いちばん近い引き出しに押し込む。
「セイン!」マルクが駆け寄ってきた。「無事か?」
「はい」
「よかった……いや、よくねえけど。俺たち、何しに来たんだろうな」
彼は途方に暮れた顔をしていた。Dランクに上がって、間に合った、と喜んで、丘を越えたら全部終わっていた。彼のせいではない。
「マルクさん。間に合わなくて、よかったんじゃないですか」
「……そうか?」
「二十人斬った何かと、鉢合わせしなかったので」
マルクは、しばらく黙ってから、笑った。
「お前、変な慰め方するな」
「よく言われます」
*
俺たちが野営地を離れたのは、日が傾き始めたころだった。街道を町の方向へ進んで、丘をひとつ越えたところで、俺は足を止めた。
「あの……追いたいんですけど」
説明を求められた。当然だ。俺は自分でも説明できないことをやろうとしている。
「傷を、負ってました」
「左腕ね」
「はい。深そうでした。放っておいたら、たぶん悪くなります」
リーナが眉を寄せた。
「二十人斬った子よ」
「はい」
「わたしたちのことも斬れるわ」
「はい」
「なのに、行くの」
俺は、少し考えた。考えて、正直に言うことにした。
「あの子、俺たちを数えてました。四つある、って確認しただけの目でした。人を見る目じゃなかった」
フェンリスが、低く言った。
「数えるってのは、逃げるか殺すかを決めるときの数え方だ」
「はい。……たぶん、そうです」俺は続けた。「あれ、ずっとそうやって生きてきた目です。人を見たら、まず数える。数えて、逃げるか、殺すか決める。それ以外の選択肢を、知らない」
言いながら、自分の声が少し変だと思った。
「……たぶん、あの子、誰にも見られてないんです。ずっと」
沈黙が落ちた。ガルドが、鼻から息を吐いた。
「坊主」
「はい」
「お前、時々おっかねえこと言うな」
「すみません」
「褒めてる」彼は鎚を担ぎ直した。「行くぞ。犬っころ、匂いは追えるか」
「一里先でも追える」
「なら決まりだ」
「え、いいんですか」
「四人で決めたことだろうが」
リーナが横で肩をすくめた。
「わたしは反対しないわよ。記録が取れるもの」
この人は、本当にぶれない。
*
見つけたのは、二時間後だった。丘を三つ越えた先の、細い沢のそばだった。
彼女は、水際にしゃがんでいた。背中を丸めて、左腕を水に浸している。血が薄く流れ出して、下流に向かって尾を引いていた。
俺たちに気づいていた。たぶん、かなり前から。近づく前に、彼女は立ち上がって、こちらを向いていた。
十歩の距離で、俺たちは止まった。
「動かねえほうがいい」フェンリスが囁いた。「威嚇してる」
「してますか?」
「してる。重心が後ろだ。跳ぶ準備だ」
俺は、その姿を見た。小さい。昨日と同じ感想だった。血を洗い落としたぶん、余計に小さく見える。白金の髪が、濡れて額に張りついていた。角の萌芽が、はっきり見えた。指の第一関節ほどの、白い突起。左右に一つずつ。
「わたしが行くわ」リーナが薬袋を持って一歩出た。少女の重心が、さらに下がった。
「駄目だ」フェンリスが止めた。「エルフは駄目だ。弓を持ってる」
「じゃあ、あなたが」
「俺はもっと駄目だろ。爪だ」
「ガルドは?」
「鎚だ」
三人が、同時に俺を見た。
「……俺ですか」
「お前が一番弱い」ガルドが真顔で言った。「三人の中で、じゃねえ。この場で一番弱い。あいつにもそれがわかる」
「なるほど」
「傷つけたか?」
「いえ、事実なので」
俺は短剣を鞘ごと外して、地面に置いた。それから、薬袋と布をリーナから受け取って、歩き出した。
*
五歩。彼女の目が、俺を捉えた。縦の瞳孔が、少しだけ細くなった。
三歩。俺はしゃがんだ。そのまま、地面に膝をついた。
理屈があったわけではない。ただ、立ったまま近づくのは、たぶん違うと思った。前世で、猫を撫でようとして三回引っ掻かれた経験が、四十七年越しに役に立った。
一歩ぶんの距離を残して、俺は止まった。彼女は、動かなかった。
何を言えばいいのか、わからなかった。「手当てをさせてください」は、違う気がした。「怖くないですよ」も、嘘くさい。実際、俺は怖い。「あなたは誰ですか」も、たぶん、いま聞くことじゃない。
俺は、薬袋を膝の横に置いた。そして、口を開いた。出てきたのは、自分でも予想していない言葉だった。
「痛くは、ありませんか」
*
彼女の瞳孔が、開いた。縦に細かったものが、ほんの一瞬、丸くなった。
これは。俺は、その顔を知っていた。夢の中で、俺がした顔だ。
一か月半前の夜。誰もいない闇の中で、銀髪の少女に同じことを聞かれたとき、俺は「痛いです」と答えた。どこが、と聞かれなかったから答えられた。そのときの俺の顔を、いま、目の前で見ている気がした。
少女の唇が、動いた。音が出るまでに、しばらくかかった。
「……わ、」
「はい」
「わ……かった」
わかった。それが、彼女の答えだった。
俺は一瞬、意味を取り損ねた。何がわかったのか。俺の質問への答えになっていない。でも、彼女は左腕を、俺のほうへ差し出していた。
ああ。「わかった」は、承諾なのだ。
*
傷は、深かった。二の腕の外側。長さは指四本ぶん。肉まで届いている。斧か、鉈か、そういうもので受けた傷だ。
俺は水で洗い、リーナに教わったとおりに薬草を貼り、布を巻いた。その間、彼女はまったく動かなかった。痛いはずだった。薬草がしみる。布を締めるときは、なおさら痛い。なのに、彼女は眉ひとつ動かさなかった。
「痛かったら、言ってください」
「……わかった」
「いえ、その、言ってくださいという意味で」
「わかった」
会話が、成立しない。
巻き終わって、俺は手を離した。
「終わりました」
彼女は、巻かれた腕をじっと見ていた。しばらく見てから、指でそっと布に触れた。押した。締まり具合を確かめている——のではなさそうだった。もっと単純に、そこに何かが巻かれていること自体を、確かめている手つきだった。
そして、俺を見た。
「……わかった」
「はい」
たぶん今度のは、ありがとう、だった。たぶん、というのは、彼女の顔がまったく変わらなかったからだ。
*
俺は立ち上がって、下がろうとした。袖を、掴まれた。
振り返る。彼女が、俺の袖を握っていた。強い力ではない。指二本で、布の端をつまんでいるだけだった。
「え——と」
彼女は、口を開いた。さっきより、少しだけ早く言葉が出た。
「私は、強い」
「はい?」
「あなたたちは、弱い」
「……はい」
事実なので、頷くしかない。
「だから」
彼女は、そこで言葉に詰まった。十秒くらい、詰まっていた。言いたいことがあって、それを言うための言葉を、持っていない顔だった。
やがて、彼女は、いちばん短い形を選んだ。
「一緒に、行く」




