灰喰い
金貨二枚というのは、Fランクの十五歳が持つ額ではない。
俺は三日ほど、それをどう扱うべきかで悩んだ。
宿を良いところに移すか。装備を買うか。貯めるか。前世で二枚の金貨に相当する額を手にしたことがあるのは、退職金のときだけだ。あれは三日で消えた。
結局、俺は革の胸当てと、丈夫な靴と、太めの縄を三十尺買った。
「縄?」
リーナが呆れた。
「あなた、金貨二枚で最初に買うのが縄?」
「一番使うので」
「否定できないのが腹立つわ」
残りは宿の主人に預けた。この町には銀行のようなものがないが、宿の主人が金を預かる慣習はあるらしい。手数料を取られるが、財布ごと盗まれるよりましだ。
*
フェンリスの傷は、二週間で塞がった。
獣人の治りは早い、とリーナが言っていたが、それにしても早かった。十七針が十日で抜けた。
「痕は残るわね」
「勲章だ」
「あなた、勲章多すぎない?」
「多いな」
彼は笑っていた。
この二週間で、俺はフェンリスという男が、思っていたよりずっとよく笑うことを知った。追放者だとか、部族を出ただとか、そういう肩書きから想像していた人物像と、実物はかなり違う。
隠さない人なのだ。
痛ければ痛いと言い、腹が立てば怒鳴り、面白ければ笑う。そのせいで町では嫌われるし、十六年前は部族を追われた。
俺の正反対にいる人だ、と思った。
*
ガルドとフェンリスは、ギルドに登録した。
「いまさらか」
「いまさらだ」
ガルドは登録証を首から下げると、露骨に嫌そうな顔をした。
「札を下げて歩くってのは、性に合わん」
「じゃあなんで登録したんですか」
「嬢ちゃんの遺跡に、もう一回行くならな。四人で受けられる依頼のほうが動きやすい」
リーナが顔を上げた。
「……もう一回、行くの?」
「行かねえのか」
「行くわ」
彼女は即答した。
「行くけど、あなたが行くとは思ってなかった」
「言っただろ。俺は嘘が下手だ」
ガルドはそれ以上説明しなかった。
*
二人の判定は、あっさりDが出た。
ドワーフの鍛冶師と、獣人の戦士。石板は正直だった。
俺は隣で自分の登録証を見ていた。
『セイン・ヴェルグ F』
四か月、F。
大角狼を倒した件は報告していないので、当然といえば当然である。自分たちで決めたことだ。文句を言う筋合いはない。
ないのだが、Dの札を二枚見せられると、少し無言になる。
「坊主」
「はい」
「顔に出てるぞ」
「出てますか」
「出てる」
ガルドは自分の登録証を指で弾いた。
「札は、お前の中身と関係ねえよ」
「そうですかね」
「そうだ。俺の札にも『鎚が振れる』としか書いてねえ。『相棒を殺した』とは書いてねえ」
言って、彼はさっさと歩いていった。
俺はその背中を、しばらく見送っていた。
——いま、この人、何を言った?
*
灰喰いの話が、いよいよ大きくなったのは、その翌週だった。
被害が、月に三件から、週に三件になった。
街道の商隊が襲われ、荷が奪われ、人が殺された。殺され方が問題だった。金だけ取って逃げるなら、まだ商人も諦めがつく。灰喰いは、殺していく。
「なんで殺すんだ」
酒場でフェンリスが言った。
「殺しゃ追われるだろ。割に合わねえ」
「見せしめでしょ」ミラだった。彼女は相変わらず一人でやっている。「怖がらせれば、次の商隊は抵抗しなくなる」
「合理的ね」リーナが吐き捨てた。
「合理的な連中よ。だから厄介なの」
*
ギルドが討伐依頼を出したのは、三日後だった。
『灰喰い討伐 Dランク以上 参加者募集』
掲示板の前は、朝から人だかりだった。
報酬がいい。名も上がる。D以上という条件が、逆に「選ばれた側」という感じを出していて、若い連中が浮き足立っている。
「セイン!」
マルクだった。
「俺、出るぜ」
「そうですか」
「Dになっててよかった。間に合った」
彼は本当に嬉しそうだった。二か月前、俺の肩を叩いて「そのうち上がるって」と言った顔と同じだ。
「気をつけてくださいね」
「おう。……あのさ」
彼は少し口ごもった。
「お前も、その、そのうちさ」
「はい」
「うん」
会話が終わった。
マルクは悪くない。悪くないのに、この二か月で、俺たちの間には言葉が減った。差がついた相手にかける言葉というのは、思っている以上に難しい。
