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灰燼の神話 〜神殺しの副産物〜  作者: NN
三人の仲間

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13/32

追放者フェンリス

出発は三日後と決まった。


その三日で、俺たちは準備をした。準備というのは主に買い物のことで、買い物というのは主に揉め事のことだった。


「革の胸当てなんて要らないわ。動きが鈍る」


「鈍るのはお前が非力だからだ、嬢ちゃん」


「エルフの機動力を舐めないで」


「舐めてねえよ。一発もらったら終わりだと言ってるんだ」


エルフとドワーフというのは、本当に噛み合わない。学問所では「両種族は伝統的に折り合いが悪い」と一行だけ習った。一行で片づけていい話ではなかった。二人が同じ露店の前に立つと、商品の是非から歴史の解釈まで、話が三段階で拡張する。


俺の仕事は、その横で荷物を持つことだった。適材適所だと思う。


  *


三日目の夜、俺たちは酒場で最後の打ち合わせをした。地図を広げ、行程を確認し、水と食料の量を決める。リーナが記録を取り、ガルドが実務を詰め、俺が頷く。


「日程は三日」ガルドが指で地図を叩いた。「一日目で丘二つ。二日目で三つ目を越えて、遺跡。三日目で戻る」


「四日ぶんの食料を持ちましょう」


「五日ぶんだ」


「重くなるわ」


「重いのは俺が持つ」


「……それは、まあ」


リーナが言葉に詰まった。ガルドはこういうところで妙に隙がない。喧嘩っ早いくせに、揉めた末に自分が損をする案に落ち着ける。九十二年生きているというのは、そういうことなのかもしれない。


打ち合わせが終わって、俺たちは店を出た。裏路地を抜けようとしたところで、リーナが足を止めた。


「……なにあれ」


  *


酒場の裏手、荷車置き場の柱に、人が縛られていた。


獣人だった。灰褐色の毛並み。狼系だ。背は高い。俺より頭ひとつぶん上で、肩幅もある。そんな体が、太い縄で柱に括りつけられていた。腕を後ろに回されて、胴を三重に。


顔を上げた。片方の耳が、根元から先まで裂けていた。古い傷だ。血は止まっている。ずっと前のものだとわかる。


金色の目が、俺たちを見た。


「見世物じゃねえぞ」


低い声だった。リーナが眉を寄せた。


「何があったの」


「見りゃわかんだろ」


「わからないから聞いてるの」


獣人は舌打ちをして、そっぽを向いた。代わりに答えたのは、荷車置き場の隅で煙草を吸っていた老人だった。酒場の下働きらしい。


「そいつは酒場で暴れたんだよ。客に絡んで、卓をひっくり返した。衛兵が来て、そのざまだ」


「それで、なんで縛りっぱなしなの」


「明日の朝まで置いとけって。見せしめだと」


老人は煙を吐いて、店の中へ戻っていった。


  *


「行くぞ」ガルドが言った。「明日は早い」


「待って」リーナが動かなかった。「ねえ、あなた。本当に暴れたの? 先に手を出したのは、どっち」


獣人は答えなかった。


「答えて」


しばらく間があった。


「向こうだ」獣人は言った。「席に座ったら、犬っころが人間の椅子に座るなと言われた。無視した。次に頭から酒をかけられた。それも無視した。三度目に妹の話をされた」


「妹?」


「そこで、卓をひっくり返した」


リーナが息を呑んだ。


俺は、なんとなく事情を察した。三度目まで我慢したというのは、この人が普段からそういうことに慣れているということだ。慣れていて、慣れているぶんだけ、どこで限界が来るかも自分で知っている。


「衛兵は、相手も縛ったの」


「まさか」獣人は笑った。笑い方が、ひどく雑だった。「人間の町だぞ。獣人が一人縛られてりゃ、それで話は片づく」


  *


俺は、彼の後ろに回った。


「おい坊主、やめとけ」ガルドが低く言った。「衛兵の仕事に手を出すな。面倒になる」


「はい」


「わかってんなら離れろ」


「はい」


俺は縄に手を伸ばした。


「わかってねえだろが!」


わかってはいた。ガルドの言うことは正しい。町の衛兵の処置に手を出せば、俺たちが咎められる。明日の出発が潰れる可能性もある。


ただ、この夜の俺は、なぜか手が先に動いた。


指先が、縄に触れる。ある。胴の三重巻き。手首の八の字。柱の環に通した部分。三つの結びが、互いに支え合っている。うまい結び方だった。もがけばもがくほど締まる。衛兵は慣れている。何度もやっているのだろう。


