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灰燼の神話 〜神殺しの副産物〜  作者: NN
三人の仲間

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18/26

四人の食卓

フェンリスの傷は、十七針だった。


縫ったのはガルドだ。九十二年生きていると縫合もできるらしい。「鍛冶と同じだ」と彼は言った。「割れたもんを合わせて留めるだけだ」。


その理屈で人間を縫われている当人は、酒袋を咥えて黙っていた。


「痛いなら言いなさいよ」


「言ったら早く終わるのか」


「終わらないわ」


「じゃあ言わねえ」


リーナが呆れた顔をした。俺は湯を沸かす係だった。適材適所である。


  *


野営地は、空き地から少し離れた沢のそばに取った。倒れた大角狼のそばで寝る気には、誰もならなかった。


ガルドは、それでも一度だけ戻って、角の先を切り取ってきた。手のひらほどの欠片が二つ。


「これ、いくらになるんですか」


「金貨で八枚だな」


俺は湯をこぼしそうになった。金貨八枚。銀貨に直すと八十枚。銅貨だと——計算する気にもならない。俺の三か月の稼ぎを全部足しても、まだ届かない。


「四人で割るぞ」


「え、俺もですか」


「お前が一番働いた」ガルドは当たり前のように言った。「俺は盾を割っただけだ。犬っころは血を流しただけだ。嬢ちゃんは矢を全部失くしただけだ。あいつを殺したのはお前の三秒だよ」


「そんな、俺は」


「議論はしねえ。等分だ」


  *


「ねえ」リーナが火をつつきながら言った。「ギルドには、報告しないほうがいいと思うの」


「なんでだ」


「わたしたち、討伐依頼を受けてないもの。無許可の狩りよ。それに——」彼女は少し言い淀んだ。「結界を、壊したわ」


火が爆ぜた。


「あの結界、誰かが手を入れてた。セインが見つけた縄、あれ数十年前のものよ。誰かが定期的に補修してるってことは、誰かがあの結界を『あってほしい』と思ってるってこと」


「その誰かに、目をつけられるってことか」


「わたしはそう思う」


ガルドは腕を組んだ。しばらく考えて、頷いた。


「同意だ。角は売る。話はしねえ」


「セインは?」


俺は、湯を注ぐ手を止めた。


「……報告しないことに、賛成です」


「理由は」


「下水と同じ手口だったので」


三人が、俺を見た。


「ハルグの下水にも、同じ形の封印がありました。術式が刻んであって、その下を鎖と封鉛で留めてある。石板そのものは二百年ぶんの汚れをかぶっていたのに、鎖と封鉛はそこまで古くなかった。あれも数十年前に、誰かがあとから手を入れた細工でした。古い封印を、物理的な留め具で補修していたんです」


「町の下水と、千年前の森の結界が」


「同じ人が留め直してるかは、わかりません。でも、同じやり方です」


リーナが革筒に手を伸ばした。炭筆が走る音が、しばらく続いた。


  *


飯は、干し肉と豆と、リーナが摘んできた野草の粥だった。ガルドが煮た。相変わらず旨い。九十二年ぶんの技術は、ここでも遺憾なく発揮される。


「なあ、鍛冶屋」フェンリスが匙を咥えたまま言った。「あんた、なんでこの仕事受けたんだ」


「聞くのが遅えな。三日目だぞ」


「三日目に聞きたくなったんだよ」


ガルドは鍋をかき混ぜて、しばらく黙った。


「昔、相棒がいた」


「ほう」


「そいつと一緒に、あるものを作ろうとした。作れなかった」


「それで?」


「それだけだ」


「それだけかよ」


「それだけだ」


ガルドは椀を差し出した。会話を終わらせるときの、この人特有のやり方だ。俺は椀を受け取った。指のことは、聞かなかった。左手の欠けた二本と、作れなかった何かが繋がっているのは、たぶん誰でもわかる。誰でもわかることを、わざわざ聞く必要はない。