*
俺たちが受けたのは、別の依頼だった。
『街道被害状況の記録・生存者捜索 Eランク以上 二名以上での受注』
討伐隊の後方支援だ。討伐隊が先行して叩き、俺たちは後から現場を回って、被害を記録し、生存者を探し、遺体を町へ運ぶ。
「地味ね」
リーナが言った。
「地味ですね」
「でも、記録が取れるわ」
彼女の目は輝いていた。この人は、記録が取れるならだいたい何でもやる。
ガルドが眉を寄せた。
「危なくねえか。討伐隊が取りこぼした連中と鉢合わせる可能性がある」
「そのときは逃げましょう」
「お前が言うと説得力がねえんだよ、嬢ちゃん」
*
出発は翌朝だった。
東の街道を、三日かけて南下する。討伐隊は一日先を行っている。
一日目は、何もなかった。
二日目の昼過ぎに、最初の現場に着いた。
*
焼けた荷車が、三台。
道の脇に、横倒しになっていた。荷は残っていない。奪われたのだろう。焼けたのは、たぶん、逃げられないようにするためだ。
遺体は五つあった。
俺は、そのうちの二つを運んだ。
書くことはあまりない。前世でも今世でも、俺は人の遺体をまともに見たことがなかった。想像していたのとは、いろいろ違った。重さも、匂いも、硬さも。
リーナは記録を取り続けていた。手が震えていたが、止めなかった。
フェンリスは何も言わずに穴を掘った。
ガルドは、焼けた荷車の車軸を見て、「いい仕事だ」と言った。それが誰への手向けなのか、俺にはわからなかった。
*
三日目の朝、二つ目の現場に向かった。
途中で、討伐隊とすれ違うはずだった。
すれ違わなかった。
「おかしいわ」
リーナが地図を睨んだ。
「予定なら、昨日の夕方にはこの辺で会うはずなの」
「進軍が速いんじゃねえか」
「三十人よ。三十人が予定より速く進むことなんて、まずないわ」
フェンリスが、鼻を上げた。
「……焦げ臭え」
*
丘をひとつ越えた。
道の先に、それがあった。
野営地だった。
灰喰いのものだ。天幕が五つ。荷車が七台。奪った品が積み上げられ、火が焚かれた跡がある。かなりの規模だ。三十人の討伐隊が編成された理由がわかった。
その野営地が、壊れていた。
*
俺たちは、ゆっくりと近づいた。
天幕は、四つが引き裂かれていた。荷車は三台がひっくり返っている。
そして、人が倒れていた。
数えた。
十九。
全員、灰喰いの装備をしていた。討伐隊の装備をした者は、一人もいなかった。
「討伐隊は、まだ来てない」
リーナが囁いた。
「じゃあ、誰が」
*
ガルドが、一つの遺体の前でしゃがんだ。
彼は、しばらく動かなかった。
「ガルド?」
「……坊主。来い」
俺は近づいた。
そして、見た。
その男は、右肩から左の脇腹まで、斜めに断たれていた。
断面が——
「……なんですか、これ」
「わからん」
ガルドの声が、少し掠れていた。
「刃物じゃねえ」
「刃物じゃない?」
「刃物なら、こうならん。剣ってのは押し切るもんだ。だから断面には必ず引きずった跡が残る。刃こぼれの筋も残る」
彼は、断面を指した。
「これは、ねえ」
「爪じゃないの?」フェンリスが横から覗き込んだ。「獣人の爪でも、こうは——いや」
彼は言葉を切った。
「無理だな。俺の爪でも、こうはならねえ。骨まで一息だ。抵抗がなかったみてえに切れてる」
「魔法かしら」
「熱の跡がねえ」ガルドが首を振った。「炎でも雷でも、焦げるか爆ぜるかする。これは——ただ、切れてる」
*
フェンリスが、立ち上がった。
彼は野営地の中央へ歩いていって、そこで顎を引いた。
空気を吸う。
一度。
二度。
そして、動きが止まった。
「……なんだ、これ」
「なにか匂いますか」
「匂う」
彼の毛が、ゆっくりと逆立っていった。
丘の上で、守護神の話が出たときと同じ立ち方だった。
「知らねえ匂いだ」
彼は言った。
「俺は、十六年、外を歩いてる。人間も、エルフも、ドワーフも、魔物も、竜種のなり損ないも嗅いだ。……こんな匂いは、知らねえ」
「危険なの?」
「わからねえ。それが一番こええ」
彼は、ゆっくりと東を向いた。
天幕の向こう。倒れた荷車の陰。まだ煙の上がっている火の跡の、そのさらに奥。
「——まだ、いる」