ここだ。手首のほう。一箇所だけ、支点になっている噛み込みがある。そこを、ほんの少し逃がしてやれば、あとは全部、自分の重みでほどける。


ひとつ、ふたつ、みっつ。


「——お?」


縄が、落ちた。


  *


獣人は、しばらく動かなかった。自由になった腕を、不思議そうに見ていた。それから、ゆっくりと肩を回して、立ち上がった。


大きい。近くで見ると、なおさら大きい。彼は俺を見下ろした。


「お前がやったのか」


「はい」


「どうやって」


「ほどきました」


「切ってねえな。刃物の跡がねえ」


「はい」


「……ふうん」


彼は足元の縄を拾い上げて、結び目のあたりを指でつまんだ。しばらく検分してから、放った。そして、俺の顔をまっすぐ見た。金色の目が、俺の目のあたりから、少しずつ下へ動いた。


「お前、笑い方が下手くそだな」


俺は、自分が笑っていたことに、そこで気づいた。


無意識だった。人と向き合ったときに、まず口の端を上げる。それが俺の初期動作になっている。二回ぶんの人生で磨いた技術だ。


「誰かに合わせてる顔だ、それ」彼は言った。「腹立つほど覚えがある」


「……そうですか」


「そうだよ」


  *


「フェンリスだ」彼は名乗った。「名乗るのは礼だ。縄の礼な。それ以上の意味はねえ」


「セインです」


「セインな。……で、そこのエルフとドワーフは連れか」


「はい」


「妙な組み合わせだな」


そう言って、フェンリスは鼻を鳴らした。鳴らした、というのは正確ではない。彼は、匂いを嗅いだ。あからさまにではない。ほんのわずかに顎を引いて、空気を吸っただけだ。獣人がそれをやるのを、俺は初めて見た。


そして、その動きが止まった。


「……なんだ、これ」


「え」


「お前、変な匂いがする」


俺は、思わず自分の袖を嗅いだ。


「下水の仕事をしていたので」


「そういうんじゃねえ」フェンリスは、少しだけ体を引いた。警戒とも、興味とも違う顔だった。強いて言えば、聞き覚えのない音を遠くで聞いたときの顔に近い。


「古い」彼は言った。「お前、若いのに、匂いが古い」


「……はあ」


「言葉にできねえ。……悪い。忘れてくれ」


彼は首を振って、話を切った。俺も、それ以上聞かなかった。聞かなかったのは癖のせいだが、このときは少しだけ、聞くのがこわかったからでもある。胸の奥に、解けない結び目がある。そのことを、俺はまだ誰にも話していない。


  *


「ねえ」リーナが言った。「あなた、明日の予定は?」


「予定?」


「町を出るわ、わたしたち。東の丘の遺跡。護衛が足りないの」


フェンリスが片眉を上げた。


「報酬は」


「安いわよ」


「どれくらい」


「銀貨三枚」


「安すぎるだろ」


「安すぎるわね」リーナは悪びれもしなかった。「でも、あなた、明日の朝までここに縛られてる予定だったのよね。それに比べたら」


フェンリスが、今度は本気で笑った。さっきの雑な笑い方とは違う、腹から出た声だった。


「エルフってのは、みんなお前みたいなのか」


「わたしは変わり者だと言われてるわ」


「だろうな」


彼は縄の落ちた地面を一瞥して、それから俺のほうを見た。


「行くよ。どうせ、この町にいても居場所はねえ」


  *


こうして、四人になった。エルフの記録者と、気に入った相手にしか武器を打たない鍛冶師と、追放された獣人と、Fランクの便利屋。


宿へ帰る道すがら、ガルドが俺の横に並んで、小さく言った。


「坊主」


「はい」


「さっきのは、褒めてねえぞ」


「知ってます」


「衛兵に見つかってたら、明日は牢の中だ」


「はい」


「……ただな」ガルドは前を向いたまま続けた。「悪くはなかった」


俺は、返事をしなかった。代わりに、口の端が勝手に上がりそうになるのを、少しだけ我慢した。


下手くそだと言われたばかりだ。練習が要る。


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