「エルフの嬢ちゃんはどうなんだ」ガルドが振った。「あの遺跡だ。四回目で、こんな目に遭ってる。なんでそこまでする」


リーナは椀を両手で包んだ。


「祖母がね」


「祖母?」


「千二百歳なの。大戦を生きてる。実際に見てるの」


フェンリスが顔を上げた。「千二百」


「エルフでも長いほうよ。……その祖母に、わたしは百二十七年、同じことを聞いてる。『あのとき何があったの』って」


「答えは?」


「『まだ早い』」


彼女は笑った。まったく笑っていない笑い方だった。


「百二十七年。同じ四文字。わたしが五歳のときも、五十歳のときも、去年も」


「……そりゃ、腹も立つな」


「腹は立たないの。もう」リーナは粥をすすった。「ただ、あの人が死ぬ前に、わたしが自分で見つけたいだけ。それだけよ」


「犬っころは」


「犬っころ言うな」


「フェンリスは」


「……十六年前に、部族を出た」彼は仰向けのまま言った。傷のせいで、まともに座れないのだ。「出たっていうか、追い出された」


「なにをやった」


「壊した」


「なにを」


「祭壇」


火が鳴った。リーナの手が止まった。俺も止まった。ガルドだけが、平然と鍋をかき混ぜていた。


「妹がいてな」フェンリスは、空を見たまま言った。葉の隙間から、星が少し見えていた。「そのときは、まだ小せえかった」


「妹さんは」


「無事だ」


「いまも?」


「たぶんな。……十六年、会ってねえ」


彼はそこで口を閉じた。俺たちも、それ以上聞かなかった。


  *


会話が途切れた。火が小さくなって、ガルドが薪を足した。沢の水音が、急に大きく聞こえるようになった。


俺は、椀の底に残った粥を見ていた。


三人が、それぞれ何かを話した。作れなかったもの。百二十七年の四文字。壊した祭壇。三人とも、全部は話していない。核心は懐にしまったままだ。それでも、輪郭は出した。ここに座っている自分がどういう形をしているかを、三人はそれぞれ、少しだけ差し出した。


俺は、何も出していない。灰鱗のことも。二晩の夢のことも。胸の奥にある、解けない結び目のことも。


「セイン」フェンリスが、仰向けのまま言った。


「はい」


「お前、前に言ったよな。こわいまま行っても変わらねえって」


「……言いましたっけ」


「エルフから聞いた」


リーナが「言ってないわ」という顔をした。言っている。


「あれ、どういう意味だ」


俺は、少し考えた。


「そのままの意味です」


「そのままの意味って?」


「こわいから行かない、を続けると、何も起きないので」


「経験談か」


「まあ」


「いつの」


——前世です。三十二年ぶんです。


そう言えばよかった。そこで言えば、たぶん、何かが少し変わった。三人は驚くだろうが、追い出しはしないだろう。この三人はそういう連中だ。今日それがよくわかった。


でも、俺の喉は動かなかった。


「……昔のことです」


「昔って、お前まだ十五だろ」


「はい」


「変な奴だな」


「よく言われます」


フェンリスは、それ以上聞かなかった。追及されなかったことに、俺は安心して、そのあとすぐ、安心した自分に少しうんざりした。


  *


その夜、俺は最後の見張りだった。三人の寝息を聞きながら、火を見ていた。ガルドは深く。フェンリスは浅く、時々うなされている。リーナはほとんど聞こえない。


三日前は、この三人の名前も知らなかった。いまは、寝息の違いがわかる。


悪くないな。そう思って、それから、自分の胸に手を当てた。


結び目は、そこにある。三か月前に見つけて以来、一度も動いていない。


俺は誰にも言っていない。言えばいい。言ってしまえばいい。フェンリスは「変な奴だな」で済ませるだろうし、ガルドは「そうか」で済ませるだろうし、リーナに至っては目を輝かせて記録を取り出すだろう。


わかっている。わかっているのに、言わない。


言わないまま、俺は三人の話を聞いて、頷いて、粥をよそって、それで一日が終わる。上手にやれている。三人とも、俺のことを「聞き上手な奴」だと思っているはずだ。前世でも、そう思われていた。


思われていて、それで、誰も俺のことを知らないまま、俺は死んだ。


火が、また小さくなった。俺は薪を足して、膝を抱えた。


三人とも、自分の話をした。俺だけが、何も話さなかった。


——それが俺の、一番古い癖だった。


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