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灰燼の神話 〜神殺しの副産物〜  作者: NN
三人の仲間

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20/30

白金の髪

「まだ、いる」


フェンリスがそう言った瞬間、ガルドが鎚を抜いた。リーナが弓に矢を番える。俺は短剣に手をかけて、それから、下がった。


下がるのは得意だ。冗談ではなく、これは配置の問題である。俺が前に出ると、三人の動きが制限される。


「どこだ」


「向こう。荷車の陰」


「人数は」


「……一つ」


「一つ?」


「一つだ。それしか匂わねえ」


十九人を殺した何かが、一つ。


  *


風が動いた。野営地に散らばった布が、ぱたぱたと鳴った。その音に混じって、別の音がした。砂利を踏む音だ。


ゆっくりだった。急いでいない。隠れてもいない。近づいてくるでもなく、ただ歩いている音だった。


倒れた荷車の陰から、それが出てきた。


子どもだ。それが、最初の印象だった。


背が低い。リーナより、頭半分ほど低い。ということは、俺より二回り小さい。


髪が短かった。白金というのか、灰白というのか、とにかく色が薄い。日に焼けた麦の穂が、そのまま色を失ったような髪だ。首筋にかかるくらいの長さで、乱雑に切ってある。誰かに切ってもらったのではなく、自分で刃物を当てた切り方だった。


その髪の半分が、赤かった。


服は、ぼろだった。もとは何色だったのかわからない布を、体に巻きつけている。裾が破れ、袖が片方ない。足は、革を紐で巻いただけのもので、ほとんど裸足に近い。


そして、全身が濡れていた。雨ではない。赤いものが、髪から、頬から、腕から、指先から垂れていた。まだ乾いていない。垂れて、落ちて、砂利に染みている。一歩、歩くたびに、足跡が赤く残った。


  *


顔を上げた。目が、合った。


縦だ。俺の背筋が、勝手に伸びた。


瞳孔が、縦に細く割れていた。琥珀色の虹彩の中央を、黒い線が上下に走っている。猫の目に似ている。だが猫の目は、暗いところでは丸くなる。これは、丸くなる気配がなかった。


その目が、俺たち四人を、順に見た。ガルド。フェンリス。リーナ。そして、俺。一人あたり、たぶん一秒もかけていない。


数えていた、という感じだった。四つある、と確認しただけの目だった。


俺は、そこでもうひとつ気づいた。額。生え際のあたり、左右に一つずつ。短い髪の隙間から、何かが出ていた。指の第一関節ほどの、白っぽい突起。折れた枝のようにも見えるし、生えかけの何かのようにも見える。血がついていて、余計に見づらかった。


「……角?」リーナが、小さく言った。


そして、最後にもうひとつ。いちばん大事なことに、俺は最後まで気づかなかった。


彼女は、手ぶらだった。


剣も、槍も、斧も、杖も。腰にも、背中にも、何もない。武器と呼べるものを、ひとつも持っていない。十九人を骨ごと一息に断った何かが、この野営地のどこにも見当たらない。


  *


「……あんた」リーナが、弓を下ろさないまま言った。「あんたが、やったの?」


返事はなかった。


「言葉、わかる?」


返事はなかった。


「わたしたちは冒険者よ。ギルドから依頼を受けて来たの。あなたが灰喰いを——」


少女は、彼女から目を離した。会話が終わったと判断したのだと思う。無視というより、処理が済んだ、という動き方だった。


彼女は、歩き出した。俺たちの横を、通り過ぎようとした。


そのときだ。俺の視界の隅で、天幕の残骸が動いた。


「——!」


声を出す前に、それは飛び出していた。男だった。灰喰いの一人だ。腕が変な方向を向いている。それでも走った。手に持っているのは、短い斧だった。狙いは、少女の背中だった。


