白金の髪
「まだ、いる」
フェンリスがそう言った瞬間、ガルドが鎚を抜いた。リーナが弓に矢を番える。俺は短剣に手をかけて、それから、下がった。
下がるのは得意だ。冗談ではなく、これは配置の問題である。俺が前に出ると、三人の動きが制限される。
「どこだ」
「向こう。荷車の陰」
「人数は」
「……一つ」
「一つ?」
「一つだ。それしか匂わねえ」
十九人を殺した何かが、一つ。
*
風が動いた。野営地に散らばった布が、ぱたぱたと鳴った。その音に混じって、別の音がした。砂利を踏む音だ。
ゆっくりだった。急いでいない。隠れてもいない。近づいてくるでもなく、ただ歩いている音だった。
倒れた荷車の陰から、それが出てきた。
子どもだ。それが、最初の印象だった。
背が低い。リーナより、頭半分ほど低い。ということは、俺より二回り小さい。
髪が短かった。白金というのか、灰白というのか、とにかく色が薄い。日に焼けた麦の穂が、そのまま色を失ったような髪だ。首筋にかかるくらいの長さで、乱雑に切ってある。誰かに切ってもらったのではなく、自分で刃物を当てた切り方だった。
その髪の半分が、赤かった。
服は、ぼろだった。もとは何色だったのかわからない布を、体に巻きつけている。裾が破れ、袖が片方ない。足は、革を紐で巻いただけのもので、ほとんど裸足に近い。
そして、全身が濡れていた。雨ではない。赤いものが、髪から、頬から、腕から、指先から垂れていた。まだ乾いていない。垂れて、落ちて、砂利に染みている。一歩、歩くたびに、足跡が赤く残った。
*
顔を上げた。目が、合った。
縦だ。俺の背筋が、勝手に伸びた。
瞳孔が、縦に細く割れていた。琥珀色の虹彩の中央を、黒い線が上下に走っている。猫の目に似ている。だが猫の目は、暗いところでは丸くなる。これは、丸くなる気配がなかった。
その目が、俺たち四人を、順に見た。ガルド。フェンリス。リーナ。そして、俺。一人あたり、たぶん一秒もかけていない。
数えていた、という感じだった。四つある、と確認しただけの目だった。
俺は、そこでもうひとつ気づいた。額。生え際のあたり、左右に一つずつ。短い髪の隙間から、何かが出ていた。指の第一関節ほどの、白っぽい突起。折れた枝のようにも見えるし、生えかけの何かのようにも見える。血がついていて、余計に見づらかった。
「……角?」リーナが、小さく言った。
そして、最後にもうひとつ。いちばん大事なことに、俺は最後まで気づかなかった。
彼女は、手ぶらだった。
剣も、槍も、斧も、杖も。腰にも、背中にも、何もない。武器と呼べるものを、ひとつも持っていない。十九人を骨ごと一息に断った何かが、この野営地のどこにも見当たらない。
*
「……あんた」リーナが、弓を下ろさないまま言った。「あんたが、やったの?」
返事はなかった。
「言葉、わかる?」
返事はなかった。
「わたしたちは冒険者よ。ギルドから依頼を受けて来たの。あなたが灰喰いを——」
少女は、彼女から目を離した。会話が終わったと判断したのだと思う。無視というより、処理が済んだ、という動き方だった。
彼女は、歩き出した。俺たちの横を、通り過ぎようとした。
そのときだ。俺の視界の隅で、天幕の残骸が動いた。
「——!」
声を出す前に、それは飛び出していた。男だった。灰喰いの一人だ。腕が変な方向を向いている。それでも走った。手に持っているのは、短い斧だった。狙いは、少女の背中だった。
「危な——」
俺は言いかけた。言い終わらなかった。
*
何が起きたのか、俺にはわからなかった。
少女が、振り返った。たぶん、振り返った。そう認識したときには、もう終わっていた。
男が、止まった。一歩を踏み出した姿勢のまま、上体だけが、ずるりとずれた。肩から腰にかけて、斜めに。
音は、ほとんどしなかった。倒れるときの音のほうが、よほど大きかった。
俺は、その断面を見た。見てしまった、というほうが正確だ。
引きずった跡がない。刃こぼれの筋がない。焦げていない。爆ぜていない。ただ、切れている。
ガルドが言ったとおりだった。そして、少女の手には、やはり何もなかった。
「……坊主」ガルドの声が、真横でした。
「あ、はい」
「動くな。息もするな」
俺は、その両方を守れなかった。
少女が、こちらを見ていた。さっきと同じ目だ。数えるだけの目。だが今度は、俺のところで止まっていた。
一秒。二秒。三秒。長い。心臓が、喉のあたりで鳴っていた。
彼女は、少しだけ首をかしげた。犬がやるやつだ。理解できない音を聞いたときの動き。それから、また前を向いて、歩き出した。
*
行ってしまった。道を外れて、丘のほうへ。ぼろの裾を引きずって、赤い足跡を点々と残しながら。
四人とも、しばらく動けなかった。最初に口をきいたのは、フェンリスだった。
「……あいつだ」
「え」
「この匂い。あいつのだ」
彼は自分の鼻先を掌でこすった。何度も。匂いを取ろうとしているみたいに。
「……気持ちわりい」
「怖いってこと?」
「違う」彼は首を振った。「怖いんじゃねえ。こう——懐かしい、に近い」
「懐かしい?」
「知らねえ匂いなのに、懐かしいんだよ。意味わかんねえだろ。俺もわかんねえ」
*
リーナは、記録を取っていなかった。炭筆を持ったまま、巻物を開いたまま、彼女は少女の去った方向を見ていた。
「セイン」
「はい」
「あの子、いくつだと思う」
「……十五、六くらいですか」
「そうよね」彼女は炭筆を下ろした。「あの子、たぶん、十九人殺してる。武器も持たずに。傷ひとつ負わずに」
「傷は」
俺は言いかけて、思い出した。彼女の腕。左の二の腕のあたり。血に紛れていたが、そこだけ布が裂けて、皮膚が開いていた。あれは返り血ではなかった。
「……いえ。負ってました。左腕です。血だらけだったから、わかりにくかったですけど」
リーナが目を見開いた。
「よく見てたわね、あなた」
「見るのは、得意なので」
見ることしかできない期間が長かった、とは言わなかった。
*
ガルドは、ずっと黙っていた。俺が振り返ると、彼はまだ鎚を握ったままだった。握りすぎて、指の関節が白くなっていた。
「ガルド」
返事がない。
「ガルドさん。大丈夫ですか」
彼は、ゆっくりと鎚を下ろした。そして、少女が去った丘のほうを見た。長いあいだ、そうしていた。
「あれは」彼が言った。声が、いつもと違った。「……あれは」
「知ってるんですか」
ガルドの喉が、上下した。彼は口を開いた。開いて、何か言おうとして——そして、閉じた。
「いや」
「え」
「なんでもねえ」
「でも、いま」
「なんでもねえと言ってる」
彼は鎚を背に戻して、歩き出した。
「討伐隊が来る前に、記録を済ませるぞ。嬢ちゃん、数えろ。十九だな」
「二十よ。いま増えた」
「……二十だ」
*
俺は、その背中を見ていた。
出会った日に、この人は言った。俺は嘘が下手だ。だから、言えねえことは言わねえことにしてる、と。今日が、そういう日だった。
三日前に、彼は言い捨てた。俺の札には「相棒を殺した」とは書いてねえ、と。そして今日は、白金の髪の少女を見て、口を閉じた。
この人は、何を知ってるんだ。
俺は、砂利に残った赤い足跡を見た。点々と、丘の方へ続いている。歩幅が、驚くほど小さかった。