「危な——」


俺は言いかけた。言い終わらなかった。


  *


何が起きたのか、俺にはわからなかった。


少女が、振り返った。たぶん、振り返った。そう認識したときには、もう終わっていた。


男が、止まった。一歩を踏み出した姿勢のまま、上体だけが、ずるりとずれた。肩から腰にかけて、斜めに。


音は、ほとんどしなかった。倒れるときの音のほうが、よほど大きかった。


俺は、その断面を見た。見てしまった、というほうが正確だ。


引きずった跡がない。刃こぼれの筋がない。焦げていない。爆ぜていない。ただ、切れている。


ガルドが言ったとおりだった。そして、少女の手には、やはり何もなかった。


「……坊主」ガルドの声が、真横でした。


「あ、はい」


「動くな。息もするな」


俺は、その両方を守れなかった。


少女が、こちらを見ていた。さっきと同じ目だ。数えるだけの目。だが今度は、俺のところで止まっていた。


一秒。二秒。三秒。長い。心臓が、喉のあたりで鳴っていた。


彼女は、少しだけ首をかしげた。犬がやるやつだ。理解できない音を聞いたときの動き。それから、また前を向いて、歩き出した。


  *


行ってしまった。道を外れて、丘のほうへ。ぼろの裾を引きずって、赤い足跡を点々と残しながら。


四人とも、しばらく動けなかった。最初に口をきいたのは、フェンリスだった。


「……あいつだ」


「え」


「この匂い。あいつのだ」


彼は自分の鼻先を掌でこすった。何度も。匂いを取ろうとしているみたいに。


「……気持ちわりい」


「怖いってこと?」


「違う」彼は首を振った。「怖いんじゃねえ。こう——懐かしい、に近い」


「懐かしい?」


「知らねえ匂いなのに、懐かしいんだよ。意味わかんねえだろ。俺もわかんねえ」


  *


リーナは、記録を取っていなかった。炭筆を持ったまま、巻物を開いたまま、彼女は少女の去った方向を見ていた。


「セイン」


「はい」


「あの子、いくつだと思う」


「……十五、六くらいですか」


「そうよね」彼女は炭筆を下ろした。「あの子、たぶん、十九人殺してる。武器も持たずに。傷ひとつ負わずに」


「傷は」


俺は言いかけて、思い出した。彼女の腕。左の二の腕のあたり。血に紛れていたが、そこだけ布が裂けて、皮膚が開いていた。あれは返り血ではなかった。


「……いえ。負ってました。左腕です。血だらけだったから、わかりにくかったですけど」


リーナが目を見開いた。


「よく見てたわね、あなた」


「見るのは、得意なので」


見ることしかできない期間が長かった、とは言わなかった。


  *


ガルドは、ずっと黙っていた。俺が振り返ると、彼はまだ鎚を握ったままだった。握りすぎて、指の関節が白くなっていた。


「ガルド」


返事がない。


「ガルドさん。大丈夫ですか」


彼は、ゆっくりと鎚を下ろした。そして、少女が去った丘のほうを見た。長いあいだ、そうしていた。


「あれは」彼が言った。声が、いつもと違った。「……あれは」


「知ってるんですか」


ガルドの喉が、上下した。彼は口を開いた。開いて、何か言おうとして——そして、閉じた。


「いや」


「え」


「なんでもねえ」


「でも、いま」


「なんでもねえと言ってる」


彼は鎚を背に戻して、歩き出した。


「討伐隊が来る前に、記録を済ませるぞ。嬢ちゃん、数えろ。十九だな」


「二十よ。いま増えた」


「……二十だ」


  *


俺は、その背中を見ていた。


出会った日に、この人は言った。俺は嘘が下手だ。だから、言えねえことは言わねえことにしてる、と。今日が、そういう日だった。


三日前に、彼は言い捨てた。俺の札には「相棒を殺した」とは書いてねえ、と。そして今日は、白金の髪の少女を見て、口を閉じた。


この人は、何を知ってるんだ。


俺は、砂利に残った赤い足跡を見た。点々と、丘の方へ続いている。歩幅が、驚くほど小さかった。


